港に運ばれた怪我人を町の病院に分けて搬送し、命を落とした人々は合同で町の教会が葬儀を執り行った。
一時医療所と化していた乗船案内所も、今では再び本来の姿を取り戻していた。
事が起こったのは午前中であったが、怪我人の手当ても終わり案内所の人がすべてはけた頃にはもう、深夜となっていた。
深夜の乗船案内所では、東風・良牙・シャンプー・右京が物も言わず物品の後かたずけをしていた。
そんな彼らの傍、乗船案内所のソファの上には、一人の「女性」が横たわっていた。
憔悴しきって、目を閉じているが顔色も悪い。
ただ、横たわっているにも拘らず剣だけはぎゅっと・・・握り締めている。
少々ダブダブの衣服に、お下げ髪。見目は随分と麗しい「娘」である。
娘が握り締めている剣の鞘には、独特のスロットがついていた。
それに良く見るとその剣・・・「勇者の剣」である。
勇者の剣を持っている人物といえば、乱馬。
ではこの娘は、乱馬からこの剣を預かってでもいるのだろうか?
似たようなお下げ髪にし、乱馬の真似でもしているのか・・・そう思えなくもないが、実は答えはそんな単純なものではなかった。
この剣を握り締めてソファに横たわっている娘、実は乱馬であった。
・・・「乱馬」自体は、紛れもなく男性である。
ゆえに「王子」として育てられてきたわけであり、
男性としてあかねの事を愛する気持ちを持っているわけであるが、
そんな彼にも、ティルトン特有の「あること」が降りかかっていたのであった。
シャンプーが魔力を使い果たすとネコになり、ムースがアヒルになる。
ティルトンに住むものの中には、一部特異的な体質を持つものがいる事は以前にも説明をしたが、乱馬に関しては今までそのような変化をすることはなかった。
ゆえに彼の身体には、そのようなものとは無関係だと思われていた。
ところが・・・
彼は今日、あかねを探して昼からつい今さっきまで、冷たく広い海に潜り、彼女を捜し求めていたのである。
神経を研ぎ澄ませて彼女の姿だけを求め、休むまもなく海を漂う。
制止も聞かず自らの身の危険も顧みず、ただ海の中で彼女の姿を探す。
そんな乱馬が港に戻された時には、ほぼ気を失うも同然の状態であり、
案内所に運ばれて寝かされた時には、これこのようにしてその姿は、男性から女性へと変化をしてしまっていたのであった。
どうやら彼は、魔力ではなく精神力と体力を使い果たすと、シャンプー達のように「動物」ではなくて、「性別転換」してしまうタイプのようだ。
これは、ティルトンの特異体質を持つものの中でも随分と珍しい。
王族故なのだろうか・・・色々と考えられるが、その所以は今はさほど重要ではないので、皆触れなかった。
ほぼ気を失う同然で「女性」の姿で戻ってきた乱馬に対し、皆は何も言わずただ、それぞれすべき事を黙々と進めていた。
・・・乱馬の姿の方は、体力と精神力が元通りに戻れば戻るだろう。
だが、彼はきっとあかねが見つかるまでずっと、この海を漂うつもりでいる。
つまり、体力や精神力が戻ってもまた、今日と同じ事を繰り返すのではないかと、誰もが予想が出来た。
そして、となれば限界を何度も超えて身体を壊しかねないとも、簡単に想像ができる。
もちろん、周りにいるものは彼の命を削りかねないそんなことをずっと許しているわけではないし、出来ればやめさせたいのだが、
でも彼はあかねが生存しているかもしれないという可能性がある以上は、例え自分がどうなろうともそれを辞めるつもりもないだろうと・・・皆それも分かっているが故に、どうにもすることが出来なかった。
・・・
・・・と、ここで。
何故、彼はあかねを求めて海を漂っていたのか?
「あかねが生存しているかもしれないという可能性がある以上」とは、一体どういうことなのか。
あかねは魔物に襲われて絶命をしてしまったのではないのか?
乱馬の行動や、これらの疑問を説明する為には、まずここから数時間前の昼へと、一旦話を戻す必要がある。
一体、昼、港で何が起こったのか。
まずはそれから説明をしていかなければならない。
・・・
昼。
魔物に襲われた船から港の警備隊が乗客を救助し、戻ってきた。
港には全ての乗客が無事に戻ってきたわけではなく、運悪く命を落としたものいたわけであるが、
そんな中、
その命を落とした者の中に、あかねが身に着けていたのと同じブレスレットを嵌めている女性を見つけ、取り乱した乱馬であった。
・・・
「うわあああ!!!」
・・・担架から零れ落ちた、白い腕。見慣れたブレスレットにしがみつくように、見たこともないような状態で取り乱し叫ぶ乱馬。
良牙やシャンプー達は彼の近くまで走り寄るも、彼のそのあまりの取り乱しように、何と声をかけてよいか分からない。
右京に至っては、がたがたと震えながら涙をこぼしている。
そんな中、
「・・・兄ちゃん、気持ちは分かるがね、泣いてばかりでは彼女も浮かばれないよ」
顔を見てあげたらどうだい?
女性の腕に見えるブレスレットに触れ泣き叫ぶ乱馬に対し、周りにいた船員や警備隊員が声をかける。
が、乱馬にはその声に答える余裕もなければ、隊員が言うように顔を見るために女性の身体にかけられている布をめくる気力もない。
明らかに手はブルブルと震えていた。
「・・・」
良牙は、そんな乱馬に静かに近寄っていった。
もちろん彼もあかねに好意を持っていた。
だからどうしてもこの自分達に降りかかっている状況を理解することや受け止めることなど出来ない。
こうして乱馬に歩み寄る足も、身体も震えてしまうし、自分は男だし泣くものか、と思っても涙が出てしまう。
しかし、良牙は旅立つ前のあかねと約束したのだ。乱馬の事をよろしく、と。
だから、そんなあかねの為にも・・・その約束だけは命に代えてでも守りたい。
そう思うが故に、彼は乱馬の身体を支えながら立ち上がらせた。
そして、
「・・・会ってやれよ」
「・・・」
「好きなんだろ・・・だったら最後に会ってやれ!お前が会ってやらなくて誰が、あかねさんの最後を・・・」
「・・・」
震える声でそう呟く良牙と、何も答えることが出来ない乱馬と。
良牙は一度目を閉じ心の準備をしてからそっと・・・女性の身体にかけられていた布をめくったのだった。
ところが、
「!」
「なっ・・・」
・・・布をめくった後に現れた女性の遺体を目にした二人は、思わず叫び声を上げた。
そこに横たえられていたのは、髪の長い女性であった。
顔も、あかねとは似ても似つかない。年齢もこの女性の方が少し上のように思える。
そう、そこにいたのはあかねではなく、全くの別人だったのだ。
「こ、これ誰だ・・・?」
「何で・・・何でこの女があかねと同じブレスレットを・・・」
目にした、全く見知らぬ女性。
それなのに、何故この女性はあかねと同じ紅いブレスレットをしているのか。
「・・・」
それゆえにこの女性をあかねと間違えた乱馬であったが、冷静になりこの遺体があかねでないと分ってくると徐々にだが、思い出す事も生まれてくる。
「あ!」
「な、何だよ」
「このブレスレット・・・」
ブレスレットをじっと見つめていた乱馬は、ふと思い出したことがあった。
そう、それはこのブレスレットを山間の村の店で買ったときのこと。
『このブレスレットはね、お客さん。世界で二組しかないんだ。一つはヒルダの街で売れしてしまったから、あと残りは一つだよ』
・・・ブレスレットを見つけたとき、乱馬は店員にそう進められたから購入した。
乱馬は、あかねに渡す時もそう説明をした。
ということは、もしかしてこの女性は・・・乱馬が購入する前にこのヒルダでブレスレットを購入していた人物ということになるのか。
「・・・」
乱馬が涙で濡れた頬を袖で拭いながらそんな事を考えている内に、女性の遺体は警備隊によって運ばれていった。
どうやらその女性の遺体で全てのようで、救助に使った船は艇庫へと帰っていった。
「兄ちゃん、不謹慎かもしれないけれど良かったじゃないか」
周りにいた人々は、乱馬に対して気を使ってそう声をかける。
「あかね、違ったか・・・」
「良かった・・・あかねちゃんやなかったん」
事の成り行きを見守っていたシャンプーや右京、そして、
「あかねさんじゃなかったんだ・・・良かった」
乱馬を支えるようにしてその場にいた良牙も、亡くなった女性に心の中で手を合わせつつ、そう呟いた。
ところが、
「・・・良くねえよ」
「え?」
「じゃあ・・・あかねは?俺のあかねは!?救助された乗客の中にも居なくて、遺体の中にもない・・・じゃあどこに!?」
ガシッ!
