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恋のマニュアル1・2・3
「はあ?甘え方がわからないぃ?」
「お、お姉ちゃんっ…声が大きい!」
「そりゃあんた、声だって大きくなるわよ。
深刻な顔をしてるから心配してみれば、くだらない」
ある日曜の午後。
深刻な顔で何やら考えているあかねに声をかけたなびきが、やれやれとオーバーリアクションをとりながら、天道家の庭でため息をついていた。
なびきにしてみれば、可愛い妹を心配しての行為だったのだが、
「そんなの、人に聞いて実践するようなものでもないでしょ」
「き、聞かないとわかんないもん…」
「はあ?じゃあ二人きりの時はどうやって過ごしてるわけ?」
「どうって…だ、だから一緒の部屋でテレビみたり…」
「テレビって、あんたそれ居間での過ごし方でしょ。そうじゃなくて、あんたの部屋でよ」
なびきがあかねに質問するも、
「乱馬は、ベッドに寝転がって漫画、みてる」
「あんたはその時なにしてんの」
「あ、あたしは机に向かって勉強してる」
「勉強が終わったら?」
「寝る…」
「乱馬くんはどうするの?」
「部屋に帰る」
…あかねがそう説明すると、
「あんたたち、幼稚園生じゃないんだから」
なびきは大きなため息をついた。
なびきが更に尋問した所、
どうやら二人、付き合い初めて一ヶ月ちょっとの間で、まだ二度しかキスをしていないらしい。
毎日一緒にいて同じ部屋で過ごす時間も多いのに、驚くほどの奥手ぶりだ。
もちろん高校生であるわけだし、健全な交際をする事は望ましい事でもあるのだが、いかんせん限度という物があるものだ。
しかし、そのくせにして「乱馬にもっと甘える事が出来たら、もうちょっと二人の仲は進展するのかな」なんて思っているあかねは妙に暢気だ。
…
「甘え方、なんて簡単じゃない。乱馬くんにぴったり寄り添ってやればいいのよ。
そしたら自然とどうにかなるでしょ」
なびきがさらっとそう言うと、
「よ、よりそうだなんてっ…そ、それにそんなことされたら乱馬だって迷惑かもしれないし」
「迷惑なわけないでしょっ。むしろ喜ぶわよ…乱馬くんはあんたのこと好きなんだから、好きな相手に寄り添われれば嬉しいものよ」
「そうかなあ」
「そうに決まってるでしょうが。あんたの風呂を覗いて、あんたが水着着てたのを知ってうなだれるほど落ち込んだ狼男でしょうが。両思いになる前でさえ
そうなのに、両思いになったらあんた、一緒に風呂に入りたいぐらい思ってるわよ、あの男は」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「そんなわけあるわよ」
「ら、乱馬はそんなんじゃないわよ」
「じゃあどんなのなの」
「どんなのって・・・よ、よくわからないけど・・・。あ、あたし色気ないし・・・乱馬だってきっと不満なのかも・・・」
あかねは妙に自信なさげだ。あげく、マニュアルがあればなどとつぶやいている。
「…」
一体、何がここまで彼女をこうさせるのだろうか。
どこをどう考えればこれほど自信が無くなるのだろうかと、なびきはそちらの方が気になる。
それに、だ。
彼氏に甘えるマニュアルなんて、聞いたことがない。というより、あるわけが無い。そんなものを執筆できるような人物がいたとすれば、とっくに栄誉ある
文学賞でも受賞しているに決まっている。
なびきはやれやれとため息をついたが、
「…」
…転んでもタダでは起きないのが、天道なびき十七歳だ。
ふとある事を閃いたなびきは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
もちろん、あかねに気が付かないように、だ。
そう。
彼氏に甘えるマニュアルなんて聞いたことがないが、
ないならばこっちで勝手に作ってやればいい。なびきはそう閃いたのだ。
「わかったわ、あかね。じゃああたしがあんたにマニュアルを伝授してあげる」
「ほんと!?」
「ええ」
満面の笑みこそ、最大の敵。そして最大の恐怖。
なびきは妙に爽やかな笑顔で微笑むと、
「そのかわり、ちゃんとマニュアル通りにやるのよ。しゃないと上手く行かないんだからね?」
と、あかねに念を押した。
「わ、わかった…」
あかねはコクン、とうなずくと、
「まずはね…」
「う、うん…」
となびきの話を必死でききこみながら、来るべき時へと備えたのだった。
その日の夜。
早速あかねがマニュアルを実践するべく、部屋に乱馬を呼んだ。
しかし、
「…」
…乱馬を部屋に呼んだからと言っても、
すぐにそのマニュアルが実践できるくらいなら、二人の仲はとっくに進展している。
案の定、そんなマニュアルが実行できる事もなく、乱馬が部屋にやってきても小一時間はいつも通りの状態が続いた。
おまけに、
「あー、何か喉かわいたな」
「えっ…」
「俺、台所に行ってくる」
その内、乱馬がそんな事を言いながら、寝転んでいたベッドから立ち上がった。
「あっ…」
まずい。
今部屋から出られたら、乱馬は戻ってこない可能性もある。
そんなことになれば、なびきから授かったマニュアルを実行出来ない。せっかくの作戦が無駄になってしまうのだ。
「ま、待って!」
ハシ!
