「・・・乱馬とはもう一緒にいられない」
俺の目の前にいるあかねが、
涙を必死に堪えたような表情で、突然そんなことを言い出した。
「いきなり、何言ってんだよ」
…たとえそれが冗談だ、とわかっていても、
あかねの口からそんな言葉を聞くと、俺の胸はいつだって激しく鼓動する。
息が苦しくなる。
…眩暈がする。
「お前…お前さ、また変なTVでも見たのか?」
いつもの冗談だろ?と、俺があかねにそう尋ねても、
「ごめん…ごめんね…」
今日のあかねは、ハラハラと涙を流すばかりで、それ以上、何も言おうとはしない。
…十秒待ってみよう。
…二十秒待ってみよう。
「嘘よ」
「冗談に決まってるでしょ」
…そんな言葉が聞けるのならば、何分だって待ってやろう。
俺がそんな事を思っていても、待てど暮せどあかねの口からは何の弁解の言葉も、訂正の言葉も出てこない。
「…嘘だよな?」
いよいよ待ちきれなくなった十分後、
俺があかねにそう言いながら触れようとすると、
あかねは、そんな俺に触れられまいと身体を逃した。
「あかね…?」
…そんなあかねの行動が、俺の心を再び激しく鼓動させる。
「…あたし…」
あかねは、俺から逃れて、そして自分の胸の前でぎゅっと手を握り合わせながら、
「…もう、乱馬に触れられるのも…だめなの…」
自分を困ったような表情で見ている俺に対して、「ごめんなさい」と呟いた。
「な、なんで…?なんでだよ」
…俺は。
そうあかねに尋ねる自分の声が、どんどん擦れていくのが分かった。
擦れている?
…いや、震えていた。
「なんで…」
俺には、突然あかねにそんな風に拒絶される、理由が全然分からなかった。
「…あたし、乱馬と一緒にはもういられないの」
「だから・・・なんでなんだよッ。訳を話せよ」
「…」
俺がいくらあかねに問いただしても、あかねはただ泣いているばかりで俺のと一緒にいられない理由をちゃんと話そうとしない。
それどころか、今にでも俺の前から立ち去りそうな雰囲気だ。
「俺のこと…嫌いになったのか?」
俺が、逃げようとするあかねの腕を掴んでそう尋ねても、あかねは首を左右に振るばかりで、何も話そうとしない。
「…なんで…」
…そう呟く俺の中で、何かがさらさらと音を立てて崩れ落ちていく。
「あかねに拒絶された」事が、こんなにも俺を虚空にしてしまうのか…?
こんな意味も分からないまま拒絶されて、離れられてしまうのは嫌だ。
そう心では思っているのに、
そうは思っているのに、今この目の前に突きつけられた状況がそれを肯定せざる得ないのを物語る。
「こんな訳も分からないまま別れんのやだよ…」
俺は、ぼそっと呟いた。
「分かって、乱馬」
「わかりたくねーよッ。とにかく訳を話せよッなあ、あかね!」
俺がそんなあかねの両腕をがっしりと覆うように掴むと
「だって…もう待ってるのに疲れちゃったんだもの…」
あかねはそういって、もう一度涙を流した。
「疲れたって…?」
俺があかねの両腕を掴んだままでそう尋ねると、
「だって…あたしとちゃんと付き合い始めたのに、いつまでたっても乱馬はシャンプーたちに追いかけられて…意思表示、彼女達にしないで…。あたしはッ…あたしは、許婚の乱馬といつ結婚してもいいって…思ってるのに…。結婚する気もないくせに、こんな風にだらだらと「許婚」だとか「彼」とか、そんな関係に疲れちゃったの」
あかねはそう言って、俺の腕を振り切った。
そして、俺に背を向けて歩き出した。
「なッ…ちょっと待てよ!」
・・・もちろん、そんな言葉を放たれたまま、俺はあかねをこのままどこかへ行かせるわけにはいかなかった。
「そりゃあ、俺ははっきりしないし優柔不断だしッ。でもッ、いい加減な気持ちでこうして今までお前と一緒にいたわけじゃねえよッ」
俺が去り行くあかねの後ろ姿に向ってそう叫ぶと、
「…」
あかねはふと立ち止まり、俺のほうをチラッと振り返った。
「照れちまうし、どうやって切り出したらいいかだってわかんないけど、でも…」