遺体を運び終えた警備隊や、周りに居た漁師、そして船の船員に、乱馬は再びそう叫ぶ。
そう、船の乗客達は皆移動をし、生存者も絶命者も全て船から降りているのだ。
だが、その中にはあかねの姿はなかった。
船には確実に乗ったのだ。それなのに、何故港には戻ってこないのか・・・
「あいつ!あいつ泳げねえんだよ!船の中にまだ、いるかもしれないんだよ!」
乱馬は、すがる船員にそう叫んだ。だが、
「船はもう、今頃沈んでしまっているよ・・・それに、救助するときに船を良く調べたけれど、隠れている人は居なかった」
「じゃあ何であかねは居ねえんだよ!」
「もしかして魔物に連れ去られたか・・・いや、でもあれだけ酷い有様だ。魔物が人間の女性を連れ帰る事は考えられないな。だとしたら、逃げようとして海に落ちたか・・・」
船員は乱馬にそう呟くと、
「船が襲撃を受けた辺りは潮の流れも早いし、深さもある。漁師も船でなければ進まないあたりさ。海に落ちたとなると・・・」
ほぼ、絶望的。最後は口に出さないが、船員はそう言いたげな表情をした。
「・・・」
乱馬はその船員の話を聞くと、一瞬何かを考えていたようだが、突然、
「おい、兄ちゃん!何してんだあんた!」
「乱馬!お前、一体何をっ・・・」
・・・ザバッ!
乱馬は背中につけていたマントを素早く取り外すと、突然、海に飛び込んだのだった。
そして、叫ぶ良牙達を全く無視して、沖に向かって泳ぎだす。
「戻れって!」
「乱馬、戻るよろし!」
「乱ちゃん!」
良牙だけでなくシャンプーや右京も慌てて叫ぶが、乱馬は猛スピードで沖に向かって泳いでいき、どんどんと港から遠ざかる。
「兄ちゃん、無茶だ!戻るんだよ!!」
船員や漁師も慌てて乱馬に向かって叫ぶが、彼は全く戻る気配もない。
そう、彼は行方不明のあかねを、座礁ポイントまで探しに泳ぎだしたのである。
先ほどどんなに頼んでも船を出してもらえなかった事を考えると、泳いだ方が速いと、咄嗟に判断したのだろう。
・・・
「あー、もうしょうがねえなあ・・・」
そんな乱馬の様子を見ながら、船員達がため息をついていた。
が、
「でもまあ・・・あの兄ちゃんの気持ちも分からなくないし、あかねちゃんには健康診断で世話になったしなあ」
そう。
乱馬の姿を見ている船員・漁師達の殆どは、あかねと、東風の医院で健康診断時に顔を合わせていた。
乱馬が船を頼んだ時は、相手があかねのことだと分からなかったが、
今は相手が「あかね」だと分かった事、
そして健康診断の時東風が言っていた「彼女には恋人が」というその恋人がこの乱馬であることが分かったので、何とかできないかと、考えてくれたのだ。
よって、
「・・・あのままあの兄ちゃんを泳がせたら、あの兄ちゃんこそ死んじまいかねないし、船、出してやるよ」
「!本当か!」
「ありがたいある」
「よろしゅう頼んます!」
その中の一人の漁師が、乱馬の為に特別に船を貸してくれ、泳いでいる彼を乗せて船の座礁ポイントまで行ってくれたのだった。
そして乱馬がそのポイントに潜り、あたりを漂ってあかねの姿を探したのだった。
・・・結局あかねは見つからずに、日も暮れ夜の海は危険、と判断したその漁師が、まだもぐり続けていたそうだった乱馬を強引に船に上げ、つれて帰ってきてくれたのだが、
「まだ探せるよ!あかねはまだ、あそこにいるかもしれないのに、俺だけ戻れねえ!」
「何言ってんだ!昼からずっと、潜りっぱなしで、今度は兄ちゃんの体力がもたねえよ!」
「でも・・・!」
「それに、遺体が見つからないってことは、まだ生きている可能性もあるってことだろ?また明日来てやるから、とりあえず今日は・・・って、あんたさっきの兄ちゃん、だよな?」
強引に船に引き上げた乱馬は、どう考えても港に居た時よりも身体が一回り小さく、そして「兄ちゃん」とはいえない容姿をしていたのだった。
「!?」
勿論乱馬も自分の変わり果てた姿には驚いたのだが、
今はそれよりも、遺体が見つからない イコール あかねがまだどこかで生きている可能性もゼロではない、という事の方が重要であった。
乱馬は再び明日、漁師と共にこの場所に来る事を決め、そして不本意ではあるが港へと帰ることを了承したのだった。
・・・
乱馬の方はこのような事情がある故に、海を漂っていたのである。
そしてもう一方、あかねは、というと・・・彼女が魔物の爪に狙われたあの瞬間の後、実はこのように時間が過ぎていたのであった。
・・・
「…」
…あれ…?
ぎゅっとつぶった目をゆっくりと開けると、先ほどと同じ、船の甲板があかねの目には映し出された。
魔物の爪で前と上から狙われ追い詰められていたあかね。
ぎゅっと目をつぶった直後、グシャリとした不気味な音と血が吹き飛ぶ嫌な音がした。
もう、だめだと覚悟をしたあかねであったが、今目を開けて周りを見ることが出来たところを見ると、もしや助かったのか?
いや、そんなはずはない。あの状況であかねが助かるなどセロに等しいはずだ。
だとすると、死した後にこうして甲板を見ているのか…
「…」
もしや足元に自分の身体があったりして…あかねはそんな事を思いながら足元を見るも、別にそんなものはない。
その代わり、
「!」
あかねの目の前には、上とそして前からあかねを狙っていた魔物の巨体が真二つになった状態で転がっていた。
周りには、おびただしい赤い血液。
「な、何で…」
もしかして、あの不気味な音と飛び散った血液はこの魔物のものだったのか?
