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→君がいない 3

その、翌日の事。


「乱馬君て、本当の格闘バカっていうの?何か、そればっかりよねえ」
「ホントー。強くなることが趣味ですー、みたいな。今時、珍しいわよ」
放課後の教室で、あたしがカバンの中にのろのろと荷物を詰めている横で、さゆりとゆかがそんな事をぼやいていた。
…乱馬が長いこといなくなってから気がついたけれど、
たまに、さゆりやゆかとの間に乱馬の話題が出ると、彼女達は必ず乱馬に対して、こんなことを言う。
「格闘バカ」…さゆり達の中では、乱馬のイメージってそんな感じなのかもしれない。
確かに、この何でもかんでもOA化と歌われている時代に、父親と山に篭って格闘技の修行…と当たり前のようにそれを実行している事自体が、すでに時代を逆行している証拠なんだけど。
でも、別にあたしにはその行為自体を否定するつもりもないし、受け入れないわけでもない。
あたしだって、格闘技道場の跡取娘という肩書きがある。
だから、格闘バカでも、修行好きでも、それはそれで構わない。
でも…

「乱馬君は、格闘技の事に関するときっと、あかねの事なんて頭になくなっちゃうのねえ…。ろくに連絡をよこさないなんて。寂しいでしょ?あかね」
「あ、あたしは別に寂しくなんて…」
「ホントよ。こーんな可愛い子を、山ごもり中だからってほったらかしにして。自分も寂しくなったりしないのかしら」
乱馬が、修行に出てしまったらろくに連絡をよこさない事。
一週間の予定が、すでに一月近く経つ事。
そして、一週間で帰ってくると思っていた時、強がりながらもそれをあたしが楽しみにしていた事を知っているさゆり達は、
それが叶えられなくてあたしが落ち込んでいるという事が、端からみても分かるのか、そんな事を言っては、あたしの頭を撫でたり同情してくれたりする。
それに加えて、
「て、てててて天道さんっ…。よかったら今日の放課後、映画にでも…」
乱馬がいる時は近寄っても来ないくせに--というか、近寄ろうものならどんな目にあうかわからないと分かっているのか、落ち込んでいる今ならば、心の中にも隙は出来るはずだ。
これを機会に、と、よく知らない男の子が誘いをかけてきたりという事が妙に多くなった。
勿論それに対してはきっぱりと断るあたしだけれど、
さゆりやゆかには申し訳ないけど、同情されればされるほど、誘いを断れば断るほど、なんだかズン…と胸の中が重くなる。


…寂しくないといったら、ウソになる。
ううん、正直言ったら寂しくて、寂しくて仕方がない。
でも、だからってそれを思いっきり前面に出してしまって、
「その気持ちが重い」
とか、
「面倒くせえ女」
とか…そんな風に、その気持ちを拒絶されてしまう方が、あたしは寂しいし、怖い。
寂しいとは思う。
思うけれど、そんなことになった方がもっと、もっとあたしにとっては…辛い。
だから、あたしと連絡を取れないからといって、おば様たちに、
「私のことも聞いてください!」
「私と連絡を取るように言って下さいっ」
とか…そんな事は言えなかった。
あたしがいる時間に次は電話をして、だなんて。
そんなこと、どうしても言えなかった。
だから、
「別に乱馬がいなくたって平気よ。それに、いなけりゃいないで、図書館とかゆっくり寄れるしっ…」
「あかね…」
「乱馬がいると、落ち着けなくって。!あ、それじゃああたし今日は図書館に寄ってから帰るから」
…何て。
誰がどう見ても強がった口調で、そんな風に笑っては教室を飛び出して、


「…」

…今日もこうして、学校帰りに一人、あたしは図書館に向かう。
でも、
実際に図書館に入って、開架されているスペースを横切り奥に設置されている個別の閲覧机。
その一角の、壁側がガラス張りになっている、見晴らしのいい窓際の席に座ったけれど、
「…」
いつもならお気に入りのその席で、大好きな本を読んではくつろぐ事を望むあたしが、
何だか妙に、落ち着かない。
本を開いては適当にパラパラ…とページを送り、パタンと閉じる。
すぐに座ってをたって、また別の本を取りに出る。
それで再び席に戻っても、また適当にパラパラパラ…とページを送って閉じてしまって、本を持ってきても腰を据えて読むことなんて、面白いくらいに出来なかった。
「…」
頭になんて、全然入ってこなかった。
大好きな恋愛小説や、大好きな冒険物語が、何だか異国語。何だか魔法の言葉ででも書かれているような…全然、その内容なんて読み取る事が出来ない。
何を書いてあるのか、全然分からなかった。
頭の中に、何も入ってこなかった。
「…」
…こんな状態では、ここにいる意味がない。
大好きな「本」の独特な香りさえも、今のあたしにはイライラとさせる要素に過ぎない。
「…」
あたしは大きなため息を一つつくと、他の人にも迷惑になる前に…と、席を立って図書館を後にした。



