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午前零時のサンタクロース 3
「くしゅん!」
…一方その頃。
日が暮れてから一層強くなった風に鼻をくすぐられ、あかねはちいさなクシャミをした。
そして、着ていたコートの前部分をかきあわせては、ぶるっと震えた身を丸める。
屋外で、しかも夜。
風除けの壁も無い様なこの場所では、防寒対策も何もあったもんじゃない。
「ああ…せめて手袋ぐらいしてくればよかったかなあ…」
何度も息を吹きかけては寒さを誤魔化している自分の手を眺めながら、あかねはそんな事をぼやいていた。
…普段、あかねが友人と夜外出する時は、必ず手袋をして出かける。
しかし、今日に限っては、あかねは手袋をしてこなかった。
忘れたわけではない。
わざと、置いてきたのだ。
「…。手、冷たくなっちゃうじゃない」
あかねは、何度も息を吹きかけては刷り合わせるその手に、そんな言葉をぼやく。
それは、自分の手に対してぼやいているのではなく、この手を、こんな風に冷たい思いをさせる原因を作った乱馬に対してぼやいているのだ。
…そう。
あかねが手袋をわざと置いてきた理由は、たった一つ。
手袋をはめるはずのその手は、しっかり繋いでもらうから寒くはならないはずだ…そう思ったからだった。
片方の手を繋いでいれば、不思議ともう片方の手も温かく感じるものだ。
「病は気から」ではないけれど、「寒さも気から」…そんな気がするのだ。
だから、こうしてその乱馬を待っている今のこの状況では、同じ手袋をしないでも、全然冷たさが違う。
心が「冷たい」分、手も、身体も寒い。
…
「…乱馬の、バカ」
あかねは、もう一度凍える手に温かい息を吹きかけたあとそう呟いた。
そして、のろのろとその場へと腰を下ろすと、直ぐ傍の壁へと軽くもたれかかった。
そんなあかねの目には、一筋の「光の川」が映っていた。
少し遠くに映る、その光の川…
それは、本来ならば夕方、あかねと乱馬がそこで待ち合わせをするはずだった「イルミネーション」がある大通りだ。
一ヶ月も前から、クリスマスイブの今夜、デートをしようと約束をしていた。
楽しく過ごそうと、二人で雑誌を見ながらアレコレと計画するのは楽しくて仕方がなかった。
そして、当日の今日だって。
『乱馬、あたし先に出るけど…絶対に来てよ?』
『当たり前だろ。』
『じゃあ、待ち合わせ場所で会おうね。』
クリスマスらしくムードを出す為に、出かける時間もずらした、あかねと乱馬。
同じ家に住んでいる恋人同士が、新鮮な気持ちでデートをするためには、それぐらいの演出が時には必要なのだ。
そんな風に、出掛けに約束だってしたのに。
いざ蓋を開けてみれば、乱馬は待ち合わせ時間には現れなかった。
…初めは、あまりにも人が多すぎて、近くまで来ているのにたどり着けないのかもしれない。
そんな風に思っていた。
でも、待ち合わせ時間を三十分過ぎ、一時間過ぎ。
だんだんあかねも、不安になってきた。
あかねの同じように、イルミネーションの下で待ち合わせをしているカップルは、次々と自分の相手と落ち合ってその
場を離れていく。
「…」
一人減り、二人減り…やがて待ち合わせ時間も二時間ちょっと過ぎた頃には、殆どそのイルミネーションの下で一
人で待っている人物などいなくなってしまった。
おまけに、
「すみませーん、この広場は八時からイベントをやる為に、そろそろ設営準備に入りますので移動してくださいー」
…あかねが立っていた待ち合わせ場所からは、そんな掛け声とともに追いやられる始末だ。
「…」
…待ち合わせの相手には会えず、更に待ち合わせ場所まで追いやられてしまうなんて。
そう考えると、あかねは思わずため息をついてしまった。
手にした彼へのクリスマスプレゼントが入った紙袋も、いつの間にかひんやりと冷たくなっている。
紙袋が夜の寒さで冷え切ってしまうだなんて。もう、自分はそれだけここで乱馬を待っていたということなんだろうか。
「…」
あかねは、腕にしていた時計へと眼を落とした。
…時刻は、夜の七時半。