あかねがそんな事を考えていると、
「何を驚いているのだ」
「!あ、あなたっ…」
「指示も守れない愚かなものは始末する。ただそれだけのこと」
そんな声と共に、一人の男があかねの目の前にゆっくりと…降り立った。
黒いローブをふんわりと翻し、一度だけ聞いたことのある低い声。
瞳しかこちらからは表情が分からないのに、ゾワリとするような冷たさを感じる。
あかねは、この男と一度だけ会ったことがあった。
直接あかね自身と言葉を交わしたことは無かったが、そう、あかねはこの男の事を知っていた。
…
「あ、あなた…ラビィ…」
あかねの目の前に現れたのは、数日前に乱馬たちとも剣を交えたあの、ラビィであった。
残虐な手口でカードを集め、そしてミコトという人物も殺害した。
カードを集める乱馬の、まさに邪魔でありそしてカードを利用してもっと恐ろしいことを考えている人物である。
クロノスソードのことや、彼が何故カードを集めているのかをあかねだけはまだ、よく知らなかったのだ。
ただ、この男がかなり危険な人物だということは、分かる。
あかねが突然目の前に現れたラビィを恐れ一歩、また一歩と後ずさると、
「…お前には私と一緒に来てもらう」
一歩下がったあかねに対し、ラビィが一歩、足を進めた。
「ど、どうして私が貴方なんかとっ…」
あかねは更に一歩下がりながらラビィにそう叫ぶも、
「…来ればわかるさ」
「わ、分からないわ!分りたくもない!」
「分りたくないのは勝手だが、お前は私と一緒に来るんだ」
ラビィはにやりと瞳だけ不気味に笑わせながら、あっという間にあかねの懐に入った。そしてあかねの手を掴む。
「は、離して!」
ラビィにこんな風に捕まるのも嫌なのだが、それ以前に乱馬以外の男に腕を取られるのは嫌だった。
湧き上がる嫌悪感に耐え切れずあかねがそう叫ぶと、
「…私と一緒に来い。それにお前にはそうしなくてはいけない責任がある」
ラビィはそんなあかねに静かな口調でそう呟く。
「責、任…?」
あかねがラビィについていかなくてはいけない責任とは、一体何なのか。
気になったあかねが怪訝な表情をすると、
「考えてもみろ。この船はお前が乗っていたから、こんな事態になったのではないか」
「!」
「お前がこの船に乗っていなければ、私がこの船を魔物に襲わせることも無かった。そうだろう?」
「そ、それはっ・・・」
「お前が居たから、この船はこんな事になり多くの人間が死んだ。船に乗っていた何も知らない奴らは、お前のせいで命を落としたというわけだ」
ラビィはそういって、にやりと笑って見せた。
あかねはラビィの言葉に何も言い返すことが出来ない。
…実際は、船を襲ったのはラビィの悪意であるし、
関係ない人間たちまで殺生する残虐さは、あかねが船に居た居ないは関係ない。
だが、
「わ、私のせい…」
「そうだ、お前のせいだ。お前がこの船に乗っていなければ、この船の乗船客は死ななくて済んだのだ。それなのに責任も感じぬのか」
「私が…私のせいで…」
しかし、人間の心というのは非常に脆く、そして弱いものなのである。
衝撃的な状況で情劇的な情報を提供されると、普段は出来るはずの冷静な判断が出来なくなるのだ。
たとえラビィがあかねを狙っていたとはいえ、
あくまで残虐な行動をしたのはラビィと魔物であって、あかねが全て背負うことはない。
が、あかねには今、そんな冷静に事の成り行きを分析する判断力などない。勿論これも全て、ラビィの作戦通りである。
「…だが、もしもお前が私と一緒に来ると約束するなら、私はお前にたった一つ、お前のせいで命を落とした他の人間どもをそれなりに救う手立てを教えてやっても良い」
ラビィは、真っ青な表情で震えているあかねに対して、そう呟いた。
「私に…私に何か出来るの!?」
「お前が私と一緒に来るというのなら、それを教えてやってもいい」
「…私…私…」
…正直言って、ラビィと共に行くのは嫌だった。
愛する人の敵でもあるこの男を、心から支援することなど出来ないことも分かっていた。
だが…
「…」
自分のせいで命を絶たれてしまった人々の為に何かが出来るというのならば、
たとえこの身がこの後この男に滅ぼされたとしても、せめてもの償いになるだろうか…
「…」
あかねはそっと目を閉じて、小さく一度だけ頷いた。
「…」
ラビィはにやりと目を冷酷に光らせると、あかねに対して一言呟いた。
「…では、祈れ」
「祈…る?祈るって何を…」
「お前のせいで命を落とした弱い奴らを、慈悲深く思い命が再び戻ることを強く祈ってみるがいい」
「祈ってどうするの?祈ったところで何も状況が変わるわけでは…」
そんなの子供でも分ることなのに。ラビィの言葉にあかねが首を傾げるも、
「とにかく強く、そして心から詫びる思いを祈りにささげれば分るさ。詫びる気持ちがないのならば別だがな」
が、ラビィの挑発したようなその言葉にむっとしたあかねは、「分ったわよ」とその場で目を閉じる。
そして、
「…」
何とか祈ってみようとするも、「祈れ」と言われて祈ったところで、すぐに何かが変わるのだろうか。
そんな思いが先行してしまって、命を落とした人々には申し訳ないという気持ちがあるのに、どうしても集中することが出来ない。
「…」
どうしたらいいんだろう…あかねが目を閉じながらそんな事を考えていると、
「…祈れないということは、詫びる気持ちがないということだな」
そんなあかねに対し、ラビィが何の感情も感じない口調でそう呟く。
「そ、そんなんじゃないわ!」
あかねが慌てて否定をするも、
「ならば、お前がその気持ちを強くするように私が手を貸してやろう」
「え?」
「…」
ラビィはそんなあかねを無視して、一旦あかねの傍から離れた。
そして、甲板の夥しい血だまりの中に倒れている人々の傍へと歩み寄り、不意に左手をかざした。
そして、
「さあ、祈らねばもっと、もっと酷い状況が生まれるぞ」
ドオン!
…かなりの至近距離で、左手から魔法を放った。
既に事切れている人々に対して、更に鞭を打つかのような仕打ち。
至近距離の魔法を直撃したもの---それは女性だったが、身体の半分が無残にも吹き飛んでしまった。
血だまりの中には、残った上半身部分だけが静かに回転しながら浮かんでいる。
「いやああ!!」
凄惨な光景。グシャッ…と飛び散った肉隗が遠くの床に落ちる音がリアルに耳に飛び込んでくる。
あかねが半狂乱になって泣き叫ぶも、
「どうした、まだ詫びる気持ちも祈る気持ちも生まれないか。ならば続けるしかないな」
ドオン!
ラビィは表情ひとつ変えずに、再びもう動けない人々に向かって至近距離で魔法を放つ。
今度は、そのすぐ傍で倒れていた男性の頭が吹っ飛んだ。
勢い良くとんだ頭部は、甲板の隅へとコロコロ…と転がっていく。
「きゃー!!!」
残忍で、そして凄惨…直視どころか危うく気を失ってしまいそうな衝撃的な光景。
戦いの場でもこのような残虐な行為は、行われないだろうに。
あかねは両手で顔を覆ってその場に崩れ落ちるが、
「良く見るのだ。こうなったのも全てお前の責任なのだぞ」
ラビィはそんなあかねの元にゆっくりと歩いてくると、あかねが顔を覆っている手を強引に開かせ、再び凄惨の光景をその目に映させる。
「あ、あたし…」
ぼろぼろと瞳から零れ落ち始める涙と、霞む視界。それなのに、この凄惨な光景だけははっきりと瞳の奥に焼きつき忘れることが出来ない。
「…」
ラビィはそんなあかねを乱暴に突き放すと、
「お前が祈りを捧げるまで、私が協力をしてやろう」
表情ひとつ変えずにそう呟くと、再び人々が倒れるその場所まで歩いていった。そして左手をかざし狙いを定める。
「やめ…もうやめて!」
恐怖とショックで身体に力が入らず床から立ち上がることが出来なかった。
あかねは床にへたり込んだ状態でラビィに叫ぶが、
「そんな事を叫んだところで、上辺だけなのではないか?」
「そ、そんなことっ…」
「だから私が手伝ってやろうというのだ。お前が心からこいつらに祈りをささげるまで。感謝してもらいたいぐらいだな」
ラビィはそんな事を言いながら再び、翳した左手に魔力を貯めていく。
ポウ、と音をたてながら徐々に大きくなっていく魔法。
ただでさえ強力な魔法を至近距離で食らっただけで身体が吹っ飛ぶのだ。
明らかに大きな魔法を再びぶつければ、身体は吹っ飛ぶどころか粉々に飛び散ってしまうだろう。
…乗船客達にだってそれぞれ色々な事情や家庭環境だってあるだろうに。
待っている人や送ってくれた人、会いたい人、色々居ただろうに。
突然命を奪われただけでなく、身体まで粉々にされてしまっては、何も…本当に何も残らなくなってしまう。
それが、自分のせいで…
「…いやー!!!」
…そう思った瞬間、あかねは魔力を左手にためているラビィに向かって大声で叫んでいた。
それでも、容赦なくラビィの手から離れようとする巨大な魔法。
「ああああああ!!」
あかねはぎゅっと強く目を閉じ、そして心の底から搾り出すような声をあげた。
その、魔法を止めて。
その、悪魔のような男を止めて。
そして…もうこれ以上傷つき倒れた人々に手を出さないで!
