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Dearest 1

 

付き合い始めた頃は、何もかもがキラキラしていた。
ちょっと触れ合うだけでドキドキして、一緒の家に住んでいるのに話が出来るだけで嬉しくて。
でもそれが慣れて来ると、何もかもが「当たり前」に思えてしまう。
朝起きて、おはようと挨拶するのが「当たり前」。手を繋いで歩く事が「当たり前」。
いつでも、手の届く場所にいてくれるのが「当たり前」。キスしたり抱き合ったりするのが「当たり前」。
でも…そんな「当たり前」のことが当たり前じゃる日って、この先来たりするんだろうか。
幸せな時ほど、そんな勘は鈍くなる。

・・・もしも。
そんな「当たり前」のことが「当たり前」でなくなってしまうような日が来るとするならば、あたしは一体、どうなるのかな?
傍にいるのが当たり前だった人が、いなくなってしまったら・・・あたしは一体どうなってしまうんだろう。
幸せな日々に頭が慣れすぎて、全然見当もつかない。

 

 

 

「あかねー、また乱馬君遅いの?」
「あ、う、うん…そうみたい」
「まったく、何やってんだろうねえ…毎日毎日。夕飯もいらないみたいだしさ」
ある日の夜。居間でぼんやりとテレビを見ていたあたしの背中に、なびきお姉ちゃんが話し掛けてきた。
お姉ちゃんとしてみれば、居間のテレビのチャンネル権をいつも争奪しあっていた乱馬がいなくなったこと自体は嬉しいみたいだけれど、
その乱馬の代わりに毎日、あたしが居間でぬぼーっとテレビを見ているのがどうも気になっているようだ。
あたしがテレビを見ているから、好き勝手にチャンネルをいじれないのも気にいらないみたいだけれど。
・・・
「で?乱馬君が遅くなる理由って何なの?」
「さあ」
あたしはテレビに視線を向けたまま、やっぱりぬぼーっとしながらなびきお姉ちゃんにそう答えた。
と、
「さあって・・・」
その答えになびきお姉ちゃんは驚いたような声を出す。
「あんた気にならないの?」
「え?」
「え?じゃないでしょ。自分の彼氏が、訳も言わず毎晩遅くまで帰ってこないのよ?」
「そ、それは・・・」
「あんた達、最近ろくに会話だってしてないんでしょ?前みたいに毎晩一緒に寝てないみたいだし」
「ま、毎晩なんてそんな・・・」
「似たようなもんでしょ。それが急になくなったのに、あんた気にならないわけ?」
なびきお姉ちゃんは、背中を向けているままのあたしに一気にそうやってまくし立てた。
何だかこれだと、どっちが乱馬の彼女だか分からない。
「でも乱馬だし・・・それに乱馬の事信じてるし、大丈夫でしょ」
あたしはゆっくりと振り返りながら、「心配しすぎだよ、お姉ちゃん」となびきお姉ちゃんの顔を見た。
でも、振り返った先にあるなびきお姉ちゃんの顔は、あたしが驚くほど真剣だった。
「・・・」
・・・何その顔。
あたしが思わずその表情にドキッと胸を鼓動させると、
「ねえ、あかね・・・信じているってあんたは言うけどさ・・・それ、本当に信じてる、なの?」
「え?」
「その余裕は大丈夫なのかって聞いているのよ」
「よ、余裕だなんてそんな・・・」
「・・・取り返しがつかなくなってしまってから後悔しても、遅いのよ?」
なびきお姉ちゃんは、それまで話していたときよりも少し声のトーンを下げて、そう呟いた。
「取り返しがつかないって?」
「浮気してたりして」
「まさか」
「あら、そう言いきれるの?」
「・・・」
・・・言い切れるとは、確かに言えない。
あたしがそのお姉ちゃんの言葉にさっと表情を曇らせると、
「冗談よ」
そんなあたしの反応を見たお姉ちゃんは、ニッコリと笑った。
表情は笑っているけど、目は全然笑っていなかった。あたしにはそれが妙に印象的だった。
お姉ちゃんは、もうそれ以上あたしに忠告をしてはくれなかった。
「…」
…何か、冗談に聞こえないんだけど、お姉ちゃん。
あたしは、もう何もあたしには話し掛けてこないお姉ちゃんを横目に一人、居間から出た。
その途端、
「・・・ねえ、お姉ちゃんどう思う?あの二人の事。最近、ろくに話もしてないと思わない?」
「乱馬君、家でお夕飯も食べないしねえ・・・喧嘩でもしているのかしら」
「案外、もう別れていたりして」
「なびき」
「だーって。一緒に住んでいるからって、お互い油断しているんじゃないの?あの二人。いいご身分だ事」
「原因は分からないけど、早く仲直りすればいいのにねえ」
あたしと乱馬の事について、なびきお姉ちゃんがかすみお姉ちゃんと話している声が聞こえてきた。
どうやらなびきお姉ちゃんがさっきあたしに忠告した事は、他の家族も少しは気にしているみたいだ。
「・・・」
例え同じ家に住んでいる半ば家族みたいな間柄だけれど、
身内に自分達カップルの恋路を心配されるだなんて何だか変な感じだ。というより、何だか居心地が悪い。
「・・・」
あたしはため息をつきながら、のろのろと階段をのぼり、自分の部屋へと戻った。

