あからさまに、機嫌が悪い。
背中を見つめただけでそれが分かるようになった俺、それってすごい進歩だよな・・・と、
俺に黙ったまま背中を向けて勉強しているあかねを見ながら、俺はそんなことを考えていた。
そう。
今日のあかねはご機嫌ナナメ。
原因はたぶん・・・シャンプーが俺に抱きついて来たのを、俺がいつまで経っても引き剥がせなかったから。
「仕方ねえだろ。シャンプーはああ見えてすげえ怪力の持ち主なんだぞ」
そう言い訳した俺に、
「ホントにいやなら、無理にだって引き剥がせばいいじゃないッ」
あかねはそう言い張って聞かなかった。
「あのなあ・・・」
「何よッ乱馬だって本当は嬉しかったんじゃないの?」
「んなわけねーだろッあのなあ、度が過ぎる嫉妬はかわいくねーぞ」
「だっ誰があんたなんかにッ余計なお世話よ!」
・・・こーして俺とあかねは喧嘩をし、現在に至る。
まあ、あとになって冷静に考えてみればどう考えても俺に非があるのは否めないわけで。
夕食後、
寝る直前まで長引いているこの喧嘩をどうにか終わらせようとこうして部屋にやって来たはいいけれど、
「・・・」
これこのようにあからさまに俺に対しての不機嫌オーラを醸し出しているあかねは、
俺に近寄らせるスキなど見せる素振りがない。
なんとかしてきっかけがつかめねーものか。
昼間はあれだけ強気で喧嘩したくせに、いざあかねのこの姿を見ると話しかける勇気がない、意気地なしの俺。
全く、情けないほど尻に敷かれている。
とにかく何とかしてあかねに話しかけなくては・・・部屋のドアの外の廊下から中を覗きながら、俺がそんなことを考えていると、
「あっかねちゃんッ」
ウジウジと考えている俺の横を、八宝菜のじじいが嬉しそうに跳び跳ねながら通り過ぎた。
そして、
「プレゼントじゃ」
「え?」
じじいが部屋に入り込むなり突然、あかねに何かの箱を手渡した。
その箱の側面には、奇妙な漢字の羅列。どうやら、中国製らしい。
その中には頻繁に
「香」という漢字が使われていた。ほのかに独特の香ばしい香りもするし、どうやらそれは、中国産のお香のようだ。
「おい、じじい。ソレ、怪しいもんじゃねえだろうな?」
・・・明らかに胡散臭いようにも見えるそれに対し、俺はそんな言葉を呟きながら部屋に入る。
もちろん内心では、
でかした、じじい!…と、あかねに話しかけるきっかけが出来た事をほくそえんでいる。
そして、
「おい、大丈夫かそれ?」
ようやく出来たチャンスに胸を躍らせながらさりげなく、あかねに話しかけるも、
「あら、これはお香?おじいさん」
・・・あかねはそんな俺を完全に無視しつつ、じじいにそんな質問をしていた。そのあからさまな無視の仕方に俺はがっくりとうなだれる。
が、
「そうじゃー、あかねちゃんはこーゆーの好きだったと思ってな。わしが調達してきたんじゃよ」
「そう、わざわざありがとう」
「だから、あかねちゃん・・・」
これをあげる代わりに一緒に寝ておくれっ---どんどん雲行きが怪しくなり、しまいにはそんなことを言いながら、じじいはあかねに抱きつこうとしてた。
・・・おのれじじい、やはりそれが目的か!
「出直して来いッ」
当然のごとく、あかねとじじいを一緒に眠らせるわけには行かないわけで。
俺はそんなじじいの首根っ子をグイッと掴み、
窓の外、遥か遠くへとぶん投げてやった。
全く、ろくでもねえじじいだ。
「たく・・・何考えてるんだ、あのじじいは」
ピシャリと窓を閉め、一応は再びじじいが入ってこないようにと窓に鍵を閉めた俺は、ブツブツと消えたじじいに向かって文句を言っていた。
そんな俺に対し、
「・・・」
あかねは、一度だけちらりと目をやっただけだった。
じじいの魔手から守ってやったことに対して御礼を言うわけでもなく、嬉しそうな表情をするわけでもない。
というか、殆ど反応を示さない。まるで、俺がこうして側にいること自体無視しているというか。
そんな印象を受けた。
「・・・」
・・・そりゃ、お礼を言われたくて助けたわけじゃないけど、
いくら喧嘩しているからとはいえ、ちょっとくらいはその、何か喋って欲しかったな。
反応もなしって、それが一番堪えるんだけどなあ。
俺は、そんなあかねの態度に少し胸が痛かった。まあ、そこまであかねを怒らせた俺が悪いというのは分かってはいるんだけど。
・・・
「・・・」
一方のあかねは、俺の事を相変わらず無視をしたままだ。
その内、俺がいるなんてこともお構いなしに、先ほどじじいからもらっていた中国製のお香の箱をあけ、暢気にそれを焚き始めた。
「良い香り・・・」
俺には何の反応も示さないのに、そんなことを言いながら楽しそうな顔をして香を思いっきり吸い込む、あかね。
可愛いけれどその落差に少しおれは傷ついた。いやそれよりも、
「お、おい!じじいが持ってきたそんな得体の知れないもん、やたらと嗅ぐなッ」
香りがいいお香だとは言えど、持ってきたのはあの八宝菜のじじい。
信用性がないこと、間違いがない。俺は慌ててあかねから香を取り上げ火を消した。
「別に、乱馬に迷惑なんてかけないわよ。余計なお世話だわ」
