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→84.君だけがいればいい

…あれだけ、
「男に戻りたい」
「金をためて中国に渡ってやる」
…そんなことを思っていたのに。
呪泉の水が溢れかえって、目の前にあるにも関わらず入ることができない…
そんな状況なのに、俺の心は、自分でも思ったより穏やかだった。

まるで雨のように、天から降り注ぐ、雨。
その雨に打たれながら、まるで巨大な池のようになってしまった呪泉郷。
そんな呪泉郷を見つめ、
「あかねの為だけに呪泉の水が欲しかった」
そう呟く俺に、
「…やせ我慢?」
俺の後にずっと立っていたあかねが、そんなことを、言った。
「そんなことねえよ」
俺はあかねにそう返事をしつつ、その事について考えてみた。

…ヤセ、我慢か。
あかねの目には、そんな風に映るのかな、今の俺は。
そりゃあ、あんだけ追い求めていた男溺泉に手が届く所にいるにも関わらず、入ることが出来ないのは悔しい。
でもな、あかね。
呪泉の水が天から降ろうが降るまいが、
水が溢れようが溢れまいが、
…今の俺は、そんなこと、本当にどうでも良く思ってるんだ。
こんなこと言っても、
「そんなの嘘」
お前はそんなこと言ってめちゃくちゃ怒りだしそうなのが、目に見えてわかる。
でも、ホントにそう思っちまってるのは、仕方ねぇよな。

「乱馬、そろそろ小屋の中へ入ろう」
と。
そんな事を考えながらずっと呪泉郷を眺めている俺に、あかねが声をかけてきた。
「ん?」
俺があかねの方を振り替えると、
今まで俺の後にいたはずのガイドも、プラムも、親父や良牙たちもそこにはいなかった。
どうやら皆、この近くに立っているガイドのペントハウスへと引き上げたようだった。
「風邪引いちゃうよ。早くお風呂に入って暖まろう」
あかねが、俺の腕をとりながらペントハウスへと歩きだした。
「ふーん。一緒に入ってくれんの?」
俺はあかねに並びながらそんなことを言ってからかってみる。
「なっ…入るわけないでしょッ」
「なんで?女同士じゃん」
「お、お湯に浸かったらあんた男に戻るでしょーがッ」
「そーなんだよ。でもそのほうが好都合だろ?」
「そーゆー問題じゃないでしょッ」
あかねが、真っ赤な顔をして叫ぶ。
「そんな怒んなよ。冗談に決まってんだろ?」
俺はそんなあかねの頬を指でつっつきながら、笑ってやった。
「か、からかわないでよねッ」
あかねはぷいっと横を向くと、
「ほらっ早く行くわよッ」
足早に歩きだした。
「待てよー」
俺もそんなあかねの後を追って歩調を早めた。

…そこには、中国に行く前に、日本でそうしていたような俺たちの「日常」があった。
あかねがいて、俺がいて。
からかっては怒らせて、
そんでもってまたすぐ仲直りして…
そんな光景がそこにあった。
岩が崩れて身体を押しつぶされた時、
偶然手にしたあかねの写真をみつめながら、
「早く日本に帰ってまた喧嘩してえな」
そう願ったその光景が、今俺の手の届く所にあった。

…なあ、あかね。
お前は信じてくれないかも知れないけれど、
俺は、溢れ返ってぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまった呪泉の水を見て悲しむよりも、
今こうやって、たとえ女の姿でもお前と言い争いをしてる方が嬉しいんだ。
だってさ、俺は…

「乱馬ッ早くッ」
「わかってるよ」
俺はまたあかねの横に並ぶと、
今度はあかねを怒らせないように話をしながら…笑った。

「…君だけが、いればいい」
その笑顔に、声にならないそんなメッセージを乗せながら。

 

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