「妖怪退治は武道家の勤め」
常日頃から、お父さんが言っている言葉。
そんな言葉を実行するべく、
うちの町内にしては珍しく「妖怪」が出るという連絡を受けて、
お父さん・おじ様、そして乱馬の三人は、その「妖怪」が出るというお屋敷へと数日前から泊り込みをしていた。
「お父さん達、がんばってるかしら…」
そろそろ泊り込みも四日目を迎えるという日の夕方、
あたしが台所の前を通りかかると、中で夕食の支度をしながら、かすみお姉ちゃんちゃんと早乙女のおば様が話しているのが聞こえた。
「そろそろ疲れもたまってくる頃だと思うし、何か差し入れでも持っていってあげようかしらね」
「そうですね。きっと、非常食みたいなものしか食べれてませんよね」
「お父さんも乱馬も、きっと喜ぶわ」
あたしが台所を覗くと、
かすみお姉ちゃんが夕食の支度をしている傍らで、
早乙女のおば様がそんな事を良いながら重箱に「差し入れ用」の料理を詰め込んでいた。
「おばさまッ」
あたしは、不意に台所へと飛び込んだ。
そして、
「あの、私…差し入れ届けてきますッ」
いきなりそう叫んだ。
…別に、乱馬がいなくたって寂しいとかそんなんじゃないけど、
「一体どんな事になってるのかな?」とか、「元気かな?」とか…少しはあたしだって、気になる。
だけど、
四日も泊り込みでお仕事に出てる乱馬に会いに行ったりするのはやっぱり何か理由がないと…と、あたしはその「理由」を探していた。
「あら?ほんと。じゃあ、あかねちゃんにお願いしようかしら。きっと乱馬も喜ぶわ」
早乙女のおば様は、あたしのそんな思いを知ってか知らずか、
特に深く追求はせずに、詰めたお重を風呂敷に包んだものをあたしへと渡してくれた。
「じゃあ、あかねちゃん。お願いね」
「はいッ」
嬉しそうにお重を抱えたあたしは、すぐに家から飛び出した。
「…ふふ、あかねちゃんたら。あんなに嬉しそうな顔で乱馬の所へ行ってくれるなんて。乱馬も幸せモノね」
「ええ、あの二人はとっても仲良しさんですから」
…無論、
そんなあたしの後ろ姿を見送りながら、早乙女のおば様とかすみお姉ちゃんがそんな会話を交わしていたことなど、もちろんあたしは知る由もなかったけれど。
仕事とはいえ、学校が春休みの今…四日も乱馬に会ってないのは、ホントに久しぶりだった。
もちろん、「妖怪退治」が終わればまたすぐに会えるし同じお家で住むのに…と思いつつも、
何だかこんな風に堂々と「理由」を片手に乱馬に会いに行こうとしている自分が少しだけおかしい、あたし。
…そうよ、あくまで「差し入れ」を届けに行く為にあたしは今乱馬達の元へ向っているの。
早乙女のおば様にわざわざ「差し入れ」を届けさせるなんて失礼だから、
だからあたしがこの役を買って出たのよ?
