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あかねが乱馬と喧嘩をしたのは、そう、ちょうど昼休みの事だった。
喧嘩の原因は、いつものように些細なものだった。
乱馬が他のクラスの女子にちやほやされているのを見たあかねが、少なからず不機嫌になった。
しかし実はそれと同様に、乱馬はあかねの姿をわざわざ教室まで見にくるような男子生徒の存在を、常日頃から快く は思っていなかった。
もちろんそれは今日の昼休みも一緒。
なので、乱馬も自ずと不機嫌になっていた。
そんな中、ひょんな事からお互いの不満をあからさまに口に出してしまうタイミングが運悪く訪れてしまった。
「何よ!」
「何だよ!」
…そして。
もちろんそうなってしまえばもういつものように、いつものような口喧嘩が始まるのは誰が見ても明らかだった。

「何よ、でれでれしちゃってさ!」
「してねえだろ!ヤキモチも程が過ぎると全然可愛くねえんだよッ」
「だ、誰があんたなんかにヤキモチなんて!あんたみたいな変態に、なんであたしがヤキモチなんか焼かなくちゃ いけないわけ!?」
「俺は変態じゃねえッ。この…ずん胴女ッ」
「な、何ですってえ!」


お互いがお互いのことをなじり始め、
そんな事が続いていけば、いつしか小さな口喧嘩も、やがてすぐには修復できないような大きな「喧嘩」へと変化していく。

「このわからずやっ」
「うるせー、このガンコ者ッ」


…もうこんな風になってしまえば、そう簡単には仲直りすることは出来ない。
だいたい、お互いが思わず感服しあってしまうほど二人して頑固者、そして二人して素直じゃないのだ。
当然の如く、お昼休みに勃発したこの喧嘩は、午後の授業終了後も尾を引いていた。
「おい、ひろし、大介。サッカーでもしに行こうぜ」
なので、授業が終了した午後三時少し過ぎ。
HRが終わるや否や、いつも一緒に家へと帰っているあかねの方など見向きもせずに、乱馬はクラスメートと校庭へ行ってしまった。
そんな乱馬の行動、そして素振りからは、
「さっきはごめん。仲直りして一緒に家に帰ろう」
…なんて気持ちなど、あかねには微塵も感じられなかった。
(な、何よあの態度ッ)
そんな乱馬の態度に、あかねは更にその怒りを増すばかりだった。
「もう、頼まれたって一緒になんて帰ってやんないんだからねッ」
あかねはさっさと教室を出て行ってしまった乱馬の後ろ姿に向かって一人そう叫ぶと、気晴らしと気分転換をかねて、図書室へと向かった。
本を読むのが好きなあかねにとっては、学校の図書室に行って色んな本に囲まれているそれだけでも、いつもは充 分な気晴らしになるのだ。
しかし。
今日はそんないつもよりも一層、乱馬に対して腹を立てているのだろうか。
大好きな本に囲まれても、 以前から目をつけていた本を見つけて机の上で開いても、そこに書かれている文章が、ちっとも頭の中に入ってこないのだ。
(あーッもう…イライラするなあッ)
きっと、このままこの図書室にいても無駄に時間だけ過ぎてしまいそうだ。
「…」
そう考えたあかねは、とりあえず何冊か本を借り図書室を出て、
自分のカバンがまだ置きっぱなしになっている放課後の教室へと戻った。


…ため息をつきながらあかねが戻ってきた放課後の教室には、すでに誰の姿も無かった。
窓からは、黄金色の夕日がまぶしいくらいに差し込んでいた。
窓から差し込む光が教室前の黒板にきらりと反射をすれば、それは時折あかねの目を眩ませる。
窓の外、グランドからは運動部の掛け声がかすかに聞こえ、 いつもなら全く耳に入ることの無い、教室の壁に架けられている時計の秒針の音も、静かな教室の中を少しだけにぎわせる手助けをしていた。
「あーあ…」
あかねは、そんな夕日の差し込む教室にゆっくりと入った。
そしていつものように自分の席に座り、机の横にかかっている自分のカバンを開けた。
「…」
あかねは、その中からなびきにたまたま借りていたMDウォークマンを取り出した。
そして、イヤホンを耳に付けるとそのまま机の上に突っ伏した。
そのMDには、あかねがなびきに頼んで入れてもらった「お気に入りの曲」だけが入っているはずなのに、…もちろんこんな気分が晴れないときには、そんなお気に入りの曲さえもきちんと頭の中には流れてこない。
「…」
本を読んでも、頭に入ってこない。曲を聴いても何だか気が散ってしまう。
では、さっさと家に帰ったらどうか?…もちろんあかねもそれは一番に考えた。
だが、この気分の晴れないムシャクシャしたままの状態で家に帰るのだけは…あかねも少し抵抗があった。
…あかねと乱馬は、一つ屋根の下に住んでいるのだ。
顔だって、嫌でも合わせる機会は多い。
授業終了後からしばらく、こうして顔を見なくても頭に来ている状態なのに、顔を見たら更に頭に来るのは分かっている。
そうなるのが分かっていて、簡単にその気持ちを家にまで持ち込むのは嫌だ。
…それがあかねの、正直な気持ちだ。