「…」
…街路樹にはさまれたレンガ造りの道を抜けると、車が忙しく行き交う大きな交差点がある。
その交差点を抜けて初めの路地を左に曲がれば、いつもの、「フェンス沿いの道」。
家から学校に通うのに、いつもあたしが歩いている道へと出る。
図書館を出るときにはまだ青空が広がっていたものの、あたしがのろのろとその「フェンス沿いの道」まで歩いてきた時にはもう、大分日は傾いていた。
いつの間にかオレンジ色の夕陽が、フェンスの下の河をきらりと照らして、反射させる。
俯いて歩くあたしの頬が、じんわりとその光に照らされて温かくなる。
白い肌に、オレンジ色の光。
端から見ればのどかなそんな風景も、今のあたしにしてみればこの上ないくらい、不釣合いだ。
あたしは、ぽつんぽつん、と道を歩きながらそんな事を思う。
「…」
…下を向いて歩いていると、ただでさえ下向きな気分になってしまう。
そうだ、何か別のことを考えよう。
乱馬の事ばっかりじゃなくて、何か楽しい事を。
「…」
あたしは自分にそんな事を言い聞かせては気を取り直し、俯いてアスファルトを見つめるのではなく、アスファルトに延びている黒い、自分の影へと目を やった。
…夕暮れの道に伸びる影、一つ。
意外に広いアスファルトの道の真ん中に、ぽつんと黒く、伸びている。
いつも隣を歩いているはずの大きな影がないと、そのぽつんと伸びた影さえも、なんだかとても、寂しそうに見えた。
あたしよりも、一回りも大きな影。落ち着きなくて、あっちいったりこっちいったり、フェンスの上に昇ったり。
そうかと思えば、時々あたしと重なって。
離れたと思ったら、その後はずっと、必ず一ヶ所でその影はあたしと繋がる。
「捕まえた」
繋がって隣を並んで歩く影が、そう述べている。
「捕まっちまった」
そうやってうなだれたような影はしているけれど、でも実は、捕まえられたのは…あたし。
捕まえたはずのあたしが、捕まえられたはずの乱馬に手を引かれるようにして、歩く。
夕暮れ時の、一場面。それが、あたし達の「いつも」だった。


ああ、また乱馬だ。

「…」
あたしは、その場で立ち止まって思わずため息をついてしまった。
…本当に、思う。
今回の事で、あたしは嫌というくらい自分で思い知った---あたしの生活の中には、もう面白いくらい…乱馬が溢れてしまっている事に。
だから、そんな人がたった一月近くいなくなってしまっただけで、…あたしの心の中には、こんなにもぽっかりと、大きな穴が開いてしまうのか。
「…」
…そう思ったら、何だか再び、胸がぎゅっと、締め付けられた。
ぽっかりと足りなくなったその心の部分が、更にぎゅうぎゅうと音を立てて、残った部分を締め付ける。
「そんなに寂しくないもん。…」
…わざと、口に出してそんな事を呟いてみる。
でも、そんな言葉の内容とは裏腹で、そう呟きながらもあたしはぎゅっと、唇を噛み締める。
…そうしていないと、また涙がこぼれてしまうから。
「…」
ぎゅ…噛んだ時に音がするくらい強く噛み締めた唇の痛さを、感じない。
それなのに、目の奥からこみ上げる「熱さ」は分かる。
そんなちぐはぐな自分。
溜め息を小さく吐き出しては、自分の気持ちを落ち着かせようと必死だ。
…変なの。
東風先生のことを好きだった時、そりゃあ東風先生に会えない日は、「逢いたいなあ…」なんて、恋焦がれた事はあった。
でも、
…こんな風に寂しくて仕方が無かったり、心に穴があいてしまって虚無感に駆られたり、自分の時間をどうやって使ったらいいかが分からないだなんて。…そんなこと、全然なかった。
そうよ…ねえ、あたしは乱馬と出会う前の「自分の時間」を、一体どうやって過ごしていた?
「…」
…それさえ、今はもう思い出せない。



ガシャン。


あたしは、道沿いに立てられている、夕陽に照らされて時折光るフェンスの金具を、手でぐっと…握りしめた。
そして、握り締めた瞬間、意識せずに呟いていた。
「…逢いたい…」
…そんな言葉を、再び。


