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→9.キス

…呪泉洞での戦いも無事終了し、あたしの体調も程よく回復して、
結局戦いのせいでおかしくなった呪泉郷の水量は元には戻らなかったから、アイツ達は完全な体には戻る事ができなかったけれど、
ようやくあたしたちは、日本へ帰る準備が整った。
「私とムース、ちょっと里帰りしてくある」
シャンプーとムースはそう言って、一足先にあたしたちと別れた。
なので、明日日本へ帰るのは、 あたしと、アイツと、良牙君に早乙女のおじ様の四人。
「あかねさん、もう明日帰ってしまうあるな」
呪泉郷ガイドの娘・プラムちゃんが、夜眠ってしまう前にあたしが使わせてもらっている部屋にやってきてそう挨拶していった。
「うん…色々とありがとうね」
あたしは、ちょっと涙ぐんでるプラムちゃんの手を優しく握った。
「大丈夫ある。別れに涙はつきものね」
プラムちゃんはそういうと、にっこり笑った。
そして、
「あかねさん、結婚式には是非私とおとさんも呼ぶよろしぞ。私達、必ず日本まで飛んでいく」
といって、あたしの手から離れた。
あたしはその言葉を聞いて、「は?」という顔をする。
「結婚式って…?誰の?」
あたしがきょとんとした表情でそういうと、プラムちゃんは意外そうな顔をした。
「誰のって…あかねさんのにきまてる。あのお客さんと結婚する、私とおとさんそう思ってるね」
プラムちゃんは「今更何言ってるか?」とあたしの肩をぽんぽんと叩き手から、部屋を出て行った。
…一人部屋に残されたあたしは、ちょっと放心状態になってしまっていた。

結婚?あたしが?あたしがアイツと?
何でそういう展開になるわけ?
…そりゃあ、今回の事があって、あたしとアイツのお互いの気持ちをお互いで知ることは出来たけど。
でも、そんな具体的に「結婚」なんて…
「タハッ…ちょっと照れちゃうじゃない」
あたしは一人で真っ赤になりながら、頭をぽりぽりと掻いた。
そりゃあ、あたしとアイツは「許婚」。親同士が決めた、「許婚」。
初めての出会いは最悪で、その次も最悪で。
あんな変態お断りよ、と思うことしばしば。
だけど、東風先生にあたしが失恋したあの日から…何かが変り始めた。
色んなことがあった。
泣いたり笑ったり。傷ついたり傷つけたり…色々あった。
そして、 今はこうして、お互いを一番に思うようになった。


…そういわれてみると。
今まで、「好き」か「嫌いか」。
「許婚」か「許婚じゃない」かとか。
あとは他の女の子がアイツのところにやってきては抱きつくのを見てやきもちやいたり…なんて事に追われるばっかりで、 こうしてお互いの気持ちを確かめ合えた「その後」の事についてなんて、真剣に考えた事なかったなあ…。
きっと日本に帰れば、早乙女のおじ様から、中国で何が起こったかをお父さん達は聞いて…喜ぶ事だろう。
きっと、「さあ、あとは祝言のみ!」とか何とか言ってくるに決まってる。
「結婚、かあ…」
あたしは、ベッドの上に仰向けに寝転び、天井を見上げた。
そして。
それからどうしても寝付く事が出来ないあたしは、ふらふらと建物の外へと出た。



空を見上げると、ちょうど真上に下弦の月がその姿をあらわしていた。
暗闇に、ボーっと光る、深いオレンジ色の月。
同じ月でも、日本で見るものとは明らかに違って見える。
中国の山奥でこうしてみる月は、
まるであたしの心の中にも、その柔らかな月の光を注ぎ込んでくるかのようだ。
あたしはしばらく、その月の光を体いっぱいに浴びるようにその場所へと立っていた。
…と。
ふと、視線を感じた。
あたしは、ゆっくりと振り返った。
そこには、アイツが立っていた。
「…どうしたの?」
あたしがそう聞くと、
「…何となく眠れなくて」
アイツはとても穏やかな顔でそういいながら、あたしのすぐ前まで歩いてきた。
「そう。あたしもよ」
あたしはそういって、何となく、アイツを散歩に誘った。
「いよいよ、明日だな。日本に帰るの」
…月明かりに照らされた、山道を歩きながら。
アイツが、ポツン、ポツンと呟く。
「うん…」
あたしは、それに答える。
「色々あったな」
「うん…」
あたしたちはそんな短い会話をしながら、山道を歩きつづけ…やがて、呪泉郷が眼下に全て見渡せる小高い崖の上にたどり着いた。
あたしたちが寝泊りしている建物のあった場所に比べると、随分と高い場所にある。
空にかかっている下弦の月が、
手を伸ばしたらまるで取り寄せられそうなほど、近くに感じる。
そのせいで、崖の上一面は、穏やかな月明かりで照らし出されている。
「…こんな場所、あったのねえ…」
あたしが空を見上げながら、ふらふらとその崖の上を歩いていると、
「あかね、あんま端のほうに行くなよ。そっから下の泉に落ちると、黒豚になるから」
あいつはそんな事を言って、あたしの腕を軽く引っ張った。
「何よ?黒豚って。Pちゃんみたいな豚になるってこと?」
本当の事情を知らないあたしがすぐに聞き返すと、あいつは「しまった」という顔をしてから、
「いや…きっと呪泉郷にはそんな泉もあるんじゃないかなと思って。とにかく、足元にはきをつけろよ」
そういって、あたしを崖の上にあった大きな岩に座らせた。
アイツは、その横に立っていた。
…あたしたちは、しばらくそのままの状態で、月明かりに照らされた眼下の呪泉郷を見下ろしていた。
その内、あたしはふっ…とあいつのほうを見た。
と、あいつも同じタイミングであたしの方を見ていた。
あたしたちはそれがちょっと可笑しくて、思わず笑ってしまう。
「俺達、日本に帰るんだな」
「そうだね」
「俺達、無事に帰れるんだよな、家に」
「そうよ」
あたしたちは、そんな会話を断片的に交わし、そして…また、呪泉郷に目を落とす。
「水量が完全に元に戻んなくて、残念だったね」
せっかく中国の呪泉郷にやってきたのに、男に戻れずじまいで日本に帰るなんてね。
あたしがアイツにそういうと、
「ホント、ついてねーや」
アイツはそういって、地面に落ちている小石を勢い良く蹴り上げた。
小石は、綺麗な弧を描きながら、崖の下へと落下していく。
「…でも」
「ん?」
「途中から、どうでも良くなった」
「…」
アイツはそういって、あたしの座っている足元へゆっくりとひざまづいた。
そして、言った。
「呪泉の水…あかねのためだけに欲しかった」

