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キヲクの中のキミは、とても苦しそうだから・・・・・・








『今更、自分のこと別にどうでもいい。 それよりもとにかく、キヲクを・・・返す』

 吐き出すようにそう言って、誰も見ずに俯いて部屋から出る。
 状況が掴めず立ち尽くす彼女の隣を通り過ぎて。
まるで何もなかったように――
 いや、掻き乱れる心を誤魔化してるようにしかきっと見えない。
 彼女から・・・そう見えるんじゃなくて、先生から見たら・・・だ。

 静寂だけが漂う。
 恐ろしいほどの静けさが占拠するこの家の中。
 一気に部屋まで戻り、後ろ手に戸を閉めると思いもよらず大きな音が部屋中に響いた。
 なんで、あんなことを言ったのか正直わからなかった。
 彼女は置いてくと言いだしたのは俺の方なのに。


『あかねちゃんはここには置いておけない』

 先生の冷静なコトバが脳裏に焼き付いて離れない。


 今頃、俺の居なくなったあの空間で二人は何を話してるのだろう。
 あの気まずい雰囲気のまま?
 気まずさに拍車を掛けたのは俺だけど、そもそもは先生の言葉からだ。

――置いておけない。
 この言葉だ。


『あかねちゃん・・・』
 その直後に聞こえた言葉がふっと浮かび上がる。
 すぐに『キヲクだ!』と思ったのも束の間、とてつもない力を持ってキヲクが引き摺り出される感触がした。
 こんなに強いのは久々だ。
 頭の片隅でそう思った次の瞬間に意識が遠退いた。



・・・暗く、手元も見えない。

 夢のようで現実のよう。
 キヲクが、そんな風に見える。

 ポッと火が灯ったみたいに視界に色が混ざる。
 限られたその隙間から見えたのは鏡越しに映る彼女だった。そして、ふと呟いた。

『先生が・・・、好き』
 その言葉に胸が苦しくなる。
 キヲクと連動して苦しいのか、単に俺だけ苦しいのか、キヲクの中の彼女からは読み取れない。
 ただ、鏡の中の彼女は見たこともない顔をして笑みを作っていた。

『ずっと、傍にいてくれたらいいのに・・・』
 夢を見るように囁くその声は絹のように滑らかで、なのに鋼の矢のように鋭く抉るように俺に突き刺さる。
 その声が透き通るほど純粋で、俺の胸に留まる。



   聴きたくない
   キミの声で



 フェードアウトしながら、まるで映写機のようにガラリと切り替わる視界。
 目の前に広がったのはさっきとは一転、皎々とした自然の光の下だった。
 俺の住む国にはない輝きが一面射し掛かる。その中で見えたのは髪が長く、彼女と同様に美しい衣を纏った一人の女性。


「かすみさんっ!」

 “かすみ”と言われて艶やかに振り向いたその人。
 軽く微笑むその表情は穏やかで、穢れを知らない。その眼差しがこの視点から微妙にずれていることにふと気付いた。

 その先を確かめるようにその視線をずらすと、そこには先生がいた。


 ただただ、太陽が眩しかった。
 眩しくて、クラクラした。
 微笑み合う二人の間に流れるものが何かわかった。
 なぜわかったのか、そこまではわからないけど。


 彼女の・・・
 あか・・・ねのキヲクの中の二人は、まるで壊してはいけないもののようだった。
 なのにひどく胸が爛れるように軋みながら痛くなる。
 感じたことのない焼けるような痛みが全身に流れる。

 そのまま、焼けるような苦しみを残しながら意識が戻ってゆく。
 気付くと肩で呼吸し胸を鷲掴んで息を荒立てていた。まるで悪い夢を見た後のような心地だけが全身を包んでた。
 頭の中はまっしろだった・・・・・・



 翌日、けだるい気分のまま目覚めた。
 どうやら浅い眠りしかついてなかったようで眠さが残っていた。
 そして、あのキヲクも・・・残っていた。
 昨夜はあのキヲクを見て、一度起きてから水を一口飲んだだけで後は就寝してしまった。
 夕飯を食うこともなく。



 あんな気分は初めてだった。
 最初に食らった衝撃なんて比じゃない。
 その痛みがあまりにリアルで戸惑っていた。
 痛さから逃れたくて、でもその痛みは体に受けた傷ではないからどうしようもできなくて、どうすれば消えるのか寝ながら考えてみたけど一向に浮かんで は来なかった。
 彼女が可哀相だという感情よりも、自分の浮かんだ気持ちの方が大きくて、その意味も理由も分からなかった。