言葉にしたくても強すぎて上手く出来ない思い。
それでももう、ラビィのこの行為には耐えられなかった。
自分がこの船に乗ってしまったが為に、関係ない人々だけが傷つき、命を落とした。
その上まだ、傷つけられるというのか…。
だったら、この命に代えてでも、彼らの命を戻して…!
それが可能だというのならば、神様っ…
「っ・・・」
…全身全霊、というのはきっとこういうことを言うのだろうか。
頭の先から爪の先まで、あかねのたった一つの願い事が駆け抜けていった。
熱い涙と、魂から絞り出すような声と、そして切なる願いと。
それらが全て一体となったと…あかねはそう思えたような感覚に陥った。
その瞬間だった。
カッ…!
…泣き叫んだあかねの身体が急に白く光ったと思うと、その光は急速にその大きさを増し、あっという間にあかねの体全体を包み込んだ。そして、頭上高く真っ直ぐに、伸びていく。
まさに、光の柱。
巨大な光の柱は、急速に上と、そして甲板全体、いや船全体を包み込むように広がっていく。
ゴッ…
鈍い音を立てて、真っ赤な甲板を白く染めていく光。
光が広がっていく過程で、その光にぶつかった魔物の身体が一瞬のうちに消滅してしまう。
「…」
その光は、ラビィも包もうとしたのだが、ラビィは素早く自分の身にまとう黒いローブを翻し構える。
…通常の魔物にはかなり強力な光の力ではあるが、ラビィにはそれを跳ね除けるだけの力と能力があるのだ。
そう、それは光属性魔法と相反した闇属性魔法の使い手だからこそ、持つ能力なのだが。
…
天空に伸びていた光の柱は、やがて空高くで途切れたのか、今度は光の雨となって船へと降り注ぎ始めた。
甲板や船を包む白い光の中に、まるでドロップのようにパラパラパラと降り落ちてくる光の雨。
あまりの輝きと眩しさに、それまで凄惨な紅で染まっていた甲板の姿が全くどうなっているのか分からない。
船中を包み込んだ光は、ある程度の時間その状態を続けていたのだがその内ゆっくりと、消えていった。
「…」
…ドサッ
辺りを照らした光が消えた瞬間、それまで叫び泣いていたあかねも力を失って床に崩れる。
ジジジ…ジジジジジ…
それでもまだ倒れたあかねの体からは白い光の余韻が出ていたのだが、それもその内収まっていった。
「…」
ラビィは、再び黒いローブを翻した。そして、倒れたあかねへと一歩、また一歩と近寄る。
「…」
ラビィは、あかねの姿を見下ろしながらローブの下でニイッ・・・と唇を吊り上げて冷たい笑みを浮かべていた。
…恐らくあと少しすれば、この船で事切れたものたちは息を吹き返すだろう。
光の柱と、魔物を吹き消すくらいの光の勢い、そして光の雨。
術者が気を失うほどの強力な光属性魔法だ。蘇生しない訳がない。
まあ、あのミコトという女と同じように身体を飛び散らせたり吹き飛ばされたりした者たちに関しては、蘇生することは不可能だと思われるが、そんなことは自分には全く関係のないことだ。
それよりも、その数人を除けばほぼ蘇生させることができる素晴らしさを喜ぶことが先決だ。
使い魔の報告では聞いてはいたが、これが光属性の魔法…自らとは相反した能力の稀少魔法。
・・・
「…」
確認の意味もこめてあかねにこのように魔法を発動させたラビィであったが、想像以上の力に思わず顔が緩む。
「…やはり、奴らの手元に置いておくわけには行かない」
稀少魔法の使い手、想像以上の力、そして…
「…」
…意識を失って倒れた横顔。
いささか憔悴はしているが、その横顔が整い美しいものであるのは変わらない。
稀少魔法の使い手同志が交わり子をなすならば、更に強力な魔法の使い手が生まれる可能性もある。
そう、それこそ「クロノス」を生まれながらにして使える子供が。
それに、クロノスソードを作るのにも彼女の力は必要であるし、ソードを手に入れた暁に世界を治める自分の横に居ても全く問題がない美しさもかね添えていると思われる。
「ふははははは…!」
ラビィは、自らがもうすぐ手に入れる強大な「宝」を目の前にして、高らかにそして不敵に笑っていた。
そして、蘇生魔法のおかげで命を吹き返す人々が起きてしまわないうちにあかねを連れ去るべく、倒れた彼女の身体に手を伸ばした…その瞬間。
バチバチバチ!!
「!」
…なんと、ラビィがあかねの身体に触れた瞬間、まるで電気のような衝撃が触れた部分に発生してしまった。
そして、ラビィの身体を黒い光が、あかねの身体を白い光が素早く包み、相反した力で光ごと弾き飛ばしてしまう。
そのせいで、あかねの身体は白い光と共に甲板の外へと投げ出され、あっという間に海の中に沈んでしまった。
「くっ…しまった!」
あかねが光属性魔法を発動するまでは、あかねに触れても何の反応もなかった。
しかし、魔法が発動されてあかねの身体の中に流れる「魔力」属性が変わったのだろうか。
特に、光と闇は相反する存在だ。
相反するものは受け入れない。
私は貴方を絶対に受け入れない・・・意識のないあかねの代わりに身体が反応をしたかのように、あかねに触れようとしたラビィは、あかねと弾きあってしまったのだ。
「…」
あかねに弾き飛ばされたラビィは、パチン、と合図をして使い魔を呼んだ。
今回は鳥ではなく、海も潜れる魚類の魔物であった。
「…あの状態ではまだ、私とあの女が触れ合うと再び弾きあってしまうかもしれない。ならば、例の場所まではお前が、あの女を探し出して運んでくるのだ」
ラビィは、海の中から顔を出した不気味な魔物に向かってそう指示をした。
「ギー!ギー!…」
魔物がそんなラビィに答えるように叫ぶ。
「私は先にそちらに向かって、次の準備をしておく…よいな?」
「ギー!ギー!」
「行け」
ラビィは魔物にそう指示を出すと、黒いローブをヒラリと翻して船の上から消えた。
魔物はそんなラビィが消えるまで見送ると、彼の指示通りに海へと潜り、光と共に消えていったあかねの姿を探しはじめたのであった。
・・・
あかねは、このような経緯があり白い光と共に、海の中へと消えていったのである。
故に現段階ではその生死どころか正確な居場所さえ、乱馬も、ラビィも、それ以外の者達も・・・分からないのである。
・・・そんな事があり、
海に消えたあかねはともかくとして、憔悴しきった乱馬を連れた一行は一旦、東風の医院へと戻った。
すると、
「あ!」
「あいやー!ムース、気がついたあるか!」
「お、お前、起きて大丈夫なのか?」
「ムース君、大丈夫なのかい?」
何と、これまで数日間怪我の為意識を失っていたムースが、帰ってきた一行を出迎えたのだ。
ただ出迎えたとはいえ、壁に手をつたい、ヨロヨロと身体をふらつかせながら歩いてきただけなので、勿論自信をもって「大丈夫」とはいえない状態だとは皆分かったのだが、
意識が戻りこうして動くことがで居たのを見れば、驚いてしまうのは否めない。
「・・・おらのことより、乱馬はどうしたのじゃ。何故、女の姿をしておる」
ムースは、自分を気遣った皆に礼を言うよりも、良牙の背中に担がれている「女性」に目をやり呟いた。
「・・・」
・・・彼がこうなった経緯もそうであるが、ムースはあかねが国へ帰る為に皆と別れたことや、帰るために乗った船が魔物の襲撃に遭い彼女が行方不明だということはまだ知らない。
乱馬が何故姿を変えてしまったのかを説明する為には、まずそこから話をしなければならないのだ。
「・・・話は長くなる、ある。だから明日改めて・・・」
今晩はもう遅いし、ムースも長く起きているのは辛いだろう。
それに、皆も朝からずっと気を張り詰めていた為に疲労がピークに達していた。
シャンプーが尋ねたムースにそう答えると、
「・・・時が来てしまったのじゃな」
ムースはそんなシャンプーに対して、小さくポツリとそう呟いた。
「時が・・・来た・・・?」
・・・シャンプーは、その言葉を以前にも聞いた事があった。
そう、それは数日前コロンと通信をした時だ。
『そろそろ、時が来るという事か・・・』
コロンは、シャンプーに対してそう言った。シャンプーにはその時の記憶が鮮明に蘇っていた。
あの時コロンは、「仲間」についても話をした。
喜びや幸せを分かち合うのが仲間、しかし悲しみや苦しみを分かち合うのも仲間だと。
今は分からなくてもきっと、その時が来れば分かると。
確かにその話をしていた時は、シャンプーには一体何のことを言っているのか分からなかった。
そのキーワードともいえる言葉『時が来る』・・・ムースならば何か分かるのか?
