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「王子!」
「あかね!」

・・・お互いの身体をしっかりと抱きしめながらも、俺とあかねは追ってきた兵や、そして大天使に徐々に詰め寄られていた。
「乱馬・・・」
あかねが、今にも泣き出しそうな顔で俺の腕にしがみつき、呟く。
(くそッ・・・・万事休すかッ・・・)
俺は、ギリ・・・と歯軋りをさせた。

逃げ出したい気持ちは山ほどあった。
しかし、 どう考えても状況が悪かった。
「お前達は先に城に戻れ!」
・・・魔界の兵たちには、最悪そう言い放てばこの場を見逃してくれたかもしれない。
しかし、
「おのれ悪魔め・・・よくも再びあかねにッ・・・」
・・・それが大天使相手となると、そうはいかない。
大天使の瞳には、明らかに俺に対しての敵意の炎が揺らいでいた。
『今すぐにでもあかねを離せ。さもなくば、この場で引き裂く。』
目でも、いや全身でそう物語っているようだった。
・・・

「ああ、あかね。お前はその悪魔に騙されているんだよ。
可愛そうに、天使の誇りである髪の毛までその悪魔に切られてしまったんだね。
その悪魔はこの私が殺してあげるから、さあ、安心してこちらにおいで」
・・・大天使はそう言いながら、1歩、また1歩とあかねに歩み寄ってきた。
あかねには笑顔を向けているように見えるが、
その笑顔の裏側からは俺への敵意があからさまに覗えた。
「嫌ですッ。私はお父様の所へは戻りませんッ」
そんな大天使に、あかねは怯むことなく叫んだ。
「お父様は誤解しています!これは・・・この髪は、私自身で切ったのです!」
「あかね!」
「私は、天使の誇りである髪の毛を自分で切りました!これでもう立派な罪人でしょ!?だから私だってもう天上界へは戻れませんッ」
が。大天使はそんなあかねに対してまたもや「笑顔」のような表情を見せると、
「大丈夫だよ、あかね。私の魔力を持ってすれば、お前のその髪など、天上界の皆の目に触れる前に元通りの姿に 戻す事が出来る」
「!」
「だから、おいで。お前はその悪魔に騙されているんだよ」
そんな事を言いながら、また一歩、あかねに歩み寄った。
・・・その大天使の、笑顔の裏側に秘められた俺への「敵意」が、ビリビリッ・・・と空気を通して俺の肌へと伝わってきた。
俺が思わずビクッ・・・と身を竦めるのに対し、あかねはそんな俺の身体を一度だけぎゅっと抱きしめると、
「・・・お父様」
あかねは、小さいけれど、でも凛とした声で大天使に向って呼びかけた。
「あかね、ようやく分かってくれたかい?」
大天使がそんなあかねに少しホッとしたような表情を見せた。
しかしあかねは、そんな大天使を険しい目で見据えたかと思うと、

「!」
「なッ・・・あかね!」

・・・それは、ほんの一瞬の出来事だった。
大天使の見ている目の前で。
悪魔の兵たちが見ている目の前で。
そして、俺が彼らと対峙しているその時に。
あかねは、俺の顔を自分の方へと向けると、ゆっくりと一度、キスをした。
「!?」
キスをしたのは、ほんの一瞬。しかし予想だにしないその行動に、された俺自身も驚いていると、
「・・・お父様、これでもまだ私をお許しになろうとするのですか?」
「あ、あかねお前ッ・・・」
「これで私はもう一つ、罪を犯しましたッ。だからもう、お父様の元へは帰りませんッ」
あかねはそう叫んで、俺の身体に更にぎゅっと抱きついた。
・・・そんなあかねの姿を、悪魔の兵たちはまるでものめずらしい物でも見るかのように見とれていたのだが、
「あ、あ、あかねえ!」
もちろん、大天使のほうはそうはいかない。
しかも、あかねの起こしたこの行動を素直に受け入れられないのか、認めたくないのか。
「・・・悪魔、貴様・・・よくも私の可愛いあかねをたぶらかしおったな・・・」
・・・もちろんその怒りの矛先を、あかねではなく俺に向けてきた。
大天使は恐ろしい形相で俺を睨みながら、そしてまた一歩、にじり寄ってきた。
(殺される・・・!)
・・・そのすさまじい「敵意」に。
いや、もう「敵意」と呼べるレベルではなかった。
「殺意」
そう、それは生まれて初めて俺が感じた「殺意」だ。
「乱馬・・・」
「・・・」
俺に対してその「殺意」を、大天使と同じ天使でもあるあかねですら、恐怖に感じているようだった。
あかねの身体も、震えていた。
「ッ・・・」
・・・あかねを連れて、今この場から走り去ろうとしても。
どうせ直ぐに、この殺意剥き出しの大天使には捕まってしまうだろう。
大天使は俺だけを殺そうとしているんだろうが、あかねの奴はそんな俺をかばおうとして、何だか巻き込まれてしまいそうな気がする。
あかねだけでも無傷で、逃がしてやる事は出来ねえのかッ・・・)
俺はあかねを背中にかばい、ジリジリ・・・と後ろに後ずさりながらただその方法だけを必死に考えた。


