「乱馬・・・乱馬ってばッ」
・・・誰か、俺の名を呼んでいた。
「ん・・・」
その声に導かれ、俺が固く閉ざしていた目を開けると、誰かがそんな俺の顔を妙にむっとした表情で覗き込んでいた。
「ん?」
更にそんな俺が周りを見回すと、
「ん?」
俺の手・・・俺の右手は、しっかりとその「誰か」と繋がれていた。
「わッ・・・」
俺がそれに驚いて慌てて手を離すと、
「わッ・・・はこっちの台詞よッ。何なのよあんたはッ。人がせっかくいいお話をしてやってんのに、途中で居眠り始
めた挙げ句に、寝ぼけて人の手を繋いできてッ。しかもそれを振り払うとは何事よッ」
・・・俺をむっとした表情で覗き込んでいた「誰か」は、あかねだった。
あかねは、ようやく目を覚ました俺に乱暴に手を振り放された事が頭にきたらしく、
「あたしはね、あんたの寝かし付け係じゃないんだからねッ」
そう言って、プイッ・・・と横を向いてしまった。
「・・・」
俺は寝起きでボンヤリとした頭をしばらく左右に振ったり首を傾げたりしていたが、
「あー・・・そうだ。俺、オメーの話を聞いてる最中に眠っちまってたのか」
「そうよ!人がせっかく、素敵な絵本のお話をしてあげてたのにッ」
「わりーわりー」
・・・ようやく自分が置かれている状況を理解した俺は、慌ててそっぽを向いているあかねに謝った。
そうだった。
いつものように夕飯前、道場で一人稽古をしていた俺のところに、制服姿のままあかねがやってきた。
そして
「図書館で素敵な絵本を見つけたの、お話してあげるッ」
そう言いながら俺を道場の床に座らせると、絵本の話をし始めた。
・・・それは、ドジな「天使」がふとしたことで悪魔の世界へと落っこちてしまって、そこで偶然であった「悪魔」と仲良し
になって・・・という単純な話だったんだけど、あかねの奴、
「な、何て可愛い天使なのッ」
とか、
「どうして天使と悪魔が仲良くしちゃいけないの?」
とか。
絵本を読みながら時々、妙に感情的になって自分の思いやら考えやらを語り始めるので、
「おーい・・・」
たった十ページぐらいの絵本のはずなのに、すでに二十分以上も経過。
それでそのうち俺は、あかねの話を聞きながら眠り込んでしまった・・・というわけだ。
・・・
「乱馬、あたしの話ちゃんと聞いてたの?!」
あかねがむっとしながら俺に向って叫ぶので、
「き、聞いてたよ。ドジな天使が、悪魔の世界に落っこッちまって悪魔と出会う話だろ?」
俺が必死にそう答えるも、
「それは、一番初めの部分じゃない!何よッあたしが一生懸命話してあげたのにッ」
そんな俺の答えで、余計に話を聞いていなかった事がばれてしまい、あかねは更に臍を曲げる。
「わ、悪かったって」
「知らないッ。何よ、乱馬のバカッ」
そしてあかねが憤然とした様子で立ち上がり、さっさと道場を出て行こうとするので、
(や、やべえ・・・この喧嘩は長引きそうだッ)
・・・動物的直感というか、長年の付き合いというか。
俺は即座にそう感じて、とりあえずあかねの機嫌を取るべく何か声をかけようとした。
(今日も可愛いねなんて口が裂けてもいえねえし・・・その洋服、意外に似合ってるなって、着てるの制服だしなあ・・・うーん・・・)
ホンの一瞬だったけど、俺はいろいろと考えた。
考えて考えて。
そして・・・
「あかねッ」
「何よ」
「その髪ッ・・」
「は?」
「やっぱおめーは、短い髪があってるな」
「はあ?」
・・・容姿も誉められず、洋服も誉められない。
だったらとりあえずその髪型だけでも誉めてやれ・・・と、俺が適当にそんな事を口に出すと、
「あんた、熱でもあるんじゃないの?何よ、急に」
あかねはあからさまに怪訝そうな顔をしながら俺に近寄り、額に手を当ててきた。
「し、失礼なこと言うなよなッ」
俺があかねのその手を慌てて離し、弁解しようとすると、
「髪型なんて、もう短くしてから大分たつでしょうが。今更誉められても」
いいわよ、無理しなくても。もう許してあげるわよ・・・とあかねは俺の必死な様子に笑っていたが、
「む、無理じゃねえよッ。だから・・・その・・・そう、おめーみたいな気の強え女は長い髪よりも短い髪の方が似合うって、そう思っただけだよッ」
「な、何ですって!?気の強い、は余計よ!」
ボコッ・・・
俺のその余計な一言の為に、あかねは直りかけていた機嫌を再び悪くして、俺の頭を拳でぶん殴った。
「い、いてえッ・・・」
俺が殴られた部分を抑えてしゃがみこんでいると、あかねはそんな俺をじろっと睨みながらも、一言だけこう言った。
「まったく。気の強いは余計よッ。でも・・・」
「あ?」
「・・・でも、悪い気分じゃないわ。そんな風に言われるの」
「・・・」
・・・そのあかねの言葉に。
何だか分からないけれど、俺は・・・
「?ん?乱馬・・・あんた泣いてない?」
「ばッ・・・バカ言えッ俺がオメーに殴られたぐらいで泣いて堪るかッ」
「うそだあッ・・・泣いてるよ、ほらッ」
あかねはそう言って、しゃがんでいる俺の目元に指をピッ・・・とあてた。
その瞬間、パッ・・・と小さな水滴があたりに飛び散る。
「ほらッほらほらッ泣いてんじゃないッ」
そんな俺を面白がって覗き込むあかねに、「泣いてねえッ。だいたい、おめーに殴られたぐらいで泣くわけねーだろッこれは・・・」
・・・そうだ、これは何かもっと別の原因で流れた涙だ。
別の・・・なんだ?