(あーあ。どうしようかなあ…嫌だな…)
仮に仲直りをしよう、と考えるにも、 既に乱馬は、クラスメートと校庭へ出て行ってしまった後。
そんな乱馬を、わざわざ校庭まで迎えに行ってあかねから謝るのは、それはそれで何だか癪だった。
(もう!それもこれも、皆、乱馬が悪いのだ!)
あかねはそんな事を思いながら、机の上にベタっと倒れこむように座っていた。
…と、その時。
イヤホンをしているあかねの耳に、MDから流れている曲とは別の物音が飛び込んできた。
ガラッ…というその音は、閉じられていた教室のドアが開いた音だろうか。
壁に架けられている時計を見ると、時刻は、もう四時四十分。
日も暮れ掛けているのだし、こんな時間に放課後の教室に一体誰が…と、あかねがそんな事を思いながらドアの方 へと目をやると、
「…」
…そこには、何だかやっぱり不機嫌そうな顔をした乱馬が立っていた。
どうやら、つい今しがたまで校庭でサッカーをしていたようだ。
荷物は持って出て行ったようだが、忘れ物でもしたのだろうか?乱馬はたった一人で教室に戻ってきたようだった。
「…」
そんな乱馬の姿を見てあかねが一瞬表情を動かしたように、乱馬も、教室で一人居残っているあかねの姿を見て、一瞬だけぴくりと表情を動かした。
あかねは、そんな乱馬と目があったのにも関わらず、わざとらしくそっぽを向いた。
そしてそのまま、何も言わずに窓の方を向いて机に突っ伏していた。
乱馬は、そんなあかねに特に声をかけることも無く、そのまま教室へと入ってきた。
そして、本来ならばあかねの座っている席の隣…が自分の席にも関わらず、
もちろんそこには座ることはせず、あかねと同じ横列だが、何列も離れた他の誰かの席へとドカッ…と腰かけた。

…物言わぬ時間が、しばし流れていた。
グランドから聞こえてくる運動部の掛け声や、野球部のバッティングの音。
そして壁掛け時計の秒針が、「カチッ…カチッ…」とやけにくっきりと時を刻むのが、わかる。


二人は、お互いがそっぽを向いたままで、遠く離れた席へと座っていた。
物言わずやり過ごすその気まずさを、もちろんお互いがお互い肌で感じてはいるのだが、
そこは、素直になれないこの二人。
そんな気持ちを言葉には出す事が出来ずに、時折、お互いの姿をチラッと見合っては、また再び顔を逸らす。
時間が経つに連れて、二人のお互いを見る回数も、そして目をあわす回数も増えては来るのだけれど、
あかねとしては、やはりそれでも乱馬に話し掛けようとはしなかった。
やがてその内。
あかねはともかく、乱馬の方がそんな「物言わぬ空間」に耐え切れなくなったのか、
「おいッ…」
…そんな風に、ぶっきらぼうだけどあかねに声をかけてきた。
しかし、
「…」
本当はそれが少し嬉しいというのに、素直になれないあかねは、わざと聞いているMDのボリュームをあげて、そんな乱馬の声が聞こえないような素振を見せた。
「おい…聞こえてんだろ。こっち、向けよ」
そのMDのボリュームに負けないようにと、乱馬が更に大きな声であかねに話し掛けるも、あかねはまた更にMDのボリュームを上げて、そんな乱馬の声をやり過ごそうとした。
「…」
…当然のことながら、そんな事をされればせっかく声をかけてきた乱馬とて、気分を害すに決まっていた。
「…」
乱馬は、わざと机の音をさせるように荒々しく席を立つと、ゆっくりと教室の中を歩き、教室前方の教壇の上へと立った。
(…何よ。そんな所に立ったって、あんたの方なんか見てやんないんだから)
あかねは、そんな事を思いながらわざと前を向かないようにと、窓の方へと顔を向けて机へと突っ伏した。
乱馬は、そんなあかねの様子をしばらく覗っていたようだが、そのうち、諦めたのか元の席へと戻ったようだった。
「…」
(…でも、ちょっと意地悪だったかしら)
乱馬が再び席へと戻ったのを確認したあかねは、
頑なにそんな事を思った自分の行動を少し後悔しつつ、何気なくそれまで乱馬が立っていた教壇の方へと顔を上げ た。
すると…