が、せっかくの俺の親切も、あかねにとっては迷惑行為。あかねは俺に冷たい声で一言そういい捨て、再びお香を吸い込もうと火をつけようとするが、
「やめろってば!」
俺は再びあかねからお香を取り上げさっさと箱にしまいこんでしまうと、その箱を机の端っこの方に追いやってしまった。
「ちょっと、何するのよ!」
当然のことながらそんな行為もあかねにしてみれば「余計なお世話」。あかねは俺の顔をジロリと睨みつける。
そして俺が端っこに追いやった箱を再び取り出そうと手を伸ばすも、
「・・・なあ、まだ怒ってんの?」
俺はそんなあかねの手を捉まえ、ぎゅっと自分の方に引き寄せながらそのままあかねを抱き締めた。
「離して!」
あかねは、そんな俺を振りほどこうとイヤイヤ、と体を何度も捩る。
でも、俺にしてみれば疎まれようがなんだろうがようやくここまでたどり着いたわけで。
「嫌だね」
絶対に逃がしはしない・・・と、俺はあかねよりも数倍も強い力であかねを抱きとめる。
するとあかねは、自分の体を離さない俺の太い腕をバシバシと手で叩きながら、
「なによ・・・こんな強い力があるんだったら・・・あたしを放さないくらいの強い力だがあるんだったら、シャンプーの事だって引き離せたはずでしょ!それなのに何よ!こんな時だけ都合よく・・・嫌い!」
「悪かったよ」
「何よッ何よ・・・嫌いッ、大嫌いッ・・・」
「・・・ごめんな」
・・・あかねの怒りが、発する言葉が一つ一つ俺の胸に響く。
あかねが言う事は、決して間違っている事ではない。
いやむしろ「当たり前」のことなんだ。もし俺があかねで、あかねが俺でも・・・きっとこんな風に怒ったのかもしれない。
誰だって、大切な人が別の異性に抱きしめられたり抱きつかれたりする姿を「当たり前」のように見せられるのなんて、気持ちがいいものではない。
「ごめんな、あかね」
俺はそんなあかねの髪に口付けながら、
震えてるあかねの頭を、背中を優しく撫でてやった。
今の俺には、謝る事しか出来ない。この気持ちが少しでも伝わってくれればいいなあ・・・俺はそんなことを思いながら、あかねをぎゅっと、抱きしめる。
「・・・」
・・・そうされる事でようやくあかねも気持ちが落ち着いたのか、
「うん・・・」
しばらくして小さな声でそう呟くと、あかねは一度俺の腕をぽんぽん、と叩いた。
そして改めて俺の体に抱きつくと、今度はいつものようにぎゅっと・・・胸に顔をうずめる。
ようやく、「無理に抱きしめている」形から「抱き合っている」形になった俺達は、しばらく何も言わないままお互いのぬくもりを感じあっていた。
・・・俺、ホントにバカだなあ。
こんな風にあかねを悲しませたり嫌な思いさせちまって。
自分がされて嫌な事なんだから、あかねだって嫌なことぐらいわかりそうなものなのに。
まだまだ、だなあ。
「・・・ごめんな」
「うん・・・」
もっと、あかねの心も大事にしなくちゃ。大切だって、口先だけで言うんじゃなくて、
大事なものはもっと、大事にしなくちゃ・・・
俺は、何度も自分にそう言い聞かせながら、あかねの体をぎゅっと、抱きしめた。
そして・・・その日の夜。
抱き合って・・・とまではいかなくとも、
「仲直り」の意味も兼ねて、俺たちは手を繋いで寝た。
「乱馬・・・」
夜中。
眠り込んでいる俺は、ふと、あかねに呼び掛けられたような気がした。
「・・・」
名前を呼んでくれるのは嬉しいが、でもいつものようにあかねの寝言かな・・・と思って俺が無反応を決め込みしばらく様子を伺っていると、
「言ってほしい言葉があったんだけどな・・・」
あかねは小さな言葉でそう呟いた。
そして、
「でも・・・寝ちゃってるんなら仕方ないか。なら明日の朝にでも言ってもらおう」
諦めたような、そんな事を言いながら、静かになった。
直後、規則正しいあかねの寝息が俺の耳に飛び込んでくる。
・・・どうやら、何かの拍子で目を覚ましたあかねは、俺に何か言って欲しい言葉があったようで、もし俺が起きてくれたらそれを言わせるつもりだったのだろう。
一体、何の言葉だろうか。
あかねが俺に言わせたい言葉・・・なんか今度はこっちが気になって仕方がないけれど、でもあかね自身も「明日の朝にでも」と言うくらいだから、そんなにたいした言葉ではないのか?
・・・
どちらにせよ、明日の朝になれば聞くことが出来るんだ。
その言葉の正体はよく分からないけれど、
「明日の朝、言ってやるよ」
うん、
あかねの気が済むまで、な。
俺は眠り込んだあかねの頭を一撫でし、心の中でそう約束しながら、自分も再び眠りについた。
が。
「明日」
この言葉が、以下に不確かなものなのか。
昨日があれば、今日がある。今日が来れば明日も来る・・・それが当たり前だと思っていた俺。
いや、それは俺だけじゃなくてあかねもそう思っていただろうけれど、
それを根底から覆すような出来事がまさか俺達に降りかかることなど、
翌朝目を覚ました俺達に降りかかる出来事の事など、
そして今俺が感じているこの幸せな時間をいとも簡単に壊してしまう事が起きる事など・・・この時点では全く予想する事は出来なかった。