 だから、寝起きが最高に悪い。
 元々寝起きはイイ方なのにヤバイくらいに頭が痛くて、ベッドの上で丸まってしまうほど。
 情けなく思ってる中で起こしに来てくれたのは、先生だった。


「乱馬くん、朝ですよー」

 普通の、いつもの声。
 たまに遅刻してしまうような日は決まって先生が起こしに来てくれた。
 それにいつもは『スイマセン』と言って起きてた俺だったけど、今日はその声で目覚めたくないと・・・まるで駄々っ子のような思考が頭を占拠した。
 でも、その感情に染まる前に、そんな思考にツッコム俺が居て、自分の胸の奥で『何バカ言ってんだ!』と蹴散らせようやく起床した。


「・・・おはようございます」

 気分は果てしなく荒んでる。

「ご飯出来てるから、支度終わったらおいで」

 でも先生はやっぱりいつもどおりの接し方なんだ。



 思い知らされる。
 自分がわけのわかんない感情に取り憑かれて、それにモロ乗ってしまって、まるでお子様な態度しか取れないことを。
 キヲクが、俺の中をグチャグチャにする。
 恐いくらいに俺の中に潜り込んでくる。
 早く放したいけど、放したくない。


 重たい頭を引きずるようにしてリビングに行くと、沈黙に包まれた先生と彼女が居た。
 あまりにも重たい空気なのでどうすればいいのか一瞬戸惑いながら「おはよう」と低く言うと、二人同時にこちらを見るので更に動揺した。

 昨日の一言は思わぬ気まずさの波紋を残したのは明らかだ。
・・・どっちにしろ。
 先生の言葉だけならまだしも、俺の最後言ったものが更に追い討ちを掛けたような。
 脱出したいと思うくらいの重たい雰囲気の朝食は目覚めの悪い頭に更なる頭痛を持たせたのは言うまでもない。

 一体、何分経っただろう。
 「おはよう」からの言葉が生まれない食卓。
 それに比べ、やたらに美味しいパンの触感が脳内を潤すも、すぐさま沈黙に粉砕される。
 悪循環だ。

 居たたまれない・・・と思いながら食事も終わりに差し掛かり残ったスープを飲み干そうとした時、先生が口を開いた。

「昨日は、なんの説明もなかったから・・・今言っておこう」

 ゆっくりとした口調。でもしっかりとした声。
 思わず、ゴクリと息を呑んでしまった。


「あかねちゃん、君は乱馬くんと一緒にこの国の王都に行かないとダメなんだ。例え危険でも一緒に行かないとダメなんだよ」

 いつもは強制などしない先生が仕切りに『ダメなんだ』と言ってるのでキョトンとする俺。
 なんでそんなに『一緒じゃないとダメ』なんだ?
 そんな状況で彼女は先生を見たまま、なにも話さなかった。
 だた、最後まで言われるのを待ってるだけの姿勢だと感じた。
 それを理解してるのか、先生も話を続ける。

「乱馬くんがいないと消滅してしまう恐れがあるから」

 先生の言葉にいの一番に驚いたのは俺だった。


「昨日調べてみたいんだ。どうにも聞いたことのある伝説と酷似してるようで恐くなってね。もしかすると君達は伝説の中にいるかもしれないと、乱馬くんに は言ったよね?」
「え・・・は、はい」
「似た書物が幾つかあるんだ。それによると記憶の持ち主と乗り移った者は一緒に居ないといけないと書かれてあるんだ」
「え・・・?」
「乱馬くんは、今まで君の手から彼女にキヲクを返していた。そう言ってたよね?」
「は、はい」
「ということは、君からしか戻せないんだよ」

 俺からしか、返せない?

「遠くに君が行ったらいつ帰って来れるか分からない。しかも彼女はキヲクが戻らないと衰弱していく恐れが強い。だから多少危険があっても一緒に居た 方が彼女の衰弱や消滅は少なからず改善される。
 その代わり、乱馬くんが少し大変になる。同時にあかねちゃんも自ら守れるように警戒していないといけない。普通の生活はもう出来ないんだ」

――覚悟を決めてくれ

 そう、低い声で言われた。

 これはただの話し合いじゃない。 命令だ。
 彼女を助けたいと思った俺への命令。
 決めたのなら、最後まで貫けという命令。

 普段は、大人からの命令なんて従う気なんてさらさらないという感情がいつも前面にあったのに、なぜかこれだけは自然と頷いて従うものだと思った。
 そして、彼女を守るのは俺だけなんだと言い聞かせる。
 それがどういうことなのか、俺にはまだよくわかってなかったけど、とにかく死なないように守らなければならないと思った。



