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ラストメモリーズ 7
「あかね…」
一筋のつむじ風とともに、突如姿を表したあかね。縁日に似合うべく浴衣をきっちりと身に纏っていた。艶やかでもあり、そして可愛らしくもあった。
待っていたはずなのに、いざ現れると言葉が上手く出てこない。
ようやく現れた待ち人に、俺が名前を呼んだきり黙りこんでいると、
「…話があるんでしょ」
あかねはそう言って、俺の側へとゆっくり、歩み寄ってきた。
「あ、ああ…」
俺がどもりながらあかねにそう答えると、
「遅れてごめんなさい」
「え?」
「お姉ちゃん達と近くまでは一緒に来ていたんだけれど…髪につけていた飾り、落としちゃって…探してたら遅くなってしまったの」
あかねは、まず自分が待ち合わせ時間に遅れた理由を俺に説明した。
俺がそんなあかねの髪の部分を見ると、確かにそれまでそこに何か付いていたような「跡」が覗えた。
ただ、今はそこに何もついてないところを見ると…
「…見つからなかったのか?」
「…うん」
あかねは、そう言って小さく頷いた。どうやら、落とした髪飾りを見つけることが出来なかったらしい。
「…じゃあさ。俺が誘って来てくれる途中にそうなったんだし…」
「え?」
「…買ってやるよ、代わりのもの」
「え…でも…」
あかねはそんな俺の言葉や行動に少し戸惑っていたみたいだったけれど、
「呼び出したの、俺だし…」
俺がもう一度あかねにそう言うと、あかねは「ありがとう」と笑わないままそう呟いた。
お礼を言われている気が全くしないが、それを今咎めてもしかたがない。
「それじゃ、行こう・・・」
俺は、そんな小さく頷いたあかねの袖の端をきゅっと引っ張り、歩き出そうとした。
「あの、それ…」
手は直接触れないにしろ、自分に触れながら歩こうとする俺に、あかねが躊躇して何か言いたそうな顔をする。
「…人ごみではぐれたら困るから」
俺は、そんなあかねの顔を見ないままボソッとそう答える。
本当はもう子どもじゃないんだし、浴衣に触れて歩いたりしなくてもこんな一町内会の縁日ごときではぐれたりはしないのだが、
嫌われても何でも、少しでも…あかねに触れていたい。そんな俺の本能が、俺にこんな行動をさせるのかもしれない。
と、
「…こっちのほうが、歩きやすいから」
あかねは、一度俺の手を外した。そして、俺の手には自分を触れさせないようにして、今度はあかねが俺のチャイナ服の袖を、きゅっと掴む。
「…」
俺は、静かに一度頷いた。そして、それ以上は何も話すことのないあかねと共に縁日で込み合う神社を歩き出す。
…あかねが改めて掴みなおしたその場所は、
「乱馬」
「俺の」あかねが、笑顔で俺の腕を取る時に必ず手を伸ばす場所。
そして、嬉しそうな顔をして寄り添い、俺に身を預けるべく寄り添ってくれる場所だった。
…記憶を失っていても、俺に触れる時は本能でその場所を選ぶんだな。
そう思うと俺は、胸がきゅっと締め付けられた。
人ごみを縫って歩きながら、俺は幾度と無くあかねへと目線を動かす。
あかねは俺の事などちっとも見ていないが、何やらずっと考えているような表情で心ここにあらずだ。
いろんな出店を見て、「髪飾り」が売っているお店であかねに飾りを一つ、買って。
東風先生のいるはずの出店に寄ったけれど、先生も先にそこに向かったはずの親父も何故かそこにはいなくて。
「…」
…俺たちは、お互い無言のまま結構長い時間を掛けて、広い神社の中に所狭しと並ぶ出店を見尽くした。
そして、あらかた店を見尽くし出店も無く人気も無い神社の奥の静かなエリアへと足を踏み入れた時、
「話って…何?」
そろそろ、いいでしょ?・・・と、あかねが改めて俺にそう問い掛けた。
そして、それまで俺の袖を掴んでいた手をそっと離す。
「…」
…いよいよ、この時が来たか。
分ってはいたけれど、いざその時が来るとやっぱり少し戸惑う。俺が、あかねをじっと見つめ何から話そうと言葉を選んでいると、
「…でも話の前に…これ、ありがとう」
あかねは、俺が話を始める前にまず、俺が先ほど買ってやった新しい髪飾りを店ながら俺にお礼を述べた。
「あ…いや」
「せっかくだから…これつけるわ。それで話を聞く」
そして、自分の手でその髪飾りを髪につけようとするけれど、
