「あ、ねえ・・・桜が付いてる」
ある日の放課後。
乱馬と二人で家へと歩いていたあたしは、ふと見上げた乱馬の肩先に、桜の花びらが付いていることに気が付いた。
四月も過ぎれば、桜も満開からピークを下り始める。
風が吹けば舞ってしまうし、雨が降れば残り少ない花がみな、地面に落ちてしまうのだ。
まあ、桜もピンクの花びらが無くなれば、また新しい命の芽吹きがある。
初夏に向けて、桜は姿を変え緑鮮やかに木を彩り始めるけれど、それはそれで何だか、少し寂しい気もする。
花より団子、それにろくに花瓶に花なんて活けもしないけれど、無くなり行く物は惜しくなるのが人間の常なのか。本当に、面白い。
・・・
そんな残り少ない花びらの一枚が、乱馬の肩に偶然、舞い降りたみたいだ。
「風で舞ったのかな」
あたしに言われてそれに気がついた乱馬が、そんなことを言いながらその花びらを指で摘み、ふっ・・・と息をかけた。
花びらは指の上からふわり、ふわりと息を受けて、地面の上へと落下する。
その様が、まるでマジックでも見せられたかのように目を奪う。
あたしは一瞬で桜の魔法に取り付かれ、花びらが地面に落ちるまでずっと、見つめていた。
「風流じゃない、歩いていたら桜が降ってくる、なんて。春らしいね」
そして、あたしにも桜の花びらが降ってこないかしら・・・あたしは、そんなことを言いながらと、辺りを見回してみる。
背の高い乱馬より、低いあたしのほうが頭や肩に桜も降りやすそうな気もするんだけど、
こういうのって、背の高さよりもガタイのよさに比例するのかしら。
乱馬よりも縦幅も横幅もないあたしには、中々チャンスが訪れない。何だか残念な感じだ。
と。
「桜、そんな風に待って無くても身体にくっついてるじゃねえか」
乱馬が、きょろきょろと辺りを見回しているあたしの頭を撫でながら、ふとそんなことを呟いた。
「え?どこに?」
背中?それとも制服?もしや髪の毛・・・?
あたしは言われたとおりに自分の体を見回してみたけれど、乱馬が言うようには花びらを見つけることが出来ない。
「付いてないじゃない」
あたしが、ぶーっと頬を膨らませながら乱馬に文句を言うと、
「付いてるよ。俺、見たもん」
「どこに?」
「鎖骨」
「・・・は?」
「あと、背中の肩甲骨の下。あとは太ももの内側と、胸の谷間に・・・」
乱馬は妙なことを言いながら、指折り数えてにやりと笑った。
「・・・」
あたしは乱馬が一体何を言っているのかわからず、ぽけーっと口を開けてしまっていたけれど、
「あ!」
ようやく奴の言っていることに気が付いて、かあっ・・・と顔を一気に赤らめた。
そう、乱馬は「桜の花びら」の事を言っているのではなく、「桜の花びら」に色と形が少し似ている・・・そう、キスマークの事を言っているのだ。
「そんなに付いてるのに、まだ付けて欲しいの?桜」
乱馬が、意地悪く笑いながらあたしにそんなことを言った。
「さ、桜の花びらじゃないでしょ、それは!」
この狼少年め!・・・あたしが、そう叫びながら手にしている鞄で乱馬の体をバシバシと叩くと、
「イテテ。・・・あ、そういえば今年はまだ、花見してねえよな」
乱馬があたしの鞄を交わすように逃げながら、突然話題を変えた。
「そうね・・・そういえば」
「花見しようかな」
「え?一人でするつもり?」
「ううん、あかねの身体にくっ付いた桜の」
「何言ってんのあんたはっ」
あたしが再び鞄を乱馬に向かって振り上げると、
「桜は満開じゃないと、見ごたえがねえ」
乱馬はそんなあたしの懐に素早く入り込むと、何故か辺りをさっと見回した。
そして、そんなことを言いながらわざと「チュっ」と音を立て、あたしの首筋に噛み付いた・・・もとい、キスをした。
「あ!」
・・・まるで、桜の花びらがそこに舞い降りたかのような、ふんわりとした感覚。
でもものすごく熱くて、体中の力を根こそぎ奪われるかのような感じ。
何だか、溶けてしまいそう・・・
「・・・」
かあっ・・・と、身体中の体温が上がり、何だか身体が溶けてしまいそうだった。
腰に力が入らなくて、気を抜いたら足がかくん、となりそうだ。
でも、まさかここでフラフラと座り込んでしまうわけにもいかない
あたしは、慌ててその部分を手で押さえた。そして、ブルブルと頭を振って頭の中をしゃっきりとさせると、
「何すんのよ!」
キスされた部分を抑えながら、あたしは乱馬に叫んでやった。すると、
「仕方ねえだろ」
「何が仕方ないのよっ」
「俺、満開の桜が好きなんだもん」
「あんたねえっ・・・」
「あ、じゃあさ、俺にもつけていいよ。ほら。そしたら二人で満開に」
乱馬は、まったく悪びれもしない様子で、あたしに笑顔で自分の首を差し出した。
どうやら、あたしにも自分へキスマークをつけさせようとしているらしい。
「そういう問題じゃないでしょ!」
あたしがかあっと赤くなりながら抗議をするも、
「しょうがないだろー、日本人は桜が好きなんだよ」
「それとこれとは関係ないでしょうが!」
「おおありだね。これは日本人に生まれた宿命だな」
「何が宿命よ、もー!」
あたしは、まるで子どものような屁理屈を言う乱馬に呆れ、ため息をついた。
でも、
「なー、俺にも付けていいよ、ほら」
・・・あたしのそんな苦悩も知らず、無邪気にあたしに自分の首筋を見せては強請る乱馬を見ていると、
「・・・」
そりゃ、あたしだって愛されてキスマークつけてくれることは嬉しいけど、
でも、そのキスマークのマーキングもここまで確信犯だと、
愛されているのかおもちゃにされているのか・・・分らない。
かといって、聞いたら聞いたでまた何か理由の分からない事を言ってはあたしをからかって遊びそうだし。
・・・
「・・・あーあ、あたし桜に宿命の無い外国人に生まれればよかったわ」
あたしがため息をつきながらそうぼやくと、
「じゃあ、俺達の間ではお互い外人で通そうぜ」
「はあ?何それ」
「外人て、キスは挨拶なんだろ?お互い外人の俺達は、何の躊躇も無くキスができる、と」
「なっ・・・」
「いい考えだなー、なあ?」
乱馬は更に訳のわからない事を言いながら、今度はわざわざ身を屈めてあたしに自分の頬を差し出す。
どうやら、「挨拶代わりのキスをしろ」とでも言いたいのだろう。
「・・・」
・・・ったく、そう言うことだけは詳しいんだから!
「・・・」
あたしは、大きくため息をついた。そして、そんな乱馬の頬にがぶり、とキスではなくわざと噛み付いてやった。
「いてて・・・へへ、でもいいかな」
乱馬はちょっと顔をしかめたけれど、凝りもしない様子で「今度はここ、ここ」と、あたしにぐっと唇を近付けた。
あたし達はさっと辺りを見回して誰もいないことを確認すると、素早く唇を重ねて、そして離れる。
「外国人なら、キスでコミュニケーションを」
・・・狼少年は、一体いつからグローバルになったのか?
狼少年、インターナショナル。ああ、そうだとしたら、あたしは世界中のどこへも彼から逃げられないんじゃないかしら。
今更ながらそれに気がついたあたしは、心の中でこっそりとため息をついたのだった。