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大切なコト2
まだ夜も七時を回ったばかりということもあり、息を切らして駅に着いたあかねが、乱馬が修業している隣町までの電車を心配する必要はなかった。
あかねは電車で修行場への最寄り駅に降り立ち、比較的明るい車道をとおりながら、そして足早に、乱馬が修業していると思われる水場へと向かった。
その山に、人が寝泊りできるような水場は、幸いなことに一ヶ所しかない。
そしてその場所に、中学生のとき、遠足で…ではあるが、あかねは訪れた事があったのだ。
(…)
ただ、いくら一度訪れた事がある場所とはいえ、手にもっているのはふもとの駅でかろうじて調達した懐中電灯一本。
しかも地図もなしに一人登っていくのは、夜の山道はそれなりに心細い。
ただでさえ人一倍恐がりのあかねは、
バサバサバサッ…
と、葉をこする何かの音が耳に入るたびビクン、と身を竦めてしまうが、
それでもめげずに足を進めるのは、
「事実を確かめて乱馬の口から聞きたい」
という本来の目的よりもむしろ、
「乱馬に逢いたい」
…その一心他ならなかった。
それに、乱馬もあかねがこうして突然尋ねて来たことは驚くかも知れないが、驚く反面、きっと少しは喜んでくれるに違いない。
あかねは乱馬がそう思ってくれるのではないかという、その気持ちだけを頼りに、一人、夜の山道を登っていた。
「はあ…はあ…」
山道を登り初めて、小一時間くらい、たったろうか。
それまで暗がりしか目に飛び込んでこなかったあかねの目に、小さな灯りがひとつ、飛び込んできた。
それと同時に、あたりにサワサワサワ…と莢かに水音も聞こえてきた。
(きっと、あそこだわッ)
あかねは、逸る心を抑えて足を早めた。
そして、左右に生い茂る草を掻き分け、徐々に人の話し声が大きくなってきたその灯りの元へと近付いた…その時。
がさっ…
あかねの耳元で不意に葉っぱがこすれる音がした。
「きゃっ…」
あかねが慌てて身をかがめると、
「あ、あかねか…?おまえ、何でこんな所に…」
…そこには、両脇に薪の束を抱えた乱馬が、とても驚いた表情をして立っていた。
「乱馬ッ」
あかねはようやく乱馬に逢えた喜びで表情をぱっと輝かせたが、
「何だよ…何やってんだよッこんな時間に!」
…そう叫んだ乱馬の言葉に、あかねは一瞬ビクっと身体を竦めてしまった。
「え…ら、乱馬…?」
乱馬もあかねと逢えたことを喜んでくれるかな…そんな事を思いながら今まで歩いてきただけに、
乱馬があかねに対し険しい表情でそう怒鳴った瞬間、あかねは非常に驚いてしまって、危うく息さえもすることを忘れてしまいそうだった。
いや、息を飲み込みすぎて、呼吸ができない。
息を「吐く」…その動作を忘れてしまうほど、怒鳴られた事で動揺してしまった。
そう表現するのが、一番近いのかもしれない。
「何しにきたんだよ、こんな時間に!何考えてんだ!」
そう声を荒げる乱馬に、
「あの…あたし…どうしても聞きたい事があって…」
あかねはあまりにも驚いてしまって、上手く喋ることさえできない。
が、それでも自分の言うべき事は伝えないと…と、そう主張をするも、
「だったら電話で聞けばいいじゃねぇかッ。わさわざこうやって来て俺に尋ねるくらい大事なことだったら…尚更さっきの電話でまず相談するべきだろッ」
乱馬は、険しい表情のままあかねに一方的にそう叫ぶ。
「ご、ごめんなさい…」
あかねは、そんな乱馬にただそう謝るしか出来なかった。
あかねは、
「何であたしが…」
とか
「元はと言えばあんたがシャンプーを連れて山籠りなんてしてるから…」
とか。
そんな気持ちよりも先に、今自分が対面しているこのシチュエーションに驚いてしまい、何も言い返すことが出来なかった。
乱馬に一方的に怒鳴られた事も初めてだったし、
それより何より、自分がこの場所にくるまでに思い描いてた光景との差があまりにもありすぎて…
「ごめんなさい…あたし…ご、ごめん…」
そう乱馬に伝えようとするその言葉さえも、あかねはうまく発することが出来なかった。
わけもわからず心臓だけはドキドキと激しく鼓動して、何だか分からないけれど…胸が痛い。
涙を流すとか、反論するとか。
…そんな事さえも思いつかず、そしてそうしようとする力さえも生まれないほど、あかねは自分の中でもえらく戸惑ってしまった。
「あ…ご、ごめん…ちょっと言いすぎちゃったよな…」
そんなあかねの普段とは少し違う様子に、さすがの乱馬もはっと表情を一瞬強張らせた。
そして、
「と、とにかく向こうに行こう。今日はもう遅いから、泊まってけよ。明日、朝飯食べたら駅まで送ってくから…」
慌てて表情を和らげてそう言ってきたが、