「…あれ?あれ?」
…お香で暗示がかかろうがかかるまいが、「超」がつくほど不器用なあかねなのは変わりが無いようだ。
スルッ…と、短い髪から髪飾りがすり抜けて、なかなか上手に留まってはくれないようだった。
「…ってく不器用だな。貸せよ」
そこだけは、いつもと代わらないあかね。何だか嬉おかしくて、俺があかねから髪飾りを奪い取ると、
「し、仕方ないじゃないッ…付けるときはいつもお姉ちゃんにつけてもらってたんだから…」
あかねは恥かしそうにそんな言い訳をして、プイッと横を向く。
そんな意地っ張りで見栄っ張りな素振も、俺の知っているいつものあかねのままだった。
何だか無性に愛らしく思えた。
「ほら、横向いたら付けれないだろ」
俺はそんなあかねの頭を指でくるっと自分の方へ向けると、あかねの艶やかな髪を少し掴み、素早く髪留めに挟んでやった。
どう考えても、簡単な仕草。パチン、と少量の髪を留めればいいだけの話なんだけど、自他共に認める不器用女のあかねには、かなり至難の技のようだ。
「あ、ありがと…」
「不器用」
「よ、余計なお世話よッ」
あかねはお礼もそこそこ俺に悪態を吐き、ふいっと横を向いてしまう。まるで子どものようだった。
…だけど。
そんな風に、髪留めも満足に止められないあかね。
お礼もそこそこ、すぐにかっとなって自分を守ろうとするあかね。
子供の様にすぐ不機嫌になるあかね。
そして髪留めをつけることで更に可愛らしさが増すあかね…そんなあかねが、俺にはもう、どうにもならない程いとおしく、映る。
それに加えてフッ…と、俺達のすぐ近くを通り抜けていった柔らかな夜風が、俺の元へと運んでくるあかねの「香」にまるで魔法を架けられたように意識を奪われる。
艶やかな髪を通り抜ける風によって運ばれる、あかねの香り。
石鹸の香りに似た、とても心地よくすがすがしい香り。
あかねの体温がそれに加われば、それで「あかね」を示してしまうような香り。
…そして、俺の大好きな香り。
俺が、俺だけがいつも独占していた…香りだった。
「…」
その、懐かしくもいとおしい香りを意識してしまったその瞬間に、俺の中でまた何かが弾けた。
理性が自分を咎める前に、俺は無意識にあかねへ腕を回していた。
「!」
俺のそんな行動に再び驚いたあかねが、この間のようにさっと表情を曇らせすぐに俺の胸を突き飛ばそうとするけれど、
「…」
俺は何も言わず、そんなあかねに回す腕の力を強くする。そして、髪留めを留めた、そのあかねの髪にそっと首をもたげ目を閉じた。
「ちょっと乱馬…!離して!」
あかねは、そんな俺の腕の中で尚も震えながら暴れている。そして、
「話があるからって…話があるからって言うから来たのに…!あたしは、こんな事される為に来たんじゃない…!」
そう叫びながら、俺の胸をボコボコと殴る。身体と共に声も、震えていた。
「あたしは…あたしはダメなのッ…。ダメなの、嫌なの…」
「…東風先生が好き、なんだろ?」
俺は、暴れるあかねの身体を捉えたまま、静かにそう呟いた。
「ち、違うわッ」
あかねはその問に対して即座に俺にそう答えるが、答えたあかねの身体はビクリと震えた。
そして、俺とくっつている胸の部分から、ドキ…と大きな胸の鼓動が感じ取れたような気がした。
「…」
図星、だもんな。それを感じて、俺はまた胸が痛んだ。
でも、俺ももうここからは引けなかった。
それでもあかねを取り戻さなくてはいけない、暗示を解かなくてはいけない義務がある。
そう、俺はそれをしなければいけないんだ。だから、こんなことぐらいで立ち止まって入られない。
俺はあかねにばれないように小さく深呼吸をして、再び続ける。
「…おめーがなんと言おうと、今のおめーは、東風先生のことが好きなんだって。そんな事分かってるよ」
俺は、あかねを捕まえたまま、静かにそう呟いた。
「そんなこと…違う。違う…」
あかねはそんな俺に震えたまま抱かされたまま、何度も否定しながらも俺の話を聞いている。
「でも…それでも俺は、おめーに言わなくちゃいけないことがあるんだ」
俺はそう言って、あかねの身体をゆっくりと離した。そんな俺に対し、
「…聞きたくない」
ようやく自由になった身体で俺に背を向けながら、あかねは小さな声でそう返す。