と、その時だった。


「う、うわわわわ!」
ビュオッ・・・・!
突風が不意に巻き起こり、俺たちを囲んでいた悪魔の兵たちを一瞬にして立ち消えさせてしまった。
更に、
ザザザザザ!・・・
俺たちがいる場所の周りに生い茂っていた木々が、激しい風を受けて揺れ動いたかと思うと、
「うわ!?」
「きゃあ!?」
俺とあかねの身体が、その風に煽られてフワリ・・・と浮かび上がった。
「逃がすか!」
そんな俺たちに向って、大天使がすかさず左手をかざし、カカッ・・・と、辺りを白い閃光が覆うほどの、強烈な魔力を俺に向って放とうとした。
(やられる!)
俺があかねの身体をしっかりと抱いてかばいながら思わず目をつぶると、
「!?」
「えッ・・・」
ドオオオン!
・・・俺の身体にその大天使の魔力がぶつかる、とそう思った瞬間、そんな俺達の身体の寸前で、 その大天使の放った魔力は遮られ、そして中和されて立ち消えてしまった。
「!?バカなッ・・・」
・・・たとえ魔界に下りてきて少しは力をそがれてしまうとはいえ、大天使ぐらいの天使ならば、魔界にいるそこらへんの悪魔なんかよりは断然に強い力を使えるはずだった。
その大天使の力を、こんな風にいとも簡単に撥ね退けてしまうことなど、全く持って考えられない。
「!?」
大天使もこれにはさすがに驚いたようで、しばらく呆然としていたが、
「わッ・・・」
「きゃあッ・・・」
・・・そんな大天使をさておき、俺とあかねの身体はそのままフワリ、フワリと浮かび上がって、どこかへ向って猛スピードで移動を始めていた。
「に、逃がすか!」
そんな俺達の姿に大天使は慌てて再び魔力を放ったが、
バシュッ・・・!
やはりそんな音とともに大天使のその魔力は、俺達の目の前で立ち消えてしまった。
「あ、あかね!戻ってくるんだ、あかね!」
・・・どんどん遠ざかる俺たちに向って、大天使が必死にそう叫んではいたが、 遠ざかりながらも、あかねは俺に抱きつきながら首を左右に振って見せていた。
俺はそんなあかねをぎゅっと抱きしめながらも、考え込んでいた。

・・・周りにいた悪魔の兵を一瞬で吹き飛ばして消してしまう事の出来る力を。
そして、大天使の力を中和させて無効にさせ、尚且つ俺たちを連れ去る事ができるそんな魔力を。
・・・そんな力を持つ人物など、たった一人だけだ。
(・・・親父か?)
でも、何で親父なんだ?
親父は俺を、城に呼び戻そうとしてたんだろ?
それなのに、呼び戻しに来た兵を消し去って、自分で直接俺を呼びに来たってことか?
・・・なんで?


親父が一体何を考えているのか、俺には全然予想が出来なかった。
が、きっとこのままどこかに運ばれていけば親父と話をすることが出来るはずだ。
俺の背中に隠されている「色あせた翼」のこともそこでばれてしまうかもしれないが、あの場で大天使に殺されてしまうよりは全然いい。
「・・・」
俺はそんな事を考えながら、あかねと二人である場所へと移動していた。







