…それから、三日後の放課後。
乱馬は今日、右京と一緒に買い物に行く為にあたしとは別々に学校を出た。
実際には、右京が強引に乱馬を引っ張っていってしまったのだけれど、
その環という昔馴染みに「東京土産」を渡す為に買い物に出かけたという事実には代わりがない。
「…」
あたしは二人が校門から出て行く姿を前方に捉えながらずっと、歩いていた。
そして校門から出て…二人が歩いていったのとは逆の方向に一人、歩き出す。
何だか、胸がモヤモヤしていた。
ここ数日の乱馬の行動を思うと、モヤモヤした気持ちがどうしても拭えないあたしが、そこにいた。
「環」。
そういう名の昔馴染みに逢うと決まってから、乱馬はどこと無く楽しそうにしているように、あたしには見えた。
あたしと一緒にいても、
「東京土産って、どんなものがあるのかな」
…そんなことばっかり、口にする。
昨日だって、
「関東と関西じゃ食べ物だって随分違うしなあ。日曜日、そしたらやっぱり、うっちゃんの手作りお好み焼きを出すの
が無難かな」
夕食後に居間でTVを見ながら、そんな事をあたしに話し掛けてくる乱馬に、さすがにあたしもムっとして、
「…楽しそうだね」
あたしが、少し皮肉の意を込めてそう乱馬に言うも、
「まあな。だって数年ぶりに逢うんだぜ?それに向こうも俺に会いたがっているみたいだし」
乱馬は、TVから目を離してあたしを見ると、何だか嬉しそうにそんな事を呟く。
「…会いたがっているって、何でそんなの分かるのよ」
ズキ、と胸が痛むのを感じながらあたしが呟くと、
「うっちゃんのところにさ、また昨日電話があったんだって。そんで言っていたらしいぜ」
「…」
「うっちゃんがな、俺も昔と同じまま髪が長いんだって話をしたら、環の奴も『それじゃ自分と同じだ』って、喜んでいたそ
うだ。しかもその日はな、俺と同じお下げにしていたらしいぜ?」
乱馬はそういって、からからと笑う。
「…・」
…どうせあたしの髪は、短いもん。
「そう…良かったね、同じで」
「はは、偶然てあるもんなんだなあ」
乱馬はそういって、再びTVへと目をやってしまった。
あたしは、そんな乱馬の背中を見つめてため息をついた。
そして…そんなあたしは、また自分でも気がつかないうちに、自分の、肩の上でバッサリと切り上げられた髪を指で
梳いていた。
何よ、
何よ。
何よ…短い方が好きだって、言っていたじゃない。
なのに、なによ。
…
たかが、初恋の人が自分と同じ髪型をしてたってだけじゃない。
それで、何でそんなに浮かれてんのよ。
…
「…」
あたしは、乱馬に気づかれないようにもう一度ため息をつくと、そのまま自分の部屋に戻ってふて寝をしたのだった。
…
…それが、昨日の事。
「はあ…」
昨日の事を思い出すと、何だかやっぱり、気が重い。
それに、
今、こうしてあたしが歩いているこの時間にも、
乱馬が「環さん」のための土産を選んでいる事を思うと…胸がザワつく。
「…」
一人で、部屋でこんな気持ちのまま待っているのは…嫌だ。
あたしは、そんな事を思っていた。
なので、
…何故だかわからないけれど、あたしはこうして一人、小乃接骨院へとやってきていた。
乱馬が初恋の人の事で頭がいっぱいなら、
あたしも初恋の人のところに行って気を紛らわせてやる…もしかしたら、そんな抵抗心があったのかもしれない。
…
でも、来たはいいけれど、そんな浅はかな考えが、以下に虚しいものか…あたしだって、そんな事が分からなくはない。
それに、そんなことをしたところで…・自分が辛くなるだけだ。
「あかねちゃん、どうしたんだい?ため息ばっかりついて。何かあったのかい?」
「え?べ、別に…」
…だから、来たはいいけれどこうして、何度もため息をついては、東風先生を困らせている。
