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→好きだったひと、好きな人

「ただいまー!」
ある日の夕方。
いつものようにシャンプーたちに追いまわされ、ヘロヘロになって自宅に辿り着いた俺が居間へ行くと、珍しくかすみさんが一人、お茶を飲んでいた。
「あら、お帰りなさい、乱馬君。お茶でも入れましょうか?」
相変わらずのおっとりとした口調と朗らかな笑顔で、俺を迎えるかすみさん。
「みんなは?」
よっこらしょ、と背中にしょっていたかばんを畳に置き、テーブルの脇に座りながら俺が聞くと、
「お父さんと早乙女のおじ様は近所の寄り合い。早乙女のおば様はお友達とお出かけ。なびきはお部屋にいるわ。あかねは…」
かすみさんはそういって、俺の前にお茶を入れた湯飲みを差し出した。
「あかねは、骨つぎやさんに行ったわよ」
「え?」
俺は、その言葉を聞いてハタと動きを止めた。
…骨つぎやさん。それはつまり東風先生の所。用も無いのに…は行かないよな、やっぱ。
「あかね、怪我でもしたのか?」
心の動きを悟られまいと、俺が勤めて冷静にそう聞くと、
「さあ。元気そうだったけど」
かすみさんはそういって、お茶を一口飲んだ。
「…」
それ以上、かすみさんは何も言わない。俺もそれ以上は聞きづらかった。
…怪我をしたわけでもないって言うのに、あいつ…一体何しにいったんだ?
だけど、俺の心の中はそんな疑問でいっぱいだ。


…だいぶ前になるけれど。
あかねは、東風先生のことが好きだった。
東風先生がかすみさんの事好きだって知ってても、それでも片思いをしていた。
かすみさんに近づきたくて、女らしく見せたくて、髪の毛まで長く伸ばして… 。
でもあかねは、俺と良牙のせいで、髪の毛短くしてしまった。
「どうせ近いうち切るつもりだった」
あの時はそんなことをいっていたけど、俺の瞳には、髪の毛が切れた瞬間の、あのあかねの表情が今でも焼きついている。
それにあの時あかねは、謝った俺に『もう気持ちの整理がついた』って言って笑っていた。
だけど、そうやって笑う前は、東風先生のところで、東風先生の胸で、大泣きしていた。
あれ以降、あかねが一人で骨つぎやさんに行くなんて事、ほとんど無かったんだけどな。

「…俺、ちょっと出かけてくる」
俺は、言うが早いか立ち上がると、かばんをほったらかしにしたまま、家を飛び出していた。
えーい、ぐじぐじ考えてても仕方ない!とりあえず確かめてみなくちゃ。
「…」
なんだか知らないが、無性にいろんなことが頭の中へと押し寄せてきて不安に掻き立てられた俺は、自分でも信じられないくらいのスピードで、骨つぎやさんに走っていた。


「あれ?今誰かいなかった?声が聞こえてたんだけど」
その頃。
かすみのいる居間へと、二階の自分の部屋にいたなびきがやってきた。
「ああ、乱馬君が帰ってきたんだけど、また出かけちゃったの」
かすみが、なびきにお茶を勧める。
「あかねは?」
お茶を受け取って飲みながら聞くなびきに、
「骨つぎやさんにさっきから行っているのよ。夕飯までには帰ってくると思うんだけど」
かすみは乱馬にしたのと同じ説明をする。
「ふーん」
なびきはそれを聞いて、ちょっと考え込んでたが、
「…ま、あかねも乱馬君も一緒に帰ってくるでしょ。夕飯までには」
そういって、にやりと笑った。
「あら?どうしてわかるの?」
不思議そうにそうきくかすみに、
「お姉ちゃんがそう仕向けたんじゃない.無意識のうちに。さーて、あたしも準備しとかないとー」
なびきは簡単に説明すると、そそくさと部屋へ戻ってなにやらガサゴソと準備を始めた。
「もう、なびきまで何なのかしら…」
やはりまた一人で居間に残されたかすみは、そんなことを呟きながら一人、お茶を飲口に含んだ。
「さて、と。今日のお夕食は何にしようかしらね」