「聞きたくないなら…聞きたくなるまで何度だって繰り返す。聞きたくなくても何度だって強引に聞かせる」
そんな態度、そしてその冷たい声に内心はまた傷つきつつ、それでもめげずに俺はそう続けた。
「そんなの…勝手よ」
あかねは、震えながら俺のそんな言葉に答える。
「言ったじゃない…今のあたしは、乱馬と付き合ってるって言われたって、全然ピンと来ないんだって…。例えそうだったとしても、あたしは先生が…」
「…」
「だけど…おかしいの。あたし、何か変なの。昨日の朝、乱馬にあんな酷い事をされたのに…あたしの中の『何か』が、それを許してしまうの…
変なの…あたしは先生が好きなの。好きだから、先生以外にあんな事されたら嫌なはずなのに…心のどこかであたしは…嫌じゃないの…」
あかねはそう言って、ふらりと一歩、俺から遠ざかった。
俺はそんなあかねに一歩、歩み寄る。
「分らないの…何かだんだん分らなくなってきたの。だから、分るまで何も聞きたくないの…今、乱馬から何か言われたらあたしは、きっとおかしくなってしまう気がする。だから、聞きたくない…」
あかねはそう言って、また一歩、俺から遠ざかった。
俺は、そんなあかねに今度は二歩、近寄った。先程よりもぐっと、あかねに近づいた事になる。
日が経つほどに混乱していく、あかね。そんなあかねの気持ちを汲んで、あかねの気持ちと頭が整理されるまで待ってやるべきなのか。
俺は
一瞬そう考えるも、でももう待てないし…待つことなんて出来ないと、その気持ちを思い出し自分の気持ちをはっきりと口にする。
「…じゃあ、おかしくなっちゃえよ」
俺は、「待って欲しい、おかしくなりそうだ」と哀願するあかねに無情にもそうそう言いきった。
「乱馬…」
あかねは、驚いたような表情で俺のほうを振り返った。そして、自分が思った以上に俺が側にいた事に更に驚く。
「おかしくなったら、俺が助けてやる。混乱してしまっても、変になっちまっても…どんなあかねも、絶対に俺が助けてやる」
俺は、あかねに更に一歩、近寄った。あかねとの距離がまた、縮む。
「…そんなの困る」
徐々に縮まる俺との距離。あかねが震えるような小さな声でそう呟く。
フラリ、と後ずさるあかね。そんなあかねに一歩、また一歩と近寄っていく、俺。
俺達の間に張り詰めた空気が流れる。
その内、
「あたし…あたしやっぱり、帰る」
その張り詰めた空気から逃れたかったのか、それとも俺から逃れたかったのか。あかねが突如そう言って、元来た道を戻ろうと走り出そうとした。
「待って!」
…絶対に逃がしてはいけない。俺の中の何かがそう信号を発した。
俺は、逃げようとしたあかねの手首を自分でもビックリするくらい強い力で、素早く掴んだ。
そして、グッと力を込めて、去り行こうとするあかねの歩を強引に止める。
「…ッ」
あかねが、困ったような、今にも泣き出しそうな表情で俺を見た。
『言わないで』
目で、俺にそう訴えかけている…そんな気がした。
でも…こればかりは俺は譲れない。
一瞬だけ躊躇はしたが、だけど今しかない。
俺は心の中で大きく一度、深呼吸をした。
そして、とうとう俺は…何日も紆余曲折して考えたキーワードを。
あかねが俺の口から本当は聞きたかった、でも今のあかねは聞きたくないと言い張るキーワードを、口にした。
「…好きだよ」
遠くで神楽太鼓の低音が響いていた。するりと溶ける暗闇が、柔らかに肌にまとわりついていた。
俺の言葉が発せられた瞬間、それらがまるで無に帰ったかのような妙な錯覚を受けた。
「…」
俺の言葉を受けて、あかねの身体がビクンと震えた。
…一筋の風が、俺とあかねの間を通り過ぎた。
ふわっ…とした、何だか暖かい、風。
その風にあかねの髪がふんわりと煽られた。緩やかに白くしなやかな首筋を闇に晒し、そして再び元に戻す。
言葉を交わさない時間が、ゆっくりと過ぎていく。俺たちは見詰め合ったまま何も語らずその場に固まっている。
…と。
「…ん?」
俺達の間を、再び風が通り抜けた。先ほどはただ通り抜けてあかねの髪をなびかせただけであったのに、今度は妙に「香り」を俺の鼻に残していった。
不思議な匂い、だった。
それはあかねのあの石鹸の香りではなく、もちろん俺の香りでもない。
でも、一度だけ嗅いだことのあるこの香り…そうだ、これはあの忌々しいお香「ラストメモリーズ」の香りか?