先生にしてみれば迷惑もいいところ。
そしてその気持ちがわかればこそ、あたしは自分の馬鹿さ加減にどんどんと、自己嫌悪に陥っていくのだ。
…
「乱馬君と喧嘩でもしたのかい?」
湯飲み茶碗を片手にため息ばかりつくあたしに対し、
「べ、別にそんなことないしっ…」
あたしは、慌てて頭を振る。
「そうだね。乱馬君は前に比べて大分、大人になったものね」
「そ、そうでしょうか」
「そうだよ。乱馬君は、あかねちゃんの事が本当に好きみたいだからね」
東風先生は笑顔でそう答えると、
「そうだ、面白いものを見せてあげるよ」
先生は不意にそういって、あたしと一緒にいる診察室から出て行ってしまった。
でもすぐに戻ってきて…一枚の写真をあたしに手渡した。
「これ…」
「これは、乱馬君があかねちゃんのうちにやって来てすぐの頃かなあ。
偶然ここで撮った写真に、乱馬君も写っていたわけなんだけど」
先生はそういって、写真に映っている乱馬の表情をトントン、と指刺した。
「ほら。今とは随分違う顔をしているだろ?」
「…そうですか?」
「そうだよ。この頃は、何ていうのかな。とても鋭い顔をしている」
「…」
「でも今は、とっても柔らかい顔になった気がするよ。
それは、あかねちゃんのおかげなんじゃないのかな」
「…」
あたしは、先生のその言葉に耳を傾けながら、もう一度じっくりと、その写真を見つめてみる。
診療室の中を、何気なしに撮った、写真。
中央には、先生が骨格標本のベティちゃんを抱えながら座っている。
その左横には、あの時はここでアルバイトをしていたパンダ姿のおじ様。
そしてそのすぐ隣に…何故か、不機嫌そうな顔をしている、乱馬。
そう、「鋭い」というより不機嫌そうな顔、だ。
「…」
こんな顔をしている乱馬を、そういえば最近、あたしは見た事がない。
…
「…」
あたしが写真を見つめたままじっと黙っていると、
「人って言うのはね、どんなに無理をしてもその内面って顔に出やすいものなんだよ。そう考えると、乱馬君なんていい例だよね。あかねちゃんに対してはとっても優しい表情をしているよ。今はね」
「…」
「だから…何があったかはわからないけれど、乱馬君はあかねちゃんの事、本当に好きなんだと思うよ。
元気、だしてね」
東風先生はそういって、あたしににっこりと微笑んだ。
「…」
あたしは、その笑顔を見つめながらふと、思った。
…東風先生が、かすみお姉ちゃんに向ける笑顔が他の人へのものと違うかのように。
乱馬も、あたしに対して向ける笑顔は…他の人へのものと違うんだろうか。
…
でも、この間「環さん」って人の話をしたときに。
乱馬は、とっても柔らかい笑顔を見せたような気がした。
早乙女のおば様とか、おじ様とか。他の家族に対して向ける笑顔とは、全然違う顔。
そして、あたしに向ける顔とも、違う顔…。
…
どの顔が、本当の乱馬の笑顔なのかな。
…
…
…そんなの、考えなくたって、あたしには分かっているはずなのに。
乱馬は、あたしと付き合っているんだもん。
あたしの事、好きだって言ってるんだもん。
あたしに対して向ける笑顔が、一番優しい…そんなこと、それが当然じゃない。
……本当に?
「…」
…やだ、あたし。
そんな基本的なことさえも、疑うようになってしまったの?
…
最低…。
「…先生、色々とありがとうございます」
「いえいえ」
「あたし、帰ります」
「そうかい?気をつけて帰るんだよ」
「はい…」
あたしは、先生に見送られて接骨院を後にした。
…あたしは、一体何を今更不安になっているんだろう。
たかが、初恋の人じゃない。
その人が、ちょっとぐらい綺麗だからって、自分に無いものばかり持っているからって…一体何が不安だって言うの?