…きっと、その内帰ってくるわよ。
お姉ちゃん達もおば様も、そして学校の皆もそういう。
格闘バカなんだもん。いい加減なんだもん。
そうやって、皆は心配しながらも笑っている。
…そんなの、あたしだって分かってる。
こうやって寂しく思ったって、絶対に乱馬は帰ってくるだろうし。
一週間に一度は家に連絡を入れているから無事だって、分かってるし。
だから、寂しいけどどうにかして気を紛らわせようと、乱馬の事を考えないように努力しようとしたり、皆と一緒に作り笑いしたりしているのに。
一生懸命、努力して努力して、頑張ってるのに。
頑張っても頑張っても、あたしは認識してしまう。


…君がいない。


その、現実を。
あたしの隣に、乱馬がいない。その事を強く強く、感じてしまうのだ。
一人になればなるだけ、こんなにもたくさん、あたしの心は乱馬でいっぱいになってしまう。
満員御礼です。
もう、だれも入り込む隙間なんて、ありません。
この先は誰も、入る事は出来ないのです、あしからず。
…心の中で、そんなアナウンスが勝手に流れてしまっては、他の全てをシャットアウトする。

「…」
あたしは、フェンスの握る力をぎゅっと強めて、もう一度溜め息をついた。
そして、
「…」
フェンスをぎゅっと握り締めたまままた、「あれ」を試してみる。
「あれ」。
そう、この三週間試しては落ち込み、試しては余計に寂しくなるあの「お祈り」だ。




いるか、いないか。そこにある答えは、二分の一。
それに対して、そこに乱馬がいる可能性は何億分の一。
何度試しても、そんなに都合よく叶うはずのない、その願い。
神様に届いているはずのない、その祈り。
この三週間で嫌というほどそれは実証されていた。
でも…それでもやっぱりその天文学的に小さな可能性を信じようとするのは、
…いつでも乱馬が、無理だって思う無茶な事だって、時には強引にこなしてでも、あたしの為に走ろうとしてくれるからだと思う。
だから、だからあたしは、振り返ってしまう。
自分がまた今日も、傷ついたり寂しくなったりする事が分かっているというのに、数億分の一の可能性と、さやかな期待をもって。
昨日も一昨日も。
この三週間いつだって。あたしの願いは叶わなかった。
だめだと分かっているくせに試して、そしてやっぱりダメだと認識させられて激しく落ち込むの。
「…」
ダメなんてわかっている
でも、わかっているけどやっぱり何度もあたしは試す。
そう、こうしてまた、今も。

…神様、お願いします。乱馬が…そこにいますように。
あたしは、目を閉じてそっとそんな事を祈ってみる。
…神様、お願いします。乱馬が…そこにいますように。
「ただいま」
どうか笑顔で、そう笑って立っていますように。

「…」
願う内容は、果てない夢。
いるはずが無いことを思いつつ、あたしはやはり、昨日と同じように目を開け、そしてゆっくりと振り返った。



が。



「ただいま」
…そこには、あたしの望むものが、あった。
「…」
…何で?
あたしがおどろいて、驚いて、驚きすぎて…険しい表情のままそこにあるものを見つめていると、
「なっ…お前、人がせっかく家に着いてすぐに迎えに来てやったのにっ。何だその反応はっ」
初めは笑顔で立っていたはずなのに、あたしのそのあまり良くない反応に対して一転し、その笑顔がむっとしたような表情になる。
笑ったり、怒ったり。
幻ならば、そんな豊かな感情は瞬時に表したりしないだろう。という事は、そこにいるのは…乱馬。
乱馬だ。