「…」
何で、ここに?
香を焚いているわけでもないのに、何故こんな神社であの香りが?…俺がそのお香の匂いに気をとられそんなことを考えていると、
ズン…
不意に、俺の手が重くなった。
「え…」
俺の手は、あかねの腕を掴んでいた。それが重くなるという事は…?
おれがはっとなってあかねを見ると、あかねの身体が…ガクン、と地面に崩れ落ちるまさにその瞬間だった。
「えッ…おいッ、あかね!」
具合が悪かったのか?でも、顔色だって全然…何でだ?
俺は慌ててあかねの腕を引き寄せて介抱するが、あかねは俺の呼びかけには答えず、目を閉じたままぐったりとしている。
慌てて口に耳を当てると、かろうじて呼吸はしていた。
顔色は悪くないし、うめき声もあげていない。痛みで顔をゆがめているわけではなさそうだし…どうやら、単純に気を失っているようだ。
「あかね…おい、しっかりしろ、あかね!」
俺は急に意識を失ってしまったあかねを抱きしめたまま、途方に暮れた。
でもとりあえずはあかねを、ゆっくりと横にしてやったほうが良いだろう。
俺は急いであかねを背中に背負い、家へと向った。
「…」
背中のあかねは、一向に目を覚ます気配が無い。俺の心に不安が過る。
何故、気絶してしまったのか。
もしかしたら俺が「好きだ」といったことで、あかねは完全にパニックを起こしてそれで混乱して気を失って…?
何が何だかわからなくて、頭の中は混乱していたが、
とりあえずあかねが目を覚ましてからこれからの事を考えよう…そんな事を俺は考え、とにかく家への道を急いだ。
「よッ…と」
…飛ぶように家へと帰ってきた俺は、とりあえずあかねをベッドに寝かせて、台所へ降りて水桶とタオルを用意してみた。
でも、水桶に、タオル…これではまるで、風邪を引いて熱を出した時の対応法だ。
気絶した人間の対処法というのは、寝かせた後はどうすればいいのか。
まさか、背中や身体に衝撃を与えて意識を取り戻させるわけにも行かないし・・・だいたい、あかねの身体にそんな手荒い事などできるわけがない。
「と、とりあえず冷やしてみたら何とかなるか…?」
俺は水桶とタオルを片手に、再び台所からあかねの部屋へともどった。
すると…
「…」
それまで意識を失って寝ていたはずのあかねが、何やらボーっとしたような表情で座っていた。
「あ、あかね!」
意識、やっと戻った!
俺は持っていた水桶を思わず放り投げよてしまうような勢いであかねの元へと駆け寄る。
「…」
あかねは、まだ視点があってないようなうつろな目で、そんな俺を見た。
「あ、あかね?」
「…」
呼びかけても、あかねはちゃんと反応をしない。いやそれどころか、目の前で呼びかけているのにも関わらず、あかねは俺の顔をかなり虚ろな表情で見ていた。
首を左右に一度ずつ、傾けたりして…はっきり言って奇行に映る。
「あかね…?」
…まさか、今度は完全な記憶喪失とか?いや、まさか言葉まで失って…?
