…俺の心にはいつも、君がいる。
いつの間にか入り込んで、勝手に居座って。
初めはすげえ、迷惑だった。でも今は…俺はそこに君を閉じ込めたまま、鍵をかけてしまいたい。
そんな風にさえ、思うんだ。
「迷惑よ」
それこそ、そんな風に言われてしまいそうだけど、でもそれぐらい、俺の心は君でいつも、溢れている。
…なあ。
じゃあさ、君の心には今、…誰がいる?
俺がそうであるように、君にもそう思ってもらいたい。
そんなの俺のワガママだって、分かっている。
ああ、もういっそ笑われてもいいからって、本気で俺はそう思うよ。
でも、それでも、俺は思うんだ。
俺の心には、君がいる。
俺の心には、君がいる。
…他の何かが入り込む隙など、全く無いほどに。
「乱ちゃん、ちょっとええ?」
明明後日に迫った、年に一度の大行事・「学園祭」の準備に、学校中が沸いている日の、放課後のこと。
俺達のクラスも、「喫茶店」として学園祭に参加することになっているので、学園祭までの一週間は、毎日放課後、ク
ラス全員で「喫茶店」の準備に取り掛かっていた。
学園祭の出し物に「喫茶店」を持ってくることなど、実にありきたりな事だけれど、それでも、数ある「喫茶店」の中でもこの俺達のクラスの出すものに関しては、学校の中でも注目度は高かった。
それは、何故か。
そう、それは…言わずと知れた、「あかね」のせい。
学校中で一番人気のあるあかねが、「ウィトレス」姿で接客する、と評判が立てば、うちの学校の男子生徒はおろか、他校の男子生徒までにも前評判が立っている。
「…」
…もちろん、そんな状況を俺が快く思うはずも無く、
「俺もウィトレスやる!」
…と、文化祭前日までは「男」の姿で裏方を、文化祭当日には、「女」の姿であかねと一緒にホールに出る事を決め込んだ。
もちろんそれは、あかねに妙な奴らが声をかけてくることを防いでやろうと目論んでの事なのだが、
「もー…何で男のクセに、ウィトレスの洋服着たがるのよ。変な乱馬」
残念な事に、あかねの奴は、俺のそんな心遣いなど全く気がついてはいなかった。
「うるせーな。寸胴のおめーが着るより遥かに似合ってるんだよ」
なので、俺がそんな憎まれ口を叩くと、
「余計なお世話よ!」
ゴツン…と、あかねは容赦なく俺の頭を殴った。
「けっ」
それもこれも皆、おめーを守ってやろうと思っての事なのに。
…そうは思っていても、もちろんそんな言葉、恩着せがましくてわざわざ口に出そうとは思えなかった。
「あーあ、男の子の格好の乱馬のほうが好きなのになー…」
「…」
それでも、追い討ちをかけるようなそんな言葉をぼやくあかねをよそに、俺の決意は意外に固かったのだった。
…で。
「乱馬、ちょっとひとっ走り買い物に行って来てくれよ」
「おう」
と、
その「喫茶店」準備の為の買出しを頼まれ、学校の外にある雑貨屋に買出しに出ようとした俺は、同じく教室の中で学園祭の準備作業をしていたはずのうっちゃんに、声をかけられた。
「どうした?うっちゃん」
うっちゃんは、あかねと同じ女ではあるけれど、今回は小道具係を担当していた。
担当が違うので特にはなすことも無かったのだけれど、そんなうっちゃんが珍しく声をかけてきたので、俺が声がした方を向き、そんなうっちゃんの顔を見ると、
「うん、ちょっと…」
いつもは「猛々しい」と言う表現が似合うくらい元気のあるうっちゃんの表情に、何となく陰りが見える気がした。
「どうした、うっちゃん。何か元気ねえなあ」
腹でも減ったのか?夕方だから…と、俺がわざとお茶らけた口調で声をかけると、
「そんなわけあるかいな、乱ちゃんじゃあるまいし。うちかてたまには大人しいんよ」
うっちゃんは困ったような表情で笑った。そして、
「なあ、乱ちゃん。ちょっと話があるんやけど…時間作ってくれへん?」
「え?」
「今から、買出しにいくんやろ?うちも一緒に言って荷物持ちしたるから、話聞いてくれへん?」
「え、い、いいけど…」
といって、突然の提案に戸惑っている俺の腕を取るように、教室を出た。
「う、うっちゃん。何だよ話って」