いや寧ろ知っているとでも言うのだろうか。
「ムース、お前・・・私達に何か隠していた事がある、あるな?」
シャンプーは、そんなムースに対し思い切って尋ねてみることにした。
「隠している事って?何なん?それ」
「何言ってんだ、ジャンプー」
シャンプーのその問いに、右京と良牙は何のことを彼女が言っているのか理解に苦しむが、
「・・・」
二人のその意味深な会話のやり取りと、何となく違う雰囲気を感じ取った東風は、
「良牙君、王子は僕が部屋に運びましょう。・・・立ち話だとムース君も体力的にきついとおもうから、場所を彼のベッドの所でしたらどうだい?」
「あ、ああ・・・そうだよな。先生、すまねえけどコイツを頼みます」
「任せておいて」
そういって、良牙の背中から乱馬を受け取ると、今朝よりも一回り以上小さくなった身体を背負い、彼の部屋へと運んだ。
その間に、一同は場所をムースの病室へと変えて、
「・・・」
ベッドに横たわったムースを囲むようにして、まずは彼の話を聞くべく彼をじっと見つめた。
東風も、乱馬をベッドに寝かせてからすぐ病室へとやってきて、部屋の隅へと腰掛けた。
「・・・」
ムースは一度そっと目を閉じ再び見開くと、
「おらがこの旅に途中から加わったの理由は・・・」
自分が得ていた情報、自分が抱えていた理由を全て、ゆっくりと・・・一同に話し始めたのだった。
「・・・それじゃあ、あかねちゃんは自分がこうなることが分かっていて、それでも旅を続けてきたって言うん?」
・・・ムースが全て自分が知っていたことを話し終えた直後。
話の途中から、若干涙ぐんでいた右京が、少し曇りがかった声でムースにそう叫んだ。
それに対し、ムースは小さく頷く。
「そんなのっ・・・何とかならんかったん!?そんなの、あかねちゃんだけやなくて乱ちゃんかて可哀想やないっ・・・」
感情的に右京は続けて叫ぶが、
「・・・何とかするために、ひいばあちゃん、ムースを旅に出した。でも・・・」
その右京に、シャンプーはそう諭し、ため息をついた。
・・・そう、恐らく最初に事情を知ったコロンだって、何もしなかったわけではないはずだ。
聞けば、あかねに武器だって渡していたし、ムースに防御道具を作らせたりしていた。
今思えば、時々魔法通信をした後にする占いだって、彼女を一番最後にしてきっと、相談でも聞いていたのだろう。
コロンは、大魔導士。
占いは専門ではないし、「未来を垣間見る能力」を持つミコトほどではないが、それでもある程度占いだって当たる。
そのコロンの占いで導かれた答えであり、それを何とかして最悪の方向に持っていかないようにと策を講じたはずなのだ。
それは、例えばムースを旅に合流させてあかねをサポートさせていたように。
でも、
「・・・ムースはあかねを守る為に怪我をして、意識を失っていた。あかねはその間に、私達や乱馬から離れて一人になった・・・」
「それじゃあ、そういう風にさせたあかねちゃんが悪かったって言うんか!?」
「そうじゃないある。・・・きっと、どうあってもあかねがこうなることは避けられなかった、と言いたいだけある」
「そんな・・・」
シャンプーの言葉に、右京ががっくりとうなだれる。
そんな右京に対し、シャンプーも同じように項垂れる。
占いも、魔法も・・・「運命」というものからは逃れることが出来ないのか。それらの前では無力なのだろうか。
分かっていてもどうにも出来なかったこと。それを受け止めるしかなかったあかねの気持ちを思うと、胸が締め付けられる。
ムースの話によれば、あかねは視力も落ちていたという。
そんな彼女に、自分達は何て事を言ったんだと・・・例え知らなかったとはいえ、それも二人を苦しめていた。
そんな中、
「・・・とにかく、俺達は乱馬が少し落ち着いてこれからどうするのかを決めるまで、待つしかねえよな・・・」
それまでじっと黙ってみなの話を聞いていた良牙がそう呟いた。
「・・・せやね。でも、本当に乱ちゃんが落ち着くような日はくるんやろか・・・」
そんな良牙に、右京は先ほど同様涙を浮かべながら呟く。
体力の限界、精神力の限界まで誰に引き止められようとも海に向かっていこうとしていた乱馬のことだ。
きっと、あかねが見つかるまでこの地を離れる事はないのではないだろうか・・・。
右京はそう思ったのだ。
勿論それは良牙も、シャンプーも思うことであった。
「・・・」
三人は、お互いの顔を見合わせたまま大きなため息をついてしまった。
とその時。
「・・・乱馬ならば大丈夫じゃ」
そんな三人に向かって、ムースが一言そう呟いた。
「何を言っているあるか、ムース。乱馬が大丈夫なんてはず・・・」
一体ムースは、何の根拠があってそんな事を言うのか。
あかねだけではなく乱馬のことも見てきたはずなのに、何故にそんな事をいえるのか?
