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First Love 7

 

「…」
乱馬は、あたしの顔を見るなり、いきなり大きなため息をついた。
そして、
「…何であんな所にいたんだ?」
そういいながら部屋のふすまを閉めると、あたしが横たわっているすぐ傍までにじり寄ってきて、そう尋ねた。
「…ぐ、偶然通りかかっただけよ…」
あたしは乱馬に背を向けるようにして再び蒲団を被り、そんな事を言ってみるも、
「嘘つけ。あんな朝早く家を出かけたくせに…家からそんな離れてないあの公園を、偶然通りかかるわけねえだろ」
そんな嘘は、もちろんすぐに乱馬にはばれてしまう。
乱馬は、あたしが頭からひっかぶった蒲団を強引に剥ぎ取ると、
「こないだから、ろくに物も食ってなかっただろ」
「か、関係ないじゃないっ…」
「関係ねえわけねーだろっ」
そういって、蒲団に横たわっていたあたしの身体へと腕を伸ばし、よいしょ…と持ち上げてしまった。
「きゃっ…な、何よっ…」
「いいから」
そして、自分が胡座をかいているその足の上へとちょこん、と乗せると、
「…こうやって乗っけるとすぐ、わかる。ダイエットなんて、必要ねえだろ」
「…」
「昨日だって急に付け毛つけたり。何かおめー、最近変だぞ?」
そういって、膝に乗っけたあたしの手を、きゅっと握った。
「…」
あたしは、そうやって自分の手をきゅっと握る乱馬の一回り大きな手を、じっと見つめた。
「…ごめんね」
あたしは、そんな乱馬の手に向かって一言、そう呟いた。
「ごめんね、ってなんだよ」
もちろん、それが何の事だか分からない乱馬は、俯いて呟くあたしの顔を覗き込む。
「…邪魔して、ごめん…」
「は?」
「せっかく、環さんと会えるのを楽しみにしていたのに…」
あたしは、ボソッとそう呟いて、乱馬の膝の上から滑り落ちるように身体を動かし、蒲団の上へと座る。
「別に、そんなこと気にすんなよ」
「でも…」
「別に今日ゆっくり出来なくたって、また今度逢う約束だってしたしさ。それにオメーの身体の方が大事だろ」
乱馬は、そんなあたしを安心させようと、
そして、あたしの身体を気遣ってそう言ってくれたのかもしれない。
…でも。
「…」
あたしの耳には、「オメーの身体の方が心配」という乱馬の言葉よりも、
『また今度逢う約束をした』
…その言葉の方が、酷く耳に残った。
ズキ…と、あたしの胸の奥が再び大きく軋む。
「…また今度逢うんだ」
あたしが声が震えるのを必死で隠すように、小さくそう呟くと、
「ああ、来月もこっちに来る事があるらしい。それにあいつの連絡先も分かったし」
乱馬は、あたしの質問にさらっとそう答える。
その答えに、あたしはぎゅっと唇をかみ締めた。
「…」
「来月は、比較的ゆっくりと時間が取れるみたいなんだよな」
だったら来月はアイツにメシでもおごらせるかな。
乱馬は、そうそのまま続けるつもりだったのかもしれない。
でも、
「お、おいっ。何だよっ…」
続けようと思われていたその言葉は、そんな言葉へと変っていた。
なぜならそれは…あたしがぎゅっと唇を噛んだまま、肩を振るわせ始めたから。
そしてあたしがそのまま、大きな涙をぽつん、ぽつんと蒲団の上へと落としたからだ。
「な、何だよ、急に泣いてっ」
乱馬は、おろおろとした様子で、近くにあったティッシュの箱を、箱ごとあたしに差し出す。
「…」
あたしは、そのティッシュの箱を手で乱馬へと押し返した。
そして、ごしごしと自分の服の袖で涙を拭く。
「おい…」
「…よかったね」
「何が?」
「…また環さんに逢える機会が出来て」
「あ?まあなあ…一応昔なじみだし」
乱馬はティッシュを一枚箱から抜き出し、まだうっすらと濡れているあたしの頬へと宛てる。
「…平気だから」
あたしは、そんな乱馬の手をそっとのけるようにして、俯く。
「なあ、何かお前変だぞ?やっぱ病院に行くか?連れて行こうか?俺…」
「あたしの事は…」
「え?」
「あたしの事は言いから。環さんの所に戻りなよ…乱馬」
「はあ?何言ってんだよ。そんなことより、今はオメーの方が…」
乱馬は、そんなあたしに対して心配そうな顔で声をかけてくれたけれども、
「いいからっ…もう、いいから」
…そんな乱馬の気持ちも、今のあたしには何だかとても…痛い。


あたしが邪魔をしてしまおうが、こうやって邪魔をしなかろうが。
やっぱり運命には、逆らえないんだ。
乱馬は、あたしの知らない所で…環さんと次に逢う約束をしていた。

…そう思うと、何だか胸が…痛い。
イヤだ。
いやだ、いやだ。
また来月も、こんな事を考えながら…乱馬が環さんと逢う時間をやり過ごさなくてはいけないのか。
そう思うと、それだけでまた…胃が痛くなる。


…でも。
「…」
環さんは、とても優しい人だった。
写真で見た、美しい女性。
美しいのは姿かたちだけじゃなくて、その内面も、だった。
公園で具合を悪くしたあたしに、そう、事前に顔を知っていたあたしとは違って、環さんにとっては「初対面」だったあたしに…躊躇することなく手を差 し伸べてくれるような人だ。
こんな風に、嫉妬に駆られて、環さんにお礼もそこそこ八つ当たりをするあたしなんかとは違って、困っている人を見かけたら、迷うことなく助けてあげようとしてくれるような人。
…そんな人には、かないっこ無い。
そんな素敵な人が、初恋の人が手の届く場所にいるようになったら…こんな卑屈なあたしなんて、叶うわけが無い。