どう考えても、あからさまに強がってるそんな「理由付け」を自分にしつつ、あたしは乱馬たちが「妖怪退治」の為に寝泊りしている場所へと走っていった。
「おーッあかねくんじゃないか」
…あたしがその場所:町内の外れにある廃屋:へと着くと、お屋敷の玄関を入ってすぐの所に、早乙女のおじ様がのんびりと座っていた。
三人はどうやら、そのお屋敷の入り口を自分達の行動の拠点にしているようだ。
玄関ホールの片隅には、テントも三つ、張られていた。
「あのね、早乙女のおば様がみんなに差し入れを作ってくれたの…」
あたしがおじ様に向ってそう言うと、
「おお、あかねじゃないか」
差し入れからする美味しそうな匂いに惹かれたのか、端のほうに張られたテントの中からお父さんがヒョコッと顔を出した。
「あ、お父さん。早乙女のおば様が差し入れを…」
「何!?差し入れ!?すまんねー、早乙女君」
お父さんはそんな事を言いながらテントの中から出てきた。
「はい、これ…」
あたしは、早乙女のおじ様とお父さんの前に持ってきたお重を置いた。
すると、
「おお!これは母さんお手製の煮物の匂い…」
「うむ、これは食欲を駆り立てる」
早乙女おじ様とお父さんは、そんなことを言いながら早速お重の包みを解き、蓋を開けてしまった。
「あ!待ってよ二人とも。…乱馬は?」
あたしは、この場にはなぜかいない乱馬に気を使って慌てて二人を戒めたけれど、
「乱馬今、交代で見回りに行ってるんだよ。あと30分は戻ってこんよ」
「そうそうそう。乱馬君、君の分までしっかり食べてあげるからねッ」
…気遣うあたしが止めるのもむなしく、
お父さんとおじ様は、あっという間にお重の中の料理を平らげてしまった。
「…あーあ、もうどうすんのよ。乱馬、怒るわよ。せっかくおば様が作ってくれたのに…」
空になったお重の蓋を閉めながら、あたしがため息をつくと、
「じゃあ、乱馬君にばれないように今のうちにお重を綺麗に洗っておこう」
「そうだね、天道君。この匂いも消す為に窓を開けてっと…」
お父さんとおじ様は、そんなことを言いながら玄関の扉や廊下の窓を開け、そしてそそくさと水場の方へと走っていってしまった。
「あ…あのちょっと!?」
あたしは、玄関ホールに一人、あっという間に取り残されてしまった。
…お父さん達が洗いに行ったお重を持って帰らないといけないし、
こんな「妖怪退治」の「妖怪」がでるっていう場所に一人でポツンと取り残されても、
何だか急に怖くなる。
乱馬には結局会えそうもないし…
(あーあ…)
あたしは、玄関ホールのちょっとした段差の部分へ腰をかけながら小さくため息をついた。
と、その時だった。
「あ!きたねーぞ、親父!おじさん!俺の分まで食いやがって!」
…お父さん達がいるはずの水場の方から乱馬の叫び声が聞こえた。
「乱馬!貴様、あと三十分は見回りの時間では!?」
「うるせー!何か妙な予感がしてすぐに戻ってきてみれば…!」
「ふッ…それも貴様の運のつきッ。美味しかったぞ、母さんの煮物はッ」
「ふざけんなッ」
そして、ドカッバキッ…とその後何やら争う音が聞こえて、
「…ったく」
…バタン!
ブツブツと文句を言いながら、憮然とした様子の乱馬が、水場の方から玄関ホールへとやって来た。
そして、
「あれ、あかね?」
「あ…」
そうやってお重を抱えて玄関ホールへとやってきた乱馬と、あたしは四日ぶりに目があった。
「・・・そっか。差し入れがあるってことは…ここまで持って来てくれた人がいるって事だもんな」
乱馬は、ゆっくりとあたしの方へと歩いてきながらそう言った。
「あ、あの…ごめんね、お父さん達差し入れ全部食べちゃって…」
あたしは何だか申しわけなくて、
ろくに乱馬の顔も見ないままそう言うと、
「あかねが悪いわけじゃねえだろ?それに、親父たちにはおれから”仕返し”しとくから」
乱馬はそう言って、あたしのすぐ横に置いてあった風呂敷を広げると、抱えてきた空のお重をさっ…と縛り上げた。
「仕返し?」