何だっけ?
・・・
「と、とにかくッ。俺のことはもういいのッ」
俺は首にかけていたタオルで強引に顔をごしごしとこすってその涙を誤魔化すと、
「そ、それよりも。その絵本、結局どんな話だったんだよ」
俺は話題を逸らさせようと、あかねに全然別の話題を振ってやった。
「ほら見なさい、やっぱあたしの話聞いてなかったわね」
あかねはその絵本の角で俺の頭をゴチ、と叩きながらも、
「悪魔の世界に落ちてきちゃった天使と、出会った悪魔は友達になるの。でも天使はすぐに自分の国へ帰らなくちゃいけなくって。せっかくお友だちになれたのに帰りたくないッて悪魔に駄々をこねるのよ」
「ふんふん」
「でも帰らなくてはいけないものはしょうがないからって。悪魔は天使にある一つの贈り物をして・・・説得するのよ」
「贈り物?」
「そう。悪魔の世界に昔から伝わる歌をね・・・天使に教えるの。この歌を知っているのは、悪魔とお友達になれたか
らだよって。僕たちは離れていても友達だよって」
「ふーん」
俺があかねの話に相槌を打つと、
「天使はすごく喜んだの。だから悪魔が自分に悪魔の世界の歌を教えてくれたように、自分も何か悪魔に贈ろうとす
るんだけれど何も思いつかない。でも、その気持ちを伝えたい・・・天使は必死に考えてね、それで悪魔に伝えるのよ」
「何て?」
「私は貴方に素敵な歌とか贈る事は出来ないけれど・・・でも、友達になれてよかったって。貴方の事が大好きですって」
あかねはそう言って、はあ・・・とため息をついた。
「悪魔はね、『僕にはそれで充分だ。貴方のその言葉が、僕にとってはとても素敵な愛の唄になりました』って。天使
にそういうの。それで二人は握手を交わして別れる・・・ってお話よ。ねッねッいいお話でしょ!?」
「そ、そうか・・・?」
「そうよッ。天使と悪魔は住む世界が違うから、せっかく友だちになれてももう二度と逢う事もない。けれど心を通わせた事がある証に、それぞれの世界の歌や、そして愛の言葉を交換するなんて・・・ロマンチックだ
わ」
「・・・まあロマンチックはとりあえず置いておいても、だ。友だちになれたのにもう二度と逢えないなんて哀しいな」
俺がボソッとそう呟くと、
「でしょ?ほーら、ようやく乱馬もこのお話の良さに気がついたわね?」
あかねはニコニコ顔で俺の頭を撫でた。
「俺だったら絶対に、そんな天使、帰さないんだけどなー・・・」
俺はそんなあかねの手をとっ掴まえると、あかねの身体をそのまま掴まえて、俺の膝の上においてしまった。
「どーだかねー。あんた意外に薄情だし、そもそも友だちになんてならないで天使が困っててもほったらかしにしとくタ
イプじゃないの?」
あかねが、俺の膝の上でそんな悪態をつくが、
「うるせーな。もしもなあ。もしも俺が悪魔だったらなあ・・・」
「悪魔だったら、何よ」
「悪魔だったら・・・・」
・・・何だっけ?