「・・・王子、お待ちしておりましたよ。さ、お入りなさい」
・・・俺達がたどり着いたのは、先ほど俺が訪れていた、あの罪人がたくさん収容されている塔だった。
俺達が入り口の前に降り立つのを、例のあの塔の番人が待ち構えていた。
そして俺とあかねを急いで中に招き入れると、塔の入り口をしっかりと閉めた。
「・・・」
そういやこいつ、天使を拾ってきては研究材料にするのが趣味だったな。
俺がそんな事を思いながらあかねを後ろ手でかばうと、
「はは、大丈夫ですよ王子」
俺が何を考えているのか察したその番人は、
「王子がそのお方とここへいらっしゃるだろうと思って、例のアレも、目の触れない場所へと隠しておきましたから」
笑いながらそう言うと、
「それよりも、王子の事をここで待ってらっしゃる方がいます。さ、こちらへ」
と、俺とあかねを先導するように塔の中を歩き始めた。
「ねえねえ、例のアレって何?」
あかねが俺の服をちょんちょんと引っ張りながら尋ねるが、
「あ、実は天使を生け捕りにして瓶に押し込めてな・・・」
・・・無論そんなことをあかねに言えるはずもなく、
「何でもねえよ。大したもんじゃねえ」
俺は適当に誤魔化したつもりだった。が、
「わかったッ。あたしに見られたら困る物なんでしょッいやらしいッ」
「な、何だよいやらしいってッ」
「だってそうでしょッ。女の子に見られたら困る物なんでしょッ」
「ち、違うって!あの、あのな?」
「いーもん!どーせあたしはまだ成人したてのお子ちゃま天使ですよーッだ」
あかねは急にそんな暢気なことを言ってはほおを膨らませて見せた。
「だ、誰もそんなこと言ってねえだろ」
俺は「やれやれ」とばかりにあかねの頭を撫でてやると、
「魔界にはな、天使の目には毒な物だって多々あるの」
そうやってあかねの気をなだめつつ、
「それよりあかね。たぶんこの先にいるのは・・・俺の親父だ」
「えッ・・・」
「・・・気をつけろよ」
俺はあかねにふと真面目な表情でそう語ると、あかねの小さな手を、ぎゅっと強く握り締めた。
「魔王様・・・」
あかねが急に不安そうな顔をするので、
「大丈夫」
俺はそんなあかねの手をもう一度強く握り締めると、
「・・・さ、王子。こちらです」
「ああ」
そんなあかねを連れて、番人の案内してくれたその部屋へと入った。
そして。


