ふわりと香る、甘い風に誘われるように目を覚ました。
すべてが浮遊しているかのような錯覚すら感じる中、まだ重たい瞼を押し開けると、そこには彼女が居た。
まるで、ひらひら舞うようにこの場所にいる彼女は、とても幻想的で夢とも現実ともつかない思考を俺は抱いたほど。
真っ白な空間に、真っ白な服を着た彼女。
服が軽い素材のせいか、風がそよぐたびに柔らかい曲線を裾の辺りで描いていた。
ぼーっとした頭のまま、まるで魅せられてるように動けなかった。
きっと動くことくらい出来るはずなのに、俺は動けなかった。
ただ薄目でぼーっと彼女を見ていると、不意にこっちを向いた視線と自分の目が合ってしまった。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった?」
窓から吹き込む風に微かに後ろ髪がなびいていた。
全体的にフワフワしてる中、彼女の感じは今までと、違うような気がした。
なにかが違う気が・・・
「あ、いや」
そういって背を起こし、なるべく彼女を見たないようにベッドの上で座った。
そんな俺の態度に、彼女は別段気にしてない様子でにっこりと笑うと近くにあった花瓶に水をやることに専念していた。
多分、寝てる俺の近くに来たのは水遣りのためだろう。
そう思った瞬間、『俺って意識されてねぇ』なんて分かりきったバカバカしいことが瞬時に浮かんでしまって、掻き消すように、頭を掻いてみていた。
『恥かしっ、何考えてるんだよ。』
そんな心の声が聞こえた気がした。
なんだかベッドから降りることも出来ず、どうしたものかと思っていた時、仲間の言葉を思い出した。
『記憶が“一部”戻った』
「あ、あのさ・・・」
寝すぎたせいか、俺の声は普段よりも擦れてるみたいで上手く声が出ないことに気づいた。
思わず、小さく咳が出て、軽く口元を押さえてると、彼女がゆっくり振り返った。
「大丈夫?」
「・・・え?」
「あ・・・咳、してたから」
そう言って、持っている水差しを窓の縁に置いて俺の方にゆっくり近寄ってきた。
「半日くらい・・・寝ていたから。よかった、目覚まして。」
そういって、ベッドの脇にあった椅子に座って俺の方を見ていた。
――そんなに寝てたんだ。
普通にそう思ったけど、この、なんとも言えない雰囲気と、近すぎるのでは? と思う距離に戸惑ってしまった。
彼女は眩しいくらいに微笑んでいたから・・・それが更に俺の戸惑いを大きくしていた。
「それと・・・キヲク、少しだけだけど・・・戻ったみたいなの。」
そういうと、対照的に少しだけ物悲しそうな表情をして、俺との視線をほんの少しだけ反らした。
「少し・・・?」
「うん」
少しとはどれくらいだろう?
あのジンジンと熱せられた石が彼女に摂り込まれたのは2度目だ。
仮にあの八卦見の言ってることを鵜呑みにするとする。
そうなると・・・あと、少なくとも5回か6回は同じことが起こると言うことだ。
7つ。
彼女のそれまで生きていたキヲクを7回に分けて返る。
それまで少なくとも俺の中にいる。
俺の中でも発動する。
知らなくてもいい彼女の情報が入ってくる・・・
知り合ったばかりなのに、なんだか彼女の全てが俺だけに筒抜けみたいな感じがした。
「自分が誰で、どこで育って、家族は誰で・・・ってことを思い出したんだけど・・・戻ってきたって方が当ってるのかな?」
呟くそうにいったまま小さく椅子に腰掛けていた。
「そっか・・・」
やはり、あの石がキヲクだったんだとなんとなく思った。
でも、なんなんだろう・・・あれは・・・?
「あ! そうそう。 もう目覚めた?」
「ん? ・・・へ?」
突然、彼女がそう言って立ち上がり俺の方を見た。
その顔からはさっきまであった悲しみを秘めた表情は消えている。
逆に急に溌剌とした感じで・・・イキイキしてる。
「伝言、頼まれてたの。東風先生が、貴方が起きたら上の部屋に来るようにって」
そういってからニッコリ微笑む。
まるでさっきと違う。
それと同時に、俺の奥で発動するキヲクの欠片・・・
『東風先生』
彼女の、澄んだ笑い声と一緒に軽やかに聞こえる。
発音のどこにも濁りがない。どこまでも清んでいて、そして特別な感じ・・・
彼女はまだ気づいてない。
いいや、まだ戻ってないだけだ。
戻ってない・・・ 戻ったら、どうなるんだろう・・・?