待ち合わせからは、その時点で既に二時間半も経過している。
「…絶対に来てっていったのに」
あかねは、待ち合わせ場所のイルミネーションの下から追われるように立ち去りながら、ぽつんとそう呟いた。
付き合い始めて初めてのクリスマスデート。
…待ち合わせをすっぽかされる事が、どれほど惨めか。
今日のデートを楽しみにしていた分だけ、あかねの身には堪える。
「…」
これから、どうしようか。
家族には、友達とパーティーをするから遅くなるといって出てきたゆえに、あまりにも早い時間には帰ることもままなら
ない。
…
あかねはそんな事を考えながら、フラフラと人並みに飲まれるようにイルミネーションの下を歩いていたが、
「…」
その内ふと、あることを思い出した。
…そう、それは、今日の手がけに自分が乱馬に言ったある言葉だった。
『もしも人が多くてはぐれちゃった時は、待ち合わせ場所のイルミネーションが見渡せるような場所にいるからっ…』
…そうだ。
自分は、もしも会えなかったときのことを考えて、乱馬にそう言ったはずだ…あかねは、ふとそれを思い出した。
今夜は、「高校生らしい」デートをしようと、二人で話をしていた。
けれど、人ごみの中でのデート、はぐれる事だってあるかもしれない。
だからあかねは、念のためのことを考えて乱馬にそう提案をした。
お金をかけることもなく、そしてイルミネーションも全て見渡せるような場所。
(…)
…約束の時間を、二時間半も過ぎても逢う事はできない二人。
でも、もしかしたら乱馬も…その場所に先に行っているのかもしれない。
いや、もしかしたらその場所であかねが待っていたら、乱馬だっていつか気が付いて着てくれるかもしれない。
「…」
そう考えたあかねは、イルミネーションの大通りから少し離れて、その「ある場所」へと歩き出したのだった。
「…」
…その「ある場所」というのが、あかねが今こうして壁にもたれて座っている場所。
高校生らしい場所であって、イルミネーションの大通りが見渡せる「高い」場所。
そして、夜七時半を過ぎても、あかねが比較的簡単に入ることの出来る場所。
それは…・学校の屋上であった。
もちろん正門にはカギが閉まっているので、門を飛び越えなければいけないのだけれど、常日頃から身体を鍛えているあかねにとっては、そんな事はたやすい事であった。
そして、校舎の脇の非常階段から忍び込めば…これこうして、簡単に屋上にやってくることが出来るのだ。
ただ、屋上というのは四方を低い柵で覆われているだけの「屋外」であり、風除けなんて出来る場所はない。
とりあえずは、着ているコートをかき寄せるようにして着込み、そして身を小さくして座り込む。
それぐらいしか、防寒対策をすることが出来ない。
「…」
…あかねが学校の屋上に付いたのは、夜も既に九時を回っていた。
(乱馬…)
少しだけ期待をして屋上への扉を開け、辺りを見回してみるも、残念ながらそこに乱馬の姿はなかった。
「…」
あかねは、小さくため息をついて肩を落とした。
もう、いっそのこと家に一人で帰ってしまおうか…あかねも一瞬、そう考えた。
しかし、付き合い始めて初めてのクリスマスデートだ。
それをすっぽかすにはそれなりのわけがある…あかねとて、それぐらいは分かった。
もしや、事故にでも遭っていたら…そう考えると気が気ではないが。
でも、それ以外の事を祈りつつ、もう少しだけ待ってやろうと、あかねは考えていた。
「…」
タイムリミットは、夜の零時。
クリスマスイブからクリスマスになるその前までここにやってこれたら、デートに遅れた理由を弁解させてやる猶予を与えてやろうか。
あかねは、そんな風に前向きに、考えることにした。
…そう。
ゆえにあかねは、クリスマスイブの夜にひとり、こうして風の吹きすさぶ屋上に座り込んでいたのであった。
が。
そうやって、待つこと再び数時間。
…現在の時刻、夜の十一時二十分。
身を小さくしながらしゃがんで待つあかねのもとに、乱馬がやってくる気配は全くなかった。
「…」
寒さを凌ぐ為に顔を伏せていたあかねであったが、今では顔を伏せる理由もそれだけではない。