俺は叫びながらあかねの元へと駆けより、俺を振り返ったあかねの腕を掴んだ。
そして、
「乱馬…」
困った顔をして俺を見ているあかねに向って、俺は自分でも信じられないような大きな声で、そしてはっきりと叫んだ。
「俺と結婚してくださいい!」
「…乱馬」
…と。
そう叫んだ俺のすぐ傍で、目の前にいるあかねとは別の「あかね」の声がした。
その途端、
「あ…」
何だか急に、俺と、俺が捕まえているあかねの周りが見る見るうちに白く光り、そして…
「…」
…その白い光がようやく収まって、俺がゆっくりと瞬きをすると。
そんな俺の目には、見覚えのある光景が飛び込んできた。
「…」
…俺の目に飛び込んできたのは、あかねの部屋の天井だった。
「なんだったんだ…?」
俺が、それまでのあかねとのやり取りを思い出しながらぼ−っとしていると、
「乱馬ッ乱馬ってば…」
そんな俺を、ふいにあかねが上から覗き込んだ。
あかねは、何故か真っ赤な顔をしていた。
「…」
俺がそんなあかねに答えないままぼんやりしていると、
「どうしたの?」
あかねはそういって、横たわっている俺の頭をなでてくれた。
「夢か…」
俺は、あかねに頭を撫でられながら呟いた。
…さっきまで、俺が必死に捕まえようとしていたあかねと違って、今こうして俺の頭を撫でているあかねは、とても明るい表情をしていた。
「…」
試しに、俺の顔を覗き込んでいるあかねの頬を両手で挟み、俺の方へとそっと引き寄せてみたけれど、
「な、何ようッ…」
さっきまであれだけ俺の事を拒絶していたのがまるで嘘のように、あかねは面白いくらい素直に、そして簡単に俺の傍へと近づいてくる。
顔は赤くしても、目を赤くすることはなかった。
「…」
そんなあかねの姿を受けて、
(さっきのは…夢…)
俺がさっきまで見ていた「あかね」は夢の中の「あかね」であった事に、俺はようやく気がついた。
(…なんて嫌な夢を見たんだよ、俺)
「はあ…」
「どうしたの?」
「…なんでもない」
俺はホッとしたのと複雑な気持ちと、何だかやりきれない思いでため息をついた。
そんな俺に、
「でも…乱馬が”あんな寝言”いうなんてビックリしちゃった」
あかねはそんな事を言いながら、照れ笑いをしていた。
「あんな寝言?」
俺が尋ねると、
「寝てるくせに、いきなりあたしの手を掴んで…”俺と結婚してくださいって”」
あかねはそう言って、ちょっと頬を赤くしていた。
「なッ…い、言わねえよっそんなことッ」
「言ったわよッ」
そして、
「あんまりはっきりした口調でそんな事叫ぶから…寝言なのに、あたし…」
あかねはそう言って、俺の袖をぎゅっと掴みながら、
「…返事しちゃったのよ」
といった。
「…何て?」
俺がそのあかねの手にそっと触れると、
「…ヒミツ」
あかねはそう言って、嬉しそうな顔をして笑っていた。
「…」
…その、あかねの嬉しそうな顔が、俺のその言葉に対しての答えなんだと、俺はそう感じた。
「…ありがとな」
俺は、そんなあかねをそっと引き寄せて、
「…うん」
そう呟いたあかねの唇に軽くキスをした。
何であんな夢を見たのか。
…それはどんなに考えても分からない。
でも、
たとえ夢の中でもあかねにあんな顔をさせて、
あまつさえあんな言葉を吐かせるなんて。
そして、それがどれだけ自分に堪えたかが分かった。
照れやだとか、きっかけがつかめないとか。
そう思ってるのは俺の「うわべ」だけ。
俺、あかねが思わず返事しちまうほどはっきりと、ちゃんと言えるんだな。
「俺と結婚してください」か。
こんな、寝言めいて言うのでなくて、
今度はちゃんと、もっと色々シチュエーションも考えていいてえよな。
・・・
「そんなに俺、はっきり言ってたか?」
「言ってたわよー。やけに必死だったわよ?何だかちょっとおかしくて」
「ちぇッ。おかしいは余計だっつ-の」
俺は、あかねを抱きしめそんな会話を交わしながらぼんやりとそう考えていた。