答えは簡単――
その表情が変わるだけ。
この想いが蘇るだけ。
同一人物ではないけど、顔も声も一緒で、おそらく人格も一緒だ。
感じる限り、オーラは同じだ。
錯覚しても可笑しくない
そこまで思ったら、自分の考えに吐き気がした。
乾いた空に「なんでもない」と独り言が出た。
一瞬にしれ乱れた心を落ち着かせる術を求めるように。
なんて不器用な人間なんだろうと思うくらいに
他人に恋愛事ほど、つまらないものはないと仲間の一人が言ってたのに。
つまらないって、胸が詰まるの間違いか?
俺は、なにが起こってるんだ?
「どうかした?」
何かに反応して苦しがるこの胸に彼女の声は少し痛いくらいだった。
これも、キヲクの副作用?
何も、ホントに何も知らない彼女から出る言葉が少しキツイ。
どう答えたか忘れたけど、なんとか誤魔化してその部屋を出て、気付いたら階段の前に立っていた。
『階段上がって左の部屋に東風先生いるって』
登ってる最中に蘇ったのはキヲクじゃなくて、さっきの彼女の言葉と表情だった。
胸の奥が、ムカムカした。
ドアの前に立って、深呼吸。
些細なことで乱れた鼓動と呼吸を整えるため。 こんなこと、運動してない以外で起こり得るものなのか?
そんな自分への疑問を抱きながらも、なんとか取り戻した冷静さを装って、ドアのノブを捻る。
「あ。 やぁ、やっと目が覚めたみたいだね。」
あぁ、やっぱりなんか虫の居所が悪いわ。どうしたんだろ、俺・・・
「なんか・・・なんだか眠くて・・・」
話って何だろう?
出来るなら、早めに出たいなーなんて思ってる。
というか、俺ここにいちゃいけない気がする。
本能が、そう言ってるみたいな・・・
「あかねちゃんのキヲクがきっと強すぎたんだろうね。」
そういって軽やかに微笑む。
それを見た瞬間にガツンと蘇る。 タイミングが最悪だ。
白くて、ドコまでも澄んで、消えてしまいそうなこの場所に響く、その言葉。
彼女と俺と八卦しか知りえない事・・・
―― じゃ、約束ね ――
彼女が、話した・・・?
俺、一生誰にも言わないと決意していたのに。
そんなに特別なのか、この人が・・・。
「あ。 あかねちゃんからは聞いてないよ。絶対に言おうとしないんだよ。 ただ、八卦さんに薦めたのは、僕がもうそうだと確信したからなんだよ。」
顔に出たのか? 見透かれてる。
どこまでも手玉だ。
「ビックリしたかい?」
どうしよう、この人には・・・きっと叶わない・・・
―なんとなく、キヲクの共鳴のせいかもしれないけど、この人のことを彼女が好きな意味が分かった気がした。
大人しく話を聞いてると、なんだか心地よくて、不安定でこの人のことを信用しきってもない俺すら包む。
何か大きなものを持っていて、それは俺も持ってない、“何か”わからないもの。それが、俺の中にある彼女のキヲクと溶けて共鳴してる、そんな錯覚があった。
それなのに、優しさの中にある底知れぬ力強さ。洞察力。
事情も話してないし、聞いてないのに的確に射抜く力。
こいつ、ホントにただの医者なのか? と何度思ったか。
俺の釈放に関しては、「これから、大変かもしれないね」となんだか知ってる風。
「あ、あの!」
「ん? なんだい?」
「その・・・先生は、知ってるんですか?!」
「何を?」
「先生も、八卦も。それに、刑務所のやつらも、みんな左腕の刺青のことを聞いてきやがった。なんか関係があるんだろ? 教えてくれよ」
気になる。
一体、なんの切り札なんだ。
“切り札”
――答えはそれだった。 でも厳密な答えじゃない。
「それは・・・乱馬君のとって、とっておきの切り札であり、同時に命をも脅かす。 君の生きてる証だ」
そんな答えじゃ分からない。
「・・・わかってるんだろ? 本当は意味もなにもかも。彼女のキヲクと一緒で、何もかも!!」
そんなのは答えじゃない。
こういう歯がゆいのは苦手だ。
単刀直入が性に合ってる。
遠まわしなんて、歯痒いだけじゃないか。
「それは、僕が言ってもダメなんだよ。 君が君の力で理解出来た時、それがきっとわかる。」
一体、なんなんだよ。
彼女のキヲクだけで、もはや手一杯なのに、気にも留めたこともなかった刺青のことで他人から潜入されてる。
自分のものなのに、何もわからないその印。
俺が理解する時、俺に何があるのだろう・・・。
結局、先生からは“今の仕事から足を洗うのが釈放の条件だったみたいだよ”と言われた。
ま、確かに、そのくらいのことを言われるとは予想していた。
辞めなきゃ、釈放なんてありえない。
ありえないが、俺にはそれ以外を探すことの方が果てしなくムリな気がした。
世の中から浮いてる人間なのに。
お尋ね者にまでなったのに、今更・・・