不思議に思ったシャンプーがムースを見つめると、
「・・・おらには、乱馬に伝えなければならぬことがあるのじゃ」
「それは、ひいばあちゃんからの言葉、とかあるか?それともあかねの・・・」
「そうではない。じゃが・・・それを伝える事で、乱馬ならばきっと、何らかの答えを出すじゃろうと。そう思っておる」
「答・・・え?」
「そうじゃ。乱馬が・・・王子が真剣にあかねの事を考えていればこそ、答えが出るはずなのじゃ」
「・・・」
「・・・王子には、頃あいを見ておらが話す。じゃから・・・皆はそれまで、おらを信じて何もせずに待っていてくれぬか」
ムースはそういって、自分の話を聞いている三人の顔を順に見つめた。
「・・・」
三人にしてみればムースが一体何を乱馬に伝えるのかが気になるところであるし、それを伝えた所で本当に今の乱馬が何か答えを見出すことが出来るのかは謎のところであるのだが、
だからと言って今、自分達がどうしなければいけないのかは全く導き出すことも出来なかった。
「・・・分かったある。ムース、お前に全て任せるある」
シャンプーは、静かな口調でそう呟いた。それに対し、良牙と右京も静かに頷く。
「・・・」
ムースはそんな三人に一度だけ頷いてみせると、小さくため息をついた。
三人も、それに釣られるかのようにため息をつく。
皆の話を部屋の隅で聞いていた東風も、天を仰ぎながらため息をついていた。
・・・皆、突如自分達を襲ったこの事態にどうしていいのか分からないのだ。
しかし、それを打開する方法としてムースが乱馬に何かを伝える事と言うのなら、
そしてそれをムースが信じて欲しいと言うのならば、それをするしかないのだ。
「・・・」
言葉を交わすことはなく、ただ同じ部屋に入るものの、出るのはため息ばかり。
「・・・仲間と言うのは、辛いあるな」
その重苦しい空間の中に、シャンプーのそんな言葉が不意に響いた。
・・・コロンの言葉の意味が、ようやく分かった。
仲間と言うのは、喜びを分かち合うだけではなく悲しみも苦しみも共に分かち合うものだと。
でも分かったからといってどうにかできるものでもない。
それぞれの胸に、その言葉は重く響いていた。だが、それに誰も、何も答える事が出来ない。
「・・・」
再び皆が集うその空間に、大きなため息だけが溶けていった。
・・・それから一週間が経過した日の、朝。
乱馬は一人、とある場所を訪れていた。
柔らかな朝日に包まれて、主もなく来訪者をいとも安易に、そして静寂と共に受け入れてくれるその場所は・・・そう、ミコトのアンティークショップである。
まだ女性の姿のままの乱馬の小さなシルエットが、するりと店の床に映し出されていた。
ミコトが絶命したあの日と同様ではあるが、少し枯れた花。そして埃を被った供え物。
それらを横目に、乱馬は店内を進んでいた。
錆びたかっちゅうに、新品ならば需要のありそうな刀。
動物の剥製に、奇怪な紋様をあしらったツボ。
乱馬はそれらの横を通り過ぎ、最終的にとある骨董品の前で立ち止まった。
一枚の絵画であった。
それは以前に訪れた時にもその場所においてあった絵であった。
夜明けの海が幻想的に描かれているその絵画の前で、乱馬は何も言わず立ち止まり、ただその絵をじっとみつめていた。
・・・勿論、乱馬も絵画鑑賞の為に一人ここを訪れた訳ではない。
ちゃんと理由があってここへとやってきたのだ。
「・・・」
乱馬は絵画の前でそっと目を閉じた。
そして、自分が何故ここへと来たのかをゆっくりと、気持ちを落ち着かせる意味も込めて振り返っていた。
・・・
あかねが行方不明になってから連日、乱馬は夜明けから深夜まで近隣の海を彷徨い続けていた。
同行してくれる漁師達の顔にも徐々に絶望の色が見え始め出したが、それでも乱馬だけは必死にあかねを探し求めた。
・・・何故自分はあの時、あかねの手を離したのか。
何故、怖いと言った彼女の身体を抱き締めてしまわなかったのか。
何故、あかねの失いかけている光に気がついてやれなかったのか。
それらを思うと、例え港に戻っても身体を休める為に眠る事など出来なかった。
・・・出来る事なら、自分が全て引き受けてやりたかった。
あかねがこんな事になってしまったのは、自分のせいなのではないか。
もしも自分と関わり等持たなければ、自分と出会ったりしなければ、あかねはこんな目には遭わなかったのではないか・・・
寝ても醒めてもそればかり考えて、彼自身も、肉体的にも精神的にも限界まで来ていた。
そんな中、
「王子、ちょっと良いか」
深夜まで海を漂い、毎夜の如く絶望の念に駆られ暗い表情の乱馬に、彼が帰ってくるのを待っていたムースが声をかけた。
ムースが意識を取り戻してから、早六日。彼は治癒魔法のおかげでだいぶ回復をしていた。
「・・・」
ムースが回復したのは喜ばしいことだが、彼はあかねが抱えている運命の事を知っていてずっと黙っていた。
後にそれを皆から聞かされて知った乱馬には、どうしてもその部分に抵抗があった。
彼が悪いわけではないし、きっとあかねに口止めされていたのだろうと、そういうことも想像はできる。
それでも・・・どこか割り切れないのが、人間の感情だ。
乱馬は話しかけてきたムースからすっと顔を背けると、さっさと自分の部屋へと帰ろうと歩き出した。
が、
「一つだけ、答えてくれぬか、王子」
出て行こうとした乱馬に、ムースがそう呟いた。
「・・・なんだよ」
乱馬がムースの方を振り向かないままそう答えると、
「・・・お主、心からあかねの生存を信じておるか?」
「!?」
「何日も海を漂い、見つからない女を本気で生きていると信じているのかと、質問しておる」
ムースは、乱馬に向かって小さいがハッキリとした声でそう呟いた。
「てめえ!本気で言ってんのかよ!」
そんなムースに対して、乱馬は険しい表情で振り返ると、女性の小さい身体ながらもムースの胸倉に掴みかかった。
そして、
「生きてるに決まってんだろ!あかねは死なせねえよっ・・・俺のあかねが死ぬわけねえじゃねえか!」
ガタン!
乱馬はムースの身体をそのまま壁に叩きつけるように押しやると、振り絞るような震える声で、でも力強くそう叫んだ。
連日の肉体的疲れと、精神的疲れで彼はギリギリの状態であるが故に、
このようにムースに叫ぶこの姿は、目もギラギラと輝きハッキリって異常である。
「・・・」
ムースはそんな乱馬の手を自分の胸倉から離させた。
「・・・」
乱馬は、まだ何か叫びたさそうな表情でムースを睨み付けている。
「・・・そう、興奮するな」
ムースは、そんな乱馬を軽くなだめた。勿論それで気持ちの激昂が収まる乱馬ではないのだが、
「・・・お主が本気であかねの生存を信じるのならば、明日は海ではなく、あの店へ行け」
「店・・・?」
「アンティークショップじゃ」
「何で・・・」
「Bright or Black」
「!それ・・・」
「この先の光を信じるのか、闇に飲まれるのか・・・光を得ることが出来るとすれば後はお主の気持ちのみ。おらは、まさに今、その状況ではないかと思っておる」
「・・・」
乱馬は、ムースのその言葉に思わず黙り込む。
・・・そう、それは例のミコトが生前、乱馬に言った言葉。
その時はこの言葉の真意も分らなかったし、実際何かが分ったのはムースだけだった。
そのムースも大怪我をして乱馬たちにこの言葉の真意を伝えることはなかったし、それにあかねのことがあってすっかりと頭の端の方へと追いやられていた言葉であったのだが。
・・・
「お主があかねの生存を信じている・・・その状況でこの場所へ行けば、きっと、今のお主に光が差すはずじゃ」
「・・・」
「それとも、海には行けどもあかねの生存を信じていないのならば、行く必要もないが」
「そんなわけねえだろ!あかねはっ・・・あかねは生きている!」
「・・・じゃったら、一日くらい身体を休めるのも兼ねて行け。明日は、おらと良牙が代わりに海に出る。それならよいだろ」
ムースは、乱馬にそう伝えると一枚の紙を乱馬に手渡した。
「これは?」
渡された紙を開くと、真ん中に一行、あるものの名前が書かれていた。
それはミコトのアンティークショップの中にあった骨董品の一つであった。
「・・・それが、ミコトの言っていたBright or Blackじゃ」
「!」
「ぱっと外見だけ見ても分からないように、緻密な仕掛けが、実は施されているかもしれん。とにかくそこへいき、それを見て来い。きっとそこに・・・ミコトの言っていた【光】があるはずじゃ」
ムースは乱馬にそう伝えると、
「それじゃ、おらは良牙に明日のことを伝えねばならぬから」
「・・・」
「それから・・・自分を責めるのその気持ちも分からなくはないが、お主とあかねが出会ったことまで後悔はするな」
「!」
「出会ったことまでおぬしが後悔をしてしまえば、そんなお主の為に生きようとしていたあかねそのものを否定することにもなる」
「・・・」
最後に一言乱馬にそう伝え、ムースは去っていった。
「・・・」
乱馬は、ムースから渡された紙を握り締め、一人その場所に佇む。
「・・・」
・・・あかねの生存を信じて疑わないのは、当然だ。だからこそ、一刻でも早く彼女を見つけてやりたい。そしてこの腕に繋ぎとめておきたい。
だから寄り道や休んでいる暇などない。乱馬はそう思って毎日、身体を酷使しして海を漂っていた。
が、そんな気持ちとは裏腹に彼女の行方が一向に掴めず気持ちが焦っていたのも、事実であった。
本当は、今日だって誰かに頼むのではなく自分で、海へ出たい。
でも・・・
「・・・」
乱馬は、ムースが先程自分に伝えた、「ミコトが言っていたのはきっと今の状況の乱馬のこと」という言葉が妙に引っかかった。
この状況で、いくら気になるからといってこのことに時間を割いても良いのか。
でも、だからといってあかねは中々見つからない・・・
「・・・」
乱馬は、紙を見つめながら迷った。
が、結局、ムースの言葉通りにミコトのアンティークショップへとやってきたのだった。
・・・
「・・・ただの絵、じゃねえか」
再び目を開いた乱馬は、目の前にある「夜明けの海」が描かれた絵を見つめ呟いた。
一体、これのどこに「今」の乱馬に光を与えるものがあるというのだろうか?