ばかみたい、あたし…。
…
「ばかみたい…」
家への帰り道、あたしはそんな事を思いながら歩いていた。
東風先生にだって、
「乱馬君はあかねちゃんの事が好きなんだね」
そんな風に言ってもらったくせに。
それに、自分自身だってそんなことぐらい、分かりきっているはずなのに。
なのに、どうしてこんなに不安になるんだろう。
あたしには、それが不思議でならなかった。
何度だって自分に言い聞かせて、納得させようとして。
対した事ではない。
そうやって思うようにしているのに…思えば思うほど、あたしは嫌な事ばかり、考える。
たかが、自分の彼氏が初恋の人と再会するくらいでこんなに動揺して。
まだ再会だって果たしていないのに、
乱馬と、その「環さん」という女の人が勝手に恋に落ちる想像まで、して。
…バカみたいだ。
ホントに、バカみたい。
そうやって分かっているのに…それでもこの不安を吹っ切れないでいるのは、どうして?
「…」
…あたしは、そのまま家にたどり着いてもなお、そんなことばかり考えていた。
「お?あかね、どうした?具合でも悪いのか?」
「別に」
あたしは、買い物から帰ってきた乱馬ともろくに会話も交わさず、
そして、
「あら?あかねちゃん…夕食はいいの?」
「あ、うん。何か食欲無くて」
夕食も取らずに、部屋のベッドで一人寝転んで考えていた。
お風呂に入っても、その事ばかり。
気晴らしにベランダに出ても、夜空に輝く星を見上げても、そんなことばかりを考える。
考えすぎよ。
考えすぎ。
あたしは、必要以上に心配しすぎるのよ。
…
何度となく自分にそう言い聞かせて。
「…」
あたしは、余計な事を考えてばかりいる自分に何度もそう戒めをした。
でも。
そういやって、自分の事を安心させようとしている矢先の出来事だった。
「乱馬くーん」
…ベランダで星を見あげていたあたしの耳に、乱馬の名を呼ぶかすみお姉ちゃんの声が聞こえた。
「乱馬君、電話よー」
どうやら、乱馬に電話らしい。
(誰かしら、珍しい…)
あたしにではなく、乱馬宛に電話が鳴ることなんて殆どない。
よっぽどの急用なのか。
あたしがそんな事を思っていると、
「あ、ありがとございます」
乱馬がやがてやってきて、電話に出たようだった。
「おー、どうした?よく分かったな」
…乱馬は、そんな事を言いながら、その電話の相手と話をし始めたようだ。
ベランダを出て階段まで覗きに行ったあたしの目に、そんな乱馬の姿が目に入った。
と。
「あら?あかねちゃん。具合はどうなの?よかったらおにぎりだけでも食べない?作ってあげるわよ」
そんな風に階段の上から顔を出しているあたしの姿を見つけたかすみお姉ちゃんが、あたしに声をかけてきた。
「え、あ、どうしようかな…」
「少しは食べないと身体に毒よ?」
「う、うん…」
かすみお姉ちゃんにほだされて、あたしは階段の下で電話をしている乱馬の横を通り過ぎながら居間へと向かう。
「…」
その際、ちらっと乱馬の様子を見ると、
「へー、そうなのか。そりゃよかったじゃないか」
…乱馬は、とっても楽しそうに会話をしていた。
まるで、教室で友達と話しこんでいるときのような明るい表情。
電話でこんな風に明るく喋る乱馬を見たのは初めてだ。
「…」
一体、何の電話なんだろう?