一方。
ものすごい勢いで天道家を出てきた俺は、肩で息をしながら、「小野接骨院」の前までやってきた。
が、やってきたはいいが、入り口の扉の前でふと足が止まる。
…そうだ。来たはいいけど、なんて言って俺はあかねにあったらいいんだ?
闇雲に走ってきたけれど、別に何か用があるわけでもなく、どうしたいわけでもなく、ただただ何か不安になってこうして ここに来てしまった。
「でも、ここまで来て帰るのもなー…」
いまいち中に入る勇気がもてない俺は、扉の前でウロウロ、そわそわとしていた。
…と。
「さっきから何やってるんだい?乱馬君」
突然扉が開き、中から渦中の人・東風先生がひょっこりと顔を出した。
「わ!」
気配を消しての登場に相変わらず驚いて後ズさる俺を見て、
「ははは…驚かしちゃってごめんよ。こんなところにいないで中に入ったらどうだい?ちょうど、あかねちゃんも来て るよ」
東風先生はカラカラと笑うと、俺を診療所の中へと招きいれてくれた。
「へえ、あかね来てるんだ」
俺は「いかにも偶然ここをとおりがかった」かのような発言をしたけれど、
「迎えにきたんじゃないのかい?」
「なっ…なんで俺が!」
「顔に出てるよ」
オロオロと言い訳をする俺を見て、東風先生は可笑しそうに笑った。
「心配しなくても大丈夫。あかねちゃんは、僕が道に落とした落し物を届けてくれただけなんだ」
そして、まるで子供をあやすような感じでそういうと、俺の頭をポンっと叩き、
「それじゃあ僕は往診にいってくるから、ほんの三十分くらいだけど、あかねちゃんと留守番していてくれないかな」
といって、診療所を出て行ってしまった。
(留守番って言ったって…)
東風先生の粋な計らいで、いきなりあかねと二人きりなってしまった俺だけど、でも。
「この先一体、どうしたらいいんだ?」
俺は、後先考えずに走ってきてしまったことを激しく後悔しながら、待合室のソファの上で頭を抱えて唸ってしまっ た。
と。
がちゃ、と診療室のドアが開き、あかねがひょっこりと顔を出した。
「ん?乱馬?何でここにいるわけ?」
そんな乱馬の苦悩を全く知らないあかねが、待合室で頭を抱えている俺 に声をかけてきた。
「別に…」
俺はそう答えるのが、妥当だと思った。だって、本当に何もしていなかったから。
俺自身、ここで何やってんだろうと思っているくらいだ。
「そんなトコにいないで、中に入ったら?」
「あ、う、うん…」
…俺はあかねに勧められるまま、診療室の中に入った。
「東風先生は、今往診に出かけたの」
「知ってる。入り口であった」
「?じゃあ、あんたホントに何しに来たわけ?」
診療室のベッドに座りながら、あかねがのほほんとした口調で俺に尋ねる。
「…」
だーかーら!俺だって何でここにいるかいまいちわかんねえんだよ。
俺は、そのあかねの問いには答えないで、黙ってあかねの横に座った。
「乱馬?」
あかねが不思議そうに俺を見る。
「あの、よお。お前さ…」
「うん?」
「その…昔、その…東風先生のこと…」
「!」
俺がそこまで言ったところで、あかねがビックリしたような目で俺を見た。
「…」
あかねはちょっと考えた後、突然、俺の頬を両方から両手でひっぱった。
「ひてえ!(いてえ!)」
「あんたもしかして…あたしがまだ東風先生の事好きだと思ってんの?」
「え…!?」
あかねの鋭い質問に、俺は内心ドキッとした。