ふと顔を上げれば簡単に目にすることが出来る「光の川」…イルミネーションを見ていることが、段々と苦痛に感じて
いた。
…一ヶ月も前から約束して、楽しみにしていたデート。
どんな事情があるにしろ、あれだけ念を押したのにも関わらず、当日あかねは待ちぼうけだ。
本来の待ち合わせ時間よりも、すでに六時間二十分も経過している。
待ち合わせに遅れた理由を弁解させてやる猶予として考えたタイムリミット午前零時も、間近だ。
もしもそのリミットに間に合わなかったら、いったい自分は乱馬に何を思うだろう。
「…」
あかねは、はあ…と寒さでかじかんでいる手に息を吹きかけながらそんな事を思っていた。
『どうせ、出掛けにシャンプーとかに見つかって、鬼ごっこでもしてたんでしょ!何でさっさと巻いてこないの!』
『一体いつになったらゆっくりデートが出来るのよ?』
…
リミットを過ぎ様が過ぎまいが、
乱馬が現れたときに、何て言って乱馬を責めてやろうか。
「…」
寒さを凌ぐのと、気晴らしをかねて、あかねはそんな事を考えてみた。
『風邪引いたら責任とってくれるわけ?』
『せっかくのクリスマスデートが台無しじゃない!』
『あーあ、こんなんじゃ、家族でクリスマスを過ごしていた方が楽しかったわ。』
…
一生懸命、乱馬への暴言を考えた。
『ばかばか、嘘つきっ…』
『いい加減男っ』
『約束破るなんて、最低だわっ』
…
あー言ってやろう、こう言ってやろう…次々と言葉を思い浮かべては、乱馬に対する怒りで身体を温めようか、なん
て。
そんなことさえ思った。
しかし…
「…」
そんな事を考えている内に、暴言と同じくらいの割合で生まれる「思い」が心の中に溢れてくるのを、あかねは感じていた。
クリスマスのデートをすっぽかされて、イブの夜に待ちぼうけ。
しかも、連絡もなく約束の時間より六時間以上も待たされて、だ。
普通に考えたら、そんな男…別れを切り出してやったって文句は言わせ無い様な状況なのに。
どんなに暴言をはいてやっても物足りないくらいなのに。
…でも。
こうやってあれこれと乱馬に対しても暴言を考えていたとしてもだ。
きっとあかねは、言ってしまうのだ。
どんなに時間が掛かったって、乱馬がもしもこの場所に現れてくれたら。
日付が変ったって、たとえあかねが熱とか出して具合が悪くなってしまったって。
この場所にたどり着いた乱馬に、あかねはきっとこう言うのだ。
暴言の代わりに、
「…逢えてよかった」
と。
「…あたし、バカだなあ」
あかねは、ボソッと小さい声でそう呟いた。
…待たされたことやデートをすっぽかされた怒りよりも、乱馬が自分に逢う為にここへやって来た、その嬉しさの方が勝ってしまうだなんて。
「…」
一体、いつから自分はこんなに乱馬を好きになってしまったのだろう。
あれだけ約束をしたのにも関わらず、約束をすっぽかすような男を…それさえも直ぐ許してしまいそうなほど好きに
なってしまっていただなんて。
「…ばかだな、あたし…」
あかねは、もう一度小さくそう呟いた。
そして、
「…」
再び顔を伏せるように身を縮め、乱馬への暴言ではなく、そのことばかりを考えるようになった。
…と、その時だった。
フワリ。
「…?」
顔を伏せて身を縮めているあかねのその頭や、耳、首筋に。
何か冷たくて、柔らかいものが舞い降りて来た。
「…」
あかねがふっと顔を上げると、その鼻先にもフワリと冷たいものが舞い降りた。
「っ…」
その感覚に驚いたあかねが更に顔を空へと向けると、ふわり、ふわり…と、鼻や頬、額へと次々と冷たい感覚が降り落ちてきた。
「…雪!?」
…どおりで、いつも以上に手や体がかじかむはずであった。
クリスマスイブもあと数十分で終わる時刻だというのにも関わらず、真暗な夜空からはらはらと、雪が舞い落ち始めた。
「…」
あかねは、じっとその空から舞い落ちる雪を見上げていた。
…雪がこうして降る、今夜までは。
『クリスマスイブに雪が降ったら素敵ね』
なんて…あかねは確か、乱馬と話をしていた。
そう簡単に降らないだろうから、しっかり神様に祈っておけだとか何とか。