「そ。親父達の今日の夜食分のカップラーメン、俺があとで全部食ってやる!」
乱馬はニッと笑いながらそう言うと、
「それより、行こうぜ」
そう言って、風呂敷に包んだお重を持ち上げた。
「え?行くってどこへ…?」
あたしがそんな乱馬の言葉にキョトンとしていると、
「だって、そろそろ暗くなるし、お前、家に帰るんだろ?」
「うん。でも行こうぜって…乱馬もどこか行くの?」
買出し?…あたしがそんな事を尋ねると、
「だから、その…おめーが家まで帰るんだったら、その…家まで送ろうかって言ってんだよッ」
「え?」
「ほら、行くぞ」
乱馬はそう言って、さっさと重箱を抱えたまま玄関から出て行ってしまった。
「あ、待って…」
あたしは、そんな乱馬に追いつくように慌てて玄関から飛び出た。
「ったく、相変わらずトロいよな」
…乱馬はあたしが自分に追いついたのを確認すると、そう言いながらあたしの手を取った。
そして、その手にゆっくりと指を絡める。
「・・・なんか、変な感じ」
その絡められた指に自分の指も絡めながら、あたしは思わずそう呟いてしまった。
「何が?」
「…だって。いつもは同じ家に帰るのが当たり前になっちゃってるじゃない?家まで送ろうか?なんて乱馬に言われるなんて…初めてだから…」
あたしが、不思議そうに質問してくる乱馬にそう答えると、
「初めて、か。そういやそうだな」
乱馬はあたしの答えにそう言って、少し笑った。
「初めてだけど…でも、もう言わないからな」
だけど、
乱馬は更にそう続けて、あたしの手を更に力を込めて握った。
「なんで?」
あたしがそんな乱馬をじっと見つめると、
「だって…この妖怪退治が終わったら…」
「え?」
「終わったらこの先ずっと、又一緒の家に帰るから」
…だから、もう言わない。
乱馬はそういって、コホン、と咳払いをした。
そんな乱馬の顔は、薄暗い夕闇の中でもはっきりと分かるくらい赤かった。
「ふふ、何照れてんのよ」
あたしがそんな赤くなった乱馬の手をブンッ…と揺すぶりながらそう言うと、
「うるせえなッ照れてなんてねえよッ」
乱馬は赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いてしまった。
「ウソ。照れてるくせに…。じゃあ、こっち向いてよ」
「やだッ」
「…ねえ」
「何だよッ」
「この先ずっとって、どのくらい”ずっと”なの?」
「…ずっとって言ったら、ずっとだよ。ずっと一生」
夕暮れ時の、いつもと同じ、家へと続く帰り道。
いつものように、たわいのない話をしていても、いつものように、手を強く握り合って歩いていても、何だか今日は、いつも以上に胸がドキドキする。
ちょっとだけ、今日はいつもよりも「新鮮」だと思った。
…でも、
「新鮮」だからこそ、いつもいと違う「想い」も抱かなくてはいけなかった。
いつもは同じ家に帰るのが当たり前だけれども、
今日は、違う。
「家まで送っていく」
つまり、二人は帰る家が違う。
家が違うという事は、家に着けば、そこでまた別れなくてはいけないということ。
「…もう着いちゃった」
天道家の門の前についた瞬間、あたしは思わずそう呟いていた。
…久しぶり(とはいっても、たった四日なんだけど)に乱馬と二人で話をしたせいか、
本当はユウに二キロちょっともある距離が、たった数秒で移動してきてしまったかのような、そんな錯覚さえ覚える。
「着いちゃったな」
あたしと同じそんな事を乱馬ももそう思ったのか、複雑な表情で門を見上げていた。
「送ってくれて、ありがと」
あたしはそういって、乱馬と繋いだ手をぎゅっ…と握った。
「ああ。こっちこそ、差し入れサンキューな。…食べれなかったけど」
乱馬もそういって、そんなあたしの手をぎゅっと握り返す。
「…」
「…」
…この手を離さないと、今日はお互いの「家」へと帰ることは出来ない。
そんなの、分かってる。
分かってるんだけど…
何故だかどうしても、こうして繋いでいるこの手を離すことが出来なかった。
「…変なの」
「…変だな」