…そうか。
俺が不安に感じたのは、この事だったのか。
東風先生のところにあかねが一人でいったって聞いて、あかねが昔東風先生の事好きだったのを思い出して、そ で…

…俺がそんなことを考えてると、
「あんた、そんなこと考えてたわけ?」
あかねが、俺の頬を静かに離しながらそう呟く。
へ?そんなこと?
「あんたが考えてること、全部声に出てるんだけど…」
「!しまった!気づかぬうちに、何てことだ!あっ…」
俺は慌てて両手で自分の口を抑えたが、時はすでに遅い。
「もう…」
あかねは、そんな俺を見て小さくため息をついていたが、
「確かに東風先生のことは好きだったわ」
「…」
「でも、前にも言ったでしょ?気持ちの整理はついてるし、それに、先生にはかすみお姉ちゃんと幸せになって欲し いと思ってるもの」
そういって、俺を見た。
俺を見ているあかねの眼が、必死にそれを訴えかけてるのが分かる。
「東風先生は、好きだった人、よ」
「…あかね」
あかねのその言葉に、俺は何も言い返せなかった。
確かに。
あかねが過去に誰を好きだったかなんてことまで、俺が否定したいと思うのは大きな間違いだ。
でも、あかねの口から「好きだった人」の話をこんな少し聞くだけで不安になってしまう。
きっと今日ここに来たのだって、あかねが「好きだった人」の所へと一人で行くのが不安で、心配で仕方なかったか ら。
「そうだな。東風先生は、あかねの好きだった人だったよな…」
俺は、そう呟くのがやっとだった。
すると、あからさまに落ち込んでる俺の頬を、またあかねが手で挟んだ。
「でもね…」
そして、あかねはあからさまに落ち込んで下を向いている俺を自分の方へ向かせて、こう言った。
「今はもう、好きだった人と、好きな人、は違うわよ?」
「え?」
あかねのそんな言葉に、きょとんとする俺。
するとあかねは、
「もう、にぶいわね、あんた!東風先生は好きだった人。でも乱馬は…」
そこまで言って、はっと口を抑えた。でも俺はその言葉を聞き逃さなかった。
「乱馬は…の続きは何だよ?」
「何でもないわよ!気のせい気のせい」
「明らかに気のせいじゃねえって。続きは?」
「さあ?」
あかねは「二度というもんか」とばかりに俺の攻撃から逃げ回っている。
でも俺には、何となくだけど、あかねの言いかけたことが分かった気がした。
その言葉の続きが俺が思ったのと同じだったとしたら、さっき落ち込んでたのを軽く吹き飛ばすくらい、俺は幸せなんだけど。
「あかねー、続きは?」
「教えてあげない!」
だから。
ようやく俺があかねを捕まえて、あかねも俺の腕の中で堪忍したのか大人しく抱かれていても口を割らなくとも。
さっきまで俺が感じてた不安なんて微塵も俺の胸の中には残っていなかった。

でも、乱馬は好きな人…

言葉の続きを聞かなくても、俺にはあかねがそういってくれたような、そんな気持ちでいっぱいだった。
「なあ。今度落し物届にくるときは、俺も一緒に行くからな」
「…そう何度も東風先生だって落し物なんてしないと思うけど…」
「そういう問題じゃねえの!いーから俺と一緒にここにくれば良いの!」
「もー、分かったわよ」
俺の半分だだっこのような言葉に、あかねはしばらくあきれたように笑ってた。
…こうして俺達は、東風先生が帰ってくるまでじゃれあって遊んでいた。





それと同時刻、天道家では。
「さあ、あかね、乱馬君。いつでも帰っていらっしゃい」
玄関脇の茂みの中で、なびきが自慢のカメラを構えて隠れていた。
飛び出していった乱馬の様子からして、きっとあかねを心配して出て行ったんだろうとふんだなびきは、「二人が仲 良く」ここまで帰ってくるんじゃないかと予想をしていたのだ。
現に、なびきの勘はあたっていて、やがて乱馬とあかねが仲むつまじく帰宅する場面を目撃するのだが…
「家にはいる前にキスくらいしてくれると、高く売れるんだけど」
少なくとも、お父さんに二千円、クラスの野次馬連中には…そうね、一枚千円くらいで売れるかしら。
なびき はそんな計算もしつつ、二人の帰りを待つ。

なびきのこの計算が当たったか当たらないかは定かではないが、
後日、風林館高校の中で、この日なびきが撮影した写真が大量にばらまかれていたことだけは、とりあえず報告し ておくとしよう。

 

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