でも・・・
「あかねちゃんのキヲクを探すのに、裏家業だとちょっと大変だと思うよ」
そういわれてしまっては、俺はどうすることもできない。
「じゃ・・・どうすれば・・・?」
「うーん、とにかく君の使命はあかねちゃんのキヲクを返すことだから、それに集中した方がいい。と僕は思うんだけど
ね・・・」
ということで・・・
「今まで、俺と一緒に来てくれてありがとう」
ということで・・・・・・・
「・・・なんで、解散なんだよ?」
――仲間とは、解散する道しか残ってなかった。
「こん中で一番罪が重いのは、この俺だ。 お前らには帰る故郷も家もある・・・。これ以上、親に心配掛けさせるのは
悪い。
それに掴まったのもなんかのきっかけだ。 俺はもう、あの世界には帰れない・・・ いや、帰らない。だから・・・」
こういうと、なんだかヒトリで逃げてるみてたいで、居心地が悪かった。
あの甘えた中にいつまでも居てはいけない。
もう、こいつらを巻き込んじゃいけない・・・
「ごめん、最後のワガママだ、頼む」
色々、今 俺の周りは分からないこと尽くしだ。
まず、女の扱いも知らないのに、そいつと行動しなきゃならない。
この心に流れ込んできたキヲクも、返す手段を探さないとならない。
そして・・・彼女にキヲクを返さないといけない・・・
それに、俺の刺青の意味を・・・
こんな難題ばかり抱えた俺が、今までどおり形だけでもリーダーをやるなんて無理だ。
ただ闇雲に生きることが出来なくなった、きっとそれだ。
それに、こいつらと離れる以外、こいつらを公正させる方法が、今の俺には分からなかった。
そう、みんな生まれ故郷があって、家も身内もいる。
懐かしんで、自分の故郷の方角を見ながら、ボーっとしてたヤツなんてたくさんいた。
これがいい機会だというなら、俺は今までどおりでいようなんていう権利がない。
元はいい奴らばかりだ。
ちょっと世の中に背を向けてしまっただけ。
今なら、間に合う。
俺とは、状況が違う。
なぜなら、俺には帰る場所も親も身寄りもいない。
それは俺だけ。
「・・・わ、わかったよ。お前がそこまで真剣に言うなら・・・」
ただ、理由を聞かせて欲しい と言われたけど、どう答えていいのか戸惑った。
さっきのじゃ、理由にならないか? と答えるしか、今の俺には、言葉がなかった。
今まで、そういえば何も考えずに生きてきた。
それで生きてこれた。
闇雲で、行き当たりばったり。盗みだって別に狙った犯行じゃない。
そう言ってしまえば、キレイ事みたいだ。
どこかでまだ、自分は許されてると思ってる。
愚かな自分
「これ以上、巻き込めない。これからは、俺だけで行かないと・・・ダメなんだ」
甘えるな。
甘えてはいけない。
いつまでも、子供でなんて居れないんだ。
仲間のやつは全員、虫を殺したように静かで、いつもの雰囲気は全くなかった。
まるで、別の人間のような静寂。
「な、何があったかわかんねーけどさ、大丈夫なのか・・・? 最近のお前、なんか変だから」
それが原因か?と静寂を破ったのは副リーダー格を勤めてた奴だった。
でも、それにも答えることが出来なかった。
「・・・わかった。 なんか知らねぇけど、お前がそこまで決意してるなら・・・俺たちは従うまでだよ」
一体、何年、俺はこの生ぬるい水に浸かったような状態で生きてたんだろう。
いつの間にか、その中にいた。
一人で行動することが何よりも好きだったはずなのに。
もう誰も信用できないと思っていたはずなのに、いつの間にか、俺はこの仲間のことを信頼していた。
生ぬるい水は俺を幾分、柔らかくし育ててくれた。
初めての、自立・・・?なのかも、しれない。
「ゴメン・・・」
こうして、俺の盗賊生活にピリオドが打たれた。
翌日、仲間たちは各々の群れを成し、闇医者の家から去っていった。
ある者は一人で、ある者は仲間内でも更に気のあう奴らと。
行く方向も違う。
別れ際の表情も違う。
それら全てを見送った俺は、まだ、その医者の家に留まっている。
「よぉーし、乱馬くんの方も片付いたみたいだから! 今度は仕事探しねー!」
で、俺はと言うと・・・
「な!? 何やったらいいんすか・・・?」
「うーん、体力ありそうだから・・・資材運びとか?」
「あ、いいかもしれませんね、先生v」
―― 彼女と東風先生に扱き使われてた。
「石。探さねーといけないんじゃねぇの!?」
「「まずはお金でしょ!」」
「俺だけ重労働かー!」
未練はない。といえば嘘になるけど。
これでよかったと思ってるよ。
これから、何が待ってるかわからない。
とりあえず 今は
俺と、彼女と、先生の3人暮らしからスタートした・・・のだった