あたしは、そんな事を思いながらも居間へと入った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
そして、かすみお姉ちゃんが作ってくれた三角形のおむすびを口に運ぶ。
うっすらとご飯に塩で味がつけてあって、
中には火を通したタラコと、もう一つはウメボシが入れられていた。
ノリは、むすびの暖かさでしんなりとご飯に張り付いている。
いわゆるコンビニで売っている「直巻き」おむすびのような感じだ。
おむすびだけでは寂しいから…と、インスタントのお吸い物まで用意してくれた所が、かすみお姉ちゃんのこまやか
さを物語っている。
「おいしー」
あたしが笑顔でそう呟くと、
「よかったわ」
かすみお姉ちゃんは、ニコニコと笑いながら、あたしの湯飲みに今度はお茶を注いでいる。
「お姉ちゃん、本当によく気がつくね」
あたしが思わずそんな事を呟くと、
「そんなこと無いわよ。あかねちゃんだって、あたしと同じ年になれば同じよ」
かすみお姉ちゃんは、のんびりとそう答える。
「そっか」
あたしはとりあえずその事にほっと胸を撫で下ろしつつも、
「ねえ、そういえばお姉ちゃん。乱馬への電話、誰からだったの?」
と、さっきから気になっていた事を尋ねた。
するとお姉ちゃんは、あたしに入れたてのお茶の湯飲みを手渡しながら笑顔で言った。
「ああ、乱馬君への電話?確か、環さん…ておっしゃっていた方よ。聞きなれないお名前だったから覚えているんだ
けど」
「!」
…その言葉を聞いた瞬間、あたしはかすみお姉ちゃんから湯飲みを受け取り損ねてしまって、
「きゃっ…」
「だ、大丈夫!?大変、ふきんを…っ」
熱いお茶を、居間の畳の上やテーブルの上にぶちまけてしまった。
かすみお姉ちゃんは、慌てて台所にふきんをとりに向かったけれど、
「…」
あたしは、何も動く事が出来ないで、そのままその場で固まってしまう。
テーブルの上にこぼれた熱いお茶がおにぎりの乗っていたお皿にもこぼれてしまい、動く事の出来ないあたしの目の前で、ジワジワと、食べかけのおむすびのご飯に染み込んでいく。
じわじわとご飯に染み込んだお茶はおむすびの中身を皿の上へとほおりだし、やがてお皿の上からは、残っていたおむすびの影も、形もなくなってしまった。
…何で?
何で、環って人がウチの番号を知っているの?
会うのは、来週末なんでしょ?
来週末に会うだけなんでしょ?
なのに、何でうちに電話なんてしてくるの?
…
「…」
そんな事を考えているあたしの胸が、ドクン、と一度大きく鼓動した。
…番号はきっと、右京が教えたんだ。
それで、電話、かけてきたのね。
なんで…?
来週末会えば、いいじゃない。
それなのに、何で電話なんかしてくるの?
そんなに、乱馬の声を聞きたいの?
…
「…」
それを思うと、再びあたしの胸の中に嫌な「モヤ」が湧き始めるのを感じた。
…楽しそうに、電話をしている乱馬。
居間にこうして座っていても、時折笑い声があたしの耳に入る。
…イヤ。
何だか、イヤ。
こうやって堂々と、電話で話されているの…イヤ。
今、乱馬が電話で話している相手が、
あたしの知らない、乱馬の大切な人だと。
乱馬を苦しくさせるくらい好きにさせた人と、あんなに楽しそうに話している乱馬を見ているのは、イヤ…
そう思うと…・冷静でなんていられない。
「…」
あたしが、唇をかみ締めるようにしてじっと黙っていると、
「あかねちゃん、ねえ、ヤケドしていない?手、真っ赤よ?」
「…」
「あかねちゃん?あかねちゃんてば」
「…あ、え…」
「手、見せてみて?」
…いつの間にやら台所から戻ってきて、テーブル等を拭いてくれたかすみお姉ちゃんが、あたしの手を掴みながらそう叫んだ。
「あ、うん…」
「ほら!赤くなっているじゃない…今、お薬塗ってあげるわ」
そして、ボーっとしているままのあたしの手を取り、やけどの薬を塗ってくれている。
「…」
…熱さなんて、全然感じなかった。
ヤケドなんて、もちろん全然。
…
そんなことも気にならないほど、今、あたしは動揺している。
それだけは、今はっきりと、分かる。
…
「…」
かすみお姉ちゃんにヤケドの手当てをされながら、あたしは、時折廊下の向こう側から聞こえる乱馬の笑い声を耳にし一人、言いようのない不安に包まれていた。