「…」
…ホンモノ。
あたしがようやく、口を動かしてそう言葉を発すると、
「ニセモノがいるのか?」
…そんなあたしに対して、乱馬は怪訝そうな顔でそう呟く。
そして、
「随分と遅かったじゃねえか。どこかに寄ってたのか?」
そう言って再び笑顔に戻ると、それまでの逢えなかった期間なんて何もなかったかのように自然に、そして全く変らない様子で、
「さ、帰ろう。帰ってくるまで待ってられなくて、迎えに来ちまった」
ぼーっと、自分を見つめて立ちすくんでいるあたしの、カバンを握っている手に自分の手を伸ばす。
ふわっ…と、乱馬の指があたしの手に触れた。
触れた時間は一瞬なのに、ぽうっ…と温かくなる。
その瞬間、あたしの心の中で、何かがはじけた。
「っ…」
あたしは、乱馬があたしの手を掴みきってしまう前にその手を手で弾いて、
「わっ…な、何…ど、どしたの?」
…手を伸ばそうとしていた乱馬の懐に飛び込んで、そのままぎゅっと、抱きついてしまった。
もちろんいきなり予測もせずに抱きつかれれば驚くのは当たり前だろうけれど、
久し振り…という事もあってか、抱きついている乱馬の身体が、何だかかーっ…と熱く体温が上昇したような気がした。
「…」
あたしは、そんな乱馬の胸にぎゅっと、自分の顔を押し付けてそのままじっと、抱きついている。
乱馬は初めはギシっ…と身体を強張らせていたものの、ようやく自分の中でも落ち着いたのか、抱きついているあたしの身体にそっと腕を回し、一度だけぎゅっと強く抱きしめて離れた。
「…しょうがねーなあ。俺がいない間に、また泣き虫がひどくなった」
「ち、違うもんっ」
「違くねえよ」
そういって、「そんなことないもん」と、あからさまに強がって首を左右に振るあたしの頭を、撫でた。
そして、
「そ、それじゃちょっと、人気の無い神社にでも…」
もう一度ぎゅっと強くあたしの身体を抱きしめながら、乱馬が妙なことをぼそぼそと呟きだしたので、
「人気の無い神社で何するつもりなのっ。さっそくそれかっ」
ドスっ…
「いてっ」
あたしは、それまでの泣き出しそうだった表情を一転させ、
口は悪いがようやく浮かべられるようになった自然な笑顔で、乱馬のみぞおちにパンチを食らわせると、
「…それより、早く帰りたい」
たくさん、話したいこともあるの。
たくさん、くっついていたいの。
たくさん、伝えたい言葉があるの。
「ね?帰ろう。迎えにきてくれたんでしょ」
…逢えた事が嬉しくて、色んな感情が胸を満たす。
言いたい事がたくさんありすぎて伝えきれない。
あたしは、あたしに殴られたみぞおちを顔をしかめながらさすっている乱馬の手を、ゆっくりと取った。
「ちぇっ、しょーがねーな。あーあ、俺、家まで我慢出来るかなあ」
「動物かあんたは」
「だーってよー。何かなー、逢った途端にさー、こう抑えていたものが一気に」
「抑えていたものって何よ」
「あかねが抑えてたのと、たぶん同じもんだよ」
乱馬はそんな事いいながら、そわそわとあたしの手を取り直す。



…久しぶりに繋いだ乱馬の手は、とても、とても大きく感じた。



乱馬は繋いだその手を、しっかりと指を絡めてぎゅっと、強く握ってくれた。
乱馬が強く握ったその手は、一瞬であたしの手も心も包み込む。
温かく包んで、それまで隙間だらけだったあたしの心を一瞬で満たす。
優しくて柔らかい光を、再びあたしの中へと染み渡らせる。
…それは、どんな癒しの魔法でも叶わない力。
世界一の魔法使いだって、きっとこの力には勝てないの。
そう、きっと。



「さ、帰ろうぜ。今日は夕飯前に風呂に入って、食べたら七時には寝るんだから、俺」
「疲れてるもんね。そういう日は早く寝ないとね」
「あかねの部屋でな。おめーも、飯の前に風呂に入っとけよ?夜は入って寝るような時間ねえぞ」
「…あんたって人は。何よ、あたしの事なんてほったらかしにしてたくせに」
「しょうがねーだろ、昼にしか山を降りれねえ場所にいたんだよ」
「何よそれ」
「だから、そー言うのもゆっくり色々話してやるよ」
「うん」
「あかねが起きて俺の話を聞いていられるくらい、体力が残ってたらな」
「あんたその体力はどこからくるのよ。疲れているくせに」
「ばかだな、俺が何のために修行で体力をつけたと思っているんだ」
「この…変態っ」
ボコっ…
あたしの手を引きながらそんな事をぼやいている乱馬の頭を、ちょっと背伸びしては拳で殴るあたし。
そんなあたし達の騒々しい影を、背中から照らすオレンジ色の夕陽がくっきりと映し出す。
夕暮れの道に伸びる影、二つ。
意外に広いアスファルトの道の真ん中を、堂々と占拠した大きさの違う影二つ。
仲良く左右に並んで一箇所で繋がっているその影は、やがて一つに重なって、そしてまた少し離れては、歩き出す。
夕暮れ時の、一場面。あたし達の「いつも」が、そこにあった。



…家に着くまで、あとちょっと。
その間に…まずはそうね、会えた事で驚いてしまったりして言えずじまいだったけど、一番に伝えるべきだった言葉を、乱馬に伝えよう。
きっと、神様が早めてくれたあたしと乱馬の「時間」の歯車を感謝して、まずはちゃんと、乱馬に言おう。
出かけていた人に対して、言う言葉。
待ってた人間が言う言葉。
そして、

…おかえり、乱馬。大好きよ。

いなかった君に対して、ずっとずっと言いたかったその言葉を。

時折重なる影と、夕陽のオレンジ色に頬を染められながら、ぎゅっと強く繋いだ手の温もりを感じつつ、あたしはそんな事を考えていた。

 

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