ある日の夜。
夕食後の稽古を終えて俺が居間に戻ってくると、そこにはもうなびきしかいなかった。
オジサンと親父、そしてお袋は町内の会合へ出かけたそうだ。
かすみさんは、おじさんの部屋で冬物の洋服をせっせと出しているそう。
「あたしは、いつものようにテレビを見ているわけよ」
「別に聞いてねえよ」
「あ、そ」
聞いてもいないのに親切に答えたなびきは、そう言ってテレビのリモコンを落ち着き無く、くるくると動かしている。
「…」
俺がそんななびきの近くに座りながらも、廊下を見たり台所への入り口をソワソワと覗いていると、
「あかねなら、部屋よ。何だか考え事をしたいんですって」
…俺があかねの姿を探しているのを察知したなびきが、そんな事を言いながら俺に対してにやりと笑った。
「考え事って何だよ」
俺がそんななびきに尋ねるも、
「さあ。また乱馬君、あかねに酷い事でも言ったんでしょ、どうせ」
「またって何だよ」
「また、はまたでしょ。あかねが落ち込む原因なんて、乱馬君以外ありえないもの」
なびきは、やけにきっぱりとそう言いきった。
「…」
あながち、否定できなくも無い。
俺が思わずつまっていると、
「乱馬君、ゆーっくり思い出しなさい?あんたは今日、一体あかねに何を言った訳?」
まるで、刑事ドラマの取り調べ。なびきは、テレビのリモコンを「電気スタンド」代わりに俺に突きつけて質問をしてきた。
「俺は何もしてねえ!」
俺は、なびきが突きつけてきたリモコンをテレビで払いのけながらも、今日の記憶を一生懸命辿っていく。
…俺と、あかね。今日は別に表立った喧嘩も、言い争いもしていない。
帰りだって、猫飯店によって二人で軽くものを食って帰ってきたし、帰って来た後、まあその、部屋でべったりとしていたし。
今日に限っては、本当に心当たりがない。
「心当たりなんかねえよ」
俺があれこれと考えた後、なびきにさらっとそう答えると、
「あんたは無くても、あかねにはあったかもしれないでしょ。あんたが何か言った後、あかねの態度が少しおかしかった事とかないの?」
なびきは、そんな俺に対し、更に「尋問」を続ける。
「うー…」
俺があかねを傷つける事をした覚えは無くても、あかねが傷ついてしまう事。
たとえ俺が心当たりが無くても、何か、俺はしてしまったのだろうか。
「…」
俺は、なびきの視線から逃れるように背を向けると、もう一度今日一日の行動を振り返ってみた。
そして、
「あ…」
一つ。
あかねを傷つけたわけでも、俺が何を言ったわけでもないけれど、あかねの態度が少しおかしかった事を、俺は思い出した。
そう、あれは学校帰りに寄った猫飯店での、ことだ。
「はい、五目ラーメンと点心セットお待たせある!」
「シャンプー!おらとデートするだ!」
「あっちに行っているよろし!私はいそがしいある!」
…放課後の猫飯店は、風林館高校の生徒たちの半・溜まり場だ。
それに加えて、一般客も入っている。ウェイトレスのシャンプーも出前に給仕に大忙しだし、調理場のコロンもひっきりなしにフライパンを動かしている。
そんな状況下、ムースがシャンプーに寄って来ようとしているのだ。
気が短い上にムースを普段から邪険に扱っているシャンプーが、そんなムースを優しくあしらうわけが無い。
「手伝わないのなら、アヒルにでもなっているよろし!」
バシャっ
…哀れムースは、シャンプーにコップの水をかけられてアヒルにされてしまった。
それでも、ガーガーと鳴きながら忙しく動き回るシャンプーのあとをついて回るムースを見て、
「あーあ、ムースもしょうがねえなあ」
俺が、シャンプーが運んできた五目ラーメンをすすりながらそう呟くと、
「そうねえ。でも…」
点心を箸でつつきながら、ばたばたと飛んでいくムースを眺め、あかねがそう言った。
「でも、何だよ」
「…あれだけシャンプーに邪険にされているのに、ムース、それでもシャンプーの事大好きなのよ?すごいなあって…」
「すごいか?これが?」
俺が、シャンプーの後をくっついて飛び回っていたムースの羽根を、ひょいっと指で持ち上げて捕まえながらそう言うと、
「すごいわよ。シャンプーにどんなに酷い目にあわされたって、好きでいられるのよ?きっとムースは、スタイルが良くて綺麗なシャンプーだけじゃなくて、
ああやって気の短い所や人によって態度に変えたりする、そういうシャンプーの事も、好きなのよ。…なんか、羨ましいな」
あかねは、俺の手からムースの羽根を離させて、そう呟いていた。
「…」
…あのとき、俺は「ふーん」くらいで流して聞いていたけれど、
「それよ。きっとそれだわ」
俺がその話をなびきにしたところ、なびきはうんうん、と頷きながら俺にそう断言した。
「でも、それが一体なんだって言うんだ?」
俺が首をかしげると、
「ばかねえ。そんな事もわかんないわけ?」
「わ、悪かったな」
「ムースは、シャンプーのいい所も悪い所も、ぜーんぶ好きで仕方がないわけよ。
乱馬君みたいに妙なプライドとか意地とかで凝り固まってなくて、シャンプーの全てが大好きで、踏まれても蹴られても一生懸命追いかけているわけでし
ょ?」
「そ。それは…」
「あかねも、乱馬君にそんな風に愛されたいって思ったって事じゃないの?」