あかねは慌てて、立ち上がった乱馬の服の袖を掴んだ。
「え…な、なに…?」
もちろん、あかねがいきなりそんな行動に出れば、乱馬とて驚くに決まっている。
なんせ、自分が部屋から出て行こうとしたら、あかねの方からそれを引き止めたのだ。
ドクン、ドクン…
袖をつかまれた乱馬の胸が、激しく鼓動し始めた。
…女のあかねに比べれば、年頃の男の子の乱馬の方が、性的好奇心が強いのは確かだ。
それが、自分の彼女であって、許婚である可愛いあかねに対してなら尚の事だ。
いや、彼の好奇心はあかね以外には向いていないので、それは当然の事だった。
乱馬にしてみれば、いつもこうやって同じ部屋で過ごしながらも、時々しかキスをしないようなこの関係は、半ば「生殺し」状態だった。
でも、そうやって気持ちが焦るのを必死で食い止めているのは、それだけあかねの「気持ち」を大事にしたいと、思うからだ。
力で強引にあかねを奪う事は簡単だ。
でも、そんな事はあかねも、そして乱馬も願ってはいない。
あかねが乱馬を受け入れる気持ちの準備が出来たら…と、乱馬はいつだって準備だけは万端にしている状態だった。
そう、つまり「乱馬にその気がないのかも。乱馬は不満なのかも」と悩んでいるのはあかねだけであって、
思春期真っ只中の狼少年、もとい乱馬にしてみれば、チャンスあらばの状態なのだ。
…そんなあかねが、だ。
二人きりで過ごしているこの部屋で、出て行こうとする乱馬を強引に引きとめた。
これは何かあるのでは?…乱馬が淡い期待を抱くのは無理の無い事だった。
まあ、実際その通りなのだけれど。
…
「あの…あのね、乱馬」
「う、うん」
「もう一回ベッドに座って」
「えっ…」
「いいから座って」
ドン。
あかねが、妙に上ずった声、しかも真っ赤な顔でそう言いながら乱馬の身体をベッドへと突き飛ばした。
ヒョロヒョロ…ストン。
乱馬は、妙に脱力したまま素直にベッドへと腰掛ける。
「…」
あかねは、そんな乱馬を少しの間真っ赤な顔のままで見つめていたが、その内、
「えっ…ちょっ…ど、どしたの?」
「…」
あかねが、ベッドに腰掛けた乱馬の膝の上に、横向きに腰掛けた。
そして、上半身を乱馬の方へと捻り、首に腕を回す。
端から見ると、乱馬があかねを膝の上に抱いて、あかねがそんな乱馬に抱きついている。そんな格好だ。
あかねは、なびきから『乱馬君の膝の上に乗って、首に手を回すこと』、というマニュアルを伝授されていたのだ。
なびきによれば、こうする事で乱馬があかねを「甘えさせてくれるし、もっと二人は『仲良し』になれる」と言うのだけれど、果たして本当なのか。あかねに
は確信がなかった。
が、せっかくなびきがアドバイスをしてくれたのだ。試さないわけには行かない。
半信半疑のまま、あかねはなびきに言われたとおりに彼の膝の上に腰掛けたのだった。
しかし、この先どうしていいのかが、分からない。あかねは乱馬の膝の上にちょこん、と座ったまま、あまりの恥かしさに乱馬の首筋に顔を埋めた。
…一方。
「あ、あかね?」
あかねが、まさかなびきから妙な「マニュアル」を伝授されているとは知らない乱馬は、ゴクリ…と喉を鳴らした。
二人は、勿論抱き締めあった事くらいは、ある。
でも、そんなに長い間抱き合っていたわけではないし、どうしても照れてしまって、寄り添ってはいるものの、抱き合う行為自体はそんなに長い時間では
なかった。
だから、キスだって二回程したことだってあるが、身体をべったりと密着させて情熱的なキスをしたというわけではない。
座っていて、何だか自然に身体を近付けて、唇を重ねたのが一回。
公園のベンチに座って、人目を気にして素早く軽く唇を重ねたのが一回。
どちらもいわゆる「フレンチキス」と言う奴だ。
「…」