あたし達はお互いの手を握り合ったまま、何だか顔を見合わせて笑ってしまった。
…いつもの様に、どこかに遊びに行ったりして手を繋いで帰ってきた時とは全然違う。
きっとそれは、いつものあたし達には全くない「想い」のせい。
いつものあたしたちになくて、
今日、今この瞬間にあたし達の胸の中に目いっぱい広がっているこの想いの正体はきっと…「名残惜しい」。
一緒に住んでいない普通のカップルや恋人同士ならば、きっとデートが終わるたびの別れ際、こういう想いを味わう事になるんだろうけど。
あたしと乱馬にとっては、もしかしたらこんな気持ち、初めてかもしれない…。
「・・・早く、妖怪退治、終わると良いね」
「ああ」
「…乱馬、手離してよ」
「…あかねが離したら離す」
「…」
「…」
門の前では、あたしたちのそんなやり取りが依然として続く。
しかも、
時間が経つにつれて、あたし達はどんどんその手が離せなくなってしまっていた。
おかげで、さっきまでは薄暗い空模様だったのに、今では外灯がなければ心もとないくらいの暗闇が、辺りを包んでいた。
「…もう戻らなくちゃ。親父達の夜食食ってやるつもりでいるのに、逆に俺の分までカップラーメン食われちまったらたまんねえからな」
「そうだよ。お腹すいちゃうよ」
辺りがそんな暗闇へと姿を変えたのも手伝って。
…あたしは、ようやく乱馬へ絡めた指をするりと解く決心が出来た。
「そうだな」
乱馬も、あたしが指を解いたのを受けて、ようやく自分の手を引っ込めた。
そして、
「…じゃあ、俺行くな」
乱馬はそう言って、笑った。
「うん。気をつけてね」
あたしは、そんな乱馬に笑顔でそう返したつもりだったけれど、
「…そんな寂しそうな顔すんなよなー」
乱馬はそう言って、あたしの頭をポン…と叩いた。
「さ、寂しそうな顔なんてしてないもんッ」
あたしが慌てて乱馬にそう否定をすると、
「たった四日で根性がねえ」
乱馬はやけに慌てるあたしをみて、笑っていた。
そして、笑うだけ笑ったら、
「あと、ちょっとだから」
乱馬はそういって、不意にあたしの前髪を指で持ち上げた。
「え?」
あたしがそれに驚いて乱馬を見あげると、乱馬はそのあたしの額へ軽くキスをした。
「あ…」
あたしが、その唇で触れられた額を思わず手で抑えると、
「…この続きは、また今度」
乱馬はそんなあたしの頭をもう一度だけ軽く叩いてからそう言って、くるっと向きを変え、元来た道の方へと歩きだした。
「…」
あたしが真っ赤になったまま、そんな乱馬の後ろ姿を見送っていると、
「…」
不意に乱馬が立ち止まって、一度だけ振り返った。
そして、「じゃあな」と、言わんばかりに軽く手を振って…再びあたしに背を向けて、走っていった。
あたしは、そんな乱馬の姿が目では見えなくなるまでずっと、その背中を見送っていた。
…いつもは一緒の家に帰ってきて、
そしていつでも側にいるし、朝も昼も夜中も会いたい時に会えるから絶対にこんな事思わないけれど。
こんな風に別々の「家」に帰るというシチュエーションになって、改めてこんな事思い知らされるなんて。
…恋愛をしているカップルならば、絶対に忘れてはいけないこの気持ち。
普段の生活じゃ、あんまり改めてこんな事感じさせられることなんてなかった。
でも、あたしにも…あたしにもちゃんとあった。
また、乱馬に「逢いたい」と思った。
またすぐに一緒の家に住めるって、分かってる。
この仕事が終わればまたいつもの生活に戻る。
そんな事だって分かってるんだけど…
でも、次に乱馬に逢える日を、こんなにも待ち遠しく思えるなんて。
しかも、こうやって家の前で別れた瞬間からそう思うなんて。
(こんな事、後で乱馬に言ったら…また「根性がねえ」とか怒られちゃうかなあ?)
そしたら、開き直って認めてやろう。
「どうせ根性なしですよッ」ってさ。
あとちょっと、かあ…
「早く、帰ってこないかな」
…あたしは、乱馬が去っていった今でも妙にドキドキしている胸を抑えながら、そんな事を思っていた。