…あたしたちが中国から帰ってきてから、数日が過ぎた。
「あかねー、ちょっと来なさい!」
ある日の午後。
お父さんが、部屋で休んでいたあたしを呼ぶ声がした。
「なあに?お父さん…」
あたしは何の気なしに居間へと降りていったが、居間に入るなり、ビクッと身を竦めてしまう。
…居間には、真っ白なウェディングドレスが所狭しと置かれていた。
「あ…あの…」
あたしは、居間の入り口でそのドレスに見とれてしまい、思わず立ち尽くす。
そして、何か急に左手の薬指がうずいてしまい、思わずぎゅっと手を握り合わせてしまう。
アイツに刻まれた、あの「印」が…あのときのことが急に、あたしの頭によぎって、思わず顔が赤くなってしまった。
「さ、あかね。こっちに来なさい」
…そんなあたしの肩を抱くように、お父さんがあたしを居間へと座らせた。
お父さんはあたしの目の前に座る。
その横には、早乙女のおじ様とおば様だ。
3人とも、あたしが現われるなり、不気味なくらいな笑顔を浮かべている。
「あ、あの…?」
あたしがおそるおそる声を出すと、
「あかね。…乱馬君も無事母君と再会することが出来たし、そろそろ、祝言のことを真剣に考えないとなあ。
お父さん達は、みんなそう思っているんだよ」
お父さんはそういって、早乙女のおじ様の方をみた。
おじ様も、涙を流しながら頷いている。
「何か聞く所によると、二人は中国ではとってもいい感じだったそうじゃないか」
「な・・!?べ、別にそんなこと…」
あたしは、中国での事を触れられて、思わずドキッとしてしまう。
「ううん、あかねちゃん。おばさんには分かるわ。中国から帰ってきてから、二人とも何だか変ったわよ」
そんなあたしをなだめるように、早乙女のおば様はやさしい笑顔でそういう。
「そ、そうかしら」
「そうよお」
「…」
あたしは、思わず俯いてしまった。
「…とにかく、あかね。いい機会だから、この際祝言を挙げてしまおうと思うんだよ」
そんなあたしの肩を抱くように、お父さんが笑顔でそういった。
「で、でも、乱馬だって嫌がると思うし…」
あたしがぼそっと呟くと、お父さんはにやりと笑った。
そして、あたしだけにしか聞こえないような小さな声で、こう続けた。
「…実はね。呪泉郷からこの間のお礼として『男溺泉』の水が1人前送られてきたんだよ」
「え!?」
「祝言で鏡割りするまでは、乱馬君にはこの水は渡さないからね」
なるほど、そういうことか。
…でも。
あの白いドレスを見てしまったからなのか、あたしはこのとき、
こんな強引なお父さん達の提案に、ちょっとだけ乗せられてやってもいいような…そんな気分になってしまった。
中国でプラムちゃんに「結婚式には呼ぶよろし」なんていわれたときには、「誰の?」なんて返してた自分が、ちょっと不思議だった。
「じゃ、あかねちゃん。着替えましょうか?」
ボーっとしているあたしの肩を抱くように、早乙女のおば様があたしを立ち上がらせた。
そして、支度をするべく、あたしの部屋へと向った。
「…ねえ、おば様」
…あたしの部屋でドレスを身に纏いながら。
あたしは、支度を手伝ってくれているおば様に話し掛けた。
「なあに?あかねちゃん」
「おば様は…あたしが乱馬と祝言を挙げるのに、賛成してくれてるの…?」
「もちろんよ」
あたしの突然の質問に、おば様はちょっと意外そうに答えた。
「おばさん、本当に嬉しいのよ。あかねちゃんが乱馬のお嫁さんになってくれるの」
「おばさま…」
「おばさんは、あかねちゃんのことが大好きよ。その大好きなあかねちゃんがおばさんの娘になってくれるんだもの。
そんな子を、乱馬も選んでくれてるんだもの。これほど嬉しい事は無いわよ」
「おばさま…」
「…はい、コレで出来上がりよ!」
おば様はそういって、あたしの肩をぽんと叩いた。
そして、部屋にある姿身の鏡の前にあたしを立たせた。
…鏡の向こうには、ウェディングドレスを纏った姿の、あたし。
何かいつもと違って、ちょっと照れた顔のあたし。
しかも、ちょっと嬉しそうな…あたし。
「わあ、綺麗よ!あかねちゃん」