なびきはそう言って、小さくため息をついた。
「お、俺は別にっ…」
そんななびきの態度に、俺は思わず焦ってしまった。
俺だって別に、妙なプライドや意地だけであかねに接しているわけではない。
あかねのことは、俺なりに全力で好きでいるつもりだし、足りないって言うのなら勿論もっともっと…
「…」
俺がそんな事を思いながら黙り込んでいると、
「毎日毎晩いちゃいちゃしているあんた達の間に不満があるとすれば、乱馬君がよっぽど下手で…」
「んなわけねーだろ!」
「どーだか。真実はあかねしか知らないけれど、でもね、乱馬君。身体で足りない部分は心で補わないと」
「よ、余計なお世話だ!」
「ここは一発、あかねに心から愛を伝えるしかないわね。俺もムースと一緒で、お前の全てが好きだー、くらいあかねに言ってやったら?あー、恥かし
い」
なびきは、応援しているのかばかにしているのかわから無いような言葉で俺を励まし、
「さー、あたしはお風呂にでも入ってこようっと。あ、覗かないでよ?」
「誰が覗くか!」
「そうよね、乱馬君はあかねの裸にしか興味ないもんねー」
と、風呂に入りに行ってしまった。
「…」
俺はやれやれ、とため息をつくと、そのままなびき同様に居間から出た。
もちろんそれは、風呂を覗きに行くわけではない。
俺は、なびきが言ったとおりにあかね以外には全く興味が無い。
そんな俺が向かう先は、もちろん…あかねの部屋。
「…」
俺は、すぐにでもノックをしようとしたが、ふと、躊躇する。
…先ほどのなびきの話どおり、あかねが俺から何か、言葉を望んでいるのだったら。何か言ってやった方がいいのかな。
俺は、少し考えた。
もちろん、俺とムースでは、お互いの好きな相手への愛情表現の方法は違う。
ただ、ムースがシャンプーにくっついているのと同じように、俺だって俺なりの方法で、いつもあかねに接しているつもりだ。
それが、行動だけで足りないというのなら、あかねが満足するまで、何度でもそれを補う言葉を言い続けてやる…そう思う。
じゃあ、なんと言ったらいいのだろう?
ムースが、シャンプーの短気で乱暴な所も全て好きだと言うのと同じように、
俺だってあかねの凶暴な所だってがさつな所だって、全部好きだ。
悪い所もいい所も全部好きだ…その気持ちは、一体どうやったら伝わるのか。
「…」
俺は、必死で考えをめぐらせる。
あかねの悪い所や、ウィークポイントも好きだと伝えてやった方がいいよな。
だとしたら、何か。
凶暴な所?がさつな所?料理が下手なところ?
…いやまてよ?そう言えば俺、いつもあかねに「寸胴」って言っているよな?
実際はこう、しなやかというか胸だって充分だし、柔らかいし腰だってくびれ…
「…」
…いかんいかん、思わず想像してしまった。
考えながら思わず顔が緩んでしまいそうな俺だったけれど、
…そうか。俺、いつも寸胴、寸胴ってあかねに言っているけれど、
別にそれは本気で言っているわけじゃないし、そんなこと気にしなくてもいいんだよって、伝えてやった方がいいのかな。
それに、別にスタイルなんて俺は全然気にしないし、あかねがあかねでいてくれればそれで良いんだって、それを伝えてやろうかな。
心も、そんで寸胴ってののしっているその身体も好きだって、全部全部好きだって。
伝えてやった方がいいのかな。
「…」
よし、決めた。
俺は、あかねに伝えてやりたい事を頭の中で思い浮かべながら、あかねの部屋のドアをノックした。
「はーい…あれ?乱馬、どうしたの?」
ドアをあけると、あかねが向かっていた机から俺の方を振り返った。
見た感じ落ち込んだ表情はしていないが、もしかしたら心の中は違うのか・・・
あかねは意外とデリケートだからな、と俺は勝手にそう思い込む。
「…あかね」
俺は、ドアを後ろ手で閉めた。
「どうしたの?」
「・・・」
「?変な乱馬」
そして、不思議そうな顔で俺を見つめているあかねに向かって、力いっぱいこう叫んだ。
「俺は、お前の身体が好きだー!」
…すると。
「なっ…こ、この変態がー!」
バチーン!
俺の言葉を受けたあかねが、思いっきり…俺の頬を平手でひっぱたいた。
乾いた音が、静かな天道家内に木霊する。
「何考えてんのあんたはー!このっこの!」
更に、ドスっドスっ…と床に転がっているクッションで叩きのめされた俺は、あかねの部屋からほおりだされてしまった。
「…」
廊下にほおりだされた俺は、頬に大きな紅葉型の赤い手形をつけて、一人ぶすーっとしている。
そんな俺の横を、
「あら、乱馬君・・・こんな夜中に紅葉狩り?」
風呂には入らず、二階の部屋へとのんびりと戻ってきたなびきが、俺の横をそんな事を言いながら通り過ぎていった。
良く言うぜ。俺はそんななびきをじとっと睨みつつも首をかしげる。
・・・なぜだ。何故なんだ。
一体俺は、何を間違えたんだ?
あかねを喜ばせようとして、めいっぱいこの気持ちを伝えようとしただけなのに。
何で俺は、あかねに力一杯殴られなくちゃいけないんだ?
「…?」
俺の愛情、100%、一体何が気にいらないんだ。
頬に大きな紅葉をつけて、俺はあかねに殴られた頬をさすりながら、しばらく一人、首をかしげて唸っていたのだった。