「あかねちゃん、半強制的で申し訳ないけど君のためなんだ。わかってくれるね?」

 先生の優しい口調に初めて彼女は首を縦に振り、小さく「はい」と答えた。









「あ、乱馬くん。一緒に仕事場に行こう」
 支度を整えて仕事場に向かおうとした俺に先生がそう言ってきた。

「え?」
「昨日の石。親方に説明しないといけないしね。これを運ぶのは乱馬くんじゃないと多分、暴走するから」
 そう言って石の入ったケースを俺の前に見せて微笑んだ。

「・・・それを言いに?」
「そう」
 やけにいい笑顔で答える先生に俺は苦い実でも齧ったような顔になりつつもそれに合意するしかなかった。

「あかねちゃん、ちょっと出て来るから」
「え?」
「すぐ戻って来るよ。乱馬くんも一緒に」
「はい・・・」

 いってきますと言う先生の声と、いってらっしゃいという彼女の声が俺には遠く聞こえた。
 社交辞令みたいに俺も先生に合わせていってきますとボソリと言う。
 彼女はそれをまるで自動的な感じでいってらっしゃいと答えた。


 今日もいつもと変わらず、乾燥しきった灼熱の太陽が降り注いでいた。
 砂漠特有の砂塵が時々とおりすぎるが、そんなのここでは当たり前のことだ。

 先生の家から仕事場までは歩いて十分程のだったので、会話を少し交わしてるうちにたどり着いた。

「それじゃ」と言って、一旦持ち場へ出向いく俺と正反対の方向に「じゃ、また」と言って歩き出した先生。


  あの石を俺が運ぶ・・・?

 そんなことを許可するのか、半信半疑だった。


 数十分の時が過ぎ、俺はいつもの仕事に淡々と取り掛かろうとしていた。
 が、親方から呼ばれ、手を止めてそっちへ向かった。


「こりゃ只の石だけど、王都の商人からの頼みで届けねぇとならねぇんだ。
 これが貴重なもんだったらお前なんぞに運ばせやしねぇが、ただの石であっちの趣味に付き合うくらいなら新米のお前で事足りなくねぇだろ。
くれぐれも俺の顔に泥を塗るようなことはすんなよ? いいか、乱馬」
「・・・ハイ・・・」


 ってなわけで、先生の嘘八百のお陰(?)で俺がめでたく飛脚になることとなった。
 一体何を言って俺に持たせるように仕向けたのだろう? 先生が親方の後ろでニッコリ笑った顔がどうにもこうにも確信犯めいてて作り笑いも崩れそう になった。




「さーって、一週間にして飛脚に昇格した感想は?」

 決定したら即日主義らしい親方の言いつけで、仕事も漫ろで帰宅を命じられ、夕方に準備万端にして再度集合を掛けられた。

「・・・それって昇格っつーんすか?」
「まぁ荷降ろしよりかは上なんじゃないかな?」
「別に、なにも・・・」

 行くという決意はあったけど、こうもトントン拍子に事が進むと、人間、淡白になるものらしく、役務の重要性などはよくわからなかった。
 それよりも、帰ってからの支度のことや、その先のことですでに脳内はパンク中だった。
 彼女と一緒に出なければならない。
 しかし、無節操にも程がありすぎるほど急遽すぎる。
 明らかにいつもと違う彼女とどう会話をすればいいのだろうか? そればかりが頭を突いて離れなかった。

 先生は旅のミニ情報を説いてたけど、俺には無用の内容だった。
 先生もなかなか知ってる方だけど、俺自身はすでに旅は慣れてる・・・というかむしろ家という場所に留まってることの方がないくらいだから。
 だけど、やっぱり問題はなにはなくとも彼女なのだ。


「乱馬くんは支度が終ったら、時間通りに親方の所に行きなさい。あかねちゃんは街を出た所に僕連れて行くから。サラスは西南に位置してるから西門 を出た所に居るよ」

 淡々と予定が決まってく中、俺の心だけが宙ぶらりんな感じだった。
 まるで夢のように。
 一瞬にして醒めるんじゃないかと思う。



 家に着くと、思った以上に早く帰って来た俺らに半ば拍子抜けという様子の彼女が出迎えてくれた。
 朝とは違い、なぜかとても明るくなってる彼女の態度に疑問を覚えたけど、女の心なんてコロコロ変わるものだと誰かが言ってたのを思い出した。
 まさにその通りと思いながら、支度を済ますために部屋に戻った。