おば様が、嬉しそうにあたしの手を握った。
「そ、そうかな…?」
あたしは、おば様のそんな言葉を受けて、ちょっと照れてしまう。
「あかねちゃん」
おば様は、そんなあたしに向って、ぺこりと頭を下げた。
そして、
「改めまして…これからもよろしくお願いします」
「おばさま…」
「息子ともども、よろしくね…あかねちゃん」
おば様はそう言って、ちょっと涙ぐんでいるあたしの目元を優しく指先で拭うと、
「さ、乱馬を呼んで来るね。ちょっと待っててね」
部屋を出て行った。
…何か、あれよあれよと言ううちにこんなことになってしまったけれど。
お父さん達の計画に、強引に乗せてやられてもいいかな、なんて思ったけど。
でも、早乙女のおば様に今みたいな言葉をかけてもらえるなんて…それを思ったら、何か今置かれているこの状
況も全然悪くないと思えてくるのが不思議。
あたし、アイツと祝言挙げるんだ…。
今更ながらあたしはそんな事を思っていた。
…と。
「くぉら、あかねえ!!」
アイツが突然、そんな事を叫びながら部屋に飛び込んできた。
もちろん、白いタキシード姿で。
「乱馬…」
あたしは、そんなアイツのほうをゆっくり振り返る。
「あ…」
アイツは、初めは勢い良く飛び込んできたけれども、あたしのドレス姿を見るなり、急に姿勢を正して立ち止まってしまった。
「…やっぱり和服の方がよかったかなあ…?」
ちょっと照れながらそういうあたしに、アイツも妙に顔を真っ赤にしながら、モゴモゴと、
「いや、俺は…その、どっちでも…可愛いと…」
なんて口走っている。
…可愛いなんて、今まであたしに言った事なかったくせに。
「本当?…嬉しい」
あたしは、そんなアイツの言葉がちょっと嬉しくて、そしてすごく照れくさくて、俯いてしまった。
「う、うん…」
アイツも、そんなあたしの反応が照れくさいのか、真っ赤な顔をしたまま下を向いてしまった。
だけど。
そんないい雰囲気も束の間。あたしたちはすぐにいつものように口喧嘩になって。
「好きだって言った」「言わない」で言い争いになって。
挙句の果てに、「男溺泉」の存在を知ったあいつは、
「ばかやろー!早くそれをいえ!」
…と、あたしのことなんてそっちのけで部屋を飛び出していってしまうしまった。
「…たく、何なのよ、アイツは!」
あたしがムカムカとしながらも、ドレス姿のまま、祝言の式場になっているはずの道場へと行くと…
「…何よ、これ!?」
思わず入り口で立ち竦んでしまった。
道場の中は、もう、めちゃくちゃ。
シャンプーや右京・小太刀はワイワイと喧嘩してるし、八宝菜のおじいさんの花火のせいで、アイツは気絶してるし。女の姿になっちゃってるし。なぜかクラスメートたちもこの道場にきてるし。
せっかくアイツの為にと隠しておいた「男溺泉」の水も、八宝菜のおじいさんが酒と間違えて飲んでしまったようだ。
とにかく、大勢の人間がごちゃごちゃに道場の中に入り混じってる状態だった。
「あらあら、これじゃ祝言が台無しねえ」
…呆然と道場に入り口に立っているあたしの横を、そんな事を言いながらなびきお姉ちゃんが通り過ぎていく。
そんななびきお姉ちゃんの腕には、分厚い紙の包みが抱かれていた。
「お姉ちゃんでしょ!皆に祝言のこと教えたの!?」
あたしがなびきお姉ちゃんにそういうと、
「いいじゃない。ご祝儀いっぱいもらえたんだから。でも、これじゃあ延期になりそうねえ。ま、またその時もまた祝儀はもらえるとは思うけど」
なびきお姉ちゃんは全く凝りもせずそういって、道場~出て行ってしまった。
「…あーあ」
あたしは、めちゃくちゃになっている道場の中を見ながら、大きなため息をついた。
結局。
そんな状態になってしまったものだから、もちろん祝言は延期。
「もうちょっとお互いの身辺整理をしてからって事で…」
呆然としたような様子で、お父さんはあたしとアイツにそういった。
ちょっと残念そうな顔をしていたお父さんの顔があたしには印象的だった。
…でも、こうしてあたしたちは、また今までと変らない日常生活へと戻るはめになった。