「・・・約束したはずだぞ、乱馬。父を失望させるなと」


・・・部屋に入った瞬間、俺は。
その部屋の中央に置かれた立派な椅子に腰掛けた親父に、第一声、そう声を浴びせられた。
「親父・・・城で俺を待っていたんじゃないのか」
俺がそんな親父に対してそう問うと、
「いつまでたってもお前を見つけたという知らせが来ないので、ちょっと様子を覗ってみたらこうだ。 大天使にお前を殺される前に、わしはお前に話をしなくてはいけないこともある。・・・たとえ、お前がすでにわしを裏切って罪を犯していて、この「魔界」から追放される身だとしても、だ」
「・・・」
「だから邪魔者は消し去り、取り急ぎお前達だけをこの場へと、呼び寄せた」
親父はそう言って、ギロリ・・・と迫力のある瞳で俺を睨みつけた。
そんな親父の迫力に、俺の後ろにこっそりと隠れていたあかねが、ビクッと身を竦めていた。
が。
「・・・時間がない」
「え?」
・・・親父はそれ以上は俺やあかねを責めるような言葉は吐かず、たった一言そう言った。
「この塔には、わしの結界を張っておる。中にその天使の娘が入り込んだとはいえ、天使の気配を大方外側に洩らさ ないようにはしているつもりだ。しかし・・・先ほどの大天使の様子からすると、ほんの少しの気配であっても、その娘の「気」を感じ取ろうとするであ ろう。大天使がこの塔にたどり着いてしまったら、お前達はもう逃げる事は出来ん。恐らくこの罪人の塔も破壊され、凶悪な魔物たちは外へと飛び出してしまう。その魔物たちを抑えるべく、あの番人 も、わしも力を費やすのに精一杯で、 二度目はお前達を助ける余裕などない。それに、助けるつもりもない」
親父はそう言って、ため息をついた。そして、
「乱馬よ。お前は・・・天使と悪魔が罪を犯して、共に両方の世界を追放された話は知っているか?」
と、さっそく本題を切り出してきた。
「・・・知っている。その二人の子供を、親父が殺しちまった事も知っている」
俺は、塔の番人に見せてもらった日誌の内容を、親父に話した。
「・・・表向きは、そうしておる」
・・・が。 親父は不意にそう言うと、ため息をついた。
「・・・罪を犯した悪魔は、わしの・・・弟だった」
「!?」
「大天使同様、わしも弟を諭した。天使と一緒にもう一つの世界へ旅立った所で幸せになどなれるはずがないと。王族の特権で、お前だけは生かしてやる、と。だから戻って来いと。だが・・・」
「・・・」
「弟は、最後まで首を縦には振らなかった。そしてこの塔から別世界へ旅立っていった。・・・自分と、その天使の子供をこの塔の番人に預けて」
「・・・それで自分の弟の子供を殺しちまったんだな」
俺が、小さな声でそう吐き捨てると、
「・・・当時のわしには妃はおっても子供はいなかった。妃は体が弱くてな・・・お前とて、妃はお前を生んで直ぐに死んだと聞かされていたはずだ。実際、弟がもう一つの世界へ旅立ったちょうどその日に、わしの妃はなくなったばかりだった」
「え?」
「・・・罪人の子は例え子供であっても殺さねばならぬ。しかもその子供は天使と悪魔の血を引く物・・・翼も間を取って灰色。「魔界」でも「天上界」でも、そんな翼を持って 生きていくには目に見えて苦労が耐えぬ。ここで殺した方がその子供の為になる。たとえ、それがわしの弟の息子であっても、だ」
親父はそう言って、俺にゆっくりと瀬を向けた。
・・・そして。
「だが・・・いざ殺そうと思って手をかけるも、若かった当時のわしには出来なかった。それが、弟の子供であるとなると尚更だ。妃も亡くなり、それに心を許した弟までもわしの元からいなくなってしまって・・・わしも当時は心が弱っていたのかも 知れぬ。だが、この色あせた『灰色の翼』を持っている以上は、この子供はいかなる時でも「異端の子」と後ろ指を刺される だろう。そこでわしは、その子供に一つだけ・・・強い魔法をかけた」
「魔法・・・?」
「・・・いかなる状況でも、翼の色を黒く保っていられる魔法を。その灰色の翼を、黒く変化させる力を・・・わしは吹き 込んだ」
「なッ・・・・!」
・・・親父のその言葉を聞いたとき、俺の全身に何か・・・電流のような物が走りぬけた。
「ちょっと待てくれ!」
俺が震える声を振り絞り、親父に叫ぶと、
「・・・だが。その魔法は解けてしまった。恐らく大天使に、天上界で直接魔力を注ぎ込まれたからだろう・・お前の身体の中に眠っていた、もう一つの血が・・・目覚めてしまった。わしと、大天使の魔力が、お前の身体の中で中和されてしまったんだろう」
「そんなッ・・・そんなはずはッ・・・」
「おかしいと思わぬか?たとえ「魔界」の王族の者でも。傷口から直接、大天使の力を注ぎ込まれたのだぞ?たった数日寝込んだだけで、その傷口が回復するなど普通は有り得ぬ。しかも、そんな目にあったにも関わらずお前は、無意識のうちに自分の足で城まで戻ってきた。 偶然初めにそんなお前の姿を見つけたのがわしであったから、他のものには翼に気がつかれないようにちと仕掛け をさせてもらったが。この世界では、そんな理由がない限りは・・・今のお前のような色あせた翼を持つ者など生まれはしない。それが、悪魔であっても天使であっても」
親父はそう言って、俺のほうをゆっくりと振り返った。
・・・その親父の目は、厳しいながらも、慈愛の光を帯びているように見えた。
あかねを追ってくる大天使なんかよりも、 魔界の王である親父の方が、俺にはよっぽど穏かに見えた。
「お前の親と」
「え・・・」
「お前の親と同じ罪だけは犯させないよう、わしは幾度となくお前に忠告をしてきた。だが・・・翼の色は欺けても、お前の内側に眠る何かは、やはり親と同じ道を辿るべく出来ているのかも知れ ぬ」
「親父・・・」
「・・・「魔界」の掟により、わしは、たとえ今まで息子として育ててきた者とはいえ・・・お前を追放処分にせねばならぬ。ここから先、お前はもう「魔界」の者ではない。両親と同じ、別世界へ旅立つ道を選ぶか。それとも、ここでその娘と命を絶ってその魂を魔物たちに喰わせるか。お前の、好きにすればよい。・・・」
「親父・・・」
「これが、十六年前にわしが犯した罪への、わしが受けるべき罰なのかもしれんな・・・」
親父はそう言って、自分の左腕をまっすぐ横に広げる素振をした。
そして、背中に羽織っていたマントをヒラリと翻すと、

ヒュンッ・・・

・・・一瞬のうちに姿を消してしまった。
「・・・」
・・・親父の話は、俺にとってはあまりにも衝撃的な内容だった。
(俺が?俺が、天使と悪魔の血を引く子供?・・・俺は、親父の子供じゃない?・・・)
十六年も親父に大事に育てられてきて、ここに来てその親父を裏切るような行為をしてしまったわけだが、そんな俺の仕出かした行為よりも、今親父に告げられた事実の方が、俺にとっては衝撃的なものだった。
「乱馬・・・大丈夫?」
そんな俺を、今まで黙って話を聞いていたあかねが、支えるように抱きしめる。
「ああ・・・」
俺が何とか声を振り絞るようにして答えるも、それでもまだ、放心状態は続いている。
「・・・しかし。これで王子のあの色あせた翼の意味も納得できました」
そんな俺の近くで、やはり部屋の隅で話を聞いていた番人が、ぼそっと呟いた。
「血は、争えないのですね」
「・・・」
俺は、しばらくの間何も口から発する事さえもできない状態だったが、それでももう、いつまでもそれを引きずっているわけにも行かなかった。
真実を知ってしまったら、尚更だ。

・・・正式に、俺は「魔界」からの追放処分を受けた。
そしてあかねも、大天使の前で「罪」を犯し・・・こうして身を隠している。
大天使がこの場所を突き止める前に、俺とあかねは、今後どうするかを急いで話さなくてはならなかった。