 数時間後。
 部屋の外から小さな悲鳴が聞こえたので、何かと思って声のした方へ向かうと、そこには目の据わった意識も虚ろに縦膝を付いてる彼女と、その前に 煌々と光を放つワインレッドの石・・・ではなく宝石。
 そして、それをただ呆然と見てる東風先生がいた。

 石を見た途端分かった。
 キヲクだ。

 すぐに分かった。もう見慣れてしまったのだろうか。
 確認するや否や、誰に言われることなく彼女の真正面・・・宝石が浮遊する前まで来た。あんなに近寄らずに居たのに体が自然と動くのがよく分かっ た。
 そして宝石を包むように掌に乗せると高熱を上げ、電光石火の如く赤い筋を付け彼女の額へと飛び込む。


 何度見ても、やっぱり信じ難い現実だ。



 眩しすぎるほどの光は宝石が取り込まれたと同時に一緒になってパっと消え、縦膝を付いてた彼女の力は切れたように崩れ込む。
 それを慌てて掬い上げる。
 抱き止めると、頭の中でまた、流れる。
 昨日のみたいに強くない。ゆるゆるとしたキヲク。


 彼女が、先生に似た誰かに寄せる想いを断ち切ろうとしてる。
 とても穏やかで、それでいて悲しくて。
 なんだかとても空虚感が残って、やるせない気持ちに駆られる。


 彼女は、諦めたんだとわかった瞬間、俺の中にある一番底の胸の奥がドロっと溶けた。
 これでいい。
 薄情にそう思った・・・。




 でもまさか、今日、石が見つかるなんて思ってもみなかった。しかも先生の家の中で。
 そしてここは診療室。
 何度もここに彼女は足を踏み入れてるし、俺だって何度も来てる。なのになんで今?


「・・・乱馬くん・・・」

 先生の声が、なぜか重く聞こえた。


「今のが、そうかい?」

 先生の問いかけに、俺は倒れかけた彼女を支えながら声なくただ頷いた。



 今の。
 そうあの物凄い光を放つ石はキヲクだ。


「よく、分からなかったんだけど、あかねちゃんがね、『コレなんですか』って言って祖母の形見の宝珠入れを手にした途端ああなってね・・・ あの箱は鍵 が壊れてて長いこと開かず仕舞いだったのに、あかねちゃんが触れた途端にはじけ飛んでね、中からスピネルが出て来るとは・・・しかも、空気に触れた 瞬間に消えるし、あかねちゃんの目が据わってワインレッド色になるし・・・」

「・・・え?」
「大分、乱馬くんの言ってたことと違ったからね、これがそうなのか分からなかったんだよ」



 どういうことだ?
 俺から見た時は常に閃光が走ってて目を開けることすら辛いほどの眩い光を放ってるのに、先生にはそれが見えてなかった。
 それに彼女に帰って行く瞬間も・・・どうやら見えないらしい。

「それに、乱馬くんがここに来た・・・というか乱馬くんの姿が見えたのも、あかねちゃんが倒れそうになった時に突然残像の中から現れてビックリしたよ」
「え!?」
「空気を止めてしまうのかね・・・」
「お、俺、普通にここに着ましたよっ」
「うん・・・それは乱馬くんから見てだろうね」

 不思議が増えた。
 しかも、厄介な増え方だ。

「でも、これで危険が一つ回避されたね?」
「え・・・? なんでですか?」
「返す時、君らは間違いなく隙だらけでも、空間が止まるか変わるかしてるらしい。無用心な世の中だから、どこで誰が背中を狙ってるかわからないだ ろ?」
「え・・・まぁ・・・」
「それに、乱馬くんは石を持ってる限り狙われる者。油断は命取りだからね、おちおちキヲクを返す隙があるのかと思ってただよ・・・
 だからよかった」

 先生は、大抵のことでは驚かない人だというのはこの短い時間一緒に過ごしたことで分かっては居たつもりだったが、超常現象クラスまでも、先生の手 にかかればそんなものなのか?
 俺は、初めて彼女にキヲクを返した時の衝撃を忘れられないのに。
 年の功なのか? それだけで語りつくせない。

 侮れない、けど、見方にしておくにはこれほど心強いことはない・・・


 信用しようと思う。
 悔しいけど、この人は信用するだけの価値のある人だ。

 俺はそう信じる。






「んじゃ、乱馬。これをサラスのフィンガルという奴に届けてくれ。
 王都へはこの鈴を献上しろ。多分、この石よりもこの鈴の方が価値があるからくれぐれも失くすな!そして壊すな! いいな?」