……
「…いいよ」
「は?」
「あたしの事は気にしないで、乱馬の好きにしていいからっ」
「何が?」
「乱馬がこの先、誰を好きになっても…あたし、我慢するからっ…」
「我慢?」
「あたし以外の人を選んでも…それを受け入れるように努力する…」
あたしは、再び蒲団を引っかぶって乱馬に背を向けようと身体をひねった…つもりだった。
けれど。
「何を訳の分からない事を言ってんだ、おめーは」
あたしが蒲団を引っかぶるよりも一瞬早く、乱馬があたしからその蒲団を奪い去ってしまった。
「きゃっ」
その反動で、ゴロン…とあたしの身体は乱馬の前へと転がりだされる。
「何でオメーが具合が悪いのと、俺が別の誰かを好きになるのと関係があるんだ」
乱馬は、奪い去った蒲団をポイっ…と遠くへと投げると、自分の方へと転がってきたあたしに再び手を伸ばしてその 身体を捕まえる。
「やだっ…」
あたしがその乱馬の手から逃れようとすると、それより一瞬早く、乱馬はあたしの身体をぐいっと自分の方へと持ち上 げる。
「さっきから訳がわかんないことばっかし言いやがって。お前、おかしいぞ?」
乱馬はそういって、自分の方へと引き上げたあたしの顔へとぐっと顔を近付ける。
「…っ」
あたしは、そんな乱馬からさっと顔をそむける。
「…キスするのを拒まれるような事を、俺はした覚えがねえんだけどな」
乱馬は、そんなあたしの態度に不満なのか、そむけた顔を強引に自分の方へと向かせる。
そして、
「…それに、泣かれるようなことをした覚えもねえんだけど?」
「…」
「…なあ、どうしたんだ?俺には言いにくい事でもあんのか?」
「…」
初めは、自分を睨んだまま何も言葉を発しないあたしに声をかけていたけれど、
「…隠したってダメだもん」
「は?」
「あたし…知っちゃったんだもん」
「何を?」
…乱馬の気持ちが本当は、環さんに…いや、初恋の人にあるって言う事を。
「…」
心の中では、そう叫んでいた。でも、それを口に出してしまうのが怖いあたしは、その言葉を飲み込んだ。
口に出した瞬間、それは「現実」。
憶測や予感ではすまない「現実」となってしまう。
それがわかっているからこそ、あたしはその言葉を口に出さずに飲み込み、黙り込んだ。
「知ったって、何を?」
「…」
「はあ?一体何を知ったんだよおめーは…。わかんねえなあ」
乱馬は、そんなあたしを初めは怪訝そうに見つめそうぼやいていた。
でも、
「オメーが何かを知っておかしくなるような事なんて、悪いけど俺には全然心当たりが…」
そんな事を呟いている途中に、不意に…口をつぐんだ。
「…」
口をつぐんだ乱馬は、ごくり、と息を飲み込んだ。
「心当たり…」
そして、そう呟いてからハッと表情を改めると、
「…お前まさか…」
…あたしの顔を食い入るように見つめる。
あたしは、そんな乱馬に小さく頷いて見せた。
「…」
乱馬は、そんなあたしの顔を真剣な表情で見つめていた。
あたしは、そんな乱馬に対してもう一度小さく頷いた。
「…いつ、気がついたんだ?…」
乱馬は、そんなあたしに対して、さっきまでとは打って変わったような静かな口調で尋ねた。
「…おかしいなって思ったのは、二週間前から…」
…そう、あの日。
居間で皆で旅行番組を見た、あの日。
あの日から、あたしの心には何だか嫌な予感が過ぎっていた。

「二週間前に、予感はしていたの…」
「…」
「…でも、確信したのは…今日。…」
「…そうか…」
乱馬は、そんなあたしを見つめて一瞬黙った。
けれどすぐに、
「…それで一人で悩んでたのか」
「…」
「…ばかだな、おめーは」
「だって…」
…口に出したら、それが急に「現実」となってあたしを襲ってきそうだったから。
信じたくない、認めたくないと思っていても、それを口に出したら…認めざる得ないって、思ったんだもん。…
あたしは小さな声でそう呟いて、少し、涙ぐむ。
そんなあたしに対し、乱馬はちょっと真剣な顔を見せ、
「口に出すも出さないも、それが現実なんだから。目、そらすのはよそうぜ」
「ら、乱馬…」
「確信があるって事は、それは紛れもない事実だ」
「!」
「…なんか…悪かったな。二人の問題なのに、オメーだけ悩ませてて」
「…」
「俺、いつも自分の事ばっかりしか考えてなくてさ…」
「乱馬…」
「自分がよければそれで良いって…それって最低だよな。ごめんな…あかね」
と、静かな口調で呟いた。
『自分さえ良ければ』
…その言葉に、あたしはズキ、と胸を突かれる。
乱馬の心の中では、もう環さんへの気持ちが固まって、彼女との楽しい未来を想像しているのか…そう考えると、最後に乱馬が呟いた「ごめん」という言葉さえも、耳には届かないくらい気が動転する。
「…でも、オメーだけが悩む事じゃねえだろ。これは俺たち二人の問題だ。そうだろ?」
「…」
「…オメーの言いたい事とか、思ってることは分かる。俺に対して言いたい事だって、分かる。文句だって言いたいよな?」
「…」
「でも…オメーには悪いが、俺の気持ちはもう決まってるから」
そういって、さっきまでの優しい表情を、さっと改めて大きく深呼吸をした。
そして、
「…こうして二人で話して、その事実がゆるぎないものであった以上、俺たち、このままでいるわけにはいかねえな」
そう言って、あたしの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「っ…」
その乱馬の言葉を聞いて、あたしはビクン、と身を竦めた。
…やっぱり、そうなんだ…。
『…こうして二人で話して、その事実がゆるぎないものであった以上、俺たち、このままでいるわけにはいかねえな。』
それって…環さんに心が動き始めているって事だ。