いつも以上に強引なうっちゃんに、俺が戸惑っていると、
「いいから。学校では誰に聞かれてるかわからへんやん。学校から出たら話す」
うっちゃんはそういうだけで、あとは何も話そうとはしない。
ただただ必死に、俺の腕を取って廊下を昇降口へ向かって、ズンズンと歩いていく。
「?」
…そんなうっちゃんの様子に、何だか釈然としない俺だったが、学校から出れば話す…といううっちゃんの言葉をとりあえずは信じる事にして、まずは、そのまま街へと買出しに出かけた。
「で?話って何だ?うっちゃん」
…渡されてきたメモどおりに一通り買い物済ませ、あとは学校に戻るだけ…と、学校の近くの、大通りの交差点で信号待ちをしながら、未だに「話」とやらを口にしないうっちゃんに俺が再び尋ねる
と、
「うん…」
うっちゃんは、俺の質問には直ぐに答えず、何故かため息をつくばかりだ。
「俺には言いにくい事か?だったら、あかねに代わってもらおうか…」
俺が、うっちゃんにそんな提案をすると、
「…」
うっちゃんは、そんな俺に向かって大きなため息をついた。
「な、なんだよ…そのため息は」
俺が少し怯むと、
「なあ、乱ちゃん。…ちょっとだけ、寄り道せえへん?」
「え?でも…」
「時間取らせへんから。な?」
うっちゃんは、何かを考えているような表情のまま、不意に荷物を抱えている俺の腕を取った。
そして、
「近くに公園があるから、そこで話そう」
そう言って、俺を引っ張ってその公園へと歩きだした。
「やっと話す気になったのか?」
「ん…まあそんなところやね」
「幼馴染のよしみだ、何でも話せよ、うっちゃん」
うっちゃんに公園まで引っ張ってこられた俺は、
ようやくうっちゃんが立ち止まったその公園の中央…滑り台の前で、
うっちゃんの肩をポン、と叩きながら笑った。
…が。
「…」
うっちゃんは、そんな俺の顔を困ったような表情で見ると、
「…同じ、はずやろ?」
「え?」
「うちかて、許婚やないの?」
「う、うっちゃん?」
「…あかねちゃんは許婚で、うちは、やっぱり幼馴染なん?」
…俺が全く予想もしなかった言葉を、ぼそっと呟いた。
「え…な、何言ってんだよ、うっちゃん。急にどうしちまったんだ?」
俺がそんなうっちゃんの言葉に、きょとん、とした表情をしていると、
「急にも何もないやろ。うちかて、許婚なはずやろ?そんなの、乱ちゃんだって、知ってるやない。それなのに何で乱
ちゃんは、いつもあかねちゃんばっかり…」
うっちゃんはそう言って、はあ、とため息をついた。
「そ、それは…」
「それは?」
「だから、その…」
俺は、ぎろり、と睨んでいるうっちゃんの迫力に少したじろぎながら、言葉を濁していた。
…何といえばよいのだろうか。
とっさの事で、俺は少し混乱していた。
俺とあかねは、大分前からもう、ちゃんと付き合っている。
「親同士が決めた許婚」だからいつも一緒にいるんじゃなくて、お互いが傍にいたいと思うから、いつも一緒にいる。
だから、もちろんだけど俺はあかねの事を大事にしているし、誰がなんと言っても「許婚」だと思っている。
他の誰かの事を思う余裕なんて、ないくらいに、だ。
中国・呪泉洞の戦いから帰ってきた後ぐらいからだろうか。
俺のと、あかねの関係が微妙に変わり始めてそして…付き合う事になって。
やっぱりそうなれば周りも雰囲気で分かるらしく、
「俺たち、付き合う事にしたんだ」
改めて皆にそんな事を言わなくても、
『ああ、あの二人は付き合ってるんだな』
…周りは、そんな雰囲気を感じ取ってくれていた。
「…」
…それは、シャンプーや小太刀は勿論の事、うっちゃんだって同じはずだった。
だから、前みたいにあからさまに俺を追っかけて回す事も無くなったし、
「うちかて許婚や」
と、今日みたいにはっきりと口にする事が無くなった。
だから、俺はてっきり、うっちゃんもその雰囲気を感じ取ってくれていたのか…そんな風に思っていた面もある。
「…」
なので、そのうっちゃんに改めてそんな事を問われると、
一体何処から話したらよいのか。
