「お茶こぼして、ヤケドしたんだって?ドジだな、おめーも」
…それから、一時間後。
もちろんそのヤケドの原因が自分にもあるという事を全く知らない乱馬が、そんな事を言いながらあたしの元へとやっ
て来た。
「…余計なお世話よ」
あたしが、ふいっとそっぽを向きながらベッドの中で蒲団をかぶると、
「何だよ、拗ねちまったのか?」
乱馬は、そんなあたしの頭を、蒲団の上から撫でる。
「…」
あたしは、その蒲団の中で身じろぎもせずただじっと、黙っている。
「あかね?」
乱馬は、そんなあたしの様子が気になるのか、ベッドにドサリと腰掛けた。
そして、
「なあ、どうしたの?」
そんな事を言いながら、蒲団をかぶっているあたしの上へと覆い被さる。
「…」
あたしは、その乱馬の身体を自分の上から退けるようにして、蒲団を跳ね除けた。
「な、何だよ」
跳ね除けられた乱馬は、驚いたような顔で起き上がったあたしを見ていたけれど、
「…」
あたしは、そんな乱馬の服の袖を包帯の巻かれていない手できゅっと握ると、
「…さっきの電話、随分楽しそうだったね」
…思い切って、さっきの事を尋ねてみた。
「電話?」
「…環さんて人からだったんでしょ?」
「そうだけど…」
「昔話、いっぱい出来たの?」
「ああ。うっちゃんに番号を聞いたみたいでさ。俺もビックリしたよ。いきなり電話してくるから…」
乱馬はそういって、困ったような顔をして笑った。
「よかったね…いっぱいお話できて」
「よかったっていうか、まあ、最初は挨拶程度だったけどな。慣れてくれば、懐かしい話も自然と出来るし」
「じゃあ、楽しみだね、来週末」
あたしは、そんな乱馬にそう声をかけると、
「心配してくれてありがとう。でも、ヤケド大丈夫だから」
乱馬の袖を離して、再び蒲団をかぶった。
「はあ?何だよ聞くだけ聞いて」
…もちろん、乱馬はそんなあたしの様子を不審に思うわけで、
「おい。こら」
蒲団をかぶったあたしのその蒲団を、強引に引き剥がす。
「な、なによっ」
「何よ、じゃねえよ。何だよ、何か言いたい事があんのかよ」
「な、無いわよ」
「嘘つけ。だいたいなあ」
そして、再び蒲団をかぶろうとしているあたしの横にするりと身体を滑り込ませると、自分も一緒に蒲団をかぶってし
まった。
「あっ」
「…こんな顔しているくせに、何にもねえわけねえだろ」
乱馬はそういって、薄暗い蒲団の中で、あたしの顔を両手で挟む。
「暗くて、見えないくせに」
「暗くても、オメーの顔は良くわかる」
「嘘つき」
「嘘じゃねえよ。おめーの事ぐらい、何でもお見通しだ」
「…」
…でも、あたしの心はわからないじゃない。
あたしは、思わずそういってしまいそうだったけれど言葉を飲み込む。
「環から電話があったらまずいのか?」
そうあたしに尋ねる乱馬に、
「…そんなこと言ってないもん」
あたしは、ボソッと答える。
「じゃあ、何だよ」
「…」
「何でも言ってみろよ」
乱馬は、そんなあたしに軽くキスをしながらそう呟いた。
「…」
あたしは、そんな乱馬に対して、少し迷ってはいたけれど思い切って…質問した。
「…乱馬の」
「ん?」
「乱馬の初恋の人って、どんな人だったの?」
あえて「環さんて」と聞くのではなく「初恋の人」と聞いたのは、
こうやって二人きりでいる時に、彼女の名前を口にするのが何となくいやだった…それだけのことだ。
…
「はあ?おめー、まだそんなくだらない事気にしてんのか」
「くだらなくないもんっ」
「だから、こないだも言ったろ。あんまりその事は…」
「…ちょっとだけでもいいからっ…お願いっ」
「…しょうがねーなあ」
乱馬は、ハア、とため息をつきながらしぶしぶと承諾をした。
そして、
「…髪が長くて、可愛い奴だった。その年の女にしては、結構しっかりしているタイプだった。これでいいか?」
駄々をこねたあたしの顔を見ながらしっかりとそう答えると、
「これ以上は言わねえぞ」
そういって、あたしから離れ、蒲団から出た。
「…ったく、何でこんな事聞きたがるんだよ。おめーは」
そして、あたしに背を向けるようにして座りながら、頭をぽりぽりと掻いている。
あたしは、そんな乱馬の後ろ姿を見つめながら、心の中でそっとため息をついた。
…髪が長くて、可愛い子。
しっかりしている、女の子。
それって、昼間右京が言っていた環さんの特徴、そのものじゃない。
…やっぱり、乱馬の初恋の人って、環さんなんだ。
その人が、乱馬を苦しくさせるくらい好きにさせたの?