そう。最近、実は乱馬の帰りが遅い。
朝はかろうじて一緒に出かけるけれど、帰りは勿論別。
乱馬は夜も十時近くに帰ってきて、帰宅後は疲れているのか、そのままお風呂に入って眠ってしまうような状況だ。
帰ってきてすぐ寝てしまうという事は勿論、家に帰ってきてから、あたしと話す時間だってない。
ましてや、以前までのように一緒に寝たり部屋で一緒に過ごしたりする時間なんて、勿論ない。
つまりあたしと乱馬は、クラスメートと一緒。
朝の通学路で簡単に会話を交わし、学校の教室内で時々話す。
学校が終ればそれぞれが別の行動をし、次に会うのはまた明日・・・どう考えても、「私達付き合っています」とは言えないような状況だった。
そんな状況なのに、それでもあたしが焦ったり不安に思っていなかったのは、あたしとしては乱馬を「信じている」つもりだったから。
でも他の人があたしを見る限り、あたしの乱馬に対する態度は「信じている」と言うよりは「余裕」とか「油断」という態度に見えるらしい。
「・・・」
お姉ちゃんに言われるまで、あたしは全然そんなこと気がつかなかった。
あたしは少し、動揺した。
自分では気が付かなかったけれど、
「大丈夫、だって乱馬だもん。浮気とかするような器用なタイプじゃないし」
とか、
「一緒の家に住んでいるんだもの、会いたい時はいつだって会えるわけだし」
とか。
もしかしたらあたしは、そんな事を思っていたのかなあ?
・・・

今のあたしにとって、乱馬が傍にいるという事は「当たり前」だった。
同じ家に住むのも「当たり前」。家のどこかにいるのも「当たり前」。
だから、何があってもあたし達は許婚でいることも「当たり前」・・・そんな風に思っていた。
でも、
「・・・」
そんなあたしに、なびきお姉ちゃんが鳴らした警鐘。
本当はあたしが自分から気が付いて、焦って行動しなければいけなかったのに。
それをお姉ちゃんに指摘された時点で、あたしはもしかしてちょっとずれていたのかもしれない。
そう。
・・・付き合う二人が永遠に続いて「当たり前」。そんなことって、絶対にない。
一緒にいたい、お互いを大切にしたいって思うからそれは永遠に続くのであって、
あくまでも二人の努力がその前提。「当たり前」があってのことではない。
あたしにとって、乱馬がいつも傍にいてくれるのも許婚でいてくれるのも・・・勝手に「当たり前」のことだって、どこかで思っていた節がある。
人に言われて、何だかこの状況に不安を覚えるだなんて。
そう、考えてみれば今のこの状況、何だかおかしい。
本当に「信じて」いるのなら、他の人に何と言われようとも、動じないはずだ。
なのにちょっと忠告されてこんな風に不安になると言う事は・・・忠告されたような事を、心の奥底では思っていたから、だろう。
・・・
「・・・」
一人部屋に戻ったあたしは、電気もつけないままベッドへと身体を投げ出した。
そして、緩やかに身体を何度かバウンドさせながらぼんやりと、天井を見上げる。
・・・今日、帰ってきたら乱馬に聞いてみようかな?
あたしは今更ながらそんな事を思い、ベッドから体を起こす。