「ごめんなさい…」
…それぐらいでは、あかねの驚き、というか今にも胸から飛び出してしまいそうな激しい鼓動は、収める事が出来なかった。
「ごめんな、あかね。ちょっと言い過ぎちゃったよな?」
「ごめん…なさい」
あかねは、自分のそんないつもと違った雰囲気を和らげようと優しく声をかける乱馬に、ただそうやって、謝る事しか出来なかった。
「あかね…あっちに行こう?」
乱馬は、そんなあかねの様子を心配し、あかねのその微かに震えている肩を抱こうと、両脇に抱えた薪を地面に置いた。
…が、ちょうどその時。
「あれ?あかねちゃんやん!あかねちゃんも乱ちゃん追ってきたん?」
話し声に気がついたのか、
茂みを掻き分けるようにして、右京があかね達のいる場所に顔をだした。
「あ…」
乱馬は、右京が顔を出したのと同時にあかねに触れようとした手を引っ込めた。
「右京…」
あかねが右京の方を振り返ると、
「…にしてもあかねちゃん、もしかして手ブラできたん?乱ちゃんを追ってきたのが目的とはいえ、一応形だけでも差し入れぐらいはもってきたほうがええんちゃう?」
うちみたいにな?…と、右京は振り返ったあかねに対してそんなアドバイスをする。
「ご、ごめん…気が利かなくて…」
あかねは、右京にそう指摘されて、そういえば自分が懐中電灯以外何も持ってこなかった事にようやく気がついた。
…普通、どんな事情があるにしろ、こうして他の場所から訪ねてくるなら手土産や差し入れを持ってくるのは礼儀。
(…あたし…最低…)
しかしそれさえも忘れてしまっていた事に気がついたあかねは、乱馬に怒鳴られた事も手伝って、何だか急に後ろめたくなってしまった。
「ごめんなさい…」
あかねは、ぎゅっ…と唇をかみ締めながら、小さな声でそう謝った。
「あ、あの、うっちゃん。今日はあかねも一緒にうっちゃん達のテントに寝かせてやってくれないか」
…乱馬は、俯いてしまったあかねを気遣ってわざと話題を代えるべく右京にそう話し掛ける。
「ええよ」
「明日、シャンプーとうっちゃんと一緒にあかねも山を降りるから…」
そして、どさくさに紛れて乱馬はあかねの肩を抱こうと腕を動かそうとしたが、あかねは、自分でも無意識にその乱馬の手を身を捩って交わしてしまった。
「…」
そんなあかねの様子が気になる乱馬は、空を切った手をさりげなく元の位置に戻しながらじっとあかねの事を見ていたけれど、
「右京、ごめんね…」
あかねは、そんな乱馬の方を見ないまま、右京に向って頭を下げた。
「気にせんでえーよ。それよりあかねちゃん、ほんまにそんな格好でここまできたん?スカートやし、それに足。所々切り傷出来てるし…」
右京は、そんなあかねの微妙な変化には気がつかないようで、あかねの普段とは違う雰囲気よりも、しきりに今のあかねの格好を気にしていた。
…こんな夜の山の中、膝が見えるくらいの短いスカートに、薄手のサマーセーター。
かろうじて長めのソックスとスニーカーをはいてはいたものの、誰がどう見ても「山登り」をする姿ではないと言えるその格好に、右京でなくとも思わず気にしてしまう。
「心配かけて、ごめん…」
さすがに自分でも反省をしたあかねは、右京にもう一度頭を下げた。
「うちに謝らんでもえーよ。それじゃ、もうテント行こか?乱ちゃん、あかねちゃん連れてくで」
右京は俯いたままのあかねの肩をぽんと叩きながら、乱馬に向ってそう言った。
「あ、ああ。宜しく頼むよ…じゃあ、あかね。明日皆と一緒に送っていくから…」
乱馬はあかねを気遣って再び声をかけるが、
「ごめんなさい…」
あかねは俯いたまま、小さな声でそう呟くだけ。
「…」
そんなあかねを見る乱馬の表情に「陰り」が見えた事に、勿論俯いているあかねが気がつくはずはなかった。
「それじゃ、乱ちゃん、お休みー」
「あ、ああ…」
「行こ、あかねちゃん」
あかねは、右京に肩を押されるようにして、そのまま乱馬の元から離れてテントへと向った。
「あかねちゃん、来てくれてこんなこと言うのもなんだけど。シャンプーの事な、全然心配する必要なかったで。
乱ちゃん、シャンプーの事なんか全然相手にしておらんかった。さすがは乱ちゃん、うちの許婚や」
…テントに向う道すがら、右京が俯いているあかねに一方的に話し掛ける。
「それにしても、あかねちゃん無事でよかったわ。うちは昼間一人で登ってきただけでもちょっと怖かったくらいなのに。あかねちゃんはすごいなあ。こんな夜遅くにこんな所に一人で」
「…心配かけてごめん」
あかねがそんな右京にぽつんと謝ると、
「だから、うちに謝らなくても別にえーよ?。でもさ、これでまだまだ日本も安全ってことが証明されたってことやね、うん」
右京はそんなあかねにやれやれ…といった表情をして、笑ってみせた。