運命、なのかなこれは。
あたしは、グワングワン…と耳鳴りしてボーっとしてきた頭の片隅で、ふとそんな事を考えた。
どんなに深い関係になっても、一緒に住んでいても、運命で結ばれた二人には、叶わないって事なんだろうか…。
数年ぶりに再会して、ほんの数時間しか会っていない人でも、それが運命の相手だったら…
それまで付き合っていた女の子のことなんてすぐに振り切れるような、そんな感情がうまれることってあるんだ な…。

「…じゃあ、お父さん達にもちゃんと言わなきゃね」
…意識をしっかりと持たないと、こうして吐き出す言葉さえも、声が震えて出て行かない。
あたしは、蒲団のシーツをぎゅっと握りながらそう、呟いた。
乱馬の気持ちがあたしに無いのが分かっているのに、このまま許婚ではいられない。
だとしたら、ちゃんと「婚約解消」。カタをつけなくてはいけない。
…願わくば、
『ちょっと待てよ。やっぱりもう少し考えさせてくれ。』
乱馬がそう言い出してくれますように…そう、これはあたしがかけた、最大のカマ。
言葉とは正反対に、あたしはそんな事を最後の望み、と祈ってみるけれど、
「俺から話すよ。おめーは、俺の隣で座ってればいい」
乱馬は、シーツを強く握り締めて俯いているあたしの身体にぎゅっと抱き付いた。
その乱馬の口からは、あたしが祈るような言葉は一向に吐き出される機会は、ない。

「…もう、乱馬の考えは変らないの?」
…いや。
やっぱり、いや。
乱馬が環さんに惹かれているのが分かっても、でもやっぱりこのまま許婚解消はイヤ!
乱馬と別れるの、ヤダ…。
「お父さんたちに言うの、もう少し後にしたい…」
自分から言い出したにも関わらず、あたしの心は揺れる。
もう少しこのままでいて、そして乱馬の環さんへの熱が冷めるのを待つ…辛いけど、それじゃあダメなのかな。
一時の気の迷いだったら、我慢する。
あたしにとっては、辛い事よ。でも、それで乱馬があたしの元に戻ってきてくれるのなら頑張るからっ…。
「何事も無かった」
…いつかはそう思うように頑張るから。
ねえっ…

あたしがそんな事を思いながら涙を浮かべて黙り込んでいると、
「後にしたらしたで、その方が厄介だろ。だったら、はっきりした時点で言った方がいいだろ」
…乱馬の答えは、あたしの望むようなものでは、無かった。
「…」
「それに…どんなに後のばしにしても、俺の気持ちは絶対にかわんねえ。あとはおめーの心の整理次第だけど、俺はもうおじさんに言ってもかまわねえと思っている」
乱馬は、真剣な顔でそういって、抱き締めているあたしの頭を優しく撫でた。
「…やだ…」
その手の優しさと、それでも心は変らないという無情な真実。
そのギャップに、あたしはボロボロと涙を流す。
止めようとしても、もう止まらなかった。


…事実が、受け入れられない。
「別れ」があまりにも突然すぎて、頭ではそれを受け入れる事なんて出来ない。
それなのに、こうして涙だけが溢れ出てくるのは…きっと「心」が泣いているから。
ぎゅっと締め付けられた心が、痛いと悲鳴をあげている。
我慢をするなと、心があたしに訴えかけている。
好きで、好きで仕方がないその思い…でもそれをもう受け止めてはもらえないんだと。
それを理解できなくて、その事が更にあたしの胸を、いたずらに強く締め付ける。
…結ばれるのには、長い長い時間がかけられるのに、どうして「別れ」を迎えるのにはこんなに時間がかからないのだろう。
思いを通わすのと同じくらいの長い時間をかけて、二人の関係を見つめ直す事。
どうして、そうやって考えてはくれないのだろう…



「…そんなにやなのか」
…と。
そうやって自分に抱きつきながら我慢することなく涙を流すあたしに、乱馬が少し低い声で、そう呟いた。
「…あたりまえじゃない…」
あたしが、激しくしゃっくりをあげながらそう呟くと、
「乱馬はいいかもしれないけどっ…あたしは…あたしはこんなの嫌よっ」
そういって、乱馬の身体を突き放すように胸を手で押す。
「何でそんなに嫌なんだよっ」
と。
そんなあたしに対して、乱馬は少しムっとしたような表情を見せた。
「何でって…何でそれもわかんないのよっ」
そんな乱馬に対して、さすがにあたしカチン、と来た。
それまでは「別れ」という事に対して悲観的になっていたあたしだったけれど、この乱馬の言葉を聞いた瞬間に、その悲観的な感情は一気に「怒り」…そう、身勝手なこの男に対しての怒りへと変った。
「分かるわけねえだろ!俺には、おめーのその考えの方がわかんねえよっ」
「何よ!悪いのは…悪いのは最終的には乱馬じゃない!」
「お、俺だけのせいじゃねーだろ!お前だって半分は責任あるだろうがっ」
あたし達は、そうやってお互いの顔を見ながら激しくいい合いを始める。
そして、感情が高ぶったあたし達は、同時にお互いが不満に思うその胸の内を叫んだ。
…が。


「何よ、卑怯者!最低男!そんなに初恋の人がよければ、今すぐ別れてやるわよ!さっさと環さんの所に行けばいいじゃない!」
…そうやって、ボロボロと涙を流しながらバン、と蒲団を手で叩くあたしと、
「子供が出来たのは、俺たち二人の責任だろうが!それに俺は、いい加減な気持ちでおめーを抱いたりしね え!最初からそのつもりで…」
…そうやって、真剣な顔で叫ぶ乱馬。



…は?
あたしたちはお互いが大声でそう叫んでみるも、お互いが叫んだその言葉の内容が、全然かみ合っていない事に気がついた。

「へ?こ、子供…?」
「初恋?環が?誰の?」
しばらくの間、あたし達はお互いが叫んだ言葉を踏まえじっと顔を見合わせてしまった。
「子供って…誰の?」
「初恋の人って?環が?」
少し落ち着いてから、そうやってお互いの顔を見ながらお互いが叫んだ事を確認しあってみるも、どうにこもうにも、やっぱり言葉がかみ合っていない。
…ちょっと、待って?
あたしは乱馬と今、乱馬が環さんへ心変わりしてしまったことを話し合ってるんだよね?
許婚を解消する、しない。別れる、別れないの話をしているんじゃなかったの?
それが、何?
子供って、何の事?