大丈夫、だって乱馬だもん。
きっと、猫飯店とか右京のところとか、友達のところにでも転がり込んでゲームとかやってるんだよ。
遊ぶ事に夢中になっているから、遅いんだよ。ご飯も、食べるの忘れるくらいに。
「・・・」
ちょっと、苦しい想像だった。
あたしはそんなことを今更ながら自分に言い聞かせつつ、なびきお姉ちゃんのうち鳴らした警鐘を何とか消し去ろうとするも、
「・・・」
『浮気していたりして』
なびきお姉ちゃんの最後の言葉が、何だか耳から離れなかった。

 

 

夜、十時半。
「ただいまー・・・」
玄関の引き戸が控えめに開き、聞きなれた声が玄関ホールに響いた。
「おかえりっ」
・・・昨日までは出迎えにも出なかったくせに、今日は急いで部屋から飛び出して階段を駆け下り、玄関に現れたあたし。
「・・・」
これには乱馬も驚いたようで、何だか不思議そうな顔をしている。
「ど、どうしたんだよ今日は」
「な、何よ。あたしが出迎えちゃいけないの?」
「そんなことねえけど・・・ただいま」
ぽん、ぽん。
乱馬はあたしのそんな言葉に優しい笑みを浮かべながら答える。そして、いつもと同じ大きな手で、あたしの頭を軽く叩きながら家の中に上がった。
「おかえり・・・」
・・・ほら、やっぱりいつもどおりの乱馬だ。
お姉ちゃんが言っていたようなこと、きっとないもん。
家に帰るのが遅くなった理由は、きっと疲れているからあたしに話さないだけのことだもん。
聞けばきっと、答えてくれるし、絶対にたいした事じゃないんだわ。
あたしは、久し振りにちゃんと向かい合った乱馬と、優しくて温かい手にほっと胸を撫で下ろし、
「俺、風呂に入るよ」
今日も疲れているらしい乱馬は、出迎えたあたしに笑顔でそう言って、そのままお風呂場の方へと向かおうとしていた。
「あ、待って・・・」
あたしは、そんな乱馬の過ぎ行く腕を取ろうと手を伸ばした。
でも、乱馬の手を取ろうとしたその瞬間、
「・・・」
・・・あたしは腕ではなく、乱馬の背中に抱きついていた。
「お、おい・・・何だよ急に」
あたしを抱きしめることには慣れていても、こんな風に急に抱きつかれることには慣れていない、乱馬。
当然の事ながら、あたしのこの行動には驚いているようだった。
あたしは何も答えないままぎゅっと、乱馬の背中に顔をつける。
そして彼の背中から感じる「匂い」を、確かめる。
・・・あたしが乱馬の手を取ろうとした瞬間、乱馬の服から「匂い」がした。
それは汗の匂いとか食べ物の匂いだとかではない。一瞬だけれど感じた、「いい匂い」。
女物の香水?・・・ううん、あれは、シャンプーとかがつけている強力な匂いのするものではなかった。
もっとほのかな・・・「コロン」みたいな、爽やかな香り。
あたしの匂いとは違う、でも乱馬のものとは絶対に違う匂いだった。
乱馬の背中に抱きついたのは、多分あたしの本能というか無意識だったんだろうと、思う。
あたしのものではない、絶対に「女性」の匂いだ。そう感じたから、無意識にきっと。
・・・
「・・・」
・・・誰の匂いなの?これ・・・。
急に不安になったあたしは、何も答えないまま乱馬の背中に顔をぎゅっと押し付けた。
「急にどうしたの?」
乱馬は、そんなあたしをゆっくりと自分から離した。
そして、三週間ぶりにあたしの身体へと腕を伸ばす。
ふんわりとした温かさが、あたしの身体を包んだ。
三週間ぶりのその温かくて優しい感覚、そして心地いいはずのその場所に、何故かあたしは身体を竦ませる。
「・・・乱馬」
・・・その匂い、何?
今まで何していたの?
ココ最近、どうして帰りが遅いの?
・・・
部屋で考えていた言葉が、すぐそこまで出ていた。でも、不思議な事に口から先へは出てくれない。
それを聞くためにこうして、あたしは乱馬を出迎えたんじゃなかったっけ?
「・・・」
あたしがそんなことを考えながら腕の中で黙り込んでいると、
「今日は疲れているから一緒に寝られないけど、又今度な」
乱馬はそう言って、難しい顔をして黙り込んでいるあたしの顔をくっと、指で持ち上げた。
そして、額に軽く唇を押さえつけるようにキスをした。
そのキスが柔らかくて優しければ優しいほど・・・あたしの中に生まれつつある不安が急速に広がっていく。
「・・・」
あたしは、キスをして離れた乱馬に対し首を左右に振った。これも、無意識だった。
「ん?」
「そこじゃイヤ・・・」
あたしはそう言って、乱馬の首にそっと手を伸ばしてそのまま顔を傍に近付けた。
何かが、あたしを焦らせていた。乱馬にそうしろと・・・あたしに命令をしていた。
「・・・いつからこんなにワガママになったのかな、あかねは」
乱馬は、そんなあたしに向かってそんなことを呟いた。そしてあたしが首に回していた手をゆっくりと引き剥がすと、
「・・・」
黙ってあたしの手を引き風呂場へと引き入れ、中から鍵をかけた。
あたしは再びそこで、乱馬に抱きつく。
そして、電気もつけない薄暗い風呂場の脱衣所で、あたしはまるで何かを忘れたいかのように必死に、そして夢中で乱馬と三週間ぶりのキスをした。
乱馬も「疲れているから」なんてさっきまでは言っていたのに、そんなこと微塵も感じさせない様子であたしの身体を抱きしめてはキスをする。
あたし達はまだ眠ってはいないだろう他の家族に気付かれないように、声を押し殺しながら夢中になってお互いを求め合っていた。
でも・・・