あかねは、やはりそんな右京の笑顔も見る事が出来ずに、ただ俯いて頷くだけだった。
「あかね、お前も私と乱馬の邪魔をしにきたか!」
…右京が寝泊りしているテント…すなわちシャンプーが寝泊りしてるテント(もとは玄馬のテント)にあかねが右京と共に入ると、
右京の後ろにあかねの姿をさっそく見つけたシャンプーが、むっとした表情でさっそく文句を言い出した。
「うるさい!ええやろ別にッ…どのみち明日、うちらは山をおろされるんやし。それに、人数多い方が帰るのも賑やかでええやろッ」
あかねをかばうわけではないが、ぶっきらぼうなシャンプーに右京がそう反論すると、
「邪魔ばかり増える、これでは私と乱馬、ゆっくり愛し合えないね」
シャンプーはそんなことを言いながらわざとため息をついてみせる。
「何言うてん!乱ちゃんはうちと愛しあってんねやッ」
もちろんそんなシャンプーの発言に右京が黙って「はいそうですか、すみません」と謝るわけもなく、
「やるか!?」
「望むところやッ」
…あっという間に、右京とシャンプーの大喧嘩が始まった。
(…)
その、狭いテントの中でいきなり始まった喧嘩をしている横で。
喧嘩に加わる事も、仲裁をする気力もないまま、あかねは膝を抱えて一人、顔を伏せていた。
…来なければ良かった。
あかねの胸の中には今、猛烈にそんな思いがよぎっていた。
乱馬はさっき、
「明日シャンプーとうっちゃんがが山から降りるとき…」
と、右京と会話を交わしていた。
ということは、あかねが心配しなくても、もう一日待っていれば事は解決し、
「実はさ…」
乱馬はそんな風にして、シャンプーの突然の来訪の事をあかねに話してくれたのかもしれない。
…
「…ごめんなさい」
あかねは、小さな声で呟いた。
…あかねは、乱馬の事が好きだ。
乱馬だって、あかねの事を好きだと言ってくれているし、その気持ちは充分わかってるつもりだった。
でなければ、毎日片道一時間近くかけて、たった三分の電話をかけてきてくれるなんて、出来るはずがない。
それはあかねが一番良くわかってるつもりだった。
出発前に不安げで寂しそうな顔をしたあかねに、乱馬がしてくれた無謀ともいえるこの約束。
乱馬がこの約束を守って毎日電話をかけてきてくれる以上、あかねは、そんな乱馬を信じて待っていなくてはいけないはずだった。
なのに…
「修行の邪魔をする」
…どんな理由があるとはいえ、
「あかねは連れて行けない」
「修行の邪魔になる」
そう言っていた乱馬の、一番嫌がることをしてしまったんだ…あかねは、ようやくそれに気がついた。
「修行に行くの?私も行く!」
「あの子が行くなら私だって…」
…修行をしている乱馬の迷惑を顧みずにするその行動。
「やめなさいよ、そんなこと」
その行動をあかねがそうやって咎めようとするならいざ知らず、
「どうしてそこにあの子達がいるのよ!事実を確かめなくちゃ。それに、私だって逢いたいのに…」
そんな風に少なからず思って修行場に現われたあかねは、
(…あたしも、シャンプーや右京と一緒だ…。修行に専念させてあげなきゃいけないって、一番分かってるはずなのに…)
これでは、「彼女」ではなく、「追っかけ」をしている彼女達と一緒ではないか。
…ようやくそれに、気がついた。
何の為に、乱馬が毎日片道一時間もかけて山を下って、たった三分の電話をしていたのか。
改めてそれを考えたあかねは、身体中から煙が出てしまうのではないかと思うほど…自分の身勝手さが恥かしく、悔やまれた。
「ごめんなさい…」
あかねはもう一度つぶやいた。
ここに来るまでに自分が思い描いていた、自分勝手なその光景…
(あたし、最低…)
そんな事を、描いていた自分が、今更ながら恥ずかしくて情けなくて…あかねは仕方なかった。
その日の夜。あかねは一睡も出来なかった。
テントの中で横にもならず、ただじっと、膝を抱いて座り夜明けを待った。
「あかねちゃん、横になったほうがええよ?寝るときは」
夜中にふと目を覚ました右京や、
「座って寝るなど、あかねは変わり者ね」
口は悪いがあかねを心配して声をかけてくれたシャンプーに、あかねはただ首を振っては座ったまま顔を伏せていた。
…寝る事なんて、出来なかった。
乱馬に突然怒鳴られてからもう数時間も立てるはずなのに、ドクン、と激しく心臓が鼓動して感じたあの時の衝撃が、忘れられなかった
泣くわけでもなく、ただじっと膝を抱いて暗いテントの中に、あかねは座っていた。
そして、空がうっすらと明るくなりはじめた頃。
あかねは、静かにテントの外へ出た。
そして、
「…ごめんなさい…」
きっとまだ目を覚ましていない、眠っている乱馬のテントに向ってあかねは小さく呟くと、そのまま一人、山を下った。