そんな事を話ながら、クリスマスイブに雪が降る…という、まるでドラマや童話の世界のようなシチュエーションを祈
っていたはずであった。
…なのに、
「…何で雪なんか降るのよ」
神様に祈るくらい、楽しみにしていたはずなのに。
こうして一人、屋外に座って見あげる雪ほど、憎らしくて疎ましくて、そして…悲しいものはない。
「…」
『雪が降ったら、一緒にその雪で雪だるま作ろう。』
…そんな風に楽しげに、乱馬に提案していた自分の姿を思い浮かべれば浮かべるほど。
あかねは、今こうしてひとり、雪空を見上げている自分が情けなく思えて仕方がなかった。
「…」
あかねは、ふと腕時計に目をやった。
時刻は、すでに十一時五十五分を差していた。
「…」
あかねは、ノロノロと立ち上がって屋上の入り口の扉のほうをへと歩いていった。
そして、その入り口から自分が屋上へと来る為に上がってきた非常階段を覗いた。
非常階段にはもちろん、明かりなどない。
明かりのない、遥か下方まで続いている非常階段。
ずっと下を覗いていると、底の見えない暗闇へと吸い込まれてしまいそうだ。
「…」
深い暗闇を扉の隙間から見つめながら、あかねは小さなため息をついた。
地上数十メートルの建物。
いくら、足の速い乱馬といえども、この暗闇、
足場の悪い非常階段を駆け上ってくるには、五分という時間は短すぎる。
「…」
じっと耳を済ませても、誰かがこの非常階段を下から駆け上がってくる物音など聞こえはしなかった。
「…」
あかねは、そっとため息をついて再び空を見上げた。
ふわり。
ふわり。
…上を向いた頬に、鼻に。冷たく柔らかい雪が、次々に降り積もった。
扉に手をかけているその手にも、雪はどんどんと舞い落ちる。
ちらりと腕時計を見ると、針は確実に、長針と短針、重なろうとするべく動いている最中であった。
「…」
…言い訳をする時間のタイムリミットさえも、やはり乱馬には無駄だったのだろうか。
そう思うと、あかねの口からは自然とため息が洩れる。
「乱馬」
…やがて、腕時計の長針と短針が重なるその瞬間を迎えるように。
あかねは、一向に誰も上ってくる気配のない非常階段を見つめながら小さな声でそう呟いた。
と、その時だった。
ガシャン!
「!?」
…あかねが覗いていた非常階段ではなく、あかねの背後。
屋上から地面を見渡せる、敷地ギリギリの部分を覆っている柵に何かがぶつかるような音がした。
雪が降っている日というのは、何故だか分からないけど「消音」効果がある。
なので、ちょっとした衝撃音も大した大きさとして耳に入ってくる場合がある。
(風…?)
それにしては随分とけたたましい音だな、なんて。
そんな事を考えながら、あかねはゆっくりと音のした方を振り返った。
その瞬間、
「あっ…」
あかねは、思わず目を見張った。
…あかねが振り返った先。
屋上と、雪が降り落ちていくだけの暗闇との間にかろうじてある柵の部分。
それまでは、ただそこには雪が落ちているだけであったにも関わらず…不意にそこに現れた「赤い」もの。
午前零時と同時に、遥か向こうに見えていた光の川、ことイルミネーションは消えてしまったのに。
あかねの目の前に現れたその「赤いもの」は、消えてしまったイルミネーションよりもずっとずっと、明るい光を発しているような気がした。
赤い衣装に、肩に担いだ白い大きな布袋。
光を発していたのは、片手に懐中電灯を持っていたからだった。
絵本で見るよりもずっとずっと若くて、そしてスレンダーで。
顔にも白い髭なんて生えてはいないけれど。
あかねの目の前に現れた「赤いもの」。
それは紛れもなく、
「…サンタクロース」
…サンタクロース、そのものだった。
あかねは、不意に目の前に現れたサンタクロースに、思わず言葉を失って釘付けになってしまった。
…時刻はちょうど、午前零時。
真暗な空からは、ただただシンシンと。柔らかな雪が降り注いでいた。
屋上で一人、乱馬を待っていたはずのあかねがサンタクロースと出逢という予期せぬ出来事が起こったのは、クリスマスイブから、クリスマスへと、時が映り行く…ちょうどそんな時間だった。