どんなに必死で抱き合って、どんなに夢中でキスをしても、あたしの身体を抱く乱馬の体からは、あたしが感じた「匂い」が消えない。
傍にいるのが「当たり前」、そしてあたしの許婚なのが「当たり前」の乱馬の体から、あたし以外の女の人の匂いは・・・消えない。

 

『浮気していたりして』
・・・なびきお姉ちゃんのさっきの言葉が、あたしの胸を何度も過っていく。
「あっ・・・」
激しく求められ、口からは悩ましい吐息が洩れる。そして強い力で腕に抱かれているというのに、それでもあたしは何だか上の空だった。
頭に浮かぶのは、『乱馬だし、信じているから・・・』そんな事を言っていた自分への腹立たしさ。
そして、三週間分の不安。

「・・・」

ねえ、乱馬。最近どこで誰と何をしているの?
・・・掠れるような甘い吐息はたくさん洩れるのに、どうして肝心な言葉は出てくれないのだろう。
三週間ぶりに感じる乱馬の体温はこんなに感じるのに、心の温度は全然分からない・・・。
ねえ、乱馬・・・浮気なんてしてないよね?
三週間も乱馬の行動について何も聞かなかったあたしもいけないけど・・・でも、そんなの違うよね?
「・・・」
結局大切なことを聞けないまま、あたしはその夜を過ごした。

 

 

 

でも、その翌日。
あたしは自分の耳を疑うような真実を、乱馬の口から聴くことになる。

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