あかねの奇行に俺がさっと表情を曇らせていると、
「…変な夢を、見てたみたい」
心配する俺に向かい、やっぱりボーっとしたままだけれどあかねが、ボそりとそう呟いた。
「変な…夢?」
とりあえず、言葉はちゃんと出るようだ。ついでに、記憶を失ったわけでは無いらしい。
俺は内心ほっと胸を撫で下ろしながら、あかねの話をきちんと聞くべく、あかねが起き上がったすぐ側に腰を下ろす。
あかねは側に腰を下ろした俺を見つめると、もう一度左右に首をゆっくりと傾けながら、話始めた。
「夢の中ではね、あたしは…あ、気を悪くしないでね、東風先生のことがすごく好きなの。でも、乱馬とは付き合ってる事になってて…」
「…」
「で、あたしは夢の中ですごく混乱してるわけよ。自分の気持ちがだんだん良く分らなくなっていって、すごく混乱するの。でも何だか分らないうちにあたしは急にふっと…楽になったの。そして気がついたら目を覚ましていた。…ね?変な夢でしょう?」
あかねはそういって、恥かしそうに悪そうに笑った。
「…」
俺は、あかねのその話を聞きながら何も言葉を返すことができなかった。
今度は俺のほうが混乱していた。
まさか…いや、でも…俺の頭の中をいろいろな言葉が駆け巡る。
あかねは恥かしそうに笑った後、ふと今の自分の格好に気がつき今度は首をかしげている。
「…あれ?あたし、何で浴衣着てんの?あたし昨日寝るとき、あたし達パジャマ着てたよね?あれ…そう言えば乱馬も、何でチャイナ服着ているの?」
寝るとき、パジャマ着ていたよねえ?…あかねは何度も首をかしげながら、自分が着ている浴衣を不思議そうにぺたぺたと触っていた。
「ああ…」
俺は、そんなあかねの姿を見て、はっきりと確信した。
…今、何て言った?
「あたし昨日寝るとき、あたし達パジャマ着てたよね」あかね、そう言わなかったか?
それって、俺とあかねが一緒に寝ていた事を、あかねは分っていて言っているってことだろ?
服装まで覚えているって事は、そう言うことだろ?
それを当たり前のように受け止められるって事は、それはつまり…
「…戻ったのか?」
…そういうこと、だよな?
俺は、自分でもわかるくらい震える声でそう呟き、不思議そうに首をかしげているあかねにゆっくりと腕を伸ばし身体を掴まえる。
「戻った?何が?」
もちろん、それまで記憶を失ったいたのだ。あかねは俺が何を言いたいのかさっぱり分かっていなかったようだけれど、
「解けたんだ…」
「乱馬、何が解けたの?」
「解けた…暗示、解けた!暗示、暗示が解けた!」
「暗示!?乱馬、一体何言って・・・え?!」
まるで、中国人がかたる片言の日本語のように、何度もそれを口にしながらあかねに抱きつく俺。
あかねも何が何だか分らないながらも、無下に引き剥がす事は出来なかったようだ。
俺はそんなあかねを更に強く抱き寄せた。
…戻ってきた。
「俺の」あかねが戻ってきたんだ。
あのお香の香りと一緒に…俺のあかねが、帰ってきたんだ。
あかねの記憶を支配していた、「ラストメモリーズ」の暗示が、解けたんだ…!
だから俺のあかねが戻ってきてくれたんだ!
「ねー、どうしたのよ乱馬。一体どうしたの?」
意味も分からず俺に抱きつかれているあかねは、俺をそろそろ引き剥がそうと身体に力を入れるが、
「戻ってきた…戻ってきた…」
…あまりにもこの事実が嬉しくて一向に離れようとしない俺の様子に観念したのか、
「もう、仕方ないなあ…」
あかねは、聞き分けなく抱き付いたままの俺の頭を自分の胸に抱くように改めて抱えると、
「しょうがないから、もうちょっと乱馬が落ち着くまでこうしててあげるわ。ね?」
あかねは、そんな俺の頭を優しく撫でながら、そう言った。
「…」
全く、偉そうに。一体誰のおかげで俺がこんなに…
俺はブツブツと小さくぼやくも、数日振りに味わう体の温もりと、この居心地のよさに酔いしれ、反抗する気にもならない。
ちょっと小ぶりでも、柔らかくて温かい胸。
気が狂いそうな程俺を誘惑する香り…何もかもが懐かしく、そして今まで以上にいとおしい。
俺は、しばらくそんなあかねに甘えるようにじっと…あかねに抱きついていたのだった。
「…そう。じゃあ、あれは夢じゃなかったんだ。ていうか、何日か経っていたわけね」
「まあな」
「学校に行ったり着替えたりもしていたのね…全然記憶が無いから、何か気持ち悪いわ」
しばらくして。
俺がようやく落ち着いてから、俺はこの数日間に俺達の間に起こった事をあかねに話して聞かせた。
「だからあたし、浴衣なんて着ていたのね」
あー、でも縁日は記憶がある時に行きたかったなあ。あかねはそんな暢気な事をぼやきつつ、自分が身に纏っていた浴衣をじろじろと眺めたりしている。
