「今度、二人きりになった夜には…。約束、な?」
以前、あたしは乱馬とそういう約束を交わしていた。
「二人きりになった夜に、何をするの?」
…もう、そんなことを言いながらとぼける事も出来ないような、状況下で交わした約束だった。
「うん…」
だから。
その時に、あたしもそうやって返事をした。
…あたし達が本当の「両思い」になって、何ヶ月か過ぎた。
二人でどこか出かけたり、手を繋いだり。
ふざけて抱き合ったり…キスしたり。
たしかに、この頃はそれだけでは物足りなくなってきた。
一緒に住んでいて、近くにいて。
毎日毎日、楽しく二人ですごしていても、お互いの事を、「もっと知りたい」と思ってしまうなんて。
それが、あたしだけがそう思ってたわけじゃなく、乱馬もそう思ってただなんて何だか…不思議。
いつも一緒にいるあたし達が、「もっとお互いを知りたい」と思うって事は、
これから何をしようとしているか…いくら鈍いあたしにだって、分かる。
そして、あたしは乱馬がそう言ったときに、それを「了承」したんだ。
それがどういうことかも、あたしにだって、わかる。
ただキスしたり抱き合ったりするのとは、訳が違うんだ。
そーゆー事も含めて、あたしは乱馬に、「いいよ」と返事をしたんだよね…。
…
乱馬とそんな約束を交わしてから、二週間後のとある土曜日。
夕食後、ぼんやりとテレビを見ながら、あたしはそんなことを考えていた。
月曜日が祝日、という事もあって、
なびきお姉ちゃんとかすみお姉ちゃんはお友達と旅行に行ってしまった。
お父さんと早乙女のおじ様・おば様は商店街の福引であたった温泉旅行に行ってしまって、留守。
八宝菜のおじいさんも、「修行じゃー」とか言いながらどっか行ってしまった。
…そう。
今日は、乱馬があの時言っていたように、「二人きりの夜」な状況だった。
乱馬は今、道場で一人稽古しに行っている。
「お?今日は二人きりなのか?」
…あたしはその事実を乱馬に伝えたとき、そんな大袈裟な反応でもするかと思ったのに、
「ふーん…」
乱馬は意外とそんな落ち着いた反応で、それどころかあたしと二人になることにあんまり興味がないのか、
夕食後も休むまもなく、「稽古してくる」といって道場に行ってしまった。
(…乱馬、約束した事忘れちゃったのかな)
あたしは、自分が結構身構えていただけの事があって、
何だかこう…肩透かしでも食らってしまったかのようだ。
今日はお風呂上りに着替える下着も考えないと…って、そこまで考えてたあたしが何だかちょっとお間抜けな感じだ。
おまけに、昼間皆がどやどやと出かけてしまってから今のこの時間まで、あたし達は1度もキスさえしていない。
ずっと二人きりでいるのにも関わらず、だ。
(あの乱馬がねー…こりゃ、本当に約束した事自体忘れてるのかもしれないな…)
あたしは、ぼんやりと一人、テレビを見ながらため息をついた。
…案の定、乱馬は稽古を終えるとさっさとお風呂で汗を流して、居間に顔も出さずに自分の部屋へと入ってしまったようだ。
(具合でも悪いのかな…?)
一瞬そんなことを考えもしたけれど、具合悪い人間が道場で汗が出るほど稽古するっていうのもおかしな話だ。
(ま、いっか。あたしもお風呂に入ってこようっと…)
一人で夜更かししてても仕方ないし。
お風呂に入って、今日は早く寝よう。
乱馬ももう一人で先に寝ちゃった見たいだし、何だか今日は、静かな夜になりそうだわ。
あたしは自分の部屋に着替えを取りに戻ってからすぐに、お風呂場へと向った。
ガー…
そして、結構の長湯の後。
あたしは脱衣所でいつものようにタオル姿のままで、ドライヤーで髪の毛を乾かしていた。
冬だから、中途半端に髪が乾いたままだと風邪引いちゃうからなー…なんて思いながらあたしが鏡の前に立っていると、
ガタタタ!!
脱衣所の外、廊下のあたりで、何だか何かがぶつかるような音がした。
(何かしら?)
あたしがドライヤーを止め、脱衣所のドアをあけて廊下に出てみたが、廊下は電気も消えて、ガラーンとしている。
家族は留守だし、乱馬は自分の部屋だし、考えてみればその他に家の中にはいないんだから、そこに何かあるわけではないというのは当たり前なんだけど…。
(何だったんだろう?)