そんな二人が、今、同じ部屋の中で二人きり。しかも、乱馬はあかねを膝の上に抱いて、あかねがその乱馬に抱きついているのだ。
彼にしてみれば、数えて三回目のキスのチャンス、到来である。
いや、それどころかそこから先に進展できるかもしれない絶好のチャンスだ。
ろくに抱き締めあった事もないけれど、それこそ階段を三段跳びくらいで飛び越えて上に上がるチャンス到来である。
「…」
据え膳食わぬは、男の恥。乱馬は、自分に都合のいいように色々と言い訳を考えた。
あかねが、ここまで自分に迫っているのだ。そう、この気持ちを汲んでやらなければ、無差別格闘早乙女流の名が廃る。
…もはや、自分でも良くわからない。
「お、俺、わかってるからっ…」
一体何がわかっているのか自分でもさっぱり分からないのだが、乱馬はそう言いながら膝の上にいるあかねの細い腰に手を回した。
そうすることで、あかねのしなやかな体の温もりが伝わってきた。
鼻先に、フワリと絹のように細く柔らかい髪が触れた。好みの匂いで、頭にかっと血が上った。
乱馬は、そのままあかねの身体をぎゅっと自分のほうへと抱き寄せると、
「あ、あかね…」
抱き寄せて近寄ったあかねの額に、瞼に、軽くキスをした。
「あっ…」
『乱馬君の膝の上に乗って、首に手を回すこと。そうすれば、乱馬君はきっと甘えさせてくれるし、と二人は『仲良し』になれるわよ。』
なびきからそう伝授されていたあかねは、不意に感じた乱馬の唇の温かさと柔らかさに身を竦めた。
キス、された。あかねの心臓がドクン、と動いた。
乱馬の膝に座って、首を回しただけで…乱馬にキスをされた。
健全な青年である乱馬と違って、下心が皆無に近いあかねにとっては、それは驚くべき事だった。
同じ部屋にいても、こんな風にキスされる事なんて滅多にない。それが、なびきの「マニュアル」に従っただけで、この変りようだ。
なびきの言うとおりだ、本当だ…あかねは、すっかりなびきの「マニュアル」を信じ込んだ。しかし、
「…」
キスされたはいいが、ここからどうやって甘えればよいのだろう。それが今イチわからない。
あかねは、キスされた瞼の熱を感じながら、上目使いで乱馬を見た。
勿論この仕草も、なびきの入れ知恵だった。
『もしも困った事があったら、乱馬君の顔を、上目遣いで見てやんなさい。甘え方は分からなくても、効果抜群よ。』
もちろん、上目遣いで乱馬を見ているあかねは、自信に漲っているような表情をしているわけではない。
キスされた事で顔を赤くして、そしてこのシチュエーションになれていないがために照れて、戸惑っている表情をしているのだ。
…そんな表情で、あかねが乱馬を見あげたらば、だ。
「…」
理性を弾き飛ばす理由を一生懸命正当化しようとしている乱馬が、何も反応しないわけがない。
「あ、あかね…」
少しかすれた声で乱馬はあかねの名を呼ぶと、ごくり、と喉を鳴らした。
狼の目の前に、子ウサギが尻尾を振りながら現われたのと一緒だ。火に油を注ぐような物である。
そして、
「あ、あかねっ…」
「え、ら、乱馬?」
「お、俺っ…!」
ギュっ。
かあっと顔を赤らめた乱馬は、そのままあかねを一度強く抱きしめて、身体をベッドへと押し倒した。
もちろん、仰向けにひっくり返したあかねの上に、自分はのしかかって、だ。
「あ、あかねっ…」
保とうとしていた理性が途切れた後というのは、恐ろしいくらい人間、行動的になる物である。
乱馬は、自分が現在持っている知識をフル活動させて、あかねの服へと手をかけ脱がしにかかった。
しかも、あかねの身体の自由をうまいこと奪いながら、だ。
乱馬はあかねの纏っているブラウスのボタンを器用な手つきで次々と外しにかかった。
今までそんなことした事がないくせに、これが人間の本能なのだろうか・・・面白いくらいに上手く、ブラウスのボタンは外れていく。