「すまないが、少し二人だけにさせてもらえないか」
「・・・分かりました。何かありましたら、ドアの外へお声を掛けてください」
「すまないな」
俺は番人を部屋の外に出すと、
「・・・あかね」
俺を支えるように身体を抱きしめていたあかねをふと、自分から離した。
「はい・・・」
あかねはそんな俺の真正面に立ち、じっと、俺の顔を見つめていた。
「・・・俺は正式に、「魔界」から追放処分を受けた」
「うん・・・」
「でもお前はまだ・・・まだ間に合う。今なら大天使へ頭を下げれば、お前だけなら「天上界」へ・・・」
「帰らないわ」
「・・・」
「・・・今度そんなことあたしに聞いたら、また泣いてやるんだから」
そして。
俺に向ってそう叫ぶと、再び俺の胸へと飛び込んで、俺の顔を見上げた。
そのあかねの瞳には、強い、強い意志の光が灯っていた。
こんな瞳をした者には、もう何を言っても聞かないだろう・・・・俺にもそれぐらいは分かった。
「・・・」
俺は、そんなあかねをぎゅっと強く抱きしめると、
「なあ、あかね。別世界に旅立つって言う事はな・・・」
・・・先刻、俺が一人でここへ尋ねてきた時に番人に聞いた話を、あかねへと話して聞かせた。
それは、 別世界へ旅立ったら、この世界での記憶は消されてしまう事。
それぞれが新しい「生」を受ける為に、もしかしたらもう二度と、出会えないかもしれないこと。
・・・はっきり言って、お互い愛し合って別世界へ逃げようとしている二人にとっては、「酷」な内容だった。
「!」
その話を聞いたあかねは、案の定悲痛な表情で、俺を見ていた。
だが、
「・・・このままここで命を絶っても、魔物に魂を喰われてしまうだけでしょう。報われないまま・・・」
「・・・」
「だったら・・・ほんの少しの可能性でも・・・。 別世界で再び出会えて、乱馬と今度はずっと一緒にいられるかもしれないって・・・そっちの方がいい」
あかねはそう呟くと、ぎゅっと唇をかんだ。
大きな瞳が、ゆらりと揺らいでいた。
「・・・」
俺は、そんなあかねを黙って抱きしめた。
そして最後に、俺はもう一度あかねに尋ねた。
「・・・俺と一緒に行くか?いいんだな?」
「・・・うん」
あかねは小さいけれど、
でもはっきりとした声で俺にそう答えた。


・・・もう、本当に後戻りも、そしてためらう事も出来ない所まで来ていた。

「・・・この塔の最上階から、その昔親父の弟が天使の女と別世界へ旅立った入り口が見えるらしい」
「うん」
「俺たちも、そこから・・・行こう」
俺は、あかねを抱きしめながらそう呟いた。
あかねは、そんな俺の言葉を納得するべくしっかりと頷いた。
・・・その時だった。
「王子!王子!大変ですッ」
それまでドアの外で待機していたはずの番人が、突然部屋の中へと飛び込んできた。
「何だ!まだ合図は・・・」
俺が慌ててあかねの身体を自分から離して叫ぶと、
「魔王様が張ってくださった結界が、破れました!ものすごい魔力がこの塔へと近づいております!」
番人はそう言って、その部屋の窓まで走りより、指差した。
「!」
・・・見ると、俺がこの塔から初めに外へ飛び出した時に見たような、不気味な「赤い光」渦巻く空が直ぐそこまで迫っていた。
ウオオオン・・・
ウオオオン・・・
それと同時に、それまで泣き止んでいたはずの魔物達の声が、再び聞こえ始めた。
「な、何この声・・・」
生まれて始めて、魔物の嘶きを聞いたのだろうか。
あかねは、その地の底から生まれてくるようなおぞましい泣き声に、すっかりと脅えていた。
(間違いねえ!大天使の奴、この場所を突き止めやがったなッ・・・)
「急ごう、あかね!時間がねえ!」
「う、うんッ・・・」
俺はあかねの手をしっかりと握ると、そのまま部屋の外に飛び出そうとしたが、 ふと思うことがあり、
「ちょっとここにいて」
「え?ら、乱馬・・・?」
あかねからふと離れ、番人の元へと歩み寄った。
そして、
「王子・・・」
「親父に・・・すまない、と。伝えてもらえないか」
「・・・」
「あと・・・ホントの息子じゃねえのに。罪人の子供なのに、俺のこと育ててくれてありがとうって。さっきは驚いちまってて、親父に何にも言えなかった」
俺はあかねに聞こえないような小さな声で番人にそう言うと、
「・・・これ」
ワイロ、ではないけれど、俺が先ほどあかねから「決意の証」として受け取った、切られた髪の毛の半分を差し出した。
「天使の髪の毛、なかなか研究材料でも手に入らねえだろ?世話になる礼だ」
「・・・分かりました。魔王様へは必ずこの私目が伝言させていただきます」
番人は嬉しそうにその髪の毛を受け取り懐にしっかりとしまうと、
「王子、それでは・・・どうか、どうかお気をつけて」
手と手を取り合って部屋を出て行く俺とあかねに、最敬礼をして見送っていた。
俺とあかねも、そんな番人に一度だけ頭を下げた。
そして、この塔の最上階・・・「別世界」の入り口が見える場所へとこの塔を登り始めた。








