ヒラヒラと舞い散る桜の花びらを受け止めるかのように、あかねは桜の木の下に立ち、天を仰いでいた。
時折吹き抜ける風が、あかねの背中まで伸びた長い髪をくすぐるように通り抜けてゆく。
「…」
ヒラリと一枚、その額に。
ヒラリと一枚、その肩に。
まるでそこだけ、別の時間が流れているような…そんな不思議なスピードで、桜の花びらは、あかねの上へと降り積もっていた。
あかねは、天を仰いで目を閉じていた。
その目からは、一筋の光。
降りおちる桜の花びらと共に、あかねの瞳から溢れ出る一筋の光もまた、地面へと降っていく。
…そんなあかねの瞳の奥には、たったワンシーンが強烈に焼き付けられていた。
「東風先生って、本当に面白い方ですね」
「いやあ、それほどでもッ…」
そんな会話を交わしながら、あかねの目の前で楽しそうに笑う二人。
あかねには作る事の出来ないとても美味しいクッキーと焼いて差し入れをするかすみと、
それが嬉しいのだけれど照れてしまって、骨格標本をかちゃかちゃといじりながらもじもじとしている東風。
傍であかねが見ているのも忘れ、二人はそんなやんわりした会話をずっと続けていた。
「あたし、先に帰るね」
あかねがそう言って東風の接骨院を出ようとしても、
「あら、一緒に帰りましょうよ」
そういうかすみとは裏腹に、
「…」
東風はかすみに会えたことが嬉しいのか、骨格標本のベティちゃんをかちゃかちゃと動かすばかりでそんなあかねには気が付きもしないようだった。
「ううん。お姉ちゃん、ゆっくりしていきなよ。じゃあ…」
あかねは、かすみにそう笑いかけると接骨院を飛び出した。
かすみに惚れている東風。
かすみがその場にいれば、あかねの事なんか目にも入らなくなる。
もちろんあかねには、そんなことは分かりきっていた。
それほどまでに東風はかすみに惚れている。
そんなことは分かりきっている事だった。
分かってて…でも、あかねは東風が好きだった。
それが、どんなにつらい事かも。
それが分かってて好きなのに…
「…」
あかねは、ふと目をあけた。
あかねの目には、夕暮れの空、夕暮れの太陽の光を受け、鈍く白く光る桜が満開に咲き誇るその姿が映った。
鈍く光る桜が、まるで雪のように降ってくる。
春の、雪。
まさに、そんな感じだった。
「嘘つき…」
そんな春の雪を見あげ、そして身体いっぱいに浴びながらあかねは呟いていた。
…春の雪。
温かい季節に降る、冬の代名詞の「雪」。
季節はずれの来訪者。
そしてあまり姿を見せる事のないそれは、
「春雪は何か良い事を運んでくる」
そんなジンクスをも人々の間に生んでいる。
…でも。
今日、こうしてあかねの上へと降り積もる春雪は、あかねに「よい事」など運んでは来ない。
今日の春雪があかねへと運んできたのは、あかねの、東風への切ない想いのカケラだけ。
「これなら、まだただの雪のほうがいいわ…」
あかねは、ボソッとそんなことを呟いた。
「雪なら…」
…雪なら、流した涙も一緒に地面へ溶かしてくれるから。
誰も、いまのこの姿を見ても「泣いているの?」そんな風には思ったりしないだろうから。
「…ただの雪なら良かったのに」
あかねはそう呟いて、再び目を閉じた。
そして、
「…そろそろ戻らなきゃ。あんまり遅いとお姉ちゃんが心配する…」
ため息を一つついてからあかねはゆっくりと桜の木の下から離れ、家への道を歩きだした。
「…来年は、違う春雪が見れるといいけど…」
頭や、肩に降り積もった花びらを手で払いながら、あかねはそんなことをぼそっと呟いた。
…この恋の行方が良い方向に転じる事なんて、期待はしない。
思いが叶うなんて思ってないし、叶わせたいなんて、そんな無理なお願いはしない。
でも、
もしも一つだけ願いを叶えてくれるのなら、誰か、この状況から自分を連れ出して欲しい…
そう、
「僕は君の気持ちも、状況も全て知ってるんだ。だけど知ってる上で、君を助けたいんだよ」
そんなことを言って、あかねのこの苦しい状況を打破してくれるようなそんな人に…
…
……
「…そんな人、いるわけないか…。バカなあたし…」
まるでTVドラマのようなそんな展開をちょっとでも頭の中に想像をした自分を、あかねは軽く戒めた。
恋なんて、知らない。
男なんて、知らない。
男なんて、大嫌い。
…東風先生以外の男なんて…。
「…」
あかねは、そんなことを思いながらまた再び、ため息をついていた。
あかねの上に、「よい事」を運んでくる春雪が降るのは、まだまだ先なのだということを、あかねは身にしみて感じていた。
「いつかはあたしにも降りますように…」
…でも。
たとえそうだとしても。
きっといつかは、この、苦しくて、切なくて、どうしようも出来ないこの状況が、
晴れて楽しく過ごしていけるようなそんな季節を迎えたいと願うから…
あかねは、小さな小さな声で一言そう呟いた。
そんなあかねの声に答えるように、
一枚の桜の花びらが、フワリ、フワリとあかねの肩へと降りおちた。
そして、
ビュオッ…と一太刀の強い風があかねのすぐ傍を吹き抜けていった。
「きゃッ…」
あまりの風の強さに、あかねの背中まで伸びた髪を結んでいたリボンが風によって解けてしまい、
フワッ…と、風に煽られて空へと舞い上がってしまった。
風に煽られたリボンは、どんどんと風に流されて、
はるか遠くへと運ばれていってしまった。
「強い、風…」
あかねは、風によってふわりとなびいた長い髪を手で抑えながらボソッと呟いた。
「あの風と一緒に、あたしのこの気持ちも連れて行ってくれればいいのになあ…」
リボンじゃなくてさ。…あかねはそんなことをちょっと考えてしまった自分が何だかおかしかった。
「アレぐらい強引な人、現われるといいんだけどなあ…」
あかねは、そんなことを呟きながら再び歩きだした。
そう、
九能先輩とはちょっと違うタイプの「強引」さ。
そんな人がいつか現われてくれたら。きっと今の状況は変わるような気がする…
「きっといつかは…」
あかねは、時折風によって現われてはフワリ自分の周りを舞う白い桜の花びらをぼんやりと眺めながら、心の中でそう願った。