「?!」


次の瞬間、自分の目に飛び込んできた「もの」に、あかねは思わず、ハッと息を飲んだ。
あかねの、目線の先。
教壇の、その後ろにある黒板。
その黒板に、妙に大きく、そして思いっきりヘタクソな字で、
『悪かった』
…たった一言、真っ白なチョークでそう書きなぐられていたのだ。
あかねは、その乱馬の行為自体にまずは驚いてしまった。
しかしもっと驚いた事があった。
それは…「悪かった」の「悪」という漢字。
…字が間違っていた。
「心」という文字に、何故だか「、」が二つも多く付けられている。
意地が悪い人が見れば、
「ねえ、あれって何て読むの?」
なんて。真顔で聞き返されても文句は言えない。



(…なんで、仲直りの為の大切な言葉、書き間違えるかなあ)
その間違っているのに力いっぱい書きなぐられているその文字を見ているうちに、あかねは乱馬が謝ろうとした、というその行為よりも、その字を間違えた、というその行為の方がおかしくなってしまった。
「…」
あかねがそんな事を思いながら乱馬のほうを見ると、
乱馬は、「やっと黒板に気がついたのか」とでもいいたげな顔であかねを見ていた。
乱馬は照れてしまっているようで、あかねが自分の方を向いたその瞬間、慌てた様子で、あかねから目をそらしてし まった。
…どうやら。
乱馬に至っては、
黒板に大きく文字を書いて謝った、というその行為自体に照れているので精一杯なのか、
実は書きなぐられたその字が「間違えている」という衝撃の事実には、全く気がついていないようだ。
「ふ…ふふ…」
笑っては悪い。もちろん、そんな事は百も承知だった。
しかし…そう思えば思うほど、あかねの口からは自然に笑い声が洩れていく。
「なッ…何がおかしいんだよっ」
…もちろん、
あかねがどうして笑い出してしまったのかなんて、自分の書いた漢字の間違えに気がついていない乱馬には分かる はずも無い。
人のせっかくの気持ちを踏みにじるような事しやがって…と、今にも真っ赤な顔で怒り出してしまいそうな乱馬に、
「うるさいわね。しょうがないでしょ。このMD、今面白い曲がかかってんのよ」
あかねは、わざとそんな嘘をついてやりながら笑いをこらえようと頑張った。
「う、嘘つけッ」
しかし。
MDから流れているのは、ただの流行歌。しかも、いつもあかねが部屋で聞いているようなお気に入りの曲。
さっきから、イヤホンよりかすかに洩れているその音で、乱馬とてそれぐらいは分かっていた。
なので、
「ほー、じゃあ、どの歌のどの部分が面白いってんだよッ?嘘つきやがってこのッ・」
あからさまに「嘘」とわかるその言い訳に、乱馬が更にムッとした表情をすると、
「嘘じゃないわよ。じゃあ、聴いたみたらいいでしょ?ほら」
あかねはそんな乱馬に、自分の耳につけていたイヤホンの片方を、差し出して見せた。
「え?」
乱馬は、そんなあかねの行動に少し戸惑ったようだった。
あかねは、そんな乱馬の戸惑いを承知で、もう一度、乱馬に向かって小さな声で呟いた。
「…ほら。イヤホンのコード、あんまり長くないんだから。…もっと傍に来ないと、イヤホン、耳に付けられないよ」
そして、自分の突っ伏していた机の隅にその片方のイヤホンを置き…再び乱馬とは反対側を向いた。