「・・・」
しかも、骨董品だし、誰が描いたかも分からないし、それに絵なんて鑑賞している余裕もなければ興味もない。
乱馬はそんな事を思いながら、目の前にあるその絵を何気なしにさっと触れた。
その途端、
「おわ!?」
ガコンッ・・・
乱馬は軽くその絵に触れただけのはずだったのだが、突然触れた部分の額縁がはずれ、絵自体がふちから外れてしまった。
額縁はばらばらになり床に落ちて散乱、外れてむき出しになった絵は、少し転がり壁際にベコン、とぶつかって止まった。
さすがは「骨董品」といわれるもの、丈夫に出来ていないようである。
「おいおい・・・頼むぜ」
既に店主はいないのでこの絵を壊したからといって高額の弁償金を求められることはないとは思うが、やはり店の「商品」だったものを壊してしまったというのは心苦しい。
「はー・・・俺、壊れた絵を直している時間なんてないんだけどなあ・・・」
ミコトの言っていた「光」も何だか分からないし、触っただけで絵は壊れるし。
これだったら、ムースの言葉なんて信じないで自分も海に行っていればよかった・・・乱馬はそんな事を思いながら、転がった絵と、散乱した額縁を再びくっつけるべく身をかがめてそれらに手を伸ばした。
と、その時だった。
キー・・・ン・・・
「!?なっ・・・!」
壁にぶつかって止まった絵に乱馬が触れた瞬間、急に乱馬の腰につけていたカードフォルダが共鳴を始めた。
しかも、微かな高音を放つだけではなく、フォルダの下からでも分るように光を放っているように、見える。
「何で・・・何で急に・・・」
カードがこのような反応を示すのは、近くにカードがある時。もしくはカードに携わる何かや、フォルダを使って通信をする時だ。
今のこの状況から考えて、フォルダを使って通信をすることは除外しても構わないだろうと思われる。
だとすれば・・・
「近くに、カードがある・・・?」
・・・まさか、このむき出しになって転がった絵の中、か?
「・・・」
乱馬は、ゆっくりとむき出しになった絵を両手で持ち上げた。
キー・・・ン・・・
すると、先程よりも強力にカードが共鳴をし始めた。どうやら、乱馬の推測に間違いはないようだ。
「・・・」
乱馬は一瞬迷ったが、手で持っているその絵を強引にカンバスから引き剥がすべく手をかけた。
そして、ビリビリビリ・・・とカンバスをめくり絵を形どっていた木の枠を現させる。
と、
「あ!」
めくりあげたカンバスと、木の枠の間。
そこに、枠の太さにあわせて細く折りたたんだ封筒が見えた。
絵の中に、しかもこんな複雑に隠してあるとはただ事ではない。しかし、封筒の細さからしてカードが入っているとは思えない。もしや、折りたたまれているのか?
乱馬がそんな事を考えながら封筒を開けると、
ヒュッ・・・
「うわっ・・・」
折りたたまれていたものを伸ばし、乱馬が封筒の封を開けた瞬間だった。
突如封筒の中から何かが勢い良く飛び出してきたかと思うと、ふわり、ふわりとゆっくり宙を舞い、まるで生きているものかのような忠実な動きで、封筒を持っていた乱馬の手の中にふわりと舞い降りてきた。
一枚の、カードであった。
一組の男女が、幸せそうな笑顔で見つめあって額をくっつけている絵柄。
薄いピンクで彩られた華やかな背景も、その二人を協調しているしているかに見える。
カード上部には、「Y」という数字が書かれていた。そしてカード下部には「THE LOVERS」と書かれていた。
「・・・」
THE LOVERS。カードのタイトルは、「恋人」だ。見たこともないカードであった。
「恋人・・・」
今までのカードたちと同じデザインだし、共鳴もした。数字も、乱馬が今まで持っていない「Y」という数字だ。
しかし、こんな幸せそうなカードも本当に自分が集めているカードの一つなのだろうか?
