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→思春期の誘惑

「なー、今日帰りにゲーセン寄ってかねぇ?」


放課後。
授業終了と同時に、俺の所にひろしと大介がやってくるなりそう言った。
「わりいな。今日は夕飯前までに、隣町までロードワークにいく予定なんだ」
普段は喜んで誘いにのる俺だけど、今日は前々から決めていた、隣町の、新しく出来た森林公園へロードワークへ行くつもりなので、
「また今度」
俺はそんな二人の申し出を丁重に、お断わり。
「そんなの今度でいーじゃん。何か飲みもんでもおごるからさ。な?」
…それでも誘いをかけてくるひろしたちに、
「だめ。梅雨に入っちまったから、今日みたいに晴れる日が今度はいつだか分からねえだろ」
俺は、そんな食べ物の誘惑には負けん…とばかりにきっぱりすっぱりと断りを入れる。


…そう、この「隣町の新しく出来た森林公園」には、機会があったらあかねと一緒に行きたいな…何て、俺は思っていた。
TVで偶然特集をやってるのを見てしまったその時からずっと、俺は気にかけていた。
「あら…あかねちゃんならこういう所、好きそうねえ…」
俺がTVを見ている横でお袋もそんな事をぼやいていたし、
(じゃあ、今度あかねに内緒で先に下見でもしてくるかな…)
俺はその時ふと、そう思ったのだった。
でも、六月のこの時期、
思ったように天候には恵まれなくて、だからといってわざわざ電車に乗って隣町まで見に行く…っていうのは出来なくて。
結局の所、俺のそんな計画は、こうして伸ばし伸ばしになっていた。
…なので、
「今日は二週間ぶりの青空です」
朝のニュースでそう言っているのを聞いた瞬間、俺は、伸ばし伸ばしになっていたこの計画を「今日こそ実行!」…と心に決めたのだった。



朝のロードワークよりも長距離を走るから、俺は朝飯も昼飯も少なめにして胃の状態を整えた。
念のため、あかねに気が付かれない程度に朝のロードワークも少しだけ軽めにした。
大好きな体育の授業も、今日は軽めにこなした。
放課後に運動部の試合の助っ人を頼まれたけど、
「今日は用事があるんだ」
報酬のメロンパンの誘惑にも負けず、断った。
「乱馬君。あたしからアルバイト頼まれてくんない?引き受けてくれたら、あたしがもらった依頼交渉料の10%ならキャッシュバックしても良いわよ?」
と、運動部連中に金を積まれて泣きつかれたなびきに、更に金をちらつかせられて助っ人を頼まれても、
「今日は、行かなきゃいけないところがあるんだ」
俺は、すぱっと断りを入れた。
…準備は完璧だった。
あとは、あかねには申し訳ないけど、今日は先に帰らせてもらって家で支度をするのみだった。
ゲーセンの誘惑にも負けず、メロンパンの誘惑にも負けない。
なびきの、「依頼交渉料キャッシュバック」というお金の誘惑にも負けない。
…俺の、今日の「ロードワーク」にかける熱意は、そんな色んな誘惑にも負ける事はなかった。
鋼鉄の意志。
まさに、そんな言葉を物語るかのように俺は様々な誘惑を撥ね退けてやった。
「とにかく、今日はだめなんだ。悪いな」
「ちぇッしょうがねえな」
そんな俺の固い意志にほだされたひろしや大介達は、ようやく納得したような表情をした。

…と、その時だった。
「乱馬、一緒に帰ろう」
そこへ、今まで担任のひな子先生に用事を頼まれて職員室へ行っていたあかねが教室へと戻ってきて俺に声をかけてきた。
「乱馬あのね、今日ね、寄っていきたい所があるの。一緒に行かない?」
すると。
こんな日に限り、あかねまでもが俺に誘惑をかけてくる。
(すまねえ、あかね。今日だけはどうしてもダメなんだ)
俺は心の中でくッ…と涙を流しつつ、
「悪いな、あかね。俺、今日はちょっと用事があるから先に帰らせてもらう」
と、ひろしや大介達に断ったのと同じように、俺はあかねの誘いを断った。
…が。


「なんだー…せっかく、来月みんなで海に遊びに行く約束した時に着てく水着、一緒に選んでもらおうと思ってたのに…」

俺の断りに対して、あかねがそう残念そうに呟いた瞬間、
「…行こうか」
「え?用事があるんじゃないの?」
「忘れた。用事」
…俺の「鋼鉄の意志」が崩れ去るまで見事数秒。
「水着を選んでもらおうと」の一言で、俺の、あんなに先ほどまで誇っていた「鋼鉄の意志」はサラサラサラ…と、まるで砂で出来た城のように、もろく崩れさった。
ゲーセンの誘惑も、メロンパンの誘惑も、依頼交渉料キャッシュバックの誘惑も見事に断りつづけた俺。
…にも関わらず、
「水着を一緒に選んでもらおうと思ったのに」
あかねの、たったその一言の誘惑にはころっと。
ころっと…負けてしまった。


「…乱馬。おまえってやつは」

そんな俺を、ひろしや大介は呆れ顔で見ていた。
しかし、俺はそんなひろし達のことなど既に頭にはなく、
(水着。水着かあ…選ぶ時は細心の注意を払わないとな。あんま変な水着は他の奴の前で着せられねえし…)
と、頭の中はもう、水着を選びに行く事でいっぱいになっている。
(俺、めちゃくちゃ情けねえなあ)
それでも、一瞬はそうやって悔やんでは見るものの、
(だーって、なあ。仕方ねえじゃん。俺、男なんだし)
「こんな風に誘われたら、断るって方が野暮なもんだぜ」
…俺は、まるで自問自答するように、自分の「鋼鉄の意志」もとい、「軟弱な意志」を必死で正当化。
「さ、あかね行こうぜ」
そんな俺は、緩んだ笑顔であかねの手を引っ張りながら教室から出た。
「乱馬、ホントに用事いいの?」
廊下を並んで歩きつつも、俺の予定をいまだ気にするあかねに、
「もう、忘れた」
俺は、みんなの誘惑を断る時よりもすっぱりさっぱりとあかねにそうい言い切っていた。
「ふーん。ならいいんだけど」
あかねはとりあえずは納得したようで、
「今日はね、デパートの水着売り場に行きたいんだ」
「デパート。込んでんなあ」
「でも、可愛いデザインの水着、いっぱいあるんだよ。今年もビキニが流行りな…」
「却下」
「何でよッ」
…と、俺とそんな会話を交わしながら、デパートへの道をゆっくりと二人歩いていった。


食べ物よりも、金よりも。
飲み物よりも、ゲームよりも。
俺の心を一瞬で惑わせる、俺がどうしても跳ね除ける事が出来ないもの。
年頃の俺の心をすぐに惑わせるそれは、思春期の男には堪らない…あかねの甘い、あまい誘惑。

 

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