…その言葉は、あたしの胸の中に大きく、大きく響いた。
『好きだって言わせてくれ』と、あたしの胸に流れ込んできたあの言葉と同じくらいに、強く。

…ドクン!

あたしの胸が、大きく一つ、鳴った。
「乱馬…」
あたしは、小さな声でアイツの名を呼んだ。
あいつは何も言わず、あたしが握り締めているあたしの左手を、そっと自分の方へと引き寄せた。
そして、両手でその左手を優しく覆う。
ドクン!
その一つ一つの動作に、あたしの心臓は大きく高鳴る。
そんなあたしの、真っ赤に火照った顔を、眩しいくらいに月が照らし出している。
「乱馬…」
あたしは、高鳴る胸を抑えながら、もう一度アイツの名を呼んだ。
「…良かった。あかねと一緒に日本に帰れるようになって…本当に良かった」
アイツは、顔を火照らせているあたしを見上げ、柔らかい声でそういった。
「…あたしもよ」
あたしは、そんな乱馬にそう答えるのが精一杯だった。
…あたしの心臓は、アイツに覆われているその手からも、もしかしたら、この激しい鼓動を感じる事が出来るのかもしれない。
「俺、素直じゃないし口も悪いし不器用だけど…」
あいつは、そんなあたしの心を全て見透かしているかのように、穏やかな口調で続ける。
「でも…あかねがこうして俺の隣でこうしていてくれる事は…嬉しいと思う」
「乱馬…」
「だから…これからもよろしくな」
アイツはそういって、両手で覆っていたあたしの左手をゆっくりと開いた。
そして。
アイツは、あたしの左手を自分の左手で軽く支えるとゆっくりとした動作で、あたしの左手薬指に唇を当てた。
「…!」
…突然の、出来事。
不意に感じたアイツの感触。アイツの息。
あたしはこの突然の出来事に、ビクッと身を竦める。
「…」
あいつは、あたしのそんな様子を眼で追いながら、ゆっくりと唇を離す。
「…うん」
あたしは、これ以上ないくらい真っ赤な顔をして、ようやくその一言をひねり出す。
アイツは、あたしのその返事に安心した様子でホッとした表情をしていた。そして冗談めいて
「それだけかよ?」
なんて言って、あたしを困らせる。
「…それだけよ!」
あたしも、だんだん普段どおりのあいつの姿に戻ったのに安心して、ようやくいつもどおりの自分に戻りつつあった。
あたしもアイツも、その表情には不思議と笑みが浮かんでいた。
何がおかしいと言うわけでもないけれど、
ただ、この言いようのない充実した「幸せ」を、お互いの心のうちだけでは隠し切れなかったから…なのかもしれない。

あたしたちは、月明かりの下でしばらくそんなやり取りを交わした後、皆が眠っている建物へと戻ってきた。
「あした寝坊すんなよ」
あたしを部屋まで送ってくれたアイツがそういって、自分の部屋へと戻っていった。
「うん」
あたしは、アイツの後ろ姿に軽く手を振って、自分にあてがわれた部屋に入る。
…とたんに、ヘナヘナヘナ…とベッドに座り込んでしまった。
あたしの手は自然と、さっきアイツがキスをした左手をぎゅっと握り締めている。
だいぶ時間がたっているのに、
今でも尚、あの時の感覚が左手に残っている。
そう、それはまるで左手薬指につけられた…刻印。
アイツの存在を、アイツの気持ちをいつでも思い出せる…印。

まるで、見えない「指輪」をしているかのように、
あたしの心を捕らえて、離さない。

…今はまだ、「結婚」とか「祝言」とか、お互いそんな先のことまで考えてはいないけど、
でも、
この左手薬指の「見えない刻印」を思い出すたびに、きっとあたしはそれをいつでも意識し始めるはず。

『これからも…よろしくな』

アイツの言葉が、あたしの胸の中で再び動き出す。
「こちらこそ…」
…あたしは。
あの時は言えなかった、アイツへの答えの台詞を、あたし一人しかいないこの空間で小さな声で呟いた。
すると、
心なしか、左手の薬指に再び何か「熱い」感覚が甦ってきたような、そんな感じを覚えた。


…きっとこれからは、
アイツを思うたびに、
アイツに思われるたびに、
この左手薬指の「見えない刻印」は、あたしの中でこんな風に甦ってくるに違いないんだろうな。
「でも、別に嫌じゃないわ」、
あたしは自分に言い聞かせるようにそう呟くと、もう一度その左手をぎゅっと握り締めてから…眠りについた。

 

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