「きゃあッ・・・」
「あかねッ・・・」
・・・塔の高さは、想像以上にあった。
しかも追ってきた大天使の魔力のせいで、塔の外壁は徐々に壊されつつある。
俺たちは初め、俺の翼の力に頼ってその塔を登っていたのだが、ドオン!・・・と時折大天使から発せられる魔力のせいで破壊され、パラパラと上空から降ってくる壁の瓦礫に邪魔を され、すぐに自分達の脚の力でその塔を駆け上っていく事を余儀なくされていた。
空からは崩れた瓦礫が降り、気をつけて走っていかなければ、今のこのあかねのように、瓦礫に足を取られて転倒してしまう。
「しっかりしろッ・・・あとちょっとだッ」
「う、うんッ・・・」
足を取られて転ぶあかねを何度となくかばいながら、俺はあかねの手を引いて塔の最上階へと向っていた。
・・・ふと、自分達が駆け上ってきた背後を振り返ると、外壁を所々壊され、外側から剥き出しになって見えている螺旋階段がそこにはあった。
吹き抜けの真ん中、真暗な闇の遥か下方には、真っ赤な光が二つ・・・小さいながらもくっきりと見えていた。
螺旋階段の所々を灯しているオレンジ色の蝋燭の炎とは、まるっきり違うもの。
そう、それは・・・俺たちを、いや俺を追ってきた大天使の「殺意」の篭った目の光。
(くそッ・・・もうこの塔の直ぐ下までたどり着きやがった!)
ゾクリ、と身を竦めさせながらも、でもそれでも俺は、もうあかねを一人大天使の元へ帰そうとは思わなかった。


俺は、あかねを連れて行く。
たとえ、別世界へ旅立って。
天文学的な確率でしか俺たちは再会する事が出来なくて。
こうして心を通わせた記憶さえも消されてしまっても。
・・・それでも、その「天文学的な確率」を。
あかねもそういうように、俺も信じてみようと思う。
きっと、親父の弟・・・実は本当の俺の親父と、そしてその人と一緒に別世界へ旅立ったその天使の女も。
今の俺とあかねと同じようにそう考えて、別世界へ旅立ったに違いないんだ。
・・・たとえ、少しの確率でも。
また再び出会えて、今度は、「魔界」の者だから。
「天上界」の者だから。
だから愛し合ってはいけない・・・そんなつまらない掟などない世界で、ずっと一緒にいられるかもしれない。
そっちの方を、俺も信じたいと思う。
光と闇が融合されたその世界で。
闇を貫く力など必要のない、光に満ち溢れたその世界で。
・・・





「あかね、後少しだッ・・・」
「うんッ・・・」
俺は、遥か下方から徐々に迫り来るその赤い光を振り切るべく、あかねの手を握りなおした。
そして、時折足を取られて螺旋の階段を踏み外したりしながらも、
「!」
・・・ようやく、この塔の最上階。
そして、「別世界」への入り口が見えるというその場所へとたどり着いた。
螺旋階段の終点には、一枚のトビラが設置されていた。
「・・・開けるぞ」
「う、うん・・・」
俺とあかねは一瞬だけ顔を合わせて頷きあうと、ゆっくりとそのトビラを押し開いた。
とたんに、

ビュオオオ・・・・!

「きゃッ・・・」
「くッ・・・」
・・・扉を開いた俺とあかねの身体を、強い横風が襲った。
トビラの向こう側は、まるで「物見台」を思わせる、四方を低い策に囲まれた小さな空間になっていた。
魔界の中でも一番高いといわれているこの塔の最上階、大天使のお陰で空は真っ赤に染まり不吉な色をしているが、親父の城も、そして初めてあかねに出会ったあの「立ち入り禁止」の森も、そして所々にある大きな湖なんかも。
この「魔界」の遥か隅々まで、そこからは展望する事が出来た。
いわゆる、絶景、という奴だ。
恐らくこんな危機迫った状況でなければ、「ほら、見てみろよ。あそこに俺は住んでたんだぜ?」なんて。
そんな風な暢気な会話だってしていたかもしれないが、 もちろん今は、そんな事をいっている場合ではない。
俺とあかねは、横風に身体を持っていかれないようにしながら、「別世界」への入り口とやらを探した。
そして、
「!」
・・・その塔から見えるある森の一部。
そこの上空に一部分。
そこに一つ、他の部分とは明らかに「異質」な光を放ち、そして雲が立ち込めている場所があった。
そこはまるで、「空のポケット」。
入り口こそは雲が立ち込めてはいるのに、その入り口の奥に見える空間は、かすかな光を放ちながら、目で見ても分かるくらい・・・外部とは違う雲の流れ、そ して空気の流れを引き起こしていた。
一度その穴へと身を投じれば、「落ちる」というよりは「吸い込まれる」と思った方が確実かもしれない。
「・・・」
俺とあかねは、その入り口の穴を見据えてしばらくの間黙っていた。
・・・しかし。
下方からは大天使も迫り来る中、そうもゆっくりとしているわけには行かなかった。