「ちょ、ちょっと待って!乱馬ってばっ…」
が、あかねにしてみれば、それは全く予想外の行動である。
あかねは服に手をかける乱馬の手から必死に逃れようと身体を捩るが、
「…」
「ちょっ…ま、待ってってばー!」
服を脱がしにかかっている方にしてみれば、半分服を脱がされた状態で身体を捻り、必死で逃げようとするその仕草。
恥かしそうに自分を見上げるその表情…更に頭にそそらせているような物である。
「待てない!さ、誘ったのはお前だろっ…」
「さ、誘ったって何よー!」
「今更我慢できるか!」
乱馬は強引にあかねに抱きつくと、抱き付いた背中の部分に顔を埋めた。
顔中に、あかねの香りが満たされる。頭の隅々まで、あかねに満たされるような感覚だった。
頭が、くらくらした。柔らかくてしなやかな身体を抱き締めていたら、尚更だ。
しかし、
「乱馬、聞いて!あ、あたしね、本当に誘ってるわけじゃなくてっ・・・」
脱がされかかっている服を必死に抑え、乱馬の腕から逃れようとしているあかね。
が、今の乱馬にはあかねの声など耳に入ってはいない。それこそ、焼け石に水状態だった。
いよいよ身の危険を本格的に感じ取ったあかねは、それでも服を脱がそうとやっきになっている乱馬に対し、
「き、聞けー!」
ゴスっ・・・
あかねの身体に埋めようとしていた頭に拳で一発、あかねは食らわせてやった。
「い、いてえ・・・」
乱馬はそこでようやく正気に戻ったようで、
「だ、だから!あたしは誘ったんじゃなくて、マニュアルを・・・」
あかねは、脱がされかかった服を再び身に纏いながらそう呟くと、
「マニュアル?」
「そ、そうよ・・・実は・・・」
正気に戻り、あかねに殴られた頭をさすりながら怪訝そうな顔をしている乱馬に、なびきに伝授されたマニュアルの事、甘え方が分からない・・・と悩んで
いた事を伝えた。
すると、
「・・・お前なあ」
乱馬は、大きなため息を一つついた。そして、
「なびきに妙なことを叩き込まれやがって。だいたい、甘え方が分からないなんだったら、聞く相手が違うだろうが」
「え、聞く相手?」
「そういう事は、甘える相手に聞くのが一番だろ」
そう言って、服を纏いなおしたあかねを、再び自分の膝の上に載せてにっと笑った。
「ちょ、ちょっとー・・・」
膝の上に乗せられているというのは、お互いの距離がグッと近づいているという事である。
いつも乱馬の顔は見ているし、抱き締められた時とかはもちろん間近でその顔は見るけれど、
「・・・」
小さく呼吸をしただけで、あかねの前髪がゆらめく。
それほど近づいて、そして抱き締められるよりもキスするよりも、もっともっと長い時間自分の顔を見られているのが、なんだか気まずかった。
乱馬は、なんだか意地が悪そうな顔で笑いながら、膝の上に抱いたあかねの顔をじっと見つめていた。
「・・・そんなに見ないでよ。あたしの顔に何かついてるの?」
「目と鼻と口」
「小学生みたいな事いわないでよ」
あかねがその視線に耐えられなくて、思わず顔を背けようと顔を俯かせると、
「・・・だーめ、ちゃんと俺の方見ないと」
乱馬はニヤッと笑ったまま、俯こうとしたあかねの頬に手を当てて、自分のほうへと向けさせた。
「だ、だって照れるじゃない・・・」
それでも、顔は乱馬の方へと誘われていても、何となく目線だけは俯いてしまう。
あかねが乱馬から目線をそらすと、
「だって、目の前にあかねの顔があるとどうしても見たくなるんだよなあ」
乱馬は、そんな事を言いながら、俯いたあかねの顔を意地悪く覗き込んだ。
「・・・」
・・・この男は、何でこんなに意地悪をするのだろうか。
というか、これのどこが「甘えさせる」になるのだろうか。