今でも、胸の中で大事にしまっている思い出の中に…住んでいる人なの?
「…」
あたしは、そう思いながらぎゅうっ…と、自分の胸の辺りの服を手で掴む。
心を、素手で掴む事が出来るのだったら。きっと今のあたしなら握りつぶしてしまっているかもしれない。ふと、そう思
う。
…
誰にも話すことなく、大切にしまってきた思い出。
その思い出の中に、唯一住む事を許された人。
その人と、何年ぶりかに電話で話した夜、
そんな夜は…今の乱馬の心は、もしかして環さんでいっぱいなの?
あんなに楽しそうに電話をしていたのを聞いたら、誰だってそう思っちゃうよ。
…いや。
そんなのいやだ、乱馬。
あたしの部屋に来て、こうしてあたしと話しているのに、別の人の事を心に留めておくなんて…そんなのイヤだ。
「…」
そう思うあたしの胸が、ズキ…と大きく軋んだ。
軋んだ胸の痛みが、徐々に全身へと伝わっていく。
足の指の、爪の先までずっと。
せき止めようと思っても、痛みの波はあたしの言う事など聞いてはくれない。
…
「ん?どうした、あかね。今度は黙り込んで…」
「…」
質問するだけして、それ以降は何も口を利こうとしないあたしに、乱馬が心配そうに声をかけてくる。
でもあたしは、そんな乱馬に何も答えることなどできずただ、ぎゅっと…唇を噛みしめた。
初恋の思い出に、浸った乱馬は…キライ。
あたしが好きなのは、あたしの事を大事にしてくる、乱馬。
あたし以外のことを考えて、心をいっぱいにしている乱馬なんて…キライ。
…
こんなの、あたしのワガママだって、あたしのつまんない独占欲だって分かっている。
分かっているけど…・でも、イヤっ…。
「…」
あたしは、そんな事を思いながらそっと、乱馬の背中へと抱き付いた。
「え?な、何だよ急に…」
フワリ、とあたしがその身を寄せてきたのに驚いた乱馬が、ゆっくりと振り返りながらあたしに声をかける。
「乱馬…好き」
あたしは、そんな乱馬にそういいながら…強引にキスをした。
「えっ…な、何…」
あたしからキスをすることなんて、本当に数えるぐらいしかない。
乱馬は、あたしのその行動に驚いているようだった。
でも、
「好きなの…あたしは、乱馬が好きなの」
あたしがそう呟きながらもう一回、もう一回とキスを続けていると、
「…」
そのうち乱馬が、そんなあたしの身体を両手でがっしりと抑えて…ベッドの上に仰向けにひっくり返した。
そして、自分がそんなあたしの上に覆いかぶさるように身体を持ってくると、
「…ヤケドしてて、手が痛いっていっても、やめねえぞ」
そういって、今度は乱馬のほうが強引にあたしに唇を重ねる。
「…いいの」
あたしは、一言だけそう呟いて、自分の身体に覆い被さってきた乱馬に腕を回すと、そっと目を閉じた。
手に受けた、ヤケドの痕よりも。
心の底に渦巻いている感情の方が、あたしの胸を酷く痛める。
その痛みは、寂しさは、あたしの感覚を、全て麻痺させる。
「あたしとこうしている間は、環さんのこと、考えないで」
口に出せない思いが、胸の中だけでずっと響いている。
…抱かれているのに、幸せじゃない。
あたしの事だけを考えて欲しくて、こうして身をゆだねても、
こうすればするほど、寂しさが増すのはどうして?
…
大好きな人に抱かれているのに、寂しくてたまらないと思うことがあるなんて。
そんな感情があることを、あたしはこの日、初めて知った。