「ただいま」
「あら、あかねちゃんご飯は?」
「今日はいいや…それより庭でトレーニングしてくる」
「そう。じゃあお風呂沸かしておくわね」
…東風先生のところから帰ってきたあかねは、随分と暗い表情をしていた。
俺から見たらそう見えるのに、かすみさんにはそう見えないのか。
特にあかねの心配をするわけでもなく、話を流す。
「…」
俺は、一人庭に向かったあかねの後ろをそろそろとついていった。
そして、
「たー!」
「せやー!」
ガラガラガラ…ガシャン!
次から次へと、まるで何かに取り付かれたようにブロックやら瓦を割っていくあかねの姿をこっそりと眺める。
東風先生の事が好きな、あかね。
でも、かすみさんのことが好きな先生。
先生の口からそれを伝えられているわけでもなく、別に拒絶されているわけでもない。
でもきっと、あかねには嫌というほど分かっているんだろう。
先生の自分に対する視線と、かすみさんに対する視線の違いが。
…
「…」
だからといって、別に俺があかねを気遣ってやるいわれは無いし、俺が何をしてやれるわけでもない。
そう、俺は許婚とは言ったって「親同士が決めた」ような強引な間柄なわけだし、お互いがそうなりたくてなったわけでもない。
俺とあかねの関係なんて、「居候と居候先の娘」もしくは、「親同士が親友の、娘と息子」ぐらいだろう。
ま、落ち込んだからって瓦やらブロックを手当たり次第割っていくような女、いくら格闘家だからって俺だってお断りだ。
アイツが落ち込もうが暗い表情で塞ぎこんでいようが、俺には何の関係もねえ。
「けっ…気の荒い女」
俺はさっさと家の中に戻ろうとその場から離れようとしたが、
「…」
…何故だろう。何故か俺の足はその場から離れなかった。
試しにあかねの方へと一歩踏み出すと、それはきちんと動く。
でも、家の方へと戻ろうとすると、地面に足が吸い付いたみたいで全然足が動かない。
「…」
別にあかねなんて落ち込んでようがなんだろうが全然俺には関係が無いはずなのに、なんだよこれ。
「…」
俺は、仕方なしに一歩一歩、あかねの方へと歩いていく。
…仕方ねえな。足もそっちに進んでいくようだし、気の聞いた言葉の一つくらい掛けてやるか。
深い意味は無い。そう、深い意味はねえんだけど。
仕方ねえから何か一つ…。
「…」
でも、何を?何て?
何て言えば、あかねは少し元気になる?
なんて声をかけてやれば、あかねは…笑ってくれるのか。
…
あれ?俺なんであかねを笑わせたいだなんて思うんだよ。
ただ声をかけてやればいいだけなのに・・・変だな。
「…」
俺は、そんなことを思いながら少しづつあかねに近づいていった。
そして、
「たー!」
ガラガラガシャン!
勢いよく瓦を叩き割っているあかねの肩に、とりあえずぽんと手を置こうとした丁度その時。
グラ…
俺が前に進んだその場所、そこには大きな岩があった。
庭の隅にある池の端にある岩だった。
大きな岩なのに、何故か不安定だったその岩は、俺の体重を支えきれなかったようだ。
「う、うわっ…」
まさか足をついたその岩が動くなんて思わなかった俺は、そのままバランスを失って、池に落ちた。
バシャーン!…と、大きな水しぶきがあがった。
「え?な、なに…?」
…もちろんあかねは、俺が背後に近づいていたなんて知らなかったわけだから、いきなり背後であがった水しぶきに驚いて振り返った。
「いてて…」
水しぶきの先には、女の格好で池の中に座り込む俺。
しかも、頭には池の藻がくっ付いてお化けみたいになっている。
チャイナ服の襟には、泳いでいた鯉が突き刺さっているし、何とも間が抜けた姿だ。
「…」
あかねは、そんな俺の姿を怪訝そうな顔でじっと見つめていた。
「な、なんだよっ…」
間抜けな姿ですごんでも、全然迫力が無い事ぐらい俺でもわかる。でも、何か気恥ずかしくて思わずあかねに食って掛かると、
「何って…はは…あははははは…!」
最初は怪訝そうな顔をして俺を見ていたあかねが、突然笑い出した。
「な、何だよ!何で笑うんだよ!」
「何でって、あんた自分の姿鏡で見てみなさいよ!お化けよお化け、しかも襟に鯉が刺さって…何でそんなことになるわけ?あははは…」
あかねは、俺の姿を指差しながらさんざんそんな事を言って笑うと、
「あー、おかしかった。おかしすぎて涙も出るわよ」
そんな事を言って、目に浮かんでいた涙を手の甲で拭っていた。
「…」
…その涙が、本当に俺のこの間抜けな姿を見ておかしくて笑って流したのか、
それとも振り返る前に目に浮かべていたものなのか…俺には分からない。
でも、たとえどんな理由で流した涙だって、
「あー、おかしかった。ホント、あんたって馬鹿ねー」
「う、うるせえな!」
「さっさとその鯉池に戻して、藻も手で払ったら?」
お化けよお化け。カツラにもなりゃしない…そんな事を言いながらも、あかねが妙にさっぱりとした笑顔で今、俺を見た事。
その笑顔が見れれば、その涙の原因なんて、どうでもいい。
…先生は、あかねをこんな風に元気に笑わせること、出来るか?
泣かせる事はできても、そして背伸びしたあかねの笑顔は見る事は出来ても、
「粗忽さがにじみ出てるわね。ふっ…だとしたって、鯉が何で襟に刺さるのよ…あはははは!」
「余計なお世話だ!」
…こんな風にあかねを、それまで落ち込んで暗い表情をしていたあかねを、一瞬で笑わせること、きっと出来ないだろ?
でも俺には、出来たんだ。方法は、どうであれ。
…
この後俺はさんざんあかねに馬鹿にされて、あげく家族にも笑いものにされたけれど、
それでも別に心底腹が立ったわけでもなく、そして嫌な気分でもなかった。
…本当はもっと、かっこいい言葉とかやり方であかねを元気付けてやりたかったけど、これはこれで俺らしくて良かったのか。
ま、例え方法はどんな方法だったとしても、
「…」
…君が笑ってくれるなら、それで俺は構わないや。
「…」
ちぇっ。別にあかねなんてどうなろうと俺には関係なかったはずなんだけどな。
何だよ俺。
何でこんなこと思っているんだよ。
あかねが暗かろうが明るかろうが、泣こうが泣くまいが俺には関係ないのに。
なのにあかねが笑ったからそれでいいやだなんて、何だよそれ。
何かしっくりこねえよな…なんだろう、この思いは。
俺はそんな事を思いながら、その日はそれ以降ずっと機嫌よさそうに笑っていたあかねの横顔を見つめていたのだった。