「あの…乱馬、子供って…?」
いくら考えても、乱馬の言っている言葉の意味が分からない。
なので、あたしがたまりかねて乱馬にそう尋ねると、
「え、だっておめー…子供が出来ちまって、それで困って泣いてたんじゃ…」
「あ、あんた何言ってんの?」
「に、二週間前からおかしいって思ってたって言ってたじゃねえかっ…そんで今日、病院に行ってはっきりと…あ、あれ?!」
乱馬は、妙なことを口走りながら、見る見るうちに顔を真っ赤にさせていく。
「あたしに、子供?!」
…は?
え、ちょっと待ってよ。
それじゃあ何?
さっき乱馬があたしに言っていた言葉は、「あたしに子供が出来た」と思い込んで言っていたって…こと?
『オメーの気持ちは分かるけど、俺の気持ちはもう決まっている。』
とか、
『俺からおじさんに話す』
とか
『後にしたらしたで、その方が厄介だろ。だったら、はっきりした時点で言った方がいいだろ。』
とか。
あまつさえ、
『子供が出来たのは、俺たち二人の責任だろうが!それに俺は、いい加減な気持ちでおめーを抱いたりしね え!最初からそのつもりで…』
とか何とか…言ってなかったっけ?
あたしに子供が出来たと思い込んで、そう言ったわけでしょ?

やだ、乱馬ったら。な、何言ってんのよ。
「…」
い、意外なところで乱馬の気持ちというか誠意を確かめてしまった。…
そんな事を思いながらあたしも顔を赤らめていると、
「お、俺の事はともかく!おめーのその、環が俺の初恋の人って言うのは何だっ」
乱馬は、真っ赤になったまま妙に裏返った声で、今度はあたしにそう質問をしてきた。
「何だって…だってそうなんでしょっ」
「だから、何がだっ」
「だからっ…環さんが、乱馬の初恋の人なんでしょ!さっきまでここにいた、あの美人な人がっ…」
あたしは、ハッと我に帰って乱馬にそう主張するも、
「環が俺の初恋の人?そんなわけねえだろ」
さっきとは打って変わって、乱馬は妙に冷静な口調であたしにそう告げる。
「嘘よっ」
「嘘じゃねえよ」
「だって、写真だってわざわざ送ってもらったんでしょっ…電話でだって楽しそうに話していたしっ…」
「写真はアイツが勝手に送ってきたんだし、それに昔馴染みからの電話は、楽しいに決まってんじゃねえか」
「それだけじゃないもんっ…」
「それだけだって。それに、環が俺の初恋の人なんてありえねえよ」
「何でよっ」
あたしは、一向に事実を受け入れようとしない乱馬に少し苛立った口調で叫んだ。
が。
次の瞬間乱馬の口から告げられた言葉の続きに…あたしは思わずぽかん、と口を開いてしまった。


「だって…環は男だぞ?何で俺がヤロウに惚れなきゃいけねえんだよ」

「お、男って何よ!さっきまでここに居たあの女の人が、男だって言うの!?」
…それでも、騙されてはいけないとばかりにあたしは反抗する。
公園であたしを解放してくれた彼女。
さっきも、あたしの蒲団の脇に座ってあたしを看てくれていた彼女。
その物腰や雰囲気、そして香り…あれはどう考えたってその人が元から持っているもの。
「作った」女らしさではない。

「嘘つきっ…乱馬の嘘つきっ」
あたしが、蒲団の上に転がっていた枕を乱馬に投げつけながらそう叫ぶと、
「嘘じゃねえよ。さっきまでここにいてオメーを看てくれていたのは、環の婚約者の美和さん、て人だ。環が今週東京に来たのは、襲名披露と…この美和さんとの事を関東の門人に披露するパーティーに出席す る為なんだってさ。もっとも婚約者って言っても実際には籍はもう入れちまっているみたいだから、奥さん、ていうのが正しいんだけど」
乱馬は、あたしの投げた枕をしっかりと両手で受け止めながらそう答える。
「う、嘘よそんなのっ…!」
そんな乱馬の言葉に、あたしはだんだんと混乱してくる。
「嘘じゃねえよ。それに美和さんは、友達がこの近所に住んでいるらしくて…そんで一足先にこっちに来ていたみてえだな。だから今日は、環とは現地集合。そんで…その途中におめーを見かけたんだと」
乱馬は、はあ…とため息をつきながらそう説明を続ける。
「嘘よ!だって公園であたしが彼女に名前を聞いたとき、彼女環って言ったのよ!?」
「だから。籍いれてんだから間違えじゃねえだろっ」
「どうしてよ!」
「環 美和。その名前のどこがおかしいんだよ」
「…は?」
「だから。環が名字で美和が名前だろ?お前だって、見ず知らずの人に名前を尋ねられたら、『天道』って答えるだろ うが」
いきなり下の名前はなのらねえだろ。乱馬は、少し呆れたような口調でそう続ける。
「…っ」
あたしは、更に頭が混乱してくる。
「じゃ、じゃあ何でその…美和さんて人の写真を環さんが送ってくんのよっ。それに、大事に持っていたりしてっ…」
「他人の婚約者の写真送ってこられて、無造作に捨てちまったら夢見が悪いだろうが」
「そ、そうだけど…」
「それに写真は…その…・」
乱馬は、その言葉の続きを説明しようかしまいか少し迷っているようだった。
でも、意を決したのか、
「環の野郎が、あんまりにも自分の婚約者の事かわいいって言い張るからっ…」
「…」
「だから…その…俺が、その…」
「…」
「俺の許婚の方が可愛いって対抗したら、絶対うちの方が可愛いからって…勝手に写真を」
乱馬はそういって、ポリポリと頭をかきながら、小さな声でぼそぼそとぼやいた。
「じゃ、じゃあ…あたしをその環さんと逢う席から遠ざけようとしたのは何でよ」
信じられないようなくだらない話に、あたしがそう尋ねるも、
「だ、だからっ…例え婚約者がいてもっ。おめーのこと気にいっちまったら困るだろうがっ」

…はあ?