そして、翌日のこと。
「…あんたのせいよ」
学校への通学路で。
道を歩きながら、あたしはアイツに言ってやった。
「おめーのせいだ」
あたしの横を走りながら、アイツもボソッと言い返す。
「あんたが優柔不断ではっきりしないから、あんな事になったのよ」
あたしはそういって、アイツの顔をじっと見てやった。
「…あたしのこと好きだって言ったくせに」
「な…」
あたしがそういった瞬間、アイツは驚くくらいに顔を真っ赤にする。
「言ってねえ!」
「言ったわよ!」
「いーや、言ってねえはずだ!」
「言ったも同然よ!」
あたしたちは、そんな事を言い合いながら、道を歩いていく。
…言ってないなんていったって、もうだめなんだから。
あたしの心に響いたあの言葉は、
あたしは絶対に忘れないもん。
あの言葉が、あたしにもう一度命を吹き込んでくれたんだもの。
言ってないなんていわせないわ。
「…じゃあ、あたしのこと嫌いなの?」
あたしは、そんなアイツにちょっと意地悪な質問をしてみる。
するとアイツは、ぽりぽりと頭を掻きながら、
「…嫌いだなんて言ってないだろ…」
と、消え入りそうな声で呟いた。
「…じゃあ、いいじゃない!」
あたしは、その答えを聞いてちょっと嬉しくなる。
「…チェッ」
アイツも、そんなあたしの様子を見て、ばつが悪そうに笑った。
そして、そんな照れてしまってるのを隠すように、
「…おい、急ごうぜ。遅刻しちまうよ!」
そういって、あたしの手を引いて走り出した。
「あ、ちょっといきなり走り出さないでよ!」
あたしは、よろよろと体制を崩しながらも、アイツに手を引かれながら、通学路を走っていく。
…祝言が台無しになって、いつも通りの生活に戻ってしまった、あたしたち。
でも、早乙女のおば様が言っていたように、中国に行く前と帰って来てからとでは、大きく違う点が二つ、ある。
一つは、アイツが自分からあたしの手を繋ぐようになったと言う事。
やっぱり、「好きだ」と言った、言わないはともかくとして、お互いの気持ちが確認しあう事ができたと言うのが決めてなんだろうか。
雰囲気が違って見えるのは、このせいだと思う。
そして、もう一つ。
それは、あたしとアイツが一緒に歩くとき。
今まで塀の上やらフェンスの上やらを歩いていたアイツが、あたしと二人で歩くときは必ず、あたしの横を並んで歩くようになった事…。
「乱馬」
あたしは、あたしの手を繋いだまま走ってるアイツの背中に向って呼びかけてみた。
「何だよ」
まだ照れてるアイツは、あたしのほうを見ないで、前方を見据えたままそれに答える。
「…何でもない!」
あたしは、そう答えて、一気に走る速度を上げて、あいつの隣に並んだ。
「…変なヤツ」
アイツは照れながら、でも嬉しそうにそう答えると、走るスピードを徐々に落とし…やがてゆっくりと歩き出した。
あたしの歩く速度にあわせて、ゆっくりとした歩調で。
あたしはそれが嬉しくて、自然と笑顔になる。
アイツも、そんなあたしを見て笑顔になる。
…祝言は挙げる事が出来なかったけど、
今のあたしには、この瞬間が一番幸せ。
今度祝言を挙げるときまでには、本当にちゃんと身辺整理をしておかないとね。
この幸せをもっと続けていくためには、これから先、二人でいっぱいいっぱい努力をしていかないといけないよね。
だってあたしたちはまだ、お互いの気持ちを確認しあっただけなんだもの。
いままでは「好きか」「嫌いか」「許婚か」「許婚じゃないか」とかの戦いの日々だったけど。
これからは、そこから一歩進歩した戦いの日々が始まるんだよね。
あたしのことを好き(なはずの)なアイツと、
アイツの事を好きなあたしの二人を邪魔しようとする人々と、それをどうにかして逃れようとするあたしたちとの、戦いに。
でも、負けるもんですか。
あたしたちは、絶対にこの新しい戦いに勝って見せるわ。
あたしは、アイツに繋がれた手にぎゅっと力を込めて、そう誓った。
そう。もう今日から始まってるんだ。
あたしとアイツの新しい戦いは。
・・・あたしとアイツの「延長戦」は。