「…お姉ちゃん、これ、何の曲?」
何だかんだあったものの、近所の接骨院の東風と結婚したかすみが天道家を出て早三年。
待望の第二子誕生まであとわずかとなったある日、
かすみの所へあそびにいったあかねは、リビングに入った途端に流れ込んできたクラシッ
ク音楽が気になってしまった。
「ああ、これ?ブランデンブルグ協奏曲っていうのよ。
胎教にいいんじゃないかって、彼がかけてくれたの」
…結婚して、優しく穏やかだった表情が更に穏やかになったかすみが、大きくなったお腹
をさすりながらあかねに答えた。
「胎教…」
「そう。ほら、よくいうじゃない?赤ちゃんがお腹にいるときにクラシック曲を聞かせるといい
って」
かすみはそう言って、にこりと微笑んだ。
「前のときもそうだったの?」
「ええ。クラシックはクラシックだったんだけどね…でも、元気な子を産んでほしいからっ
て、行進曲ばっかり選んで聞いてたのよ」
「ああ、そう」
あかねは、そんなかすみの言葉を聞いて、ちょっと苦笑いをした。
…なぜかというと。
東風とかすみの第一子(男の子なのだが)、おっとりしている両親とは似ても似つかぬほど
のワンパク坊主に育ってるのだ。
顔は東風にそっくりなのにもかかわらず、性格は、似ても似つかぬやんちゃぶり。
今日だって、
「おい乱馬ッ。しっかり俺を持ち上げろよなッ」
…今年で三才になったばかりだというのにもかかわらず、相手をしている乱馬のおさげを引っ張っては、じたばたと暴れているようだった。
「だー!痛えじゃねえかっ。おさげひっぱんじゃねえって言ってんだろー」
乱馬は、そんな東風とかすみの息子・暁を、持ち上げたり振り回したりして罐ってやりながらも、すっかりやりこまれている。
「ふふ、乱馬くんが来てくれると本当にいつも助かるわ。最近じゃ、あたしたちでも暁は手を余しちゃうのよ」
かすみはそんなことをいいながらも、あいも変わらず菩薩のような穏やかな顔で微笑んで
いる。
(…胎教に行進曲は厳禁ね)
あかねは、かすみの話を聞きながらそんなことを思っていた。
「…それで、東風先生が今回はこんな穏やかなクラシック曲を選んできたんだ。
じゃあ、今度は穏やかな性格の子供が欲しいってことなのかな?」
「そうかもね。…でも、元気でこの世に生まれてきてくれれば、それだけで私は充分だわ」
かすみは、にっこりと微笑みながら、大きくなっているお腹を何度も優しく撫でていた。
「あー、もう。ひどい目にあった」
・・・その日、の夜。
暁にすっかりとおもちゃにされていた乱馬は、夕ご飯を食べ終わって風呂にも入り、ようやく横になることが出来たベッドの上で、グデッ…としていた。
「ご苦労様」
あかねは、そんな乱馬の横にゆっくりと腰掛けながら、彼の頭を優しくなでてやる。
「全くよぉ、あのパワーはどこから沸いてくんだよ」
乱馬は、自分の頭をなでているあかねの手を優しく握りながら、ブツブツと文句を言ってい
る。そして、
「あれじゃあ、しばらくはあかねの側には近づけられねえな」
と呟くと、「よっこらせ」と身体を起き上がらせた。
「そんな心配しなくたって平気よ。まだあたしは三ヶ月なんだし…」
あかねがそんな乱馬をたしなめるように言うと、
「だめだよッ。あんな元気いっぱいにあかねに飛び掛ってきたりしたら、危ないに決まってんだろ!いいか、安定期になる前の今が、一番大事な時期なんだぞ」
…乱馬は、おおよそどちらが母親かわからないような事を言い出しては、逆にあかねをや
りこめる。
そして、
「とにかく、俺とあかねの子供は、元気に生まれてきてもらわないと困るんだから」
と、ぼそっと最後に呟いた。
そんな乱馬の顔は、ちょっと照れているような、何だかはにかんだような表情だった。
「うん」
あかねは、そんな乱馬の気持ちが嬉しくて、素直にそう返事を返した。
…特に好きな音楽があるわけでもなく、お気に入りのアーティストがいる訳でもない。
そして、もちろんクラシック音楽に心得があるわけでもない、あかねと乱馬。
「赤ちゃんの胎教には音楽が一番。特に癒しの音楽がね」…なんて、二人はよく人にアド
バイスをされる。
しかし、元々音楽にあんまり興味がない二人の子供だ。
両親が興味がないのに、子供だけそれを聞かせるというのもどうかと思う。
…それだったら、
「お父さんとお母さんは、こんなに仲が良いんだよ」
そういう部分を有り余るくらい存分に、音楽のかわりに、お腹の子供に味あわせてあげたい
と思う。
「こんなに仲良く話をしているんだよ」
そんな二人が交わしている会話を、一言一句逃さずに、お腹の中の「命」に聞かせてあげた
いと、思う。
それが、二人の胎教。
それが、二人の奏でる、赤ちゃんに聞かせてあげるための「調べ」。
「あかねッ。名前はさ、やっぱ三文字な。三文字!」
「気が早いわねー。第一まだ、男か女かもわかんないのに」
「いーの。早いにこしたことはねーよッ。早乙女乱馬だろ、早乙女あかねだろ、…うん、やっぱり語呂的にも三文字が良いと
思う」
乱馬は、そんなことを言いながら、あかねのまだ大きくなっても居ない腹の辺りに耳をつけ
るように、抱きついた。
「だーかーら。まだそんなことしたって、わかんないでしょ?」
形にも殆どなってないんだから…あかねがそんな乱馬の頭を優しくなでながらちょっと笑うと、
「俺たちが、こいつが生まれてくる事をすごく待ってるんだぞって事が、今からちょっとでも
伝わればいいと思って」
乱馬はそんなことを言いながら、目を閉じている。
…そんな乱馬の表情は。
まだ少年の面影を残した青年、というよりも、既に「父親」にでもなってしまってるかのような、そんな頼もしさと、そして温かみを感じられ
た。
「…そうね」
あかねは、そんな乱馬を見ながら、知らず知らずに再び、微笑んでいた。
…こうして、あかねと乱馬が生み出す「温かい会話」と「柔らかな雰囲気」が、
全て漏らさず、お腹の中の赤ちゃんへと流れ込んでいく。
世界でたった一曲だけの、彼らが奏でる「調べ」。
数ヵ月後にこの世に誕生する、二人の「宝物」を育む為の「調べ」。