・・・この入り口へと飛び込んでしまえば、俺とあかねは別世界の者として新たなる生を受ける。
でも、
こうやってここまで手と手を取り合って逃げてきた記憶も、お互いの身体を抱きしめあって愛を誓い合ったその記憶も。
全てを失う事になる。
失う代わりに、ほんの少しの可能性で・・・新たなる世界で出会えれば、今度はずっと一緒に居られるかもしれない。
しかし、何度生まれ変わった後に出会えるか。
いや、そもそも本当に巡り合う事はできるのか?
そんなことは、分からない。
・・・
大きな、賭けだった。
・・・でも、この世界で二人で命を絶ち、報われない魂も肉体も魔物に喰いつくされてしまうよりは・・・ずっといい。


「・・・乱馬」
と、その時。
そんな事を考えていた俺に、あかねが声をかけてきた。
「何だ」
俺がそんなあかねの顔を見ると、
「・・・乱馬」
あかねはもう一度俺の名を呼びながら、スッ・・・と一筋涙を流した。
「どうした・・・怖くなったのか?」
俺がそんなあかねの涙を指ですくってやりながらそう尋ねると、
「・・・もしも、別世界で生まれ変わっても」
「ん?」
「記憶・・・なくなっちゃっても・・・」
「・・・」
「また、逢えるよね?」
あかねは、そう呟いてゆらゆらと揺れた鳶色の瞳を俺に向けた。


『また逢えるよね?』

・・・俺があかねにその言葉を聞かれたのは、もう三度目だった。
一度目は、初めて出会った時。
偶然であって自分を助けてくれた悪魔の俺に対して、無邪気なあかねはそう尋ねた。
俺はもちろん「無理だ」と、無碍もなくそう答えてやったが、結局はその後、あかねに逢いに行く事になった。
二度目は、成人したあかねに逢いに行った時。
大天使に見つかり、あかねは他の天使たちに連れられて宮殿に連れ帰られるその去り際に、俺に向かって何度もそ う叫んだ。
その時俺は、そんなあかねに何も答えなかった。
俺に憎しみの目を向けている大天使の前で、「また逢いたい」・・・そんな事を答えられるわけがなかった。
・・・そう考えると、俺はあかねにそうやって問われるたびに、きちんと答えてはやらなかった。
「・・・」
だからというわけではないが、今度は俺も、そんなあかねにはちゃんと答えてやらなければいけないような気がした。
「・・・逢えるよ」
「絶対!?絶対に逢える!?」
「ああ。俺からお前に、逢いに行く」
俺は、泣きながらも必死で俺を見上げるあかねに向って、呟いた。
「約束だからね・・・絶対に、あたしを見つけるってッ。約束・・・」
「ああ、約束な」
「約束破ったら、許さないんだからッ・・・」
「ああ。分かってる」
「生まれ変わったら・・・今度はずっと一緒にいてくれないと、困るんだからッ・・・」
「分かってる」
「ちゃんと見つけてくれないとッ・・・また泣いてやるんだからッ・・・」
あかねは、「泣いてやるんだから」といいつつもう既に泣いているわけで、
「分かったから。分かったからもう、泣くな。な?」
俺はそんなあかねを、ぎゅっと一度強く、抱きしめてやった。
・・・あかねがこうして俺の胸の中で泣いているように、
あかねを抱きしめているこの俺も・・・涙こそは流さないが、その心はズキ、と痛んでいた。
一体今度はいつ、あかねをこうしてこの腕に抱きしめる事ができるのだろうか。
一体いつになれば、あかねとずっと、一緒にいられることができるのだろうか。
ホンの少しの可能性に賭けなくてはならない、その事情こそ自分の頭の中ではちゃんと理解をしているつもりだった が、
いざこうして泣いているあかねを腕に抱きしめてしまうと、理解しているはずの事も、どうしても納得できぬ事柄へと変化する。
しかし、今はもうこうするより道がなかった。
「たとえ別々の場所に生を受けたとしても・・・必ず俺は、お前に逢いに行く」
「乱馬・・・」
「だから、泣くな。な?」
俺があかねにそう呟くと、
「うん・・・うん・・・」
あかねは、涙を流しながらも嬉しそうに、何度も頷いていた。
「だから今度逢った時は・・・そうだな、その短くなった髪も誉めてやるよ」
俺は、そんなあかねの頬を、そして無造作に切られた髪を、優しく触れた。
「え?」
あかねは俺のそんな仕草に少し戸惑ったようだったが、
「誉めてくれるってことは・・・短い方があたしに似合ってるってこと?」
「長くてもどっちも似合ってるけど。でもおめーのその気の強えー性格を見る限りだと、短い方があってるかもな」
「な、なによそれッひどいッ」
俺のそんな暴言を受けて、それまで流していた涙をぎゅっと手でこすりながら笑った。
「・・・でも、悪い気分じゃないわ。そんな風に言われるの」
「なんだそりゃ」
俺も、そんなあかねに笑って見せた。
・・・「笑い方」なんて知らない俺が。
「冷笑」「嘲笑」「失笑」。
そんな笑い方しか知らない俺が、あかねに対して最後に一度だけ・・・笑って見せた。
一体自分がどんな笑顔をあかねに向けているのかなんて、想像もできない。
でも。
「乱馬」
・・・目の前のあかねがそう言って嬉しそうに微笑むのを見たら、今の俺の、彼女へと向けているその笑顔は 決して冷たいものではないんだと。
きっと、自分でも想像なんて出来ないような暖かくて、そして柔らかい笑顔を向けているんだと。
・・・それだけは、想像できた。