もちろんそれが、敵意を込めた物ではなくて、どちらかといえば「犬」とか「猫」とかと遊ぶような感覚であかねのことをからかって遊んでいるのではないか
とすぐには分かるのだが、
遊ぶ方は楽しくても、遊ばれる方は堪らない。
「・・・意地悪」
ポス、とあかねは顔を俯かせたまま乱馬の方へと身体を傾けて体を預けた。
すると、
「そうそう、そうしてくれれば顔は見えねえよな」
乱馬はあかねがそうするのを待っていたかのようにそう言って笑うと、倒れかかったあかねの身体をぎゅっと抱き締めた。
「な?マニュアルなんてなくても甘えられるじゃねえか」
「これが?」
「そ。簡単だろ?」
「でも・・・乱馬に体後と抱きついただけだよ」
もしかして、これで寄り添った事になるのかなあ。あかねが首をかしげると、
「難しい事考えなくてもいいんじゃねえか。甘え方なんて人それぞれってことだろ。
俺にこうしてくれるだけで、充分に甘えられてるって思うんだけど?」
乱馬は、あかねの頭を優しい手つきで撫でた。
大きくて、ごつい。でも、その手つきは驚くほど優しい。
「・・・」
ブルっ・・・
まるで、猫が身震いするかのようにあかねが目を細めて顔を振るうと、
「猫みてえだなあ。世の中の猫がみんなこんな猫だったらいいのにな」
「良く言うわよ。猫、嫌いなくせに」
「猫にも寄るんだよな。こういう猫なら飼ってもいいな」
「こんな飼い主に飼われたら猫も苦労するだけよ。すぐ逃げてやる」
「絶対に逃がさねえよ」
乱馬はそう言って、もう一度あかねの頭を撫でて笑った。
そして、
「なあ」
「なあに?」
「キスしようか」
「えっ・・・」
顔を乱馬のほうに向けて、声を出す暇もなかった。あっという間に奪われた唇には、ふんわりと柔らかな感触と温かさが舞い降りた。
「・・・」
もう、三度目。まだ、三度目。
でも不思議だ。キスの後は、いつでも戸惑う。どんな言葉を交わして良いのか、良くわからない。
「・・・な、なによう」
キスをして、一回離れた後にまた何度かキスをして。
頭がかーっとなって、ドクン、ドクンと波打つ胸の鼓動は、キスしている唇から乱馬に伝わってしまったんじゃないかと思ったりもしたけれど、あかねが小さ
な声でそう洩らすと、
「マニュアルなんてなくても、十分才能あると思うぜ?」
「え?」
「甘える才能。俺は大歓迎だけど」
乱馬はそう言って、再びあかねの唇を奪うべく顔をぐっと近付けた。
「・・・」
甘える、才能。
あかねにしてみれば、いったいどの部分が「才能」なのかは分からない。
でも、なびきからのマニュアルを実践している時よりも、それが乱馬にばれた後の方が乱馬とくっついていられたような気がしなくも、ない。
「・・・あたしの才能、これからまだまだ伸びる?」
あかねは、顔を近付けた乱馬の首筋にゆっくりと腕を回しながら尋ねた。
「ただいま成長期」
うなぎのぼりに伸びるだろうな。乱馬はにっと笑いながらそう呟くと、再び無防備で柔らかなあかねの唇へと吸い寄せられるようにキスをした。
マニュアルは、あれば便利、そしてある程度のルールや方向性を示すには十分な物。
しかし、時にはそれがなくとも上手く行く事だって、あるのである。
内容はともあれ、この「マニュアル」うんぬんがきっかけで、二人はそれまで以上に自然に、部屋でくっついて過ごせるようになった。
二人にとっては、とても良かった。しかし、
「あら、何だかんだいって上手くいったじゃないの。二人の仲も進展してハッピーエンド。あたしの財布の中身も豊かになって大大円てとこね」
・・・ここに、もう一人。「マニュアル」の恩恵にあやかっていた事も忘れてはいけない。
今まで以上に部屋での二人を隠し撮りをするなびきが、カメラを片手にそんな事をぼやいていた事は、もちろん乱馬もあかねも、知る由もなかったのである。
