「…であるからー、この公式を当てはめると答えを導き出してくれるわけで…」
…新学期始まって間もなく。
お弁当も食べた昼下がりの、数学の授業。
窓の外からは、九月らしくすっかり秋めいた、肌に心地の良い風が入ってくる。
台風一過で、からっと晴れ上がった空。風のおかげで雲が流れて、まぶしい太陽の光が見え隠れする状態だ。
窓際のカーテンは、風に乗ってフワリ、フワリと何度も視界に現われる。
まるでそれは、催眠術の五円玉と同じ作用。
同じ模様で同じ色、ゆっくりとだけれど規則正しく教室にはためくカーテンは、午後の眠りを誘うには充分すぎる役割を果たしていた。
「…」
クラスの半数が、あまり好きではない数学の公式に飽きて居眠りをし始める中、
もちろんそれは優等生のあかねとて、例外ではなかった。
居眠り常習者の乱馬は既に机に突っ伏して眠っている。
格闘技では異常なまでに勝負にこだわるのに、彼は睡眠欲には勝とうとはしないのだ。
しかしあかねは、違う。
優等生でもあるあかねは、授業中に居眠りする事など殆ど無いのだ。
が…九月のこの心地よい気候の中では、そんなあかねのポリシーさえも砕けてしまいそうな状態であった。
…
どうにかしなくては。
「…」
緊急退避的対策。とりあえずあかねは、シャープペンシルを握っている右手を、左手でつねってみた。
しかし、全然眠気なんて取れない。それどころか、「心地よい痛み」くらいにしか感じられてはいなかった。
どうやら、眠さで痛点さえもごまかされてしまっているようだ。
「…」
強烈なメンソール入りのガムを噛みたい所だが、授業中だしそうもいかない。
…カクン。
そうこうしているうちに、無意識のうちにあかねの上半身が前に傾いた。
慌てて元の位置に姿勢を戻すも、再びその無意識状態に戻りそうで、恐ろしい。
眠気の波は、既にそこまで来ていた。
「…」
どうしよう。
握っているシャーペンでトストスと手の甲を痛くないようにつつきながら、あかねは居眠りを回避する策を考えて、ふっと、乱馬へと目をやった。
…と。
「…」
一応は教科書に隠れるようにしているのだけれど、机にすっかりと突っ伏し眠いっている乱馬が、不意ににいっ…と唇を吊り上げて笑った。
…何か、楽しい夢でも見ているのかな。
あかねはそんなことを考えながら、乱馬を見つめる。
見られている乱馬は、勿論あかねの視線には気がついていないが、妙に幸せそうな顔をしている。
「…」
一体何を夢見ているのだろうか。
せっかくなので、あかねは眠気をごまかす為にも乱馬のその見ている夢の内容を、予想してみる事にした。
乱馬が、思わずにっと笑ってしまうほど喜んでしまうこととは、なんだろう。
美味しい食べ物でも、腹いっぱい食べているのだろうか。
それとも、何かの決闘で勝利したとか?
新しいゲームとか、手に入れたとか。面白いテレビを見ているとか。
…もしくは、あかねの部屋に夜這いかけているとか。
「…」
ありうる。
それはありうる。いつもあかねの部屋に忍び込む乱馬は、妙にニコニコしている。
そして何だかんだいってちゃっかりと、ベッドに潜り込んでくるのだ。
でも、いくら乱馬でもそんな夢を学校でなんて見る…
…可能性も無くはない。
「…」
あかねは何だか背中に嫌な汗を掻きながら、喉をゴクリと鳴らした。
今まで考えていたことを踏まえて乱馬のこの笑顔を見ると、何故だろう、身の危険さえも感じ始めてしまう。
これは、授業が終わったと、聴いてみた方がいいのか。
いや、それよりも。今夜は警戒しながら眠るようにした方がいいのか。
「…」
あかねはあれこれと自分の身を守る為の手段を想像しながら、額にも掻いた汗を拭った。
と。
「はい、今日はここまで」
キンコーン、キンコーン…
あかねの耳に、それまで数学の公式を単調なトーンで喋っていた数学教師の声と、
授業の終わりを告げるチャイムが、聞こえた。
「!」
…どうやら、あかねが色々と想像して遊んでいるうちに、授業が終わったようだ。
という事は、
「…」
あかねは、何とか居眠りするという事を回避できたという事だ。
勿論その代り、授業の方はさっぱり聞いていなかったのだけれど。
「…あー、終わったかー?授業。はー、退屈だったー」
そうこうしている内に、それまで机に突っ伏していた乱馬が、大きなあくびをしながら起き上がった。
退屈も何も、最初から居眠りを決め込んでいたくせに…と、あかねは乱馬の頬にくっきりと出来ている洋服の皺の跡を、指でつっついて遊んでみるも、
「乱馬?」
「あ?」
「ありがと」
「は?」
「いーの。こっちのこと!」
あかねは、居眠りを回避できたそのお礼を、乱馬に述べてにっと笑った。
勿論乱馬は不思議そうな顔をしていたけれど、真相は全てあかねの胸の中にのみ閉じ込めておくのだ。
眠い授業の、居眠り対策。
それには、乱馬の観察が一番だ。