何だかよく分からないその乱馬の言い訳に、あたしがぽかんと口を開けてしまうと、
「そん時は籍をもう入れているって知らなかったしっ…環が今日のお披露目会を済ませた後にちゃんと、あかねの事 は紹介してやろうかと思って」
乱馬は、更にばつが悪そうな素振で頭をポリポリとかいている。
あたしは、何だかそこまで話を聞いたはいいが…くらくらと眩暈を起こしそうだった。

…何、それ。
それじゃあ、あたしの勝手な勘違いって事?
あたしは、男の人相手にやきもちを焼いて、挙げ句の果てに、全然無関係な人の優しさまで跳ね除けようとしてたって事?

「やだ…じゃあ、美和さんに悪い事しちゃった…」
そうよ、あたしは何も悪くない美和さんに、すごく失礼な事をした。
あたしがボソッとそう呟くと、
「後で謝っとけよ。俺も一緒に謝ってやるから」
乱馬も、ゴホンと咳払いをしながらため息をつく。
そして、
「もしかしておめー、そんなくだらない勘違いをして勝手に悩んでいたのか?」
「し、仕方ないでしょっ…ちゃんと話してくれない乱馬が悪いんだから!」
「だからって、勝手に思い込んで悩んじまう事はねえだろうが」
「うー…」
「…ほら、じゃあ下に来いよ。改めて環に紹介するから」
「え?」
「オメーの事。それに、美和さんにも謝るんだろ?」
…そういって、座り込んでいるあたしの頭をぽんと叩いた。
「…うん」
あたしは、何だかまだ混乱したままの状態でそう返事をすると、
「具合はもう平気か?」
「うん」
乱馬に手を引かれるまま、階段を降りて右京や環さん達がいる下のお店へと降りていった。
…下のお店には、右京と美和さん、そしてあたしがまだ見た事の無い男の人がテーブルについていた。
あたし達よりも少し年上の、色が白い男の人。
長く伸ばした髪を、きっちりと後ろで結わえている。なるほど、乱馬と同じようにお下げを結えそうな長さは、ある。
そして、山吹色の綺麗な着物をきっちりと着こなし、優しそうな笑みを浮かべていた。
どうやら、その男の人が「環」さん。
ちゃんと名前を覗ってみると、フルネームは「環 悠一郎」さんとおっしゃるそうだ。
右京の、以前の環さんに対しての説明は本当に間違ってはいなかったんだ。
あたしは妙な関心をしてしまった。
「あの…さっきは本当にごめんなさい…」
あたしは、先ほどの無礼をまずは乱馬と共に美和さんへ謝った。
そして、今度はあたしが…この環さんと美和さんの話を二人の口から改めて聞くことになった。
…それによると、だ。
環さんは、あたし達よりも実際は四歳年上なんだそうだ。
つまり現在二十歳。もう、ちゃんとした大人だ。
大阪のとある茶道の家元の一人息子で、先ごろ正式にその「家元」の名を襲名。
それと同時に、幼馴染でありその茶道の流派の門下生でもあった美和さんと結婚されたそうで。
関東にも流派の門下生がいるので、美和さんとの事を紹介するべく…この週末に東京でパーティーを開くそうだ。
で、そのついでに…この間のTV番組がきっかけで再び連絡を取り合った昔馴染みの右京、そして乱馬に逢いに来 たということ。
どうやら乱馬がTVを見ながら「月がきれいだ」とぼやいていたのは、本当にTVで映ったあの場所は「月」の名所で、子供ながらに大きく、美しく映えた黄色い月を見て純粋に感動したからという、ただそれだけのようだ。
だからこそ、一緒にいた環さんの事も覚えていなかったし、何で自分がそこにいたのか(実際には迷子になった環さんを探しに行った帰り道みたいだったらしいが)さえも覚えていなかったらしい。

その環さんも、今日は、こうしてお茶を飲んだり皆で話したりするくらいしか時間が取れないけれど、来月にまた東京に来る時…どうやらこの美和さんと海外に新婚旅行に行くらしく、その準備で買い物の為に上京し てくるらしいが、その時は、今度はホテルで食事でもおごる…環さんは乱馬や右京とそんな約束をしたそうだ。
もちろんその時にはあたしも紹介すると、乱馬は環さんに話していたみたいで、
「いやー、電話で聞いていた印象よりも全然ええわ。可愛らしいなあ」
環さんは、そんな事を言いながら乱馬の横にぼーっと突っ立っているあたしの頭を撫でる。
「そらどうも」
乱馬はあたしの事をかばうように、あたしの身体を後ろへと隠してしまう。
環さんと美和さんは、そんな乱馬の様子をにこやかに笑いながら見つめる。
「環と美和さんに負けないくらい、乱ちゃんとあかねちゃんも仲がええんやで」
右京がそんな補足を入れると、
「二人の結婚式には是非呼んでな。大阪からでも駆けつけるよって」
環さんはそういって、乱馬の肩をぽん、叩いていた。
「祝儀は多めにな」
「あたりまえやろ。昔馴染みやし。それにあかねちゃんの可愛ええ姿見られんやったらなんぼでも包んだる」
「…呼ぶの辞めようかな」
「冗談やって」
「う、うるせーっ」
乱馬が真赤になってそう叫んだ瞬間、環さんも、美和さんも、そして右京も。皆がどっと笑い出した。
とっても、温かい笑い声。
その場の温度も、部屋の中にヒーターがついているとは分かっていても、それ以上に温かく感じた。