何処まで話せばよいのか。
…俺は、戸惑ってしまっていた。
「…」
うっちゃんは、そんな俺の様子をしばらく見守っていたけれど、
そのうち、あからさまに大きなため息をついて、強張らせていた表情を緩めた。
そして、
「…なあ、乱ちゃん。もうそろそろ、はっきりしよ」
戸惑った表情で自分を見ている俺に向かって、小さく呟いた。
「はっきりって…?」
俺が、そんなうっちゃんにすぐに問い返すと、
「うちとの事に決まってるやろ」
うっちゃんは、「他になにがあるん」と、少し呆れたような表情をした。
「…うちかてバカやないし、乱ちゃんがあかねちゃんの事を好きだって事、とっくの昔から知っとるよ」
「…」
俺が、「乱ちゃんがあかねちゃんを好き」と言うその言葉に反応し、思わず顔をかっ…と赤くしてしまうと、
「乱ちゃんの気持ちはとっくの昔にわかっとるのに、でも乱ちゃん、うちとの許婚の約束、解消するって言ってきいへん
から…」
「うっちゃん」
「ま、乱ちゃんのその様子だと、うちのことは『許婚』というよりも『幼馴染』としか見てへんみたいやから、仕方ないの
かも知れへんけどな」
うっちゃんは顔を赤くした俺を見て、はあ、ともう一度ため息をついた。
「…だからな。ここらでもう、はっきりしよ、と思ってな。それでこうして時間を作ってもらったんよ。なかなか言い出す決心がつかなかったけど…さっきの言葉でようやくうちも、切り出せたわ」
「…」
「…もう、うちは乱ちゃんのこと『許婚』って言わへんし、乱ちゃんもそう思わない。おっちゃんと、うちの父ちゃんが交わした約束を、破棄したるってことや。その方が、乱ちゃんかてええやろ?」
「そ、そりゃそうだけど…」
俺が、うっちゃんのその提案にボソッと答えると、
「それに…うちかて、このままズルズルと乱ちゃんの事、思ってるのは嫌やもん。…結ばれないって分かってるの
に」
うっちゃんはそう言って、ふ…と笑った。
「…ごめん」
俺は、そんなうっちゃんにただ、謝ることしか出来なかった。
…そうだ。
もっと早くそうしてやるべきだった、と、俺は何だか申し訳ない気持ちになった。
確かに、うっちゃんの言う事は正しい。
…俺の気持ちがあかねにある以上、うっちゃんの気持ちを受け入れてやる事は出来ない。
気持ちが無い相手と、そして結ばれない相手と、いつまでも「許婚」という関係を持つのは、確かにおかしい。
そりゃあ、いずれははっきりとさせなくてはいけないと。俺だって、考えてはいた。
それが、まさかこんなに急に、その機会が訪れる事になるとは…思わなかったのだけれど。
今がその時ならば、それはそれで仕方のないことだ。
うっちゃんには申し訳ないが、その機会、使わせてもらおう。
「…」
…俺がそんな事を考えていると、
「でもな、乱ちゃん。…許婚を辞める前に、一つだけ…お願いがあるんよ」
うっちゃんは、黙って色々と考え込んでいた俺に、ボソッと一言、そう呟いた。
「お願い?何だよ。何でも言ってくれよ」
うっちゃんに対しての申し訳ない気持ちと、そして「最後だから」という気持ち。
それを思って、俺が笑顔でうっちゃんにそう話し掛けると、
「…」
うっちゃんは、そんな俺の笑顔に向かって一言…呟いた。
「…・うちに、キスして。乱ちゃん」
「え!?」
「これで、うち、乱ちゃんのこと諦めるからっ…だから、なあ?!一回だけでいいから…」
うっちゃんはそう言って、俺の胸に、突然飛び込んできた。
「えっ、あ、あのっ…」
うっちゃんの言葉と、そして、いきなり抱きつかれたこと。
あまりに驚いて、俺は持っていた荷物を地面に落としてしまった。
ガチャン、と、買ってきたガラス雑貨の一つが割れたような音が、した。
「キスをして欲しい」、というその言葉に、俺の頭の中は、一瞬で真っ白になってしまった。
「き、キスって…な、なんでっ…」
俺が、抱きついてきたうっちゃんの身体を丁寧に押し返しながらオドオドと答えると、
「最後だからっ…なあ、乱ちゃん!思い出くらい、くれたってええやろっ…」
うっちゃんは、そんな俺に負け時と再び俺に抱きついてきた。