…それは、勇気を出して「悪かった」とあかねに謝ってきた乱馬に対しての、
あかねなりの「答え」。
そしてあかねなりの「歩み寄り」だった。
ちょっとぶっきらぼうな表現だけれど、
それが、素直に「あたしも悪かったわ」という事が出来ないあかねの、精一杯の努力だった。

「…」
…そうやって、あかねがイヤホンを机の上に置いた直後。
ガタン、と机が動く音がした。
そして、窓の方を向いているあかねの目には、徐々に近づいてくる大きな人影が捕らえられていた。
「…」
しばらくすると、徐々に大きくなりながら近づいてきたその人影は、あかねのすぐ隣の席あたりでぴたりと止まった。
フワリ、と、あかねの近くで人の気配もした。
「…」
あかねがゆっくりとその気配の方を振り返ると、ちょっと照れくさそうな、そしてバツが悪そうな顔をした乱馬が立っていた。
「…仕方ねえな。そんなに面白い曲だって言うんなら、聞いてやってもいいよ」
乱馬はそんな事を言いながら、今度は自分のいつもの席…あかねの隣の席へと座った。
「何よ、偉そうに」
「うるせーな」
そして、ガタガタッと机と椅子を動かして、あかねの座っているその席へとぴったりと横付けると、
「…ホント、短いコードだな」
あかねの机の隅に置かれたそのイヤホンを自分の片側の耳へと付けた。
「仕方ねえから、聴いてやる」
「仕方ないから、聴かせてあげるわよ」
…お互いに反対の耳にイヤホンを付けた二人は、そんな減らず口を叩きながらも隣に座って、
そして先程と同じように物言わず、MDの音楽に耳を傾けていた。
しかし、何もかもが先程と同じというわけでもなかった。
あかねも、そして乱馬も。
先程は、お互いがそっぽを向いて座っていたのだけれど、
今こうして並んで座っている二人は、
お互いがお互いの方を向いて、そしてとても穏やかな表情をしていた。
「もっと近づかねえと、ちゃんと曲が聴こえねえよ」
「じゃあ、聴こえる所まで近くに来ればいいでしょ」
…一見ぶっきらぼうな言葉の応酬だけれども、
口にしている二人自体の表情は、自然と緩み、そして自然に笑顔になる。


「…もう、聴こえる?」
「おう」
…いつしか二人は、お互いの体を寄り添うようにしてMDを聴くように席についていた。


窓から差し込む黄金色の柔らかい夕陽が、寄り添った二人の姿を優しく包み、照らし出す。
お互い、特に何も語るわけでもない、その空間。
先程は、グランドからの雑音と壁時計の音が二人の耳に葉いやに響き渡っていたはずなのに、
同じ音でも、同じ音量でも。
状況が一度変われば、全く気にはならなくなるのが不思議だ。
…ふと、壁掛け時計を見あげると、
時刻はぴったり、ジャスト五時。
くだらない喧嘩を始めてから、ちょうど五時間後の事だった。




いつも居なれた教室とは少し雰囲気の違う、二人きりのこの放課後の教室。
少しセピアのこの空間が、素直になれない二人を、ちょっとだけ素直にさせてくれる、不思議な「魔法」が走る時間。
いつも「隣」にある乱馬の席を、同じ「隣」でも、もっともっと近くに感じることが出来る時間。
仲直り出来たのも、不思議な魔法がかかったのも。
乱馬を近くに感じることが出来たのも。
…それは、ぴったりジャスト五時。


「…好き」
「えッ…俺の事!?」
「放課後の教室の事よ」
「ちぇッ…」
「…でも、乱馬と同じくらい、好きかもね」
あかねがそう言って乱馬に優しく笑いかけると、
「じゃあ、すげえ好きなんだな」
乱馬は、自信満々な口調でそう切り替えしてきた。
「どっからそんな台詞が出てくるのよ。この口か?」
あかねは、そんな乱馬の唇を軽く指でつついてやりながらも、
「でも、まるっきり嘘ではないわ」
そう言って、ペロっと舌を出して笑った。
「…だろ?」
あかねが唇に触れたその指をそっと握るようにして外しながら、
そんなあかねと一緒に、乱馬も嬉しそうな顔で笑っていた。


ようやく仲直りできた二人が、
喧嘩していた分の時間を取り戻すべく、甘く楽しい時間をスタートさせるその時刻。
…時刻はやっぱり、ジャスト五時。

 

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