あたしは首をかしげながら脱衣所のドアを閉めて、そして再びドライヤーで髪を乾かすべく、あたしは正面の鏡を見た…とたんに、
「うひゃあ!?!」
思わず、ドライヤーを洗面台に落としてしまったくらい驚き、声をあげてしまった。
…あたしが鏡を見あげたその瞬間。
あたしの目には、目の前で映っている自分の姿のほかに、
そこにいるはずのない、乱馬の姿が映っていたからだった。
「…そんなに驚くなよ。人をお化けみたいに」
洗濯機の上にチョコっと乗っかりながら、乱馬が暢気にそんな事を言っていた。
「お、おど、驚くに決まってるでしょ!あんたいつからそこにいるのよ!?」
あたしはドキドキする胸を抑えながら乱馬に置いてあった小さいタオルを投げつける。
乱馬はそれをヒョイッと手で避けて、
「ついさっき」
そんなことを言って、全く悪びれもせず笑っていた。
…どうやら、あたしが廊下の物音に驚いて廊下に出たときに、こっそりと脱衣所に入り込んできたようだった。
「あんた、自分の部屋で寝てたんじゃなかったの?」
あたしが洗面台に叩き落してしまったドライヤーを拾い、また再びドライヤーをかけながら、
「とにかく、早く出てってよ」
鏡の向こうであたしを見ていた乱馬に向って、あたしはため息をつきながらそう言ったが。
「んー?どうすっかな」
乱馬はそんなことを言って、全く出て行く気配もない。
「…あんたね。忘れてるんじゃないの?ここは、脱衣所、よ?あたしこれから着替えるんだから…」
あたしが、ようやく乾いた髪をブラシでとかし、使っていたドライヤーをかたずけながらそう言うと、
「お前こそ、忘れてんじゃねえか?」
乱馬はそう言って、ドライヤーをかたずけたあたしの懐にあっという間に飛び込んできた。
「や…ちょっと、何?」
あたしがそんな乱馬にビックリして思わず後ずさろうと身を引こうとすると、乱馬はそんなあたしの逃すまい、と素早くあたしの背中に手を回して、あっという間にあたしに抱きついてしまった。
「ちょ、ちょっとッ」
何すんのよ、とあたしが抵抗しようとすると、乱馬はそんなあたしの耳元で、一瞬早く口を開いた。
「こないだしただろ?…約束」
「!」
あたしが、ハッと驚いて乱馬の顔を見ようとすると、
「それとも、忘れちゃったのか?」
乱馬はそんなことを言って、あたしの額にゴチン、と自分の額をぶつけた。
「わ、忘れてなんて…」
…でも、何もお風呂場で、こんな状況下で言わなくてもいいんじゃないの?
あたしがそんなことを思ってドキドキしていると、
「あんまり長く風呂に入ってるからさ…迎えにきてみた」
乱馬はそんなことを言って、ニっと笑った。
「む、迎えにって、あんた何いってんの!」
(あんたこそ、約束忘れてたんじゃないわけ?)
あたしは、そんな乱馬の行動に驚いてしまって、口をパクパクと動かすも言葉を発する事が出来ずにいた。
…じゃあ、何?
昼間「今夜は二人なんだって」といったときやけに反応が薄かったのも、
夕食後になぜか一人で稽古にいそしんでたのも、
その後に一人でさっさと部屋にこもってしまっていたのも、
…もしや、あたしがお風呂から上がるのを待つための時間つぶしだったって事!?
「この、策士!」
あたしが、ようやく口に出来たその言葉で、あたしを抱きしめてる乱馬の胸をボコボコ殴ると、
「策士、じゃねえよ。俺にだって一応色んな準備っつーもんがあるの!その準備時間といってくれ」
乱馬はボコボコ殴るあたしの手を片手で軽く押さえつけては、そんなことを言っている。
(だから、それが策士だっつーの!)