「で、でも…」
…それでも俺がその提案に応じないでいると、
「…最後って、言うてるやん」
「うっちゃん…」
「なんで最後でもだめなん?…」
うっちゃんは、ガクン、と首をもたげるように下を俯くと、そう言ったきり黙りこんでしまった。
俯いたその肩が、微かに震えていた。
「…ごめん」
俺は、そんなうっちゃんにはっきりとそう答えたものの、俯いたままのうっちゃんの姿を見ると心が苦しかった。
…泣かせてしまった。
大切な友人を、泣かせてしまった。
そう思うと、少し胸が苦しかった。
でも。
それでも俺は、こればかりは…・譲れなかった。
うっちゃんの思い出を作るその事よりも、きっと俺は…あかねを傷つけることの方が嫌だった。
もちろんそれを、口に出すことはしなかったけれど。
…
「ごめん、うっちゃん。俺、その他の事ならなんでもするから…」
俺は、俯いたうっちゃんに優しく問い掛けるようにしながら、身をかがめてその顔を覗き込んだ。
そして、うっちゃんの機嫌をまずは直してもらおう、と笑いかけたが…ちょうど、その瞬間だった。
「!」
フワっ…とした柔らかいものが、俺の唇の先を掠めた。
「!」
とっさに俺が身を引いたので、その「柔らかいもの」がゆっくりと着地したのは、俺の鼻先。
「…っ」
俺は、直ぐに離れたその「柔らかいもの」の正体が分かるや否や、慌てて鼻先を両手で覆った。
うっちゃんは、そんな俺を、じっと見つめていた。
俺は、どうしたらよいかわからない…そんな表情で、うッちゃんの方を見た。
…俺今、うっちゃんにキスされた?
その事実を受け入れるまでに、しばらく時間が掛かった。
唇を掠めただけなので、唇に、というわけではないけれど、顔を覗き込んだ瞬間、鼻先にキスされたのは、紛れも無い事実だった。
「あっあのっ…」
両手で鼻先を覆ったまま俺が戸惑っていると、
「…乱ちゃんからしてくれへんなら、うちからする。ちゃんと唇にしたかったのに…それはだめなんやね?」
「ごめん…」
「あーあ、それじゃあ思い出作りが半分やなあ。…そうだ。じゃあ、うちにキスせんかわりに、明明後日の学園祭…
うちと一緒に校舎の中、まわってくれる?」
「え?」
「学園祭ニ日目の夕方にな、面白い企画があるんやで。それ、一緒に見にいこ。うち、一度でいいから、大好きな人
と学園祭とか、楽しく回ってみたかったんや。な?それぐらいならええやろ?」
うっちゃんはそう言って、「お願いします」と、俺に手を合わせた。
「…」
…確かに。うっちゃんにキスしてやることは出来ないけれど、でも一緒に学園祭を回るぐらいだったらいいかな。
「いいよ」
俺は、うっちゃんのその提案に、今度は応じる事にした。
うっちゃんは、俺のその返事を聞いて、ホッとしたような表情をみせた。
「じゃあ、うちが乱ちゃんからもらう慰謝料は、学園祭の思い出ってことで」
「い、慰謝料とは人聞き悪いな」
「似たようなもんやろ」
そして、先程までの思い詰めていた表情一転、いつものように元気のよい表情で俺に笑いかけると、
「約束やで、乱ちゃん。うちと、学園祭のニ日目、一緒に回ること」
と、俺に念を押す。
「ああ、約束な」
俺はそんなうっちゃんの迫力に少し戸惑いながらも、でも、そうして学園祭を回る事でうっちゃんの気持ちにカタがつくのなら…と、この時はそれぐらいの気持ちで、この
提案を飲んだ。
そして。
「…さ、そろそろ学校に戻ろうぜ。あんまり遅くなると、皆が心配するし」
「そやね」
一通り話もついたので、俺とうっちゃんは、慌てて公園を出て、再び学校へと戻ったのだった。
…しかし。
「やだ…すごいもの見ちゃった」
「あれって、F組の早乙女君と久遠寺さんでしょ?」
…そんな俺達の話していたその姿を。
暗がりの公園の、反対側の道路から見ていた奴らがいたという事。
それが、運悪く、隣のクラスの噂好きの女子生徒だった事、
そしてその二人の目に映ったものが、暗がりゆえに「正しく」解釈などされていなかった事…その事に俺も、そしてうっちゃんも。全く気がついてはいなかった。