…なんだ。あたし一人の、勝手な勘違いだったんだ。

あたしは、そんな楽しそうな皆と一緒に、さっきまでとは比べ物にならないくらい明るい気持ちで笑い出すも、
「…」
それでもたった一つだけ。
まだどうしても納得できない事があって、どうしても心から笑う事が出来なかった。
そう、それは…







「ねえ」
「何だよ」
「わからない事が一つだけあるの」
…楽しい時も、あっという間に過ぎ。
門下生達とのパーティー会場へと向かう時間を迎えた環さんと美和さんを、駅まで送ったあたしと乱馬は、少し遠回りをしながら、夕暮れの道を家へと向かうべく歩いていた。
そこであたしは、どうしても分からない事…そしてどうしても心に引っ掛かっている事を、乱馬に尋ねてみた。
「環は男だ。写真は、美和さん。…あとは何がわかんねんだよ」
あたしと手を繋いで道を歩きながら、乱馬が不思議そうな顔をする。
「うん」
あたしは、そんな乱馬に、思い切って尋ねる。
「…乱馬の初恋の人って、結局誰だったの?」
…そう、それは乱馬の「初恋の人」の事。
乱馬を苦しいぐらいに好きにさせたその相手が、結局はまだ分からずじまいだった。
「右京?」
「違うよ」
「じゃあ、誰よ」
「なっ…い、いいじゃねえか、もうその事はっ」
…すると乱馬は、また顔を赤くしながら黙り込んでしまう。
「ねえ、もういいじゃない教えてくれたって」
「な、何でそんなに知りてえんだよ」
「乱馬のことだからっ。それに…髪が長くて、しっかりしていて可愛くて…って。そこまで聞いたら、やっぱり気にな るんだもん」
「俺は気になんねえよ」
「あたしはなるのっ。乱馬が苦しいくらい好きになった人なんだよ…気にならないって言う方がおかしいもんっ」
あたしは、「ねえ、ねえっ…」と繋いでいる手をブンっと大きく振ってみる。
「…」
乱馬は、真っ赤な顔をしたまま言おうかどうしようか、迷っているみたいだ。
「…」
そんな乱馬に業を煮やしたあたしは、
「もー!教えてくれなきゃ…」
そういいながら乱馬の手を振り切り、すぐ近くに見えてきた公園に駆け込んだ。
そして、公園の中央に設置されている滑り台の上へと昇ると、
「この滑り台から、誰かが見ている時を見計らって、スカートの中丸見えで滑り落ちてやるっ」
…そう叫んでやった。
「…あのなあ」
「今日は、可愛い下着つけてるんだからっ。惜しげも無く、他の人にも見せてやるんだからっ」
「…」
乱馬は、そんなあたしを呆れたような表情で見、そしてため息をつくと、
「他の人には見せなくていいから。教えてやるから降りて来い」
そういって、あたしのいる滑り台までゆっくりと歩み寄ってきた。
「…」
あたしがその言葉を信じてぴょん、と滑り台から飛び降りると、
「目、つぶって」
乱馬はそういってあたしの手を取った。
「なんで?キスして誤魔化そうとしてもダメだからねっ」
「わかっているっての。いいから目、つぶれ」
「うー…」
あたしは、不本意ながら、素直に目をつぶる。
「ちょっとこのまま歩くぞ」
「え?」
「ゆっくりな」
乱馬は、目をつぶったあたしの手を引きゆっくりと歩きだした。
…歩いた感じだと、どうやら公園の外に出て行くわけではないみたいだ。
滑り台の脇をグルっと回って…ほんの五歩、ぐらい。
あたしの記憶が正しければ、滑り台の周りには砂場か、ちょっとした鏡つきの水のみ場くらいだ。
砂場に、何か埋まっているのかな?
「…?」
あたしがそんな事を思いながら首をかしげると、
「目、あけて」
立ち止まった乱馬が、今度はあたしの背後に立ってあたしの肩をがっしりと手で掴みながらそう言った。
あたしは、乱馬に言われたとおりにゆっくりと目を開ける。

…目を開けたあたしの瞳には、あけたのと同時に一人の女の子の姿がが映った。
パッチリとした大きな瞳に、くるんとした睫毛。
肩につかないくらいの、バッサリと短く切られた髪。
あたしが瞬きをすれば、鏡に映っているその女の子も瞬きを…
…ん?