「・・・そろそろ、行こうか」
「うん」

笑顔をお互い見せ合った俺たちは、今度はふと、表情を改めてお互いを見つめた。
そしてそのまま、今度はどちらかが一方的に・・・とか言うのではなく、お互いの意志で、そしてたった一度だけ。
俺たちはお互いの唇を重ねた。
愛の言葉を交わすこともなく、熱い抱擁を交わすわけでもない。
しかし重ねたその唇からは、お互いの気持ちが、心が・・・痛いほど伝わっていた。



・・・俺たちは、最後にもう一度だけ「罪」を犯した。




「行くぞ」
「うんッ・・・」
・・・そして。
俺とあかねは、別世界へと飛び立つべくお互いの手をしっかりと握りあった。
入り口に飛び込んでしまったら、こんな風に繋いでいるだけの手なんか・・・すぐに振りほどかれてしまうのかもしれな い。
しかしそれでも、離れ離れになるその瞬間まで。
記憶を消されてしまうその瞬間まで。
俺はあかねを、傍に感じていたかった。
俺たちは最後に一瞬お互いの顔を見合わせて、そして・・・塔の少し下のほうに渦巻いている「異質な光」の待つその入り口へと飛び込んだ。
・・・入り口へ飛び込んだ俺達の身体は、妙に生暖かい「光」に直ぐに包まれた。
離れないように・・・としっかり指まで絡めて繋いだ手も、その生暖かい「光」は包んでしまった。
温かさが徐々に俺や、あかねの身体を包んでいった。
そして、いつの間にかあかねと繋いでいたはずのその手も・・・傍に感じていたはずのあかねの姿も、俺の傍にはなく なっていた。
「・・・」
・・・ぼんやりとしてきた意識の中で俺がうっすらと目を開けると、なにやら白い光に包まれた俺の体は、真暗な闇の中へと延々と落ちつづけていた。
遠くでは、もう一つ別の光が俺とは違う場所へと落ちていくのが見えた。
紛れもない、それはあかねを包んだ「光」だった。
予想通り、俺とあかねは・・・別々の場所へと生を受けて、そして生まれ変わる事になった。
(・・・あかね)
かろうじて、今の時点ではまだ完全に「魔界」での記憶を奪われていない俺は、俺とは別の場所へと落ちていったあかねの光を、ぼんやりと、
そう、「俺」としての意識がもたれている間中ずっと、ずっと見つめていた。




 



・・・闇を。




闇を貫く、光が欲しい。
この力を奪われた身体でも、貴女の元までたどり着けるぐらい強い、強い光が欲しい。
・・・心を貫く、言葉が欲しい。
記憶をなくした貴方を、一瞬で虜に出来るような、強く優しい、言葉が欲しい。
今度再び出会えるのはいつになるのか。
何度生まれ変われば、何度巡り会ったら、再び愛しあい、共に歩める時間を持つことができるのか。
それさえも、もう分からない。
でも。
それでも俺は・・・・唯、貴女と再び出会う事を待っている。
・・・あなたとは別の、暗い、深い闇の中で。
貴方にいつか出会える、その日まで。

 

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