「・・・ま、どんな事をしても、だ。その天使が友だちとして、いやそれ以上に大切な存在だったら。たとえ一時期その天使の国へ帰しても、もう一回逢いに行くだろうな」
「捕まっちゃうかもよ?」
「捕まんないように上手くやる」
俺はそう言って、「だからおめーがもし、捕まえられる方の立場だった時は覚悟しとけよ」とあかねの耳元で囁いて
やった。
「その時になったら考えとくわ」
「よく言うぜ」
「あーあ、わがままで強引な悪魔に出会っちゃったら大変ね」
あかねはクスッ・・・と笑いながらそう言うと、俺の膝から飛び降りて立ち上がった。
「乱馬、そろそろ晩御飯だよ。居間に行こうよ」
そしてそうやって俺に手を伸ばすので、
「そーいや、腹減ったなあ・・・」
俺はそんなあかねの手を取りながら「よっこらせ」と立ち上がった。
「今日の夕飯、鳥の唐揚げだって」
「えッマジかよッ・・・じゃあ早く行かないと親父達に食われちまうッ」
「そうそう。そうなのよ」
そして、あかねと二人、連れ立って道場から出た。
「なあ。そういやさ、その絵本。何てタイトルなんだ?」
あかねとしっかりと手をつなぎながら道場から家への渡り廊下を歩いていた俺が、ふと気になったのであかねにそう尋ねると、
「これ?これはね・・・『悪魔に捧げるラブソング』ってタイトルなのよ。天使が語った愛の言葉。ただの言葉も、時には
素敵な愛のウタになるのよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんよ」
あかねはそう言って、クイッ・・・と俺の繋いでいる手を引っ張った。
「ん?」
俺がちょっとだけ身をかがめると、
「あたしも、乱馬にあげる」
あかねはそう言って、俺の耳元に小さな声で囁いた。
「!」
・・・それは、世界で一番短い、愛の言葉。
でも、どんな飾った言葉よりも力のある・・・愛の言葉。
「・・・ふむ。意外に嬉しいもんだな」
俺が、本当はにやけてしまいそうなその顔を必死でにやけさせないように頑張りながらそう呟くも、
「意外には余計よ。顔、にやけてるわよ。充分」
あかねはそんな俺の頬を指で軽く突っつきながら笑っていた。
「に、にやけてねえよッ」
「にやけてるわよッ」
俺とあかねは、口ではそんな事を言い争いながらももう一度、繋いでいた手をぎゅっと握りなおした。
・・・何だかよく分からないけれど、今日は何だか、あかねとこうして手を繋いでいられる事。
それが無性に嬉しくて仕方なかった。
いつもだって、そりゃ嬉しい。
嬉しいけれど、今日は何だか、特別だ。
「俺もあかねに、贈り物」
「え?」
俺は、手を繋いで歩いているあかねの手をちょっと自分の方に引き寄せると、あかねがさっき、俺に囁いたのと同じ言葉を囁いた。
「・・・」
あかねは真っ赤な顔をしながらも、ちょっと嬉しそうな表情をして笑っていた。
俺はそんなあかねの頭をちょっと自分の方へと引き寄せると、しばらくその彼女の温もりを味わってじっとしていた。
・・・闇を貫く、光が欲しい。
どんなにはなれた場所にいても、貴方を見つけ出せるような強い、強い光が欲しい。
・・・心を貫く、言葉が欲しい。
遠い記憶の中に眠る愛の記憶を、一瞬で呼び起こさせるような、強く優しい、言葉が欲しい。
幾千万分の一でも良い。
再び貴方に出会えるその可脳性が残っているというのなら、この身を自ら・・・闇の世界へと投じよう。
そして再び、貴方と出会えたその時は。
今度は惜しげもなく、愛の言葉を捧げよう。
そして今度は共に、そう、誰にも邪魔される事なく二人で歩んでいこう。
深い、暗い闇の底ではなく・・・光り輝く「二人」の世界を。
闇を貫く翼も、光も要らないその世界で。
・・・それが貴方とあの時、交わした約束。
「今度出逢った時は、ずっと一緒にいてくれないと困る」
そう言って泣いていた貴方との・・・約束だ。
その約束を果たす為に、俺は何度でも生まれ変わった。
そう。俺は生まれ変わったんだ。
貴方と巡り会う、ただその為に。
・・・
「さ、そろそろ行こうぜ。ホントに晩飯、全部食われちまう」
「うんッ」
ちょっとの間だけお互いの身体の温もりを味わった俺たちは、もう一度しっかりと、その繋いだ手を握りなおした。
そして「いざ夕飯」とばかりに皆の待つ居間へと向っていった。
「乱馬、嬉しそうねえ。あんたそんなに唐揚げ好きなの?」
「おめーこそ。何ニヤニヤしてんだよ」
「し、してないわよッ」
・・・そんな俺たちは。
理由は全く分からないけれど・・・何だかとても幸せな気持ちに包まれていた。
そう、二人で手を繋いで、こうしてただ道を歩く事。
それだけで、俺たちは幸せだった。