「…ちょっと」
「何だよ」
「何がしたいのよ」
「何が」
「初恋の人を教えてっていっているのに、何で鏡を見せるのよっ」
「…」
「映っているの、あたしじゃないっ。なんであたしを…」
あたしは、乱馬の真意を初めは理解できなくてそう喚いていた。
けれど、
「…あたし?」
あたしがようやくそれに気がついて、乱馬のほうを振り返りながらそう呟くと、
「だからその…そういうことだっ」
乱馬はちょっと照れたような表情をしながら、ふぃっとあたしから顔をそむけた。
そんな乱馬に対して、
「だ、だって…髪の毛が長くてって言ったじゃないっ」
「おめー、昔は長かったじゃねーか」
「可愛い女だって言ったじゃないっ…」
「可愛いと思ったから好きになったんだろーが」
「だ、だってそれに…初恋は実らないものだって言っていたじゃないっ。あたしとはちゃんと付き合っているのに、何 でそんなこと…」
あたしは自分が引っ掛かっていた事を次々とぶつけてみる。
でも、
「実らなかったじゃねーか、初恋は」
「え?」
「おめーは、その…別の人を好きだったじゃねーか」
「…」
「初恋は実らなかったけど、次の恋はちゃんと…。だからっ…その…」
乱馬はそういって、あたしの傍から離れた。
そして、照れ隠しなのか近くの砂場へと駆け込むと、しきりにその砂を指でガシュガシュと掘り返しながら叫んだ。
「初恋の人と同じ人を次も好きになったっていーじゃねえかっ」
乱馬はそう言ったきり、口を閉ざしてしまった。
手だけは、とどまることなく砂場の砂を掘り返している。
乱馬の手の周りだけは、そこが見えないくらいの深い穴が出来上がってしまっていた。
「…次の恋ってことは…。乱馬は、いつあたしを好きになり直したの?」
あたしが乱馬のすぐ横まで歩み寄りしゃがみながらそう尋ねると、
「よくわかんねえ」
「何よそれ」
「でも…」
「でも?」
「…髪の毛、短くなっちまって。先生の所で泣いたおめーと一緒に歩いたあの道で見た笑顔は」
「?」
「…すげえ可愛いと思った」
乱馬は、今度は素直掘るのはやめて、周囲の砂をかき集めて山を作っていた。
ぺんぺん、とその山を叩いては固め、そしてまた積み上げていく。
「…ふーん。乱馬は、あたしが初恋の相手だったんだ」
あたしは、そんな乱馬と同じように、周囲から砂をかき集めては積み上げて手で叩く。
「何だよ、悪いのかよ」
照れ隠しなのか、乱馬はぶっきらぼうにあたしに反論するけれど、
「そんな事言ってないでしょ。…ありがと」
あたしは、乱馬にそう呟いた。素直な、気持ちだった。
「べ、別に礼なんて言われることじゃねえよっ」
「ふふ…照れちゃって、可愛いいなあ」
「ばっ…て、照れてなんてねえよっ」
乱馬は、やけに落ち着きない手つきで砂を積み上げつづける。
おかげで、初めは小さな「山」だったのが、今では立派な「塔」のようになってしまった。
「あーあ、もう。これじゃしょうがないでしょ」
あたしはその出来上がった「塔」の真ん中辺りに指でトン、と衝撃を与える。
とたんに、ザザー…っとその「塔」は崩れ落ちた。
後に残るのは、「塔」を造形していた大量の砂だけだ。
「ね、乱馬」
「何だよ」
「…二回目の恋も実らなかったら、どうするつもりだった?」
あたしは、目の前に残った大量の砂を手で再びかき集めながら乱馬にそう尋ねた。
「…そんなの決まってんだろ」
乱馬はそんなあたしの手をぎゅっと上から握ると、
「…そしたら、三回目の片思いが始まるだけだ」
あたしにはその表情を見せないように、あたしの手を握ったまま砂をかき集めてはぺんぺんと叩いている。
「…そっか」
…ありがとう、乱馬。
あたしは、俯いている乱馬の顔を覗き込むと、
「三回も同じ人を好きになっちゃったら、神様もビックリしちゃうね」
そう呟きながら、そんな乱馬の頬に軽くキスをした。
「縁がなかったとしても、縁を作ってくれるかも知れねえだろ。粘り勝ちって奴だな」
乱馬は、同じようにあたしの頬にも軽きキスをすると、「それならおめーも観念するだろ」と笑った。
「…うん」
あたしもそんな乱馬に、笑顔でそう返した。
…ようやく、笑えた。
数日振りだった。
心の奥から、本当に笑えた。そう思った瞬間だった。
「今更だけど…」
「ん?」
「俺、オメーの事好きだったよ」
…そして。
あたしはその場で、乱馬から「初恋の時に出来なかった告白」を受けた。
「…」
あたしがなんて答えたらよいのか分からずに戸惑っていると、
「…早く振れよ」
「は?」
「初恋は実らねえもんなんだぞっ。ここで実っちまったら、次の恋に進めねえだろうがっ」
乱馬はそんな事を言って、あたしを急かす。
「…」
…あのねえ。次の恋も何も、どうせ相手はあたしでしょ?
あたしは思わずそう言ってやりたくなったけれど、
「じゃあ…ごめんなさい」
あたしはわざとらしくそう言って、乱馬に頭を下げた。
「あかね…好きだよ」
すると、乱馬は頭を上げたあたしの顔を見つめながら、もう一度そう言った。
「また初恋の告白?」
それじゃあ、ごめんなさい。あたしがそんな乱馬に対してまたもやわざとらしく頭を下げると、
「馬鹿やろうっ振ってんじゃねーよっ」
「何言ってんのよあんたは。さっき、振れって言ったじゃないの」
「これはさっきとは違うのっ。いいか、これは二度目の恋の、告白じゃねーか」
「知らないわよ、そんなの」
「そうといったらそうなのっ。さあ、受け入れろっ」
「あんたねえ…」
「こ、告白したまま返事をもらえないと、何だか緊張するだろうがっ」
乱馬はそう言って、ちょっと照れたように笑った。
「返事って言ったって。それは前にしたでしょ」
あたしは何だかそんな乱馬が可愛く思えて、ちょっと笑いながらそう答えると、
「現在進行形だったら、何回言ってもいいだろ。さあ、今すぐ返事をしろっ」
乱馬は、無茶苦茶な事を言いながら、真っ赤な顔をしてあたしの事を見つめていた。
「じゃあ…あ、ありがとう」
「じゃあってなんだよ」
「イチイチうるさいわねっ」
あたしは、そんな乱馬に対してそう叫ぶも、
「…ありがと。嬉しいわ」
…今度は乱馬の耳元で。小さいけれどはっきりした声で、そう呟いた。
そして、一瞬二人で顔を見合わせるも、その後は…照れたよな、恥かしいような。
なんともいえない笑顔で、あたし達は笑った。
時間を忘れて、いつまでも笑った。