「…てっきり、忘れてるのかと思った…」
あたしが、抵抗するのを諦めてため息をつくと、
「忘れるわけねえだろ?今日は昼間からキスするのも我慢して準備してたのに。それに、風呂上りまで待ってたほうが…」
乱馬はそんなあたしのパクパクしている口に人差し指をぴたっとくっつけた。
そして、
「…風呂上りまで待ってこのまま連れてっちゃったほうが、手間が省けるかなと思ってさ」
乱馬は真っ赤になっているあたしの身体をヒョイッと抱き上げると、
「さ、行こうぜ」
と、やけにご機嫌に脱衣所から出た。
「ちょ、ちょっと!降ろしなさいよッ。それに、あたしにも心の準備がッ…」
いきなりの展開に、あたしは焦っていた。
一度油断してしまったから、心の準備が全く出来てない状態だ。
(ど、どうしよう…)
あたしは乱馬に抱きかかえられながら、もう頭の中はごちゃごちゃになっていた。
でも、あたしがいくら乱馬の腕の中でジタバタと暴れようが、
「心の準備が…」と口にしようが、
悔しいぐらいに、乱馬はまるで「どこ吹く風」状態だ。
乱馬の奴、挙げ句の果てに、
「俺の部屋と、あかねの部屋と、どっちがいい?」
…と、全く関係ないことを聞いてくる始末だ。
「…じゃあ、あたしの部屋で」
あたしは仕方なく観念して、真っ赤になったままぼそっと呟いた。
「よし、あかねの部屋、な?」
乱馬は、そんなあたしの返事が嬉しかったのか、ちょっと照れ臭そうに笑って、あたしに軽くキスをした。
(そーよね…。よく考えたら、乱馬があの約束忘れてるわけがないわよね…。大人しくしてたのは、あたしを油断させるためだったのかしら…コイツ。やっぱ、策士よね)
…完全に、あたしは乱馬に一本取られた。
あたしは、乱馬の胸に自分の顔をポスっと押し付けながら、そんなことを思ってため息をついた。
…がちゃ。
部屋にたどり着いたあたし達。
乱馬は、あたしを腕に抱いたままドアノブを回し、中に入った。
乱馬は片手で部屋の電気をつけようとしていたけれど、
「あ!だめ…」
あたしは乱馬のその手を止めて、首を振った。
「あ、ああ…」
乱馬あたしのその合図を受けて、電気のスイッチに手を伸ばす手を、引っ込めた。
そして、乱馬はあたしを抱いたまま、ベッドに腰をおろした。
「…」
あたし達は、お互いの顔を、思わず見合わせる。
何も言葉を出すことが出来ないんだけど、言いたい事と思うことがお互いの胸の中を激しく行き来しているって事だけは…分かる。
「…あかね」
乱馬が、一言あたしの名前を呼んで、そしてゴツン、と額をあたしの額にくっつけた。
「…うん」
あたしも小さな声でそれに答え、乱馬と同じように額をくっつける。
「…」
あたし達は、しばらくそのまま黙っていたけれど、
「…あかね」
乱馬が、再びそう言って、額をあたしから離し、胸に抱いているあたしをぎゅっと抱きしめるように、した。
「…」
あたしの顔も体も、乱馬に強く抱き寄せられている状態だ。
そんな、あたしが押し付けられている乱馬の胸から、ドクン、ドクン、と明らかにいつもより激しい鼓動が伝わってくる。
「…うん」
あたしは、その鼓動をしっかりと感じながら、小さな声で乱馬に応えた。
本当はもっと、ちゃんと乱馬に応えてあげたいのだけれど、あたしの心臓も激しく脈打っていて、ドキドキしているから…これ以上大きな声が出せなかった。
「乱馬、すごく緊張してるでしょ…」
「何で?」
「だって…すごく心臓、ドキドキしてるもん」
あたしは、そんな自分の照れとかドキドキをごまかすべく、そんなことを乱馬の腕の中で呟いた。
「うるせーなッ。しょーがねえだろ?」
乱馬は、ちょっと照れ臭そうにそう言って、あたしの顔を見る。
「あかねは緊張とか、ドキドキしてねーのかよ?」
「どうかしら?」
…本当は、あたしだって乱馬以上にドキドキしてるんだけど。
そんなことを隠しながらあたしは乱馬に言った。
すると。
「…あかねだって、すげー、緊張してるじゃん」
乱馬は、そんなあたしの胸の上に、そっと自分の顔をつけた。
どうやら、タオルの上からあたしの心臓の音を聞こうとしているようだった。
「ちょ、ちょとくすぐったいでしょーが」
あたしが暴れて乱馬から逃げようとすると、
「…聞こえる、あかねの鼓動」
乱馬は、そんなあたしの両腕をがっしりと掴んで離さなかった。
離さないばかりか、あたしの胸の上に顔をつけたまま、ぎゅっと抱きつく力を強くしている。
…時間の、問題だわ。
あたしは、そう思うと自然に体が強張ってしまう。
でも、あたしだって…その気がなければ乱馬と約束なんてしないもん。
それに、嫌じゃないもん…。
ちょっと緊張はするけど、嫌じゃないもん。
あたしがそんなことをドキドキと考えていると、そんなあたしの身体を、乱馬がゆっくりとベッドに寝かせた。
そして、そんなあたしの体の横に両手をつくように上から見下ろすと、
「…いい?」
一言だけ、そう言った。
上から見下ろす乱馬の結んだおさげが、あたしのタオルで隠れていない首の部分に、微かに触れて、揺れている。
そのおさげに触れた部分がちょっとくすぐったくて、あたしは一瞬身体をビクッとさせてしまうけれど、
「…」
それでも意を決して、あたしは、そんな乱馬に、一度だけ首を縦に振った。
「…」
乱馬は、そんなあたしを見て、一瞬すごく嬉しそうな顔をした。
そして、
乱馬は首を縦に振って頷いたあたしの頬を一度優しく手で触れると、そのままあたしに一気に近づいて一度、唇を重ねた。
「…あかね」
ふと離れて、もう一度。
「…」
今度は黙って離れて、もう一度。
(…)
あたしの頭の中は、今、真っ白だった。
もう、何も考えられない状態だ。
でも、自分がこれから何をしようとしているかぐらいは、分かる。
自分が今、何をされ様としてるかだけは、かろうじて…。
(もう、決めたんだもん)
あたしは、そんなあたしに何度もキスをしている乱馬の首筋に、そっと手を回した。
…と、そのときだった。
ドンドンドンドン!