乱馬がそのカードをじっと見つめていると、今度は封筒の中から別のものがヒュッ・・・と飛び出してきた。
それはカードではなく、一枚の紙であった。
乱馬はその紙を開き、ざっと目を通した。
「!これは・・・」
そして、思わずそう叫んだ後口を閉ざしてしまった。
カードの次に現れたその紙は、ミコトから乱馬に宛てた手紙であった。
「・・・」
乱馬は、カードを握り締めたまま今度はじっくりとその手紙を読み始めた。
手紙には、ミコトから乱馬への最後のメッセージが記されていた。
王子へ
貴方がこの手紙を手にしているということは、きっと私はもうこの世にはおらず、貴方の友人は大怪我を追い、そして・・・貴方にとってとても悲しい出来事が起こった後でしょう・・・。
こうなることが分っていたのに、あの時これを伝えられなかった非礼、お許し下さい。
前にも話しましたが、私には占いにも利用している、ほんの少しだけ未来を垣間見る力があります。それは、クロノスの研究をしている父の影響ゆえもあるのですが、
その他に・・・我が家に代々伝わっていた「カード」の影響もあったのです。
その「カード」が、先程封筒から飛び出して貴方の手に舞い降りた「カード」です。
THE LOVERS・・・恋人。
このカードには、恋愛的要素・幸福的要素の他に「選択」という意味もあります。
二つの分かれ道を、どちらを選択するかにより運命が決まる・・・そういう意味を持つカードでもあるのです。
今貴方は、大切な人が自分の元から消えてしまったことで心が一杯でしょう。
探しても探しても、彼女の姿を見つけられずに苦しんで、そして彼女を一人にしたご自分のことも責めているのだと思います。
ですが・・・貴方は今日、ここへ来ることを選んだ。
それはつまり、そんな状況でも貴方は、まだ彼女の生存を信じ前へ進もうとあがいているのだと、私は思います。
私は以前、貴方に言いましたね?貴方が得ようとすれば必ずそこに光は差すし願いも叶う。ただし、大きな苦しみや辛さや痛みも伴うと。
探しても探しても見つからず、精神的にも肉体的にも限界が近い今の状態で、
普通ならば諦めてしまうのが、王子くらいの年齢の男の方だと思います。ですが、貴方はそうしなかった。
今、私の残した手紙を読んでいるこの瞬間でも、彼女の生存を、そして再び自分の元に戻ってくることを信じている。そうなのでしょうね。
Bright or Black。光か、闇か。
闇に落ちるのは簡単です。ですが、光を求めて闇から這い上がるのはとても難しい。
貴方は、光を選んだ。消えた彼女の死を悲しむのではなく、どこかで生きている彼女を捜し求める道を選んだ。
目に見えないその「どこか」で再び会えるまでその気持ちを持ち続けるのは、辛くもあり苦しくもあるでしょう。ですが、信じていればきっと、その願いは叶うはずです。
王子、北へと進みなさい。
船の上で確かに彼女は魔物に襲われました。ですが、魔物の刃には倒れてはいません。
ただ、そこで忌まわしきラビィにより「力」を使い果たされてしまった・・・そしてそのまま連れ去られそうになりはしましたが、彼女の「本能」・・・それこそ「光」が彼女を守ったのです。
光と闇は相反します。ラビィの闇を受け入れることを拒んだ彼女の身体は、光と共に海に消えました。
そして・・・北の方角に流されたのです。
私には、北の、どこかの海辺にたどり着き水から出るも倒れた彼女の身体を、何者かが抱きかかえ歩いていく姿が見える。
王子たちとであった時に私が見えていたのは、残念ながらここまでです。
これから先は、私にも分からない。ただ一ついえるのは、海辺にたどり着いた彼女はまだ生きていた。
・・・私がこのことをあの日王子に話したところで、王子は信じなかったでしょう。
それに、話してしまったら運命がその時点で変わり、このような結末は迎えなかったかもしれない。
ラビィは残忍な男です。もしかしたらもっと多くの犠牲や、それに彼女ももっと違う形で、傷つけられて連れ去られていた可能性も捨て切れません。
王子にとっては悲しい出来事が起きてしまいましたが、こうなることがきっと、一番良かったのではないかと・・・勝手ながらそう思いました。
王子、彼女はまだ生きています。
貴方が本当に彼女を取り戻したいと思うなら、そして再びその腕に抱きとめたいと思うのならば、北へ進みなさい。
そうすればきっと、貴方に光は差すでしょう。
そして・・・再び彼女と出会った時に、貴方とラビィとクロノスを巡る運命も回り始めるはずです。
ここから先の未来と結末は、私にも分からない。
ただ・・・ご健闘とご武運と、そして幸運をお祈りいたします。
そして最後に。
多分貴方の友人が貴方に言ったと思われるとおり、彼女と出会ったというその事までも否定してはいけません。出会いを否定して運命を嘆くよりも、最愛の人に出会えた運命に感謝をし、そして離れても再び出会えることの希望やその喜びを貴方の胸に。
ミコト
・・・
「・・・」
最後の一文字まで読んだ乱馬の手は、震えていた。
そして、無意識に・・・そう、本当に無意識に涙がじんわりと目に浮かび上がる。
「あかねは・・・生きている」
そう呟く乱馬の声は明らかに震えていた。
「生きてるんだ・・・ほら、やっぱり生きてるんじゃないか!」
俺のあかねは、生きてるんだ!・・・何度も何度も、あかねが生きていると声を出すたびに、熱い涙が乱馬の目から零れ落ちる。
自分達と会ったときに、既に今こうして乱馬がここで手紙を読むことまで見えていたミコト。
そのミコトが言うのだ。
ムースの怪我も、あかねのことも、そして当事者じゃなければ分からないはずの状況もミコトは手紙に書いていた。
そのミコトが言う。絶対に間違いない・・・乱馬はそう信じた。
船の上で、魔物ではなくラビィによって力を使い果たされてしまったあかね。
連れ去られそうになった時にあかねを守った「光」、そして北の海辺にたどり着いた彼女を抱き上げ連れ去った人物・・・
その人物の存在やあかねのその後の安否は気になるが、でもその時点でまだあかねは生きていた。
生きて、北の大地のどこかにいる・・・乱馬には、そちらの方が最優先に心に浮かぶ。
生きていさえくれれば、元気でいてさえくれれば、絶対にそこに迎えに行く。
そして一緒に帰るんだ。今度こそ、もうずっと一緒に・・・
「・・・」
ミコトにもムースにも助言を受けたが、自分と出会ってしまったが為にあかねがこのような目に遭ったなどと、彼女との出会いまでも後悔したり否定している暇などないのだ。
あかねの目が見えにくいというのなら、自分が代わりに彼女の目になればいい。彼女の道を照らす光になればいいのだ。
「・・・」
乱馬は、ギリ、と唇を噛み締めてミコトが残した手紙を握り締めた。
そして自分の手にふんわりと舞い降りた「恋人」のカードをカードフォルダにしまう。
「・・・」
道は、決まった。進路は北だ。
乱馬は心に強くそう決意をすると、ミコトのアンティークショップを出て夜明けの街を駆け出した。
医院に戻り、皆に報告をしなければならない。そして、早く旅立たなければならない・・・心が駆られていた。
カードのこと、王位継承のこと、ラビィのこと、稀少魔法のこと、クロノスソードの阻止のこと・・・この旅は、いつの間にか乱馬が簡単に降りられるような状況ではないものを生み出し、乱馬を取り巻いている。
だが、それらのことよりも何よりも・・・今はあかねを探し出すことを優先したい。
それをしなければ自分が、自分ではないと思うのだ。
ミコトも、あかねと再び乱馬が出会うことでラビィやクロノスのことに関する運命が回り始めると手紙に書いていた。
乱馬の傍にあかねがいる。それが全ての始まりなのだ。それがなければ、きっと何もどうにも変わらないと、乱馬は改めてそう思った。
それに・・・再びあかねに会えた時には、乱馬には伝えなくてはならないこともあるのだ。
そう、今度は「ずっと待っていてくれるか」なんてぼやかした表現の言葉じゃなく、思いの全てを込めた大事な言葉を。
・・・
夜明けの街を駆け抜けながら、乱馬はそれだけをずっと思い続けていた。
北に行けばあかねに会える。
それだけが、今の彼を突き動かしていた。
信じることで光が差すというのなら、たとえ茨の道だろうが痛みを伴う道が待っていようが、真正面から受け止めてやる。
進んだ先で再びあかねに出会えるのなら、痛みも苦しみも耐えてみせる。
出会った事に後悔など、二度とするものか。
乱馬は心の中で強く、強くそう思いながらただひたすらに走り続けた。
・・・そんな乱馬の後ろ姿を、徐々に昇り始めた太陽がぼんやりと照らし出していた。
走り抜ける彼の背後から伸びる光は、まるで道のない闇を走る彼の行く末を照らしてくれるかのような優しい光。
Bright or Black。彼が選んだのはBright。
前途は多難であるが、それでもそんな彼の行く道を少しでも明るくしようとしてくれる光が、今の乱馬には何よりも非常に心強く感じたのだった。
・・・こうして思いがけずにあかねの手がかりを得た乱馬は、医院に戻った後皆にこのことを報告した。
そして逸る気持ちを何とか抑えつつ進路を北に取る事に決め出発の準備をした。
コロンにことの経緯を報告したり、ムースに再度話を聞いたり、東風とあかねの病状の事を話したり・・・出発までに色々とすべきことはあったのだが、それでもその先にあることを思えば苦ではなくなる。
ようやく前向きになった乱馬に安心しつつも、
乱馬以外のメンバーは、今後向かう北の地で恐らく、残忍極まりない最強の敵・ラビィとの再度対決があるのだと思うと、不安でもあり気持ちを引き締めざる得なかった。
物語はこうして一つの区切れを迎えることとなったわけであるが、その前途はまだ多難である。
乱馬は本当にあかねに再開できるのか?そして彼らを取り巻く数奇な運命はどのように変化していくのか?
そしてあかねは本当に無事なのか?今はどうしているのか・・・それらは、次の物語で語られていくのである。