…初恋は、実らないもの。
初めて自分以外の誰かに「特別な感情」を抱いて、
その感情をどうしていいかわからなくて…そうこうしているうちに、その感情が薄れていく。
もしくは、そうやって特別な感情を抱いた相手が、自分以外の誰かと幸せになっていくのを見て…
「叶わないな」
そう感じた、その瞬間に、…その「特別な感情」というのが、実は「恋」だったと。
知ることが多いような気がする。
初めての、感情。初めての、恋。
だから、失敗する事だって多い。
気がつかないうちに終わっていた事だって、多い。
表に出さないで、ひっそりと胸に秘めて終わらせてしまう事だって多い。
初恋で、結ばれて幸せになった…・そんなケースはそう多くは無いはずだ。
それなのに。
そんな初恋の相手には、どんなに頑張ったって勝つ事なんて出来ない。
不思議と、そういわれることが多々ある。
思い出の中で美しいまま、とどまるその恋は「特別」。
その後どんなに素敵な恋をしたって、胸の特別な場所にしまわれたその思い出だけは…永遠に美しいまま。
だから、初めて人を好きになった…その思い出は不思議。
…あたしの初恋は、実らなかった。
結局は東風先生に思いを打ち明けないまま終わってしまった。
自分の好きな人が、実は自分の家族の事が好きだった。
どちらもとても大切で、どちらもとても好きだった。
お似合いの二人が、幸せになってくれること。
それが、あたしの幸せなんだ。それを考えれば、自分の気持ちを封じ込めるしかない。
そうしていれば、きっと忘れる。
きっときっと、その内この恋心も消えていく。
あたしが我慢すればいいことなんだ。
…あたしは、何度も自分にそうやって言い聞かせた。
でもそれは、想像を絶するくらい苦しい事だった。
辛くて苦しくて…・でもどうにもならなくて。
あたし一人では抱えきれなくて、一人でこっそり泣いていたこともあった。
あたしの初恋は、「辛い」「苦しい」…胸が痛い。そんな思い出。
でも、やっぱりその恋は特別で、こうして乱馬と付き合っている今でもあたしの胸の中には、しっかりと残されている。
けれど…
あたしが初恋の相手で、しかも勝手に失恋しておいて、その次の恋も同じ相手を好きになって。
それが上手く行かなかったらどうするのか?そう尋ねたら、
「今度は三回目に好きになるだけ」
…そんな事を言われたら、
あたしの胸の、奥の方に留められていたあたしの「特別」な思い出も、そんな強引な相手に好きになられたこの恋の思い出に…すり替わってしまいそうだ。


清く尊いけれど、辛くて苦しかった「初恋」の思い出より、強引でやっかいで、大変な事も多いけれど…・あたしを強く思ってくれる相手とする、今のこの「恋」の思い出をとど めておく方がずっといい。


「あーあ、乱馬に一度好きになられたら大変ね」
「おお。覚悟しとけよな」
「死ぬまで逃げられないってことね」
「死んでも逃げられねえかもな」
…砂場を後にしたあたし達は、そんな会話を交わしながら再び、家路についた。
妙に砂まみれの手を、いつも以上にしっかりと繋ぎながらあたし達は歩いていた。
夕暮れの、帰り道。
いつの間にやらそこには、ぼんやりと白い三日月が浮かんでいた。
「名月」というには程遠いような、輪郭もボーっとしているような何の事無い月だけれど、
あたしと、そしてこうして一緒に歩いている乱馬の目には、何だかとても印象的だった。
…この月。
今日のこの月を一緒にこうしてみた事を。
環さんのときみたいにうろ覚えじゃなくて、今度は、一緒に見上げた相手があたしだったと。
乱馬、今度ははっきりと覚えていてくれるだろうか?

「…」
あたしは、そんな事を思いながらふと、隣を歩いている乱馬の方を見た。
すると、乱馬も、同じタイミングであたしを見つめていた。
「…」
…どう?
あたしが首を傾げて見せると、
「仕方ねえから、覚えていてやる」
乱馬は、ゴホン、と偉そうに咳払いを一つしながらそう言った。
「仕方ねえからって何よ」
あたしがムッとした表情をしてみせると、
「仕方ねえからは、仕方ねえから、だ」
明らかに照れているからだとは分かっているんだけど、乱馬はそんな可愛げの無い事を言う。
「なーによ、偉そうに」
「う、うるせえなっ。そんなの俺の勝手だろっ」
「えー、勝手ですよ。いいのよー?覚えていたくなければ覚えてなくたって。乱馬の気持ちがたったそれぽっちだったんだーって、あたしは思うようにするだけだから」
「かーっ。っとに可愛くねえ女っ」
「あら?何よ、さっきは可愛いから好きになったー…って言ってたくせに」
「う…」
「それは嘘なんだ?」
「…嘘じゃねえよ」
乱馬はそういって、はあ…とため息をついた。
あたしは、そんな乱馬の様子を見てくすっと笑うと、
「ふふ…ちょっといじめてみたくなっただけ」
そんな乱馬の手を、今までよりも強く、ぎゅっと握り締めた。
「けっ」
乱馬も、悪態をつきながらあたしのその手を強く握り締める。
「…あたしは、絶対に忘れないもん」
そして、あたしがそんな乱馬にそう言うと、
「…」
乱馬は一瞬だけ驚いたような表情をするも、
「…俺だって忘れるわけねえだろ」
…そういって、すぐに嬉しそうに笑った。
あたしもその乱馬の笑顔を見て、同じように笑った。



…心の奥にしまってある初恋の思い出とは少し違うけれど、きっとこの恋はやがて、その初恋の思い出以上にあたしの中に残る。
初恋の時のように、辛くて、苦しいだけの恋ではない。
お互い、初恋は実らなかったけれど、二度目のこの恋は絶対に、実ったまま続いていけばいい。
この時あたしは、心からそう思った。

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