でも、
「…ごめんね、乱馬」
俺から全ての話を聞き終えしばらくすると、あかねはすまなそうな顔をして俺に謝った。
「…おめーが謝ることじゃねえよ。悪いのはあのジジイだ」
今度遭ったら、妖怪墓地に捨ててやる…俺はそんなことを言いながらため息をつく。
「それに…あの時、俺が寝たフリなんかしてなければこんな事にはならなかったし…」
そして、一応は自分の怠慢からここまで事態をややこしくした事を俺があかねに謝ると、
「…ごめんね、乱馬」
あかねはもう一度そう言って、俺に自分の身体をもたれかけさせた。俺はそんなあかねの頭をきゅっと自分のほうへと抱き寄せ、そしてその頭に自分の頭ももたげる。
「でも…もう解けたよ。暗示。乱馬が、ちゃんとあたしの聞きたかった言葉を見つけてくれたから。それに…」
「それに?」
「ただ言葉をあたしに伝えるだけじゃなくて、『あたしがその言葉を聞きたい』と思わなくちゃいけなかったのにそれを作り出すなんて…乱馬、すごいね」
あかねは俺にもたれかかりながら、嬉しそうな声でそう言った。
「暗示にかかっている時は、あたし…東風先生の事が好きだったんだよね?乱馬の事は酷い事をされたりして脅えていたんでしょ?それなのに最後には…乱馬から『好きだ』って言葉を聞きたいと思ってしまうように心を動かされるなんて、すごいと思って」
「聞きたくないって、何度も言われたけどな」
「うん、聞きたくないって言うのも本心だったと思うの…でも心のどこかでは、先生の事を好きだっていうのとは別に、乱馬の事も好きになり始めていたのかもよ?」
「え?」
「認めたくないから、聞きたくなかった…女心は複雑だったのかも」
「気が多い女」
「余計なお世話よ。それにさ、あたし…暗示にかかってても実は最後は、乱馬のことを好きになりかけてたって事でしょ?」
不謹慎かもしれないけど、何だかそれって運命かなって思ったの…あかねは俺に嬉しそうに笑いかけながらそう言った。
…ったく、暢気な女だ。
人の苦労を知らないで…と俺は思わず苦笑いだが、ようやく元に戻ってくれたあかねの存在が嬉しくて仕方がない。
「もう、いつものあたしに戻ったでしょ?」
そう問うあかねに、
「…そうだな。もういつものあかねだ」
俺の、あかねだ。俺は、あかねの頬にゆっくりと自分の唇を押し付けた。
そして、ゆっくりと離してその後すぐ、唇にも触れる。
「ちょ…もう、戻ったらすぐこれなんだから」
あかねが、数日振りに「ちゃんと」するキスに顔を赤くしながらぼやいた。
俺はそんなあかねにもう一度キスをすると、ぎゅっとその身体を強く抱きしめながら、呟いた。
「…だって、涙の味がしたから」
「涙の味?」
あかねは、そんな俺の言葉に首をかしげている。
「無理やりしたキスは、何だかそんな味がしたんだ」
俺はそんなあかねにもう一回キスをした。
と、
「…今は?」
唇が離れた瞬間にあかねが俺にそう尋ねる。俺はゆっくりと首を左右に振った。
「今は、しょっぱくない?」
「ないよ」
「じゃあ、甘い?」
「それは、もっと確かめてみねえとわからねえな」
俺があかねの顔をじっと見つめながらそう答えると、
「じゃあ…また縁日に行った後に確かめさせてあげる」
あかねが少しだけ赤い顔をして俺にそう言った。
「どうしようかなー」
でも、俺はあかねにうやむやな返事をする。もちろん、味わいたくないわけでは無い。いやむしろ大歓迎なくらいだ。
「なんでよ。いーじゃない、これからもう一度行こうよ。まだそんなに遅い時間じゃないし…」
あかねはそんな俺にせがむような目をしてそう呟くが、
「だってさ、一回脱いでからまた着ていくの、大変なんだろ?浴衣って」
それに、行く頃にはもう終わってるかも知れねえぞ?…俺があかねの耳にそう囁くと、
「…じゃあ、明日にする」
あかねは耳まで真っ赤になりながら、俺の胸に顔を埋めてそう呟いた。
どうやら、素直に状況を理解してくれたようだ。
「そうそう、それが一番賢明だな」
俺はそう言ってあかねの身体に回している腕の力を強くし…そのままあかねをゆっくりとベッドの上へと寝かせた。
そんな俺の身体に、あかねの手がゆっくりと回される。
俺たちはお互いの顔を一度、じっと見つめあった。そして一瞬笑いあって額をゴツッとぶつけあうと、ゆっくりと再びお互いの唇を重ね合わせた。
…なあ、あかね。
妙なお香なんてもう、ジジイからもらうなよな。
頼むから、こんな変な効用のあるお香は、一人で勝手に焚かないでくれ。
焚く時は、せめて隣に俺がいる時にしろよな。
そしたら、「キーワード」なんてまたわざわざ探さなくたって、
あかねが俺から聞きたいって言葉、あかねが必要な言葉…伝えられるだろ?