 大地が裂けるくらいの大声でそう言われ「はい」と返事し、用意してもらった一頭の馬に跨って仕事場に別れをつげた。
 荷は、大して持ってない。ただその多半数は食料と飲料水くらいだった。
 それも腐りにくい保存食と、数日持つ新鮮なものと、そして国土全部が見れる地図と、紫金鈴(しきんれい)という王都に入るための・・・いわば通行手 形代わりの大ぶりの鈴と、あの石くらいだった。

 麻布のポンチョを纏い、頬っ被りよろしく着込んだ風貌となっていた。
 幸い、日の刻は過ぎ徐々に辺りは薄暗くなっていた。
 元盗賊の俺が盗賊を警戒するなんて、チャンチャラおかしなことになってると、ふと思って含み笑いした。



 待ち合わせ場所の西門の外に出ると、久々に見た砂の海が漆黒の中、永遠と続いていた。
 サラスへの行き方は予め地図で見たけど、紙の上だとさほど遠く感じないのに、平面と現実はここまで違うものなのかといつも思い知らされる。


「あ! 乱馬くんこっち!」

 沈みゆく夕日を眺めながらそんなことを思ってたら、聞き慣れた声が俺を呼んだ。
 城壁の影の出来てる場所に一筋の馬の蹄の後。
 馬を走らせ、蹄の後を追うと、同じ馬に二人乗りをしている先生と彼女の姿が見えた。

「無事出てこれたかい?」
「はい・・・」

 手綱は後方にいる先生が彼女を守るようにして立ってる光景が、やけに胸に残った。
 でも、さっき見えたキヲクのせいか、それもスーっと収まっていく。

「道中、十分注意して、気を付けてサラスに向かうんだよ」

 俺が着いたと同時に、先生は馬から降りて彼女に手綱を渡していた。

「先生は・・・?」
 彼女の小さな声が、脳内に響いた。


 一緒だ。
 “あの時”と一緒だ。
 キヲクの中の“あの時”と一緒。


「僕はここを離れられないんだ、ごめんね、あかねちゃん」

 先生のしっかりとした言葉にはなんの感情も俺は沸かない。でも、彼女の声は悲しいほどに一緒だった。


「・・・分かりました・・・」



 似てるから、錯覚を起こす。
 こっちの先生に、彼女の姉ちゃんみたいな存在はいなかった。
 でも、似てるだけで、別人だ。

 そう思っても、そんなこといえる権利もなく、彼女のキヲクを勝手に分かってしまって、それで彼女が嫌な想いをするのもしのびなかった。
 でも、気づいて欲しい。
 ここは、もう、一千年前じゃない。
 もうここに同じ人間は居ない。



 俺の見てる現実も、キヲクもすべて夢ならいいのに。



 でも、彼女だけは、夢から醒めても消えて欲しくない。
 我侭だけど、なぜか思う。




「あ、乱馬くんちょっと」
「へ?」
 俺だけ呼ばれて、馬に跨ってる手前、耳打ちは実質出来ないけど、彼女に聞こえないように先生が話し掛けて来た。

「親方から鈴を貰っただろう?」
「・・・へ? はい」
 ってなんでそんなこと知ってるんだ?
 これもなんかに書かれてたとか?! 侮り難し、東風先生・・・

「いや、譲与するのになにがイイかって聞かれてね、ちょいとアドバイスしたのさ」
・・・先生が持たせたってことかよッ。

「その鈴、もしもピンチになった時はあかねちゃんに渡すといい、きっときっと役に立つから」
「これが?」
「そう」
「でも壊すなって言われたんすけど・・・」
「大丈夫、それはそんなに壊れる品物じゃないから」

 この人がやっぱり分からない。
 敵なら間違いなく脅威的存在になる。

 実行者よりも助言者が利口だと、どんな力自慢も太刀打ちできないだろう。
 この人はそういう位置にいて可笑しくない人だと思う・・・
 なんで町医者なんてしてるんだろうか?






「じゃぁ乱馬くん、あかねちゃん、気を付けて!」


 漆黒の闇。
 吹き荒ぶ砂塵の中、二つの蹄跡が西に向けて後を残す。
 明日には砂で消えるその跡も、三人の中では決して消えない。




「東風先生・・・」

 後を付いてくる彼女から聞こえた小さな声も、聞こえないフリ。

 そう、砂塵と、馬の歩く音で消えてしまえばいい。



「・・・月明かりがあるうちに、移動するから」
「・・・うん・・・」


 二人の旅の始まりはこんな風にして始まった・・・。

 二人の“何か”を探す旅が。

 

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