ベッドの上でキスをしていたあたし達の耳に、部屋の窓をまるで叩き割るかのような勢いで叩いている音が、入ってきた。
「…」
最初は無視しようとしたあたし達だったけど、
ドンドンドン!!
窓を叩く音は、さらに強くなるばかりだった。
「…この取り込んでるときに!」
その音があまりにもうるさいので、乱馬がしぶしぶとあたしからはなれて、そんなことを言いながら音のした窓を開けた。
すると。
「ブキー!!」
「うわ!いてててて!」
乱馬が窓を開けた瞬間、
まるで「黒い弾丸」かと思うような勢いで、それまでしばらく姿をあらわさなかったあたしのペット、「Pちゃん」が飛び込んできた。
Pちゃんはものすごい勢いで飛び込んできたかと思うと、ベッドの上でタオル姿のままで唖然としているあたしの姿を一瞬チラッと見て、
そして、
「ブキー!」
ガリガリガリ!
容赦なく、側にいる乱馬に噛み付いたり叩いたりしている。
「いて!何すんだテメエは!いーか、これは双方合意の上で…ッ」
乱馬は、そんなPちゃんに対して、まるで誰か人間に言い訳するかのようなことを言っている。
が、もちろんPちゃんにそんなことは分かるはずもないのか、攻撃する手はさらに激しくなる。
そのうち、あんまりにもそのPちゃんの攻撃が激しかったからか、
「こ、この!人が下手に出ていれば!このやろー!」
もともと闘争心の塊のような乱馬も我慢できなくなったようで、
「待て!このやろー!大事なところで邪魔しやがってー!」
乱馬は、あたしのことなどそっちのけでPちゃんを追いまわし、
挙げ句にそのままPちゃんを追っかけて部屋の外へと飛び出していってしまった。
「あ…ちょ、ちょっと!」
あたしは、飛び出していった乱馬達に慌てて声をかけようとしたが、
乱馬達の姿はもうすでに廊下にはなかった。
バタン!バタン!
…下の階で、乱馬達が駆け回っては暴れている音だけがあたしの耳に入ってくる。
(あーあ…だめだこりゃ…)
あたしは、ハア、と一度ため息をついた。
そして、のろのろとパジャマへと着替える。
「Pちゃんも、ものすごいタイミングで帰ってきたなあ」
何だか、ホッとしたような、残念なような。
あたしは結構複雑な気持ちだった。
「…もう、乱馬ー、あんまりPちゃんをいじめないでよねッ」
着替え終わったあたしは、そんな複雑な気持ちを隠しつつ、そう言いながら乱馬達が暴れている下の階へと降りていった。
…どうやら今夜は、さっきの続きはお預けになりそうだ。
やっぱりそれがホッとしたのか残念だったのか。
分からない気持ちのまま、あたしは乱馬とPちゃんの元へと向っていった。
「今度、二人きりになった夜には…。約束、な?」
そう約束を交わしてから、二週間。
いきなりその約束を果たせそうなシチュエーションがめぐって気はしたけれど、
残念ながら今回は、「未遂」で終わってしまった。
でも、
この次にこういう状況になったときは……ね?
(二人きりになる夜は、どんなに大人しくしててもやっぱ乱馬には気をつけておかないとね)
今日みたいに、全く無関心そうに装っていても、
実は虎視眈々といろんな下準備をしていたなんて。
(乱馬、こーゆー事には努力を惜しまないんだもんなあ…)
何だか、いろんな小細工を考えたり一人で勝手に緊張していたりしていたという乱馬を思い浮かべると、改めておかしな感じだ。
(…全く、しょうがないんだから)
そんなことを考えてしまったあたしは、心の中で小さく笑ってしまった。
今夜は静かな夜になるかも。
そんなことを思ってたあたしは、根底からそれを打ち破られた気分だ。
…あたしと乱馬とPちゃんと。
今夜は何だか、いつも以上に騒がしい夜になりそうだ。