寝たふりなんかしないって、もう約束もする。
だから、
もしもいつか、またこんな変な香を手に入れてお前が香りを吸い込んでしまうようなことがあった時、目覚めた後の事なんて心配しなくていいよ。
目覚める前も、目覚めた後も、俺、きっとお前がキーワードにするだろう言葉をさ、何度でも言うからさ。な?
「あかね…好きだよ」
何度も唇を重ねた後、俺は改めてその言葉を口にした。
するとあかねは、
「…あたしも」
うん、と一度小さく頷いてから、あかねがそう答える。でも、
「んー…でも何だか改めて言われると照れちゃうからこれからは控えめにね」
とかなんとか、耳まで真っ赤になりながら、あかねが笑う。
「よく言うぜ、暗示のキーワードに無意識にするくらい言って欲しかったくせに」
「い、いいじゃない別にっ」
「だから、いいの」
その代り、もしも逆の立場になったときは俺にも頼むよ…俺があかねに身体を重ねながらそう囁くと、
「うん…」
あかねは嬉しそうにそう答えると、そっと目を閉じた。
俺はそんなあかねに再び唇を重ね、そしてそのままぎゅっと強く身体を抱きしめてやった。
「ラストメモリーズ」。
昔味わった切ない恋の思い出を甦らせる、不思議なお香。
あかねが味わっていたあの「切ない」思い出を、
俺の目の前に再び呼び起こしてきた、俺にとっては忌まわしいお香。
でも、
その忌まわしさと引き換えに、俺は大切なものも手に入れた。
追い求める真実というのは、決して大きなものでも立派なものでもなくて、一人握りの「小さな光」。
…そうであるように、
飾りついた言葉なんかじゃなくて、
カッコいい言葉じゃなくて、
あかねが俺に求めた「言葉」は、本当に簡単で、本当に単純で…でも、とても大切な言葉だった。
俺と出会う前に味わった最後の恋の思い出が、
あかねにとっても、俺にとってもどんなに切なくとも、それを吹き飛ばすような「言葉」を。キーワードを、俺は改めて知らされたのだから。
…
その言葉とともに戻ってきたあかねを、俺は絶対に大切にしようと思った。
東風先生を好きになったあかねだからこそ、優しすぎて切なくて、誰にも言えなくて苦しかったそんな思いを乗り越えてきたあかねだからこそ、それが今のあかねであり、俺が好きな…「俺の」あかねなんだって。
そうはっきりと思ったから。
「…」
ラストメモリーズ、か。
俺にとっての切ない恋の思い出は…真之介と出会ったときもそうだったけれど、絶対に今回のことも候補ではあるな。
あかねには、あんまりそんなことを言いたくないけどさ。
意外に…というか恋愛経験なんて俺も殆どないし、それはそれでしょうがないんだけどな。
まあ今回は得る事が一杯あったけれど、それでももうこんな思いをするのはごめんだぜ。俺はそんなことをこっそり考えていた。
そして当然の如く、
「このジジイ!厄介なもんを持ってきやがって!」
後日、姿を表したあの八宝菜のジジイに存分に焼きを入れながら、あかねの分も報復を企てた俺の姿が